第2話『花の名を持つ僕ら』

 4月28日、火曜日。

 今日も朝からよく晴れており、日差しが結構温かく感じられる。

 撫子と一緒に武蔵栄高校に向かって歩いていると、日差しの温もりが快適から徐々に不快へと変わっていく。もうすぐ5月だからなぁ。5月になれば、校則で制服のジャケットは着なくてもいい決まり。なので、暑さを我慢して登校するのもあと少しの辛抱。そう思いながら、ジャケットのボタンを全て外した。

 撫子は涼しそうな表情をしているものの、僕と同じようにボタンを全て外していた。この程度の着崩しなら、教師から注意はされないだろう。

 家から5、6分ほど歩いて、武蔵栄高校の校舎が見えてくる。

 家から徒歩圏内に高校があるのは本当にいい。いつもより遅く起きても、急げば遅刻することはないし。

 校門前には生徒会の生徒達や強面の生活指導の教師が立っている。ただ、彼らに引き留められることなく、僕らは高校の敷地内に入った。


「兄さん。あそこにいるの……宝来先輩じゃない?」


 撫子は立ち止まり、僕のクラスの2年1組の教室がある教室A棟の方を指さす。

 そちらに視線を向けると、A棟の入り口前に宝来さんが男子生徒と向かい合う形で立っていた。ただし、不機嫌そうに。2人の周りには何人も生徒が集まっているし、これから男子生徒が告白でもするのだろう。こういう光景は今までに何度も見てきた。


「宝来向日葵さん! 俺と付き合ってください!」

「お断りします」


 食い気味に断りの言葉を言ったな、宝来さん。これまで見てきた中で、告白されてから断るまでの時間が一番短かったかもしれない。


「あなたに全然興味ないですし、友達から始めるつもりもありません。……あっ、くれぐれも付きまとわないでくださいね。嫌なので」


 低い声色で宝来さんはそう言った。

 告白した男子生徒は一度頷くと、しょんぼりして教室A棟の中に入っていった。そのことで、周囲にいる生徒も散らばっていく。


「容赦ないね、宝来先輩って」

「そうだね」

「そういえば、クラスメイトの男子達の話で、宝来先輩は難攻不落の高嶺の花だって言っていたのを思い出したよ」

「向日葵って名前だし、高嶺の花は合っているかもな」

「あと、『太陽にしか振り向かない向日葵さん』って言う人もいるみたい」

「……向日葵の花は太陽に向くもんな」


 皮肉が込められているように思える。今回に限らず、宝来さんはすぐさまに告白を断って、キツい言葉を言うからな。その態度に反感を持つ生徒がいるのだろう。


「今日はいつも以上に鋭い目つきで睨まれて、激しく舌打ちされるかもしれないな」

「さっき機嫌悪そうだったからね。そうならないように祈っているよ、兄さん」

「ありがとな、撫子」


 もし、宝来さんにキツい態度を取られたら、今の撫子の微笑みを思い出そう。

 撫子のいる1年5組の教室は教室B棟にあるので、撫子とはここでお別れ。僕は一人で教室A棟へと入っていく。

 教室だと宝来さんは友達と一緒で、周りの目もある。昨日のことをクラスメイトにあまり聞かれたくないかもしれない。教室に着くまでに、宝来さんと話そう。そう思って、俺は駆け足で昇降口へと向かう。

 2年1組の下駄箱に着くと、そこには上履きに履き替えた宝来さんがいた。


「待って、宝来さん」


 僕が話しかけた瞬間、宝来さんは体をビクつかせる。そのときは目を見開いていたが、僕の方に視線を向けたときにはいつも通りの鋭い目に。


「……なに? 加瀬君も告白?」

「いいや、告白じゃない」


 というか、いつも舌打ちしたり、睨んだりする相手から告白されると思っているのか。僕にマゾヒストの印象でもあるのだろうか。まあ、実際、止めてくれとか一度も言ったことないし。


「宝来さんに訊きたいことがあって」

「……そう。……ここだと登校する生徒の邪魔になるから、端の方に行こうか」

「そうだな」


 僕は上履きに履き替えて、宝来さんについていく形で昇降口の端の方へと向かう。

 宝来さんは立ち止まると腕を組み、とっても不機嫌そうな様子で僕を見てくる。そんな彼女もジャケットのボタンを全て外し、ワイシャツも第2ボタンまで外している。そのことで彼女のデコルテ部分がチラリ。胸の谷間もほんのちょっと見えて。


「……で? あたしに訊きたいことってなに?」

「昨日、宝来さんが店の前から立ち去った後、大丈夫だったかなって。宝来さんにナンパしていた男達にはキツく言ったけど、万が一ってことも考えられるだろう? だから気になってさ」

