第33話『向日葵の中学時代』

 コンビニでアイスを買い、僕は向日葵の家にお邪魔する。

 ご家族は全員不在。お父様は仕事で悠花さんはパート、百合さんは大学だという。ちなみに、悠花さんのパート先はナノカドーの中にある女性向けのファッションブランドのお店。向日葵はそちらにも助っ人でバイトしたことがあるそうだ。だから、向日葵の家で彼女と2人きりか。ちょっと緊張してきた。

 向日葵の部屋に行き、僕らはコンビニで買ったアイスを食べ始める。僕はチョコミント、向日葵はラムレーズン。約束通り、向日葵に奢ってもらった。

 チョコミント美味しいな。奢ってもらったものだから、いつも以上に美味しい。季節が夏になり、晴れて暑いから、ミントの爽やかさがとてもいい。

 向日葵はラムレーズンが大好きなのだそう。ラムレーズンを食べていくうちに、向日葵の顔にいつもの明るい笑みが戻ってきた。向日葵には笑顔がよく似合う。


「ごちそうさま! ラムレーズン美味しかった!」

「ごちそうさま。美味しかったよ。チョコミント、奢ってくれてありがとう」

「いえいえ。それに、奢るのが約束だったから。……ラムレーズンを食べたら気分が良くなったよ」

「良かった」


 個人的に好物は心の栄養にもなると思っている。向日葵にとって、その一つはラムレーズンだったようだ。

 あと、お店で買って、フードコートとかで食べるのもいいけど、コンビニで買ったものを家で食べるのもいいな。


「さてと、そろそろ本題に入ろうか。……どこから話そうかな」


 う~ん、と右手の人差し指を唇に当てながら考えている。

 果たして、向日葵から、花村についてどんなことが語られるのだろう。さっき、花村と会ったときの向日葵の様子からして、かなりの内容かもしれない。

 ふぅ、と息を吐くと、向日葵は僕のことを見る。


「桔梗は何度も見たことがあるよね。高校であたしが告白されるところを」

「うん。2年生になってからだけでも、両手で数え切れないくらいに見てる」

「そっか。……中学の頃もたくさん告白されていたんだ」

「そうなんだ」


 勉強会のときにアルバムを見せてもらったけど、中学時代の向日葵は、今と変わらない雰囲気になっていた。たくさん告白されていたのも納得だ。


「興味のない相手でも、告白を断り続けると疲れてくる。人気のある生徒からの告白も振ったから、妬まれることもあって」

「そうか……」


 人気があるが故の苦悩ってやつかな。


「中2になったとき、そろそろ誰かと付き合ってこの状況を脱しようかなって思ったの。そんな中で、花村に告白されて。当時、彼は顔立ちが良くて、女子から人気があった。ここで振ったらファンの女子から面倒な目に遭いそうだし。告白したときの爽やかな笑顔を見たとき、もしかしたら好きになれて、上手に付き合えるかもしれないと思って付き合うことにしたの。愛華も応援してくれた」

「なるほどね」


 確かに、花村の顔立ちはいい方だと思う。姿だけ見れば女子から人気があるのも頷ける。そんな人気者と付き合えば、告白もなくなって楽になると考えたのか。

 それにしても、今の話を聞くと胸が何だかざわつくな。駅で花村に会ったとき、向日葵がとても嫌がっていたからだろうか。


「花村とは別のクラスだった。だから、会うのは授業間の10分休みとか、昼休みがメインだった。メジャーな作品中心だけど、彼も漫画を読んだり、アニメやドラマも見たりしていて。愛華と話すこともあったよ。お昼ご飯を食べながらそういう話をするのは楽しかった」

「そっか」


 僕も席替えをしてから、昼休みに向日葵と一緒にお昼ご飯を食べるようになった。そのときの話題の一つは漫画で、向日葵は楽しそうな表情を見せることが多い。あんな顔を付き合っていた頃の花村にも見せていたんだな。付き合っていたのだから、それは当たり前なことなのかもしれないけど、ちょっと悔しい。


「当時、花村はバスケ部に入ってた。だから、初めてのデートはバスケ部の活動が休みになる日曜日にしたの。ナノカドーに行って、あのお店でバイトしているお姉ちゃんにも会いに行ったの。ただ、その後に……事件が起きた」

「事件?」


 それが、駅前で会ったときの花村に対する態度に繋がるのかな。


「……駅の南口の近くに、完全個室の漫画喫茶があるの。知ってる?」

「行ったことはないけど、ナノカドーの近くにあるから、お店があるのは知ってる」

「そう。お互いに漫画好きだからって理由で、花村からそこへ行こうって提案されたの。好きなものを飲みながら、漫画を読んだり、アニメのDVDを観たりしようって言われたから。それは魅力的だと思って受け入れた。でも、それが間違いだった」

「……もしかして、その部屋の中で花村に何かされたのか?」


 僕がそう言うと、向日葵は真剣な様子で頷く。


「うん。でも、正確には……されかけたって言う方が正しいのかな。当時流行っていたアニメを観て、少し話したとき。花村は『漫画やアニメのことで話すと楽しいし、もっと好きになった』って言って、あたしにキスしてきたの。それがあたしのファーストキスだったし、今思うととても嫌なこと。でも、漫画とかアニメのことで話すのが楽しかったのは事実だし、当時のあたしにとってはまだ許せた。ただ、唇を離した瞬間、花村はあたしをソファーの上に押し倒したの」

