第39話ーA なんで、なんでそんなこと言うの?
――手が震えてしまう。
人通りの少ない特別棟の一番上。扉にはめ込まれた大きな磨りガラスからは光が差し、唯一の小窓からは心地の良いが吹いてくる。
今日も、屋上へと続く階段の踊り場は日当たりが良い。
そんな、清潔に掃除が行き届いた場所で、アタシは今――困ったことになっていた。
朝の根回しが上手くいったのか、全ては先輩のおかげでしょうね。今この場所には、例の彼氏さんはおらず、アイツとアタシのただ二人きり。
並んで、よいしょと、色違いのクッションにお尻を下ろした。――そこまではよかったのだけど、アイツからなんともなしにランチバッグを受け取ったとき、ほんの少しお互いの手が触れた。
「……どうした?」
「べつに」
――突然、心臓が跳ねたのだ。
ふと、バッグを取り落とそうとしたもんだから、慌てて彼が支えてくれたんだけど、……アタシってば、どうしてしまったのだろう。涼しい顔をしてはみたけれど、バクバクと鼓動が大きくなっていく。本当に、理由がわからない。
さっきまでは、お昼を誘ってくれたアイツへと胸をときめかせていたのだけど、いざという今、急に胸の鼓動が意味合いを変えてしまった。
手がわずかに震え、妙に力を入れづらい。
そして、彼の顔を見るたびに、息が詰まる。
どうしよう。こんなに良い天気なのに、待ちに待った二人きりなのに、ただ一緒にお昼ご飯が食べたかっただけなのに。
不思議と、気が急いてしまう。
立て直そうと試みるけれど、ダメだ。焦る気持ちが足を引っ張って、上手くバッグが開かない。
そもそも、この感情は何なの? 急にどうしたっていうのよ。何を焦っているの。今の今までなんともなかったじゃないの。
「あれ? おかしいわね。チャックが壊れてんのかなぁ。えへ、えへへ……」
アイツに悟られないように、隠すように、可能な限りアタシは平静を装って、バッグのジッパーに指をかける。
イヤな音が鳴り、その都度、指が滑った。
アイツは、苦笑いというか、またコイツは何やってんだとでも思っているんでしょうね。少し困った顔をしていたんだけど、
「――貸して」
アタシの手の甲に重ねるよう、自分の手のひらを置くと、優しい声色で、こう言ったの。
「大丈夫だよ」
まだ放課後まで時間はある。そう、続く言葉のあと、いつもみたいに優しく笑ってくれたの。
「心配するなって、きっと成功するから」
じんわりと伝わる手の温もりに、……もう。もう。もう。
アタシは、そこでようやく自分がガチガチに緊張している事に気がついた。
彼は造作もなく、ランチバッグを開けていく。
イヤになっちゃうわ。なんでそんなに簡単に開くのよ。さっきまで、うんともすんとも全然動かなかったじゃない。
「……やった。おにぎりだ」
並べて良いか。そう、お弁当箱代わりのタッパーを手に、彼が笑うから、アタシはただ頷くことしか出来なくて。
罰ゲームの件はちょっとだけ残念だけど、でも――やった。喜んでくれた。
アタシは、いつの間にか彼に身体を預け、そして彼の制服の裾をつまんでいた。
「三角と丸がある」
中の具が違うのか? 彼はこちらに視線を向けるけど、その問いかけに、またもや、アタシは上手く答えることが出来ない。ただただ、唇を尖らせてうつむくだけ。
「……梅干しと、なんだろうな」
その大きなお弁当箱には、アイツの言ったとおり、三角と丸の二種類のおにぎりが入っていて。ううん、違うわね。バリエーションを期待しているのならごめんなさい。だって中身は同じだもの。理由は簡単で、二種類じゃなくて、片一方がヘタクソなだけ。
今日こそはと思ったのだけど、そう劇的に上手くはならないものね。
もうずいぶん前から、コイツのおにぎり好きは知ってはいたけれど、
力加減?
握り方?
