1-5 非日常への選択

「これが、お前が選ぼうとしている道だ」


 そういい、仮面の少年が、ゆっくり桜へと近づいてくる。そして、ある程度近くまで来ると歩みを止め、締めあげられている桜を見上げた。

 あまりにも現実離れした現象に、少なからず桜は困惑する。影の締めつけは、少しでも気を抜いたら意識が飛びそうなくらい苦しかった。常人ならその苦しさからすぐさま逃れようともがくだろう。当然桜も例に漏れず、影を引き離そうと力の限りもがく。しかし、影はビクともせず、締め上げる力が弱まることはなかった。そのことが悔しくて、桜は仮面の少年をきつく睨みつける。

 しかしその瞬間、桜は仮面の少年からある違和感覚えた。

 仮面の少年は、仮面をつけていることもあり、その表情は読み取れない。しかし桜には、何故か仮面の少年が苦しんでいるように見えてならなかった。苦しいのは桜のはずなのに、どうして仮面の少年も苦しそうなのか。

 そんなことを考えていると、なんの前触れもなく、影が締め上げる力を弛め、桜をゆっくりと地面へ下ろした。


「げほッごほッ……!」


 ようやく苦しみから解放された桜は、ひとしきり呼吸を整えた後、ゆっくり立ち上がり、仮面の少年と対峙する。

 桜の呼吸が落ち着いたのを確認した仮面の少年は、先程の位置から微動だにせずに、桜に語りかけてきた。


「分かっただろう。お前が知ろうとしている世界は『一般人エンブリオ』が立ち入っていい世界じゃない。……死にたくなければ、全てを忘れて生きろ」


 そういい、仮面の少年はゆっくりと踵を返す。これで完全に桜の心は折れただろう。と踏んだからだ。

 しかし、そんな彼の後ろ姿に、桜は力強く反論した。


「そんなこと、出来るわけないじゃないかッ! こんなやばい世界に翼がいるのなら、尚更放っておけるわけないじゃんッ!」


 そう言い放つ桜の言葉には、一切の迷いがなかった。確かに、死ぬのは嫌だ。だけれども、桜にとっては死ぬことより、翼を見捨てることの方が嫌だった。仮面の少年の影を操る未知の力も、恐怖よりも悔しさの方が上回っていた。それは、桜が自分の運動能力にはかなり自信を持っており、大の大人でも数人程度相手なら、倒せる実力はあると思っていたからだ。それなのに実際は、一人の少年の非現実的な力に、為す術もなく叩きのめされる始末。そんな事実に、桜は歯噛みする思いが込み上げてきたのだ。

 当然、桜の悔しい思いは、一般的にはまず生まれない。仮面の少年も、まさか桜が自分に負けて悔しい。などと思っているとは露知らず。桜の予想外の反論に、勢いよく振り返り、冷静さをかいて叫んだ。


「なッ……!? お前は死にかけたんだぞ! 何故、そんな愚かな選択が出来る……ッ!」


 実際、桜は後一歩で本当に死ぬところだった。だと言うのに、未だ彼女は他人を慮る発言を揺るがさない。自分よりも、他人を優先したのだ。そんな事実に、仮面の少年は苛立ちを隠せないでいた。

 勿論、桜の決意はそんな言葉で今更揺るぐことはなく、尚も仮面の少年に反論を続ける。


「人を助ける選択を、私は愚かなんて思わないッ! 大体、なんで君はわざわざそんな忠告しに来たの? 私だって、君がしたいことぜんッッぜん理解できないよッ!」

「…………ッ!」


 桜の言葉に、仮面の少年はあからさまに狼狽える。桜の言う通り、仮面の少年が忠告に来なければ、桜は永遠に翼の行方の片鱗すら掴めなかった。関わって欲しくないなら、桜に関わらなければよかったのだ。だと言うのに、わざわざ関わりに来た仮面の少年を、桜は理解できなかった。仮面の少年も、まさかそんな正論を言われるとは思っていなかったのか、露骨に俯く。


「ねぇ、もしかして君が忠告に来たのって、君がずっと苦しそうな顔をしていることと、何か関係あるの?」

「…………は? 俺が、苦しそう…………? お前は何を言って……!」


 仮面の少年は、虚をつかれたかのような声を上げる。しかし桜はそれを無視し、畳み掛けるように言葉を紡いだ。


「君、私と会話する気ないよね? 自分の言いたいことばっかり言って! それで私が君の思い通りになるとでもッ!? 冗談じゃないッ! 私は、私のやりたいようにやらせてもらうから!」

「……それは」


 桜の勢いに飲まれたのか、仮面の少年は言葉に迷い、口籠る。そんな仮面の少年に、いい加減堪忍袋の尾が切れた桜は、


「君は何がしたいの? ……って聞いても、答えてなんかくれないか。君、私の話聞いてるようで、聞いてないもんね。答える気がないなら、私はもう行くよ」


 と言い捨て、堂々と仮面の少年を横切り、工場の出口へと歩き出した。仮面の少年は、そんな桜を見て何かを言おうと振り向き、手を伸ばす。しかし、その言葉が紡がれるより早く、桜は工場を後にした。




 ──────そんな二人の光景を『第三者』が見ていたなんて、露知らず。

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