「じゃあ、まさか……」

「……襲われそうになったの。強い力で私を押さえつけて、それまで見せたことのない厭らしい笑顔になって『最後までやらせろ』って言ってきて。その瞬間、花村はこのときのために、あたしに告白して、今まであたしにいい顔をしてきたんだ……って裏切られた気分になった。結局は体だったんだって。花村はキスしながら胸を触ってきて。そのことで……どんどん怖くなって……」


 向日葵の両目には涙が浮かぶ。ハンカチを差し出すと、向日葵は「ありがとう」と受け取り、涙を拭った。

 話を聞くだけでも、向日葵の辛さが鮮明に伝わってくる。きっと、当時の向日葵はとても怖かったに違いない。駅前で会ったとき、向日葵が花村に強い拒否反応を示すのも当たり前だ。花村への怒りが沸いてくる。


「襲われそうになった……ってことは、向日葵は逃げることができたのか? それとも助けを呼んで、誰かが部屋まで来てくれたとか?」

「逃げたわ。胸を触られているとき、運良くあたしの右手は自由だった。だから、花村の顔を数回思い切り叩いて、股間を2、3回蹴りつけたわ。その後に『この場で恋人関係は終了! 二度と関わらないで!』って言ってやった。花村がうずくまっている間に、あたしはその場から逃げて家に帰ったの」

「な、なかなかアグレッシブな方法で逃げたんだね」


 火事場の馬鹿力が発揮されたのかな。

 ただ、世の中には襲われそうになった際、抵抗したことで辛い目に遭ったり、酷いと亡くなってしまったりする事件もあると聞く。その場から逃げられて、家に帰ることができた向日葵は幸運だったのだと思う。


「家に帰ったあたしは、家族に事情を話して、学校に連絡した。学校の調査の結果、通っていた中学だけじゃなくて、別の中学の生徒や、近所にいる高校生の女子に手を出していたみたい。それもあってか、短い期間だけど花村は出席停止処分。バスケ部からも退部処分になったわ。そして、彼の御両親が謝りに来てくれた」

「そうだったんだ」


 よく学校からの処分だけで済ませたな。花村の御両親が謝ったからだろうか。


「本人からの謝罪は?」

「……なかった。むしろ、出席停止明けに花村があたしの教室に来て、『お前みたいな暴力女と関わらねえよ!』って言って去っていったわ」

「逆ギレか……」

「最悪でしょ」

「最悪だね」


 ただ、花村らしい感じはする。


「でも、向こうから関わらないって言ってくれたから、むしろ安心したくらい。それからは花村と関わることはなかった。愛華とか友達が支えてくれたから、その後の中学生活は楽しく送れたわ」

「良かった」


 きっと、向日葵にとって家族や友人は支えになったことだろう。その中でも、福山さんの存在は特に大きかったと窺える。僕の知る限りだけど、福山さんと一緒にいるときは明るく可愛らしい笑顔を浮かべていることが多いから。


「それから3年くらいの間も、花村の姿を見かけることはあった。高校は別々だから、高校生になってからは頻度が減ったけど。でも、話されたことは一度もなかった。だから、花村に声を掛けられたとき……とても怖かった。3年前のことがフラッシュバックしたから。桔梗が側にいてくれたから何とかなったよ。ありがとう」

「向日葵の力になれて良かった」


 ただ、立ち去るとき、『今日のところは引き下がってやる』と言っていた。花村は向日葵にかなり興味があったようだし、もしかしたら、すぐに彼と再び対峙することになるかもしれない。


「それにしても、向日葵は中学時代にとても辛い経験をしていたんだね。これが、元カレの花村と1週間くらいしか付き合わなかった理由だったんだ」

「そういうこと」


 花村の本性を知っていると、1週間くらいで別れられて良かったと思ってしまう。


「……そういえば。僕の家で勉強会をする前に、僕が足を滑らせて向日葵を押し倒してしまったとき、向日葵は悲鳴を上げて僕の頬を叩いたね。そのとき、福山さんの優しい笑顔も消えてた。それは花村のことがあったからだったんだね」

「ええ。3年前のときのような感じがして、反射的に頬を叩いてしまったの。きっと、愛華もそれが分かったから、笑顔じゃなかったんだと思う」

「なるほどね」

「……花村とはもう二度と関わりたくないわ。でも、桔梗。さっきのことがあったから、これからあたしと花村のことで迷惑を掛けちゃうかもしれない。もしそうなったらごめんね」

「気にしないでいいよ。むしろ、あの場に僕がいたからこそ、花村のことで僕が向日葵の力になれると思ってる。ゴールデンウィーク前にナンパした男達から守ったように、今度は花村から向日葵を守るよ」


 僕はゆっくりと右手を伸ばして、向日葵の頭の上に乗せた。手からは向日葵の温もりを感じる。向日葵も僕の手の温もりを感じているだろうか。

 ゆっくりと向日葵の頭を撫でる。すると、向日葵はとても柔らかな笑みを顔に浮かべ、


「ありがとう、桔梗」


 と優しい声色で言った。その瞬間、右手に感じる向日葵の温もりが、体の奥底まで伝わったような気がした。何としてでも、彼女のこの笑顔を守ろうと僕は胸に誓うのであった。

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