アタシはどうにもこうにもヘタクソのヘッポッコで。彼の好みを知ったその日から今まで、どうしても――
「――丸い方だろ。お前が作ったの」
またもや、心臓が跳ねた。
「……ちがうもん」
こともなげに言い当てるもんだから、口から出た言い訳は、力なく辺りに溶けていく。
「そりゃ失礼しました」
そうか、今まで何度も彼には食べて貰っている。今更、どう取り繕っても誤魔化すのは無理な話。
お手本のような三角おにぎりは妹の作ったほう。あの子なりに一生懸命作っていたのは、今朝、隣にいたからわかる。ううん。今までのあの子の視線の先を見ていればイヤでも気づく。
それに、どうせ食べるのなら、見栄えも味付けの一種。形の良い方が好ましいに決まっているし、
「キレイなほう、食べてよ」
なんて、せっかくアタシがそう言ってるのにね。……でも、コイツったらちっとも言うことを聞かないの。
「好きなほうを食べるさ」
そう言って不格好な野球ボールみたいな方を食べるんだもん。アタシはもう無理よ、見てられない。空いたほうの彼の腕に手を回してそのまま肩へと顔を埋めた。
――今日の放課後、アタシはコイツに告白する。
ずっとずっと好きだったコイツに、アタシの気持ちを全部ぶつける。
もう、恥ずかしいとかなんだとか、そんなの関係ないわ。遅すぎるくらいだもん、本当は、この前の日曜に返事をすれば良かったのに。
いまさら何を言っても言い訳にしかならないから。だから、今度こそは、今日こそは、絶対に彼へ想いを告げると心に決めたのだ。
……だからかな。
自分ではよくわからなかったけど、きっとさっきの緊張は、浮き足だった心が少し冷静になったから、途端に放課後のプレッシャーが押し寄せてきたのだろう。
多分、もう一人の自分が、楽な方に逃げ続けたアタシへ、問いかけているんだ。
本当に、出来るのか。大丈夫なのか。失敗は許されないぞ。後がない。そして、
「……嫌われたくない」
――口からこぼれた言葉に、はっと我に返った時にはもう、すでに遅し。がばりと上げた顔の先には、アイツの顔があって。
彼も、その言葉に何かを感じ取ったみたいで、少しだけ身構えたような雰囲気だったから、それにつられたのかな。
「あ、その、違うの、ううん、違わないの」
一気に顔が熱くなる。
意図してやったことではないが、結果的に、たぶんこれこそが、不意に湧いた好機というもの。まさに今、このタイミングこそが、神様がくれた最後の告白チャンスかもしれない。
――だけど。
ほんと嫌になる。ここに来て、また臆病なアタシが顔を出してしまった。
ほんのついさっきまで、完璧に心の準備は出来ていたはずなのに、土壇場になると、あと一歩、まだ踏ん切りがついていないと言わんばかりに怖じ気づいてしまった。アドリブに弱いという性質もあって、自分でも、今、口から出ている言葉が何を言っているのかわからない。
あわあわと、今のアタシは訳のわからないことを言っていないだろうか、また可愛くないことを言っていないだろうか。顔は熱いけど、背筋が凍る、そんな希有な体験を今まさに経験していた。
そんな軽いパニック状態のアタシを前に、
「……だな。嫌われるのはイヤだもんな」
彼は、一時、何か言いたそうな顔を見せていたけれど、ぷいっと遠くに目を向けて、おにぎりを一囓り。
でも、
「ねぇ、どうしたの? 」
――胸が、ズキリと痛んだ。そして、同時に、寒気がした。
やめてよ。こんなときに、ホントにやめて。
我慢できるわけがない。
その顔が、アタシの嫌いな表情をしていたから、アタシは何があってもその理由を聞くしかない。……だって、今、なんで、アンタはそんな顔をするのよ。
静寂が、辺りを支配していく。
彼は、何も答えてくれない。それどころか、こっちを見ようともしない。ただ、ゆっくりと、かみしめるようにその不格好なおにぎりをお腹におさめていく。
ねぇ、どうしてこっちを見てくれないの。どうして、何も言ってくれないの。ねぇ、どうして、――どうしてアンタは、そんな泣きそうな顔で、笑ったの。
「何とか言っ――」
アタシは、きっとこれから先、十年経とうと二十年経とうと、彼の言ったこの言葉を忘れない。いや、忘れることなんてできるはずがない。
だってそれは、アタシが恐れ続けた言葉の一つ。絶対にアタシからは言わない、そんな呪いのような一言。
「――もう、僕とは仲良くしない方が良い」
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