1-6 悪意の来襲

 それは桜が工場を出て、少し時間が経った時の事。背後から、ねっとりと気味の悪い、悪意の塊のような気配を、桜は感じるようになったのだ。最初はあの仮面の少年が追って来たのかと思ったが、彼はこんな気味の悪い気配は発していなかった。


 しかし、だとすればおかしいのだ。


 工場は池袋の外れ、つまり池袋の一番端に存在する。工場からここまでの道のりは一本道だ。壁はコンクリートで舗装されており、隠れられそうな場所などない。なので、桜の後ろにいる、ということは、一度桜とすれ違っていないとおかしいことになるのだ。もっとも、桜よりも先に廃工場に行き、そこで潜んでいたなら話は別だが。それでも、仮面の少年の不思議な力を目にして声を上げなかったということは、一般人ではあまり考えられない。


 ────つまり、


 かなり飛躍した考えだが、桜はその可能性が頭から離れず、釈然としない気持ちだった。

 桜の知らない抜け道があり、そこから背後に回り込んだのかもしれない。実は廃工場に住んでいるホームレスの人で、不思議な力は寝ていて見てないのかもしれない。など、不思議な力を持っている以外の説は当然ある。しかし、桜は背後の悪意ある視線に、どうしても仮面の少年と同じ『不思議な力』を重ねていた。

 普通に振り返って『誰』がいるか、確認すればいいだけの話なのだ。しかし、桜はどうしてもそれが出来ないでいた。それは相手があまりにも気味の悪い気配を発しているため、迂闊に振り向くと殺されるかもしれない。と、懸念したためだ。先程のこともあり、かなり慎重になっていた桜は、背後を気にしつつも、何も出来ないでいた。

 しかし、我慢強くない桜にいつまでも膠着こうちゃく状態が我慢できるはずもなく。とうとう桜の限界が訪れ、勢いよく振り返り、


「ええい、誰ッ!? ずっと後ろにいるのは分かってるんだからね!」


 と、ビシッと指を指しながら叫んだ。


「え、あれ……?」


 しかし、背後には誰もいなかった。今も尚、気味の悪い気配はあるのに、そこには人どころか、動物すら存在していなかったのだ。

 気のせい、と言うにはあまりにも不気味な気配に、桜が困惑していたその時、


「クッハッ! クク、クハハハハハハハハーッ!」


 と、どこからともなく中年男性のような笑い声が発せられた。その直後、先程まで何も無かった空間からぬるり、と男が現れた。顔つきは中年男性の面持ちで、ボサボサの茶髪に鋭い目つきの黒目。服はかなり着崩されており、耳にはピアスが付けられている。そして何より桜を見つめる下品な笑みから、桜はこの大人はやべぇやつだ、と認識した。

 男はひとしきり大笑いを続けた後、下品な笑みを桜に向けたまま少し近づき、両手を広げてハイテンションで語り始めた。


「よぉーくぞ見破ったァ! いやァ、恐れ入ったよ、嬢ちゃん!」


 そう言って、男はわざとらしく拍手をする。桜はまたしても非現実的なことが目の前で起こり、多少、困惑していた。しかし桜は、元々深く考えるタイプでは無い。なので、それよりもこの男が何をしたいのか分からない困惑の方が大きかった。


「えーっと、おじさん誰? 私に何か用?」


 桜が困惑気味にそう聞くと、男はまたもやわざとらしく手を頭に当てて格好をつけてから、名乗り始めた。


「おお、失敬失敬ィ! 俺の名は毒嶋ぶすじま遼真りょうま。お前と同じく『神』と契約した者さァ」

「あ、私は西連寺さいれんじさくらです!」


 まるでサーカスのピエロのようにわざとらしいお辞儀をし、毒嶋は名乗る。桜も反射で自分の名前を名乗った直後、毒嶋の自己紹介の最後の部分に違和感を覚え、頭をひねった。


「……うん? か、神と契約? 毒嶋さん何言って……」

「おおっとォ! 残念だが誤魔化したってもう遅いぜェ? お前は俺の『透明化インビジブル』……姿を隠す能力にもさほど驚いた様子はねェし、何より……嬢ちゃん『使徒ヴォイド』とやり合ってただろォ?」


 桜の言葉を遮り、毒嶋はニタリと下品に口元を歪める。さっぱり意味のわからないことをしたり顔で言い放つ毒嶋に、桜は若干苛立ちを覚えたが、怒りを抑えつつ、誤解を解くべく反論することにした。


「ホントに毒嶋さんが何言ってるのか分からないんだけど……。ってか嬢ちゃんじゃなくて桜だよ!」

「はぁ~。まぁ~ったく。話の通じねェ嬢ちゃんだなァ。さっきまで嬢ちゃん、廃工場にいただろ? 俺様もそこに居てなァ? 嬢ちゃんが『使徒ヴォイド』の男とやり合ってんのを、遠くから見てたんだよ」

「えっ! 毒嶋さん廃工場に居たの!?」

「居たつーか、外から見てたつーか……。まぁとにかく、嬢ちゃんが影に締めあげられてるとこはバッチし見てるわけよ」


 まさかあの場に本当に他の人もいたなんて……。と、桜は内心驚いていた。そんな桜を見て、満足そうな笑みを毒嶋は浮べる。そして毒嶋はさらに、したり顔をし、桜を馬鹿にするように言葉を放った。


