第32話『元カレ』
放課後。
僕は向日葵と一緒に下校し、ナノカドーに向かって歩き出す。中間試験の順位勝負で勝ったので、これからフードコートにあるアイス屋さんで、向日葵にアイスクリームを奢ってもらうからだ。
武蔵栄駅周辺には、美味しいものを食べられる飲食店がいくつもある。ただ、放課後に食べるし、今日のように晴れた暑い日には冷たいものがいいと思ったのだ。これなら、向日葵も楽しめると思って。実際、アイス屋さんで奢ってと言ったとき、向日葵は喜んだ様子で「分かった!」と言ってくれた。今も楽しそうに歩いている。
「アイス、何にしようかなぁ~」
「僕が奢るんじゃないかっていうくらいに楽しそうだね」
「アイスが大好きだからね。今日みたいに暑い日に食べるアイスは特に美味しいし」
「そうだね」
暑い時期、学校からの帰りにアイスをナノカドーで食べたり、コンビニで買い食いしたりしたことが何度もあったな。去年はバイト帰りに食べたこともあったっけ。
好きなアイスの味はいくつもあるから、お店に行くと迷うことが多い。ナノカドーのアイス屋では並ぶことが多いので、何にするかは並ぶ間に決めようかな。
「そういえば、撫子ちゃん凄いわね。学年で8位だなんて」
「そうだね。1年生は学年全員だからね」
300人前後いる中の8位。撫子の頑張りがしっかりと実った。帰る途中で、ご褒美にスイーツかアイスでも買ってあげようかな。
「成績上位者といえば、2年の文系クラスのところに福山さんと冴島さんの名前もあったね」
「そうだったわね。愛華は15位で、和花は6位。一緒に勉強した子の名前があると嬉しくなるわ」
「そうだね」
順位表に福山さんと冴島さんの名前を見つけたとき、向日葵はとても嬉しそうにしていた。スマホで写真を撮るほどだ。その姿は微笑ましかったな。
「2人とも調子が良かったみたいだし、期末試験では2人もライバルだと思っておいた方がいいかもね」
「2人も頭がいいもんね。特に冴島さんは苦手な教科がなくて、勉強会では撫子にたくさん教えていたから」
「そうね」
頑張ろう、と向日葵は意気込む。この意気込みのまま期末試験まで走り続けられれば、向日葵が学年1位になる可能性も十分にあるんじゃないだろうか。
気づけば、最寄り駅の武蔵栄駅が見えてきた。下校の時間帯なのもあり、近隣の駅が最寄り駅の学校の制服を着た人がちらほらと。僕らのように、半袖のワイシャツを着ている人も多いなぁ。
駅の構内を通り、僕らは駅の南口に。
ナノカドーの全景が見えたときだった。
「あれ? 宝来じゃん」
背後から男性の軽薄な声が聞こえてくる。もちろん、聞き覚えがない。
向日葵のことを呼んでいるので彼女の方を見ると……向日葵は目を見開いてその場で立ち尽くしている。少し体が震えていて。……まさか。
振り返ると、目の前には武蔵栄とは別の高校の制服を着た男が立っていた。茶髪のイケメンだが、暑いのか半袖のワイシャツは第3ボタンまで開けているし、腰パンだし、両耳にピアスをいくつも付けているし……絵に描いたようなチャラい風貌。
やがて、向日葵も茶髪男の方に振り返る。向日葵の両脚は少し震えていた。向日葵は僕の着ているベストの裾を掴む。
「ひさしぶりだな、宝来。こうして話すのは3年ぶりくらい?」
「……そうね」
低い声色で返事をする向日葵。茶髪男の方は見ていないけど、向日葵の目つきは段々と鋭くなっている。
茶髪男は興味津々な様子で向日葵と僕を交互に見てくる。
「宝来が男子と一緒にいるなんてな。見た感じ……武蔵栄か。こいつは宝来の今カレか? オレに似て結構なイケメンじゃん!」
「……彼氏じゃないわ。クラスメイトで友人よ」
「ふうん……」
そう反応すると、茶髪男は僕を見て、嘲笑にも受け取れる笑みを見せる。
「なあ、宝来。これから一緒に遊ばない? この前の週末に彼女と別れちゃってさぁ。オレの通ってる高校にいる残りの女の中には、いい女が全然いないんだ。こんな男よりもオレと一緒に過ごさないか?」
「……嫌。お断りよ」
向日葵はそう言うとゆっくりと顔を上げ、とても鋭い目つきで茶髪男のことを見る。
