第4話『一位を取りたい理由』

 依然として、宝来さんはニャン太郎先生のぬいぐるみで顔を隠し続けている。嬉しそうな笑顔を僕に見られたのがよほど恥ずかしかったのかな。かなり可愛いと思ったけど。

 ニャン太郎先生のぬいぐるみがゲットできたし、ゲームーズで買った漫画も読みたいから帰ろうと思っていたけど、宝来さんがぬいぐるみで顔を隠している間は側にいた方がいいか。昨日のような事態になる可能性もあるから。


「何だよ、彼氏がいたのか」

「あんなにイライラしていたのに笑顔を引き出せるとは。さすがは彼氏。イケメンだし凄く負けた気がするが……いいものを見させてもらったぜ。帰ろう」

「そうだな」


 さっき、宝来さんを見ながら話していた別の高校の男子生徒達はそう言うと、ゲームコーナーから離れていく。

 クレーンゲームでほしいものを取ってあげて、それまでイライラしていた宝来さんを笑顔にした。そんな僕を彼氏だと思うのは自然なことか。宝来さんを見ていた人達はみんな立ち去っていった。

 宝来さんの耳がさらに赤くなるのが分かった。彼氏という言葉が聞こえたからかな。


「か、彼氏なわけがないでしょ。ばーか……」


 僕にしか聞こえないような大きさの声でそう言うと、宝来さんはぬいぐるみから顔を離した。そんな彼女の顔はさっきと変わらず赤い。視線がちらついている。あと、僕が彼氏だと思われたからか、何だか不機嫌そう。


「まあ、見ていたのは別の学校や大学生らしき人ばかりだ。だから、うちの高校で僕らが付き合っているっていう嘘が広まる可能性は低いんじゃないかな」

「……そうであってほしいわ」


 ようやく宝来さんは僕の方に視線を向ける。僕と目が合うと、彼女の不機嫌そうな表情が少しずつ収まっていく。


「……改めてお礼を言うわ。ありがとう」

「どういたしまして」


 2度もお礼を言ってくれるとは。よほど嬉しかったと分かる。あと、ぬいぐるみを抱きしめながら言ってくれるとほっこりするな。


「ねえ。何かお礼をしたいんだけど。昨日のことも含めて」

「別にいいさ。きちんとお礼の言葉を言ってくれたし」

「それじゃあたしの気が済まないの! それに、このままだと何だか加瀬君に貸しができたままで嫌だし……」


 少し頬を膨らませる宝来さん。

 俺に貸しができたままは嫌……か。貸しはすぐに返して、気分をスッキリとさせたい性格なのかもしれない。


「……分かった。ご厚意に甘えるよ」

「それでいいの。それで何がいい? でも、厭らしいことはダメなんだからね! あたしの体絡みで加瀬君にあげるものはないから!」

「そういうことは要求しないから安心してくれ。そうだな……じゃあ、缶コーヒーを1本奢ってくれ」

「……そんなのでいいの?」

「ああ。僕、コーヒーが大好きだからね。バイトしている喫茶店のコーヒーはもちろん、缶コーヒーも好きだよ。それに、僕が取ったことで、いくらかお金が浮いたんじゃないか?」

