第38話 わたしは別に、彼の事なんて……。




 わたしは怒っていました。

 もちろん、まわりの恋愛事情に口なんかだしません。やれ、何組のだれだれくんが、なになにちゃんのことを好き。わたしも女の子。そういう話がキライではないけれど、それでも、余計な茶々は入れないように、そして下世話な詮索はしないようにしています。

 だけど、――わたしは怒っています。

 とある男子の行いが、それこそ目にあまって仕方ないのだ。

 その日は朝から、クラスのお姫様――彼女の様子がどこかおかしいように思えました。

 惚れ惚れするほど華奢で可憐な女の子です。その細腕には重たかったはずなのに、あれはお弁当かな。めずらしく大荷物。

 それでいて、朝からそわそわと落ち着かない様子で、授業中も熱心に一枚のルーズリーフとにらめっこ。

 かと思えば、あいさつもほどほどに、突然、とある先輩のことを知りたがったり。

 休み時間もふと行方をくらませて、どうしたのかなと心配していると、お菓子を山ほど抱えて帰ってきて、聞けば、他所のクラスへ足を向けていたようで。

 いつもは、ほとんど教室の外には出ず、華麗に本を読むか優しくわたし達のはなし相手になってくれる彼女です。よけいに朝からの動向には違和感しかありません。

 でも。どうしたのかな? ……と、考えるのは昨日までのわたし。

 そう、昨日までの自分なら、なにかあったのかな? その変化に首をひねっていただけだろうけれど。……わたしには、ひとつ大きな心当たりがあって。

 1限目の休み時間に、わたしは、それとなく彼に近づきました。

 向かったのは、自分の席の斜め後ろ。同じクラスの、昨日わたしを助けてくれた、例の男子のところです。

 もちろん、お礼は欠かさずに。ですが、わたしのイライラはここから始まることになりました。

 まず、ていねいに朝のあいさつをしたわけですが、


 「おはよーございます」


 「? ……え、僕に? お、おはようございます」


 あろうことか彼、おはようと、声かけたわたしを前に、目一杯 “ ? ” マークを浮かべ、辺りを見回してそれでいてようやく自分へのあいさつかと理解するレベル。

 あんなことがあった次の日ですよ? そりゃあ昨日までわたしは彼にあいさつなんてしたことなかったですけど、それでも、身を挺して助けたわけだし、少しくらいは距離が縮まったかな? 顔くらい覚えてもらったかなと、そう彼自身おもいはしなかったのか。わたしとしては、そう考えたわけだけど。

 だって、昨日はじめて知ったのだけど、どうも彼は、――わたしのことが好きみたいなので。

 だけど、……どうも、彼はどこか鈍いみたいなのです。

 あの場でのあの台詞。あんなの聞かされて、なるほどと、ピンとこない女の子はいないでしょうに、


 「きのうはありがとうございました」


 このことばの後で、ようやく「あぁ、なるほど」と手を叩くしまつ。正直、ムッとしました。

 あのですね。わざわざ好きな子がはなしかけてきたんですよ。すぐさま嬉しそうな態度をとってもらわないと、なんだかわたしがバカみたいじゃないですか。

 そりゃ、あいさつくらいしますよ。助けてもらって当然なんて、思ってはいないのですから。

 なのに、 “ なんで僕なんかにあいさつしてきたんだろう ” そういう顔をするのはやめてください。

 いちいち言って聞かせたりはしませんが、これでもきのうの晩に、いろいろと考えたのだから。

 あの時すぐは、彼女のこともありましたし、面倒なことになってしまったなと悩みましたが、でも、よくよく考えてみるとひとりの男子から告白されたわけです。

 告白自体は、いままでに何度かされたことはあります。

 彼氏彼女の関係になったことはありませんが、皆、運動部で、しかも美形で、明るくて、人気者ぞろい。わたしのどこが良かったのか、女子達から人気の高かった男子ばかり。

 そう。彼のようなタイプからは、はじめての告白でした。

 もちろん、昨日までは恋愛感情どころか、接点すらなかった関係です。

 見た目のほうも、好みなのかと聞かれると、面と向かっては言わないですけど、好きなタイプではありません。

 ですが、あんな危険な場面に出くわしたことははじめてで、心底恐かったですし、助けてくれたことに感謝したのは本当です。――うん、そうですよ。だからかもしれない。

 その日一日、妙に、あのとき見た彼の笑顔が頭から離れなくて、でも彼女の顔もちらついて。まさに板挟み状態。自室でひとり、ベッドの上で悶々としてしまうしまつ。きっと鬱々としていたのかも。

 だから、ふと、ごろりと寝返りをうったその時。そういえばと、ある事を思い立ったのもそれが原因かと思います。

 わたしは、小一時間をかけて、初登校の日に配られたクラスの名簿を引っ張り出し、ようやく彼のフルネームを探し当てまして。

 あれが達成感というものでしょうか、彼の下の名前を、頭の中で繰り返しながら、妙に満ち足りた気持ちになりまして。

 まぁ、なぜそんな面倒なことをしたのかなんて、後付けですけど、一応は告白されたわけですし、しっかりとフルネームで覚えておくのは礼儀かなと。無意識のうちに、そう考えたのでしょうね。

 なにぶん、その時のわたしは考えることが多く、いちいち理由づけている余裕などなくて。

 たとえば、返事をきかれたらどうしよう。もちろん、スッパリ断るつもりだけど、それにも角の立たない言い方があるだろうし、それならばと、お友達からでもいいからなんて言われたら、その時はどうしよう。終いには、フラれたけどそれでもずっと好きだから、なんて言われたらどうしよう。