「というか、3年前にあたしにあんなことをしようとして……あんたもこっちからも振ってやるって言ったくせに、遊ぼうってよく誘えるわね。しかも、隣にいる桔梗のことを差し置いて」
「もう3年も前のことじゃん。それに、歴代で付き合った女の中では、宝来がトップクラスにいいんだよ。顔もいいしスタイルも抜群だし」
「……あなたは全ての男の中で最低よ。桔梗とは雲泥の差だわ」
そんな向日葵の声と目には、強い憎悪の気持ちがこもっているように思える。以前、僕にしていた舌打ちや睨みが可愛いと思えるくらいに恐ろしい。
「……向日葵。今のやり取りからして、彼が中学時代に1週間ほど付き合ったっていう元カレ?」
「……そうよ」
「
見下したような笑みを見せる茶髪男……花村。どうやら、彼の中では、1週間ほどでも恋人として付き合った自分の方が上だと思っているようだ。
「加瀬桔梗といいます。向日葵のクラスメイトで友人です。今は僕との時間なので。前から約束していましてね。それに、向日葵も嫌だと言っていますし……お引き取り願えますか?」
「たかが友人で何言っているんだか」
花村から笑みが消え、僕に敵意を向け始める。この様子からして、元カレは友人よりも上の立場だと思っているのだろう。
「……あなたは向日葵の元カレですが、まともに話すことでさえ3年ぶり。しかも、付き合った期間は1週間程度。僕は友人ですが、1ヶ月以上一緒に過ごしている。果たして、向日葵にとって繋がりが深いのはどちらでしょうか?」
少しでも考えれば分かることだと思うけど。
花村は「チッ」と舌打ちすると、僕に不快な表情を見せる。どうやら、僕からの問いの答えが分かったようだ。
「もう一度言います。今は僕との時間です。そして、向日葵はあなたと一緒にいるのを嫌がっている。だから、帰ってください。もし、向日葵に何かしたら僕は許しませんよ」
強い言葉になってしまったけど、このくらい言わないと花村が自分の意思を押し通しそうな気がしたから。もちろん、向日葵に何かしたら許さないのは本当だ。
はあっ……と花村は長いため息をつく。
「……今日のところは引き下がってやる。……じゃあな、宝来」
花村はニヤリと厭らしい笑みを浮かべて、僕らのところから立ち去った。今日のところは……ってことは、近いうちに彼が再び姿を現しそうだ。
向日葵を見ると、花村がいなくなったこともあり、ほっとしている様子。向日葵が花村をとても嫌がっているのがよく分かる。
「……何だか、とんでもない奴だね。元カレだし、もし今の言葉で気分を悪くしたなら謝るよ」
「……そんなことないわ」
「そうか」
向日葵はそれまで僕のベストを握っていた右手を放す。
「桔梗、ありがとう。花村に帰ってくれって言ってくれて」
「いえいえ。彼にも言ったように、今は僕との時間だし、向日葵は彼と一緒にいるのをとても嫌がってる。向日葵の友人として当然のことをしただけだよ」
向日葵の近くにいる友人として。以前、百合さんに「何かあったら向日葵を助けてくれると嬉しい」と言われたけど、それがなくても僕は同じことをしていただろう。
「ありがとう、桔梗」
口元だけだけど、向日葵はようやく笑ってくれた。そんな彼女を見て、ほっとした気持ちと嬉しい気持ちを胸に抱く。
「……桔梗にはあの男のことを話した方がいいわね。外だと彼の目があるかもしれないし、できればあたしの家がいいな。でも、それじゃアイスを奢る約束は果たせないか」
「気にしないで。僕との約束は後日でもいいし。それか、コンビニでアイスを買って、向日葵の家で食べるのでもいいよ。コンビニで売っているアイスも美味しいのが多いし」
「それいいね。じゃあ、コンビニで買って、家で食べよっか」
「ああ、そうしよう」
自分の家なら向日葵も落ち着けるだろうし、好きなアイスを食べればリラックスできるんじゃないだろうか。
僕は向日葵と一緒に、彼女の家に向かって歩き出すのであった。
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