「そんなわけで、嬢ちゃんが『異能スキル』を持ってることはもうバレてんだよ。隠すだけ無駄だぜェ?」


 またしても知らない単語を言われ、桜は大いに戸惑う。だが桜はそれより、馬鹿にされている方に腹が立っていた。

 知らないと言っても信じてもらえず、容量を得た答えを得ることも出来ない。先程会った仮面の少年もそうだったが、超能力的な力を持った人は、人の話を聞かないのかもしれないな。と、桜は思う。

 毒嶋は桜が黙っているのを、諦めて認めたと勘違いしたのか、満足気にゲラゲラと下品に笑い、更に桜を困惑させる言葉を放った。


「アッハッハ! すぐバレる嘘程虚しいもんはねぇよなァ! それにしても嬢ちゃん。何したんだァ? 『使徒ヴォイド』を怒らせるなんてよォ!」


 ────使徒ヴォイド


 使徒ヴォイド、とはもしや仮面の少年のことでは? と、桜はようやく少し、毒嶋の話を理解する。さっきまで自分と会っていたのはあの少年だけだし、それ以外考えられなかったからだ。

 そして毒嶋の口振りからするに、仮面の少年はどうやら『使徒ヴォイド』というらしい。


「えぇっと、毒嶋さん。つかぬ事お聞きしますが、ぼいど? って、なんですか?」

「はァ? お前、馬鹿なのかァ? 自分に異能スキルを授けたやつの名称くらい知っとけよォ。つか、ボイドじゃなくってヴォイド。『ヴォ』だよォ! 神が生み出した管理者……まぁ神の使いだよォ」


 初対面であるはずの毒嶋に馬鹿にされ、桜は少しムッとする。確かに聞き間違えたのは悪かったけど、そんな知識知らないし! そんな差も当然。みたいに話されても分かんないよ! と、桜は心の中で盛大に悪態を吐く。

 それにしても何故神の使いが翼のことを忠告しに来るのだろう? 翼が消えたことと毒嶋が言っている意味不明なことは繋がっているのだろうか……? などと、桜は一瞬意識が毒嶋から離れ、考え事に耽ってしまう。


「ま、嬢ちゃんが馬鹿なことはいいや。しかしまぁ、んな可愛い見た目して嬢ちゃんもこのイカれたゲームの『参加者ピューパ』なんてよォ。ククッ、世の中腐ってるなァ。……ところで嬢ちゃん。お前、? それによって、共闘してやらなくもないぜェ?」


 ────それがいけなかったのだろうか。調子に乗った毒嶋が放った言葉は信じられないもので。桜は自分の耳を疑った。

 今、聞き間違いではなければ、毒嶋は桜に? と聞いた。それが動物であれ人であれ、桜にとっては聞き逃せない一言なのは間違いない。

 桜は困惑したままではあったが、それ以上の怒りをもって、毒嶋に怒鳴った。


「はッ…………はあッ!? 今、なんて言った……? 私が殺しをしただって……? ふっざけんなッ!」


 正直、目の前で不思議な力を使われるよりも、桜は困惑していた。何故自分が殺しをするような人間に見えたのか、心底分からなかったからだ。そして何より、平然と殺しの単語を口にできる毒嶋に、心底怒っていた。

 そんな桜の感情を読み取ったのか、毒嶋は心底不思議そうに首を傾げ、眉を顰める。


「んん? 嬢ちゃん、もしかしてまだ人を殺したことねぇのかァ?」

「……は? その言い方だと、もしかして毒嶋さんはもう、誰かを殺してるの……?」

「はァ? 当たり前だろォ? じゃなきゃ勝てねェーぞォ?」


 桜が困惑気味に毒嶋に問うと、さも当たり前のことを言うように、毒嶋は言い放つ。

 今までの会話の大体が、桜にとって意味不明で、理解不能なものばかりだった。しかし、これだけは言える。と、桜は確信した。


「このゲス野郎ッ! お前なんて警察に突き出してやるッ!」


 人を傷つけることを当たり前だと捉えている奴が、桜はこの世で一番嫌いだった。つまり、毒嶋の様に性根から腐っている男は、桜にとって『悪』の象徴なのだ。

 桜の叫びに、毒嶋はやれやれと首を振り、まるで子供を諭すように、語りかけてきた。


「あんなァ。潰し合わねェと強くなれない。ンなもん小学生でもわかんだろォ?」

「人を殺してはいけないって、小学生でも知ってる常識だよッ!」

「いやいや。この『ゲーム』において、常識なんて通用しねェって。んだよ……。神の使徒と殺りあってる嬢ちゃんなんて、どんなかと思ったがァ……。とんだ甘ちゃんじゃねェかァ……」


 そう言うと毒嶋は、突然着ていた上着から『』を取り出す動作をする。しかしその手には何も握られておらず、桜は困惑した。


「じゃあ共闘はしなくていいかァ。嬢ちゃん頭はアレだけど、見た目は可愛いし、遊んでやるよォ! イッツ・ショータイムッ! 深淵の慟哭を、脆弱な弱者の悲痛な顔を、俺様に見せてくれよォッ!」


 毒嶋の叫びと同時に、ザクリッ、と、鈍い音が、桜の耳に響く。桜が恐る恐る音の方へ視線を向けると、そこにはナイフが突き刺さっていた。




 ───そう、桜の左腕に深く、鋭利なナイフが突き刺さっていたのだ。

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