 その日の夜は、ずっと彼のことを考えていたものだから、へんに緊張したのかな。不思議と胸が高鳴ってしまって上手く寝付けなかったのに、それなのに。


 「――そのことなんだけど、みんなには秘密にしてもらえないかな」


 彼は口の前で人差し指を立て、そんなことを言い出す始末。なにやら、へんに大事にはしたくないからと、そう言ってはいたけれど。

 わたしは、またもやムッとしてしまう。

 それは、何に対して大事にしたくないのですかと。あのチャラついた先輩からの報復をおそれているのか、それとも、――わたしへの告白をまわりに隠しておきたいと、そういう事なのか。

 わたしとしては、どうせあっさりと断るつもりですからね。みんなに言いふらす予定はないけれど、それでも、――それでもこの発言は、いささか気に入らない。

 そしてトドメは、ついさっき。

 せっかくの昼休み。待ちに待ったお昼ごはんです。可愛いあの子を囲んでの昼食は、わたしのもっとも癒されるひととき。

 ですが、やっぱり例の彼女はどこかおかしくて。

 いつものメンバーで彼女の席に集まったわけですが、その彼女は、なにやら恨めしそうに、とある席をただじっと見つめていまして


 ……そうです。あの彼へと向けてです。


 もしかしてと、その仕草に、わたしの胸が痛んだのは言うまでもないです。

 ひょっとして、彼は昨日彼女に例のはなしを告げてしまったのかもしれないなと、わたしはそう勘ぐりました。

 だって、それならば朝から続く彼女の異変も納得がいくし、彼が昨日の件に関して大事にしたくないといったあの発言の、その意図もわかります。

 なんせ、昨日の放課後、突発的にとはいえ彼はわたしに告白したもんだから、そのせいで急遽彼女との関係を清算したと考えれば、全てのことに説明がつくのだから。

 つい昨日のはなしです。ふたりの間でどんな修羅場が繰り広げられたかなんて考えたくもない。彼がその件をしばらく蒸し返したくないのもわかる。


 「……っ」


 ……わたしは、あらためて胸が痛みます。


 彼女の、あの大きなランチバッグをお腹にかかえたその姿は、ほんとにいじらしくて切なくて。

 きっと、彼との関係修復を望んでいるのだろう。そしてまだ、彼女は諦めきれないのだろう。

 周りの女子達も、もはや彼女の気持ちを知らない子はいないですからね、彼女の彼に対する熱視線から、彼女が今どういう状況を望むのかなんて容易に想像できます。

 誰の邪魔も入らない、仲睦まじいふたりきりの昼食を、きっと彼女はご希望なのだろう。

 だけど、こればかりはどうにもできません。皆が皆、どうしたモノかとお互いに顔を見合うことしか出来ないそんな中、彼の気持ちを知っているのはわたしだけ。彼女の悲恋をしっているのもわたしだけ。もう、わたしの小さな胸は痛んで痛んでしょうがなくて。

 だって、こんなの見せられて、わたしにどうしろというんです。わたしが彼をとったわけじゃないのに、あっちが勝手に告白してきただけなのに。

 なんだか、わたしがわるいみたいじゃないですか。


 ――そう、良心の呵責に苛まれていた時でした。


 その次の行動が、まさに不快の一言で。

 彼が、よせばいいのにおもむろに近づいてきて、彼女と二三言葉を交わしたのです。しかも何を言うかと思えば、その内容があろうことか、


 「昼ご飯、たまにはふたりで食べないか」


 ――は? なんだそりゃ。


 もちろん、彼に対する恋愛感情なんて、そんなもの、はっきりとわたしにはありませんからね。こんなことで青筋立てて怒ることではないですし、しかも、こんなクラスのヒロインが、おそらく彼のためにお弁当を作ってきているのですから、そんな彼女に声の一つもかけない男なんて、どうしようもないおバカさんです。

 その後の彼女の笑顔といったらもう百点満点中の三百点。昨日までのわたしなら、きっと良いものを見れたと手を叩いて喜ぶ場面。……だけど。


 ……そのときの彼の発言が、わたしはどうにも気にいらなくて。


 ふいに、わたしの手には力が入ります。お弁当の包みはもうくしゃくしゃ。

 だって、このヒトは一体全体どういうつもりなのだろう。

 そのあとも、イチャイチャと仲睦まじくじゃれあって、彼が彼女におでこを寄せたときなんて、キスするのかと「あっ」って小さく声がでちゃいました。


 ……それとももしかして、わたしの方がおかしいのかな。


 でも普通、好きな人の前で、ほかの女子とここまでベタベタしますか? それに、彼女がここまで好意を明らかにしているのに、なぜ彼は、他に好きな子がいるくせに、その辺りをはっきりさせようとしないのか。

 そんなの彼女に失礼だし、そして、――わたしにも失礼だ。

 この感情を、自分ではどう言い表していいのかわからない。

 ふたりが並んで出て行ったあと、教室は、彼女の普段は見せない、その天真爛漫な可愛さにあてられて、驚くほどの熱気に包まれていました。

 そんな中、わたしは違う熱に侵されており、この胸のモヤモヤはなんだろう。別に、なんとも思っていない彼のことを、わたしはなぜこんなにも妬ましく思っているのだろうか。

 あぁ、本当にイライラする。さっき見た、彼が彼女に向けたあの笑顔が本当に腹立たしい。恋人同士の雰囲気を感じたのはいうまでもない。

 わたしは、どっかりと椅子に尻を乗せる。わいわいと盛り上がる室内で、片肘をつき、窓の外を見て――ゆっくりと流れる雲に、思う。

 昨日、必死に助けてくれたくせに。

 あれだけの笑顔を見せてくれたくせに。

 わたしのことが、好きなくせに。


 ……ほんとにあのヒトは一体全体どういうつもりなのだろう。


 ――まぁ別に、彼の事なんてどうでもいいんですけどねっ!



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