「そうね。あたしがやり続けていたら、さらに1000円や2000円くらいはお財布から消えていたと思うわ」


 どうやら、クレーンゲームがどのくらい苦手なのか自覚しているようだ。


「分かった。じゃあ、近くの休憩スペースに行きましょう」

「うん」


 僕は宝来さんについていく形で、同じフロアにある休憩スペースへと向かう。

 休憩スペースにある自販機で、宝来さんからボトル缶のブラックコーヒーを奢ってもらう。その後に宝来さんは小さなペットボトルのミルクティーを買った。


「そこのテーブル席に座って一緒に飲みましょ」

「……分かった」


 てっきり、缶コーヒーを奢ったらそれで終わりだと思っていた。昨日までは嫌悪感を向けられ続けていたから、一緒に何かしようと言ってくれるのは嬉しい。

 僕と宝来さんは近くにあった2人用のテーブル席に座る。正面から見ると、本当に綺麗な人だと分かる。

 ボトル缶の蓋を開けて、僕はブラックコーヒーを一口飲む。その間、宝来さんは自分のミルクティーに口を付けず、僕のことをじっと見続ける。


「……美味しい。宝来さん、買ってくれてありがとう」

「どういたしまして」


 そう言うと、宝来さんは僕の目を見ながら微笑んだ。その後、彼女はペットボトルの蓋を開け、ミルクティーを飲む。その姿はとても綺麗で思わず見入ってしまう。

 ミルクティーが美味しいのか、宝来さんはニッコリと笑う。


「美味しい。……って、何じっと見てるの」

「美味しそうに飲むなぁと思って。それに、宝来さんだって缶コーヒーを飲む僕のことをじっと見ていたじゃないか。おあいこだよ」

「……そうね」


 宝来さんはミルクティーをもう一口飲んではあっ、と小さく息を吐く。


「成績1位の上にクレーンゲームも得意だなんて。……何者なの?」

「僕はただの高校2年生だよ。勉強は自分のペースでやってるし、クレーンゲームは小さい頃から妹に頼まれて経験を積んできただけだ。……僕を鬱陶しいって思うほどに1位を取りたがるとは。もしかして、中学までは1位を取るのが当たり前だったから?」


 僕がそう言うと、宝来さんは首をゆっくりと横に振った。


「ううん、むしろ逆。中学は一度も1位を取れなかったから」

「意外だな。てっきり、中学時代は1位が当たり前だったから、高校で1位を取れないことに苛立っていたのかと」

「そんなことない。中学生になって学校の勉強ができるようになってきたの。小学生のときは平均的な成績を取るのがやっとで。脚がそれなりに速かったから、体育の成績だけがまあまあって感じで」

「へえ……」


 学年2位の成績を取り続ける宝来さんのことだから、てっきり小学生の頃からかなり成績がいいと思っていた。中学生になってから学力が伸び始めたのか。


「小学生までは両親に『頑張ったね』って言われることは多かったけど、『凄いね』って言われることはあんまりなくて。3つ上のお姉ちゃんがいるんだけど、お姉ちゃんは勉強も運動もよくできるから劣等感を感じて。同時に凄いとも思って。お姉ちゃんのことはもちろん好きだよ」

「そっか」


 よくできる人がすぐ近くにいたら、平均的な成績を取れていても「自分はダメなんだ」って思ってしまうか。

 あと、宝来さんには3歳上のお姉さんがいるのか。去年、バイトを始めてから、大学生くらいの金髪の女性は何人かサカエカフェに来店し、接客したことがある。もしかしたら、その中に宝来さんのお姉さんがいたかもしれないな。


「中学生になったら、先生の教え方との相性が良かったのか、勉強の内容がすっと頭に入るようになって。面白く思えるようにもなって。初めての中間試験で学年10位を取ることができたの。それはもちろんだけど、両親から『凄いね!』って褒めてもらえたことがとっても嬉しくて。それからはいい成績を取り続けられるようになったの」

「そうだったのか」


 中学で出会った先生のおかげで成績が伸びるようになって、御両親がくれた褒め言葉で好成績を維持できるようになったのか。

 人との出会いや言われた言葉で大きく変わることってあるよな。僕も小学生のときは社会が苦手な方だったけど、中学の社会の先生の話が面白くて、地理歴史が好きになり得意にもなった。


「さっき、中学時代は1位を取れなかったって言っていたよな。当時も、1位を取っていた人を鬱陶しいって思ったことはあったのか?」

「ううん、なかったよ。加瀬君みたいに1位を連続で取る人はいなかったし。あたしは最高2位だったけど、3位から10位の間で動くことが多かったから」

「……そうか」

「中学時代は1位を取れなかったから、武蔵栄高校では絶対に1位を取ってみせるって決めたの。で、実際に進学したら、ずーっと加瀬君が1位で、あたしは2位」


 今までほどじゃないけど、宝来さんは目を鋭くさせて僕のことを見てくる。

 自分が2位で僕が1位をずっと続いているからこそ、「加瀬桔梗に1位を阻まれている」と思うようになったのかな。やがて、それが鬱陶しさへと変わったのだろう。その思いが強くて、日頃から僕を睨んだり、舌打ちしたりするようになっていったのか。