「……ふ、ふーん。心配してくれていたんだ」


 そっかぁ、と呟くと宝来さんはほんのりと頬を赤くし、視線をちらつかせる。


「……何にもなかった。家に直行したし。今日、ここに来るときもいつも通りだった」

「それは良かった」


 何事もないと分かって一安心だ。


「……あたし、教室に行く」

「ちょっと待ってくれ。……何か物をよこせとは言わない。ただ、昨日のことでお礼の一言くらい言ってくれてもいいんじゃないか? 昨日も何も言わずに走り去っていったし」

「だって……」


 宝来さんは不満そうな表情をして、僕をチラチラと見てくる。どうやら、お礼を言わない理由は、普段からの僕への態度と繋がっているようだ。


「……鬱陶しいから」

「鬱陶しい?」

「そう! 鬱陶しいの! 加瀬君は入学してからずっと成績が1位! そのせいであたしはずっと2位なんだもん! あたしは1位を取りたいのに!」


 もう! と、宝来さんは地団駄を踏んでいる。

 宝来さんの言うとおり、僕は1学期の中間試験からずっと学年1位だ。試験の成績上位者は校内のいくつかの掲示板に張り出される。なので、宝来さんはそれを見て1位が僕であると知ったのだろう。だから、僕を目の上のたんこぶだと思っているのか。

 定期試験が終わると、先生から試験の点数と順位が書かれたプリントを渡されるし、掲示板で成績上位者の一覧を見たのは一度か二度しかない。だから、学年2位が宝来さんだとは知らなかった。


「なるほど。成績のことか。それで普段から僕を睨んだり、舌打ちしたりしたと」

「そう。1年の1学期の中間が終わったときは、加瀬桔梗なんて知らない名前だし、他の中学から頭のいい人が入ったんだ……くらいにしか思わなかった。でも、期末でも1位は加瀬桔梗! そのときから鬱陶しくなったわ!」

「だから、1年の2学期から僕に嫌悪感を示すようになったと」

「そうよ。……昨日のあのときはお礼を言おうか迷った。だけど、鬱陶しいあなたにお礼を言うのが悔しいって思う気持ちが勝って。だから、何も言わずに走り去ったの」

「……そういうことだったのか」


 まさか、成績関連でここまで鬱陶しがられているとは思わなかった。理由は知らないけど、宝来さんにとって学年1位の成績を取ることはとても重要なのだろう。

 僕はただ、自分なりに勉強をしているだけなんだけどな。


「何だか悲しい気持ちになるな。こんなにもはっきり鬱陶しいって言われると」


 言葉にすると、より寂しい気持ちや悲しい気持ちが膨らんでいく。


「それに、宝来さんから嫌悪感を出されているけど、クラスで唯一、僕以外に名前が花そのものだから、君に親近感を抱いているからさ。だから、寂しい気持ちもある」

「そう……なんだ……」


 僕にしか聞こえないくらいの大きさの声で言うと、宝来さんは僕の目をしっかりと見てくる。


「昔から花の名前を入っている人を見ると、仲間みたいに感じることがあってさ。花そのものだと特に。岡嶋とか津川さんとかクラスに友達もいるけど、宝来さんにだけ花繋がりの特別な親近感を抱いているよ。向日葵の花も好きだし。……って、僕からこんなことを言われたら、宝来さんは嫌で、気持ち悪く思うだけかな。ごめん。今の話は忘れてくれていい」


 下の名前が花の名前だからという理由で、鬱陶しく思っている人間から親近感を持たれるのはきっと嫌だろう。

 しかし、宝来さんはゆっくりと首を左右に振った。


「……別に嫌じゃないし、気持ち悪いとも思わない。それに、両親が付けてくれた向日葵って名前が好きだし、その名前を良く言ってくれるのは……嬉しいから。桔梗って名前も……い、いいんじゃない?」


 すると、宝来さんは僕の目を見ながら微笑む。それは僕に初めて向けてくれた笑顔で。とても可愛らしく思えて、胸が温かくなる。あと、彼女の碧い瞳がとても綺麗なことに気づく。


「昨日は助けてくれて……あ、ありがとう。あと……鬱陶しいって言ったり、今まで嫌な態度を取ったりして悪かったわ。ごめん。自分の学力が足りないことに……目を背けようとしてた。これからは睨んだり、舌打ちしたりしないように心がける」

「……分かった。あと……友達以外にも笑顔を見せてもいいんじゃないか? 福山さんに向ける宝来さんの笑顔、向日葵の花みたいに明るくて可愛いし。さっきの微笑みも可愛かったよ」

「は、はあっ? い、いきなり何言ってるのよ。ばーか」


 宝来さんは顔を真っ赤にして、緩んだ口元を右手で隠した。そんな反応や声色の可愛らしさもあって、馬鹿と言われても全くイラッとしない。


「……それじゃ」


 そう言って、宝来さんは階段の方へと走っていった。教室に行ったらまた会うんだけどな。

 今回のことで、宝来さんとちょっと距離が縮まったような気がした。昨日のことでお礼を言ってくれたし、今までの態度について謝ってもくれた。かなりツンツンしているけど、素直な一面もあるのかもしれない。

 さっきまでよりも軽やかな足取りで、教室へと向かっていった。

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