「2年生最初の定期試験では、加瀬君に勝って1位を取りたい」


 俺を見つめながら、真剣な表情でそう言う宝来さん。今の彼女にとって、勉強する最大の目的はこれなのだろう。


「……そうか。でも、僕以外の人が1位を取る可能性もあるから頑張って」

「確かにその通りだけど、今までの傾向からして、あたし以外に1位を取るのは加瀬君しか考えられないわ」

「それはどうも。ただ、僕は今まで通りに学校生活を送るよ。勉強して、バイトして、漫画とかアニメとか趣味を謳歌するつもりだよ。定期試験前になれば、それなりに勉強はするけどね」


 個人的に、勉強は誰かを負かすためにすることじゃないと思っている。1年生のときのような成績を2年生でも維持したいと思う。それに、高水準の成績を維持していけば、指定校推薦での大学入試も一つの選択肢になるから。


「……これが1位の余裕か。強力なライバルね。あたし、理系科目だと苦手な内容あるし。頑張らないと」


 ふんす、と鼻を鳴らす向日葵。今からやる気になっていて可愛い。あと、ライバルっていう言葉の響きが心地よく感じる。


「僕は特に順位にこだわりはないけどね。ただ、赤点取りまくって、順位暴落の事態にはならないようには気をつけるよ」

「……それは本当に気をつけなさいね。あたしの友達、去年の夏休みに赤点の特別課題で苦しんだみたいだから」

「ああ、分かったよ、宝来さん」


 僕の1年のときの友達も、1科目だけだったけど夏休みの赤点課題がキツかったって言っていたな。そうならないように気をつけないと。

 定期試験が近くなったら、撫子のことを気に掛けよう。特に来月の中間試験は、撫子にとって高校初の定期試験だから。


「あと……さ。加瀬君さえ良ければ、あたしのことは宝来さんじゃなくて、向日葵って下の名前で呼んでくれてもいいよ? 名前が理由であたしに親近感を抱いているって言ってくれたのに、名字で呼ばれるのは違和感があるっていうか」

「今まで鬱陶しいって思っていた人から下の名前を呼ばれるのは嫌かなと思って」

「……あなたになら下の名前で呼ばれてもいいよ。……き、桔梗」


 頬を赤らめ、恥ずかしそうに言うところが可愛らしい。


「……下の名前で呼ばれるのっていい響きだな。分かったよ、向日葵」

「……本当ね。いい響き」


 そう言って、宝来さん……向日葵は爽やかな笑みを浮かべる。その笑顔を見ていると、向日葵っていう名前は彼女にピッタリだなと思う。

 下の名前で呼び合うと、今までよりも向日葵との距離が縮まった感じがする。


「名前で呼び合うようになったついでに、連絡先でも交換する?」

「うん、僕はかまわないよ」

「じゃあ……交換しよっか」


 僕らはスマホを取り出して、互いの連絡先を交換した。向日葵は楽しげにスマホの画面を見ている。

 ――プルルッ。

 スマホが鳴っているので見てみると、LIMEというSNSアプリを通じて、向日葵からメッセージが届いたと通知が。


『届いているかな?』


「あっ、ちゃんと既読がついた」


 微笑みながらそう言う向日葵。

 LIMEの向日葵のアイコン画像……向日葵の花なんだな。自分と同じ名前だから気に入っているのかな。そんなことを考えながら僕は返信メッセージを作り、


『届いているよ。』


 と返信を送った。トーク画面を開いているからか、僕の返信はすぐに『既読』マークが付く。


「大丈夫だね、桔梗」


 向日葵は右手の親指と人差し指で作ったOKマークを僕に示し、微笑む。これで向日葵との距離がまた縮まった気がする。

 今日一日で僕に向ける向日葵の笑顔をいくつも見られた。その笑顔はどれも素敵で。だから、いつかは彼女の笑顔をたくさん見られるようになるといいなと思う。

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