第39話ーB だから、だからそう言ったんだ。
……ここは地獄だ。
鼻歌交じりの彼女に腕を引かれ、男子生徒達の視線で火だるまにされながらも辿り着いた先――特別棟の踊り場は、とても日当たりの良い、静かな場所だった。
こんな場所なのに、ホコリの一つも落ちていない。それどころか、屋上へと面する小窓や、南京錠のかかる扉まで、ピカピカに磨き上げられていた。
なぜか当然のように置かれた二つのクッションに少し疑問符が浮かんだが、
「これまでは許可貰ってないけど、まぁ、元通りに片付ければ問題なし、だよね」
ごめんなさい、お借りします。と、彼女は誰に頭を下げているのやら。まるで寺社仏閣にお祈りするような動作の後、僕へとクッションを差し出してきた。
「高校入って初めてだね」
彼女は、とても嬉しそうに笑う。僕も、学校でコイツとふたり。そんな昼ご飯を夢見なかったわけではない。むしろ、夢が一つ叶ったとさえ思える。
だけど、僕は、いつもどおり笑えているかな。
――今日、彼女は告白する。
そして、今から、僕はその話を詳しく聞いて、ひどく思い知らされるだろう。
十中八九、相手の名前を聞くことになる。
知らない男かもしれないし、もしかすると、知ってるヤツかもしれない。
それを彼女が僕に話すのだ。きっと、そいつの良いところだったりカッコ良いところ、そして、――好きになった所なんかを聞くことになるのかもしれない。
……ここは地獄か。
「……どうしたの、座りなさいよ」
僕がぼんやりと考え事をしていたからだろうね。彼女は不思議そうに、見上げてきて。
自分の隣に置いたクッションを叩きながら、彼女が早くとせがむから、僕はランチバッグを手渡して、
「――どうした」
「別に」
ふと、アイツの手から落ちそうになるバッグをなんとか受け止めた。
息を呑むようにこわばった顔で、彼女は、こちらを見つめてくる。先ほど少しだけ触れた指先を、もう片方の手で包み、ただじっと、どこか怯えの見えるそんな目を、こちらからそらしてくれない。
どうした、そんな顔をして。何かイヤなことでもあったのか。なんて、ほんの少しの心配が頭をよぎったけど、ぷいっとアイツが顔を背け、まるで何事もなかったような顔をするもんだから、――あぁ、なるほど。それもそうか。僕は一つ、合点がいった。
僕は、
「貸して」
彼女からランチバッグを取り上げる。こういうときのコイツは何をやってもダメだ。長い付き合いだからな、僕は知っている。
まずは落ち着かせること。何でもこなす完璧なヤツだけど、こういう場面にめっぽう弱いから。
――大丈夫。
――心配するな。
――成功する。
言いながら、僕も、近づいてくる未来の足音に恐怖感を募らせていくけれど、ようやく彼女が笑ってくれたから、だから僕も、不思議と笑みがこぼれてしまう。
おにぎりを前に、ふたりして、ああだこうだと言いながら、アイツがわかりきった見栄を張るから、僕もそのままをお返しだ。
「好きな方を食べるさ」
そこまで言えば、何も言えなくなるのは知っている。拗ねたようにしがみついてくるのもいつものことだ。
――お前が作ってくれたものなら、なんでも好きだよ。なんて、歯の浮くような台詞をわざわざ言いはしない。でも、そういう事を恥ずかしがらずに言っていれば、もう少し違う結末もあったのだろうか。
むぅ、と唸るアイツをぶら下げたまま、やっぱり僕は、この時間が好きだとあらためて思う。こうやって、コイツとふたり、どこにでもあるような日常を一緒に過ごすことのできる、この時間が幸せだと思う。
でも、それでも結局の所、それは単なる僕のワガママか。
……だって、彼女はポツリと呟いたんだ。
きっと無意識だったのだろう。だけど、僕の腕を抱いたまま、わずかにこぼれたその言葉こそ本音だろうし、彼女の願う所だろう。
そして、いよいよそうなれば、僕たちの立ち位置を明確にするときでもある。
だから、そうだよ。
緊張なんて跳ね飛ばせ。そんなものに負けるな。大丈夫だ、お前なら出来る。絶対に成功する。
いいか、お前は笑ってなきゃダメだ。笑顔が一番似合うんだから。それに、そんな顔していたら、僕がまた勝手に心配してしまう。
――もう、明日から僕は、お前の近くには居られないんだから。
僕はおにぎりを囓る。本当に好きな食べ物だけど、これが最後になるだろう。
次からは、お弁当なんて、彼女が僕に作るとおかしな話になる。
だって、明日からは、違う誰かがコイツの隣に立っているだろうから。
そんな僕の思案などお構いなしに、アイツは僕の腕を、よりいっそう力を込めて抱いてくる。
この距離の近さに僕は翻弄されたけど、これが最後かと思うと、名残惜しくて仕方がない。
でも、それでも、僕は言わないといけない。僕には彼女の為に、言わなければいけないことがある。本当はイヤだけど、逃げ出したいけれど、この言葉を言う責任が、僕にはある。
あれほど覚悟を決めたのに、もうすでに、鼻の奥がツンと痛い。目頭がわずかに熱いのも、どうにか堪えなければならない。
彼女がお昼に誘った理由なんて、間違いなく今日の放課後の一件。それに対する相談のため。そんなのは知ってるさ。わかっている。
あの日、二日前の日曜日、彼女は言っていた。
『アタシ、告白しようと思うの。ずっと好きだったヤツにね』
中学の時に、彼女には好きな奴がいるという事を、噂では聞いていた。もちろんそれは僕ではない。そう、僕じゃなかったんだ。
どこにいても目立つ、僕の自慢の幼馴染みは、どこかで誰かに恋をした。もしかすると、相手から声をかけてきたのかもしれない。
他校の生徒? 先輩? 後輩? 同級生?
僕が失恋したあの日。あの死刑宣告のような噂話を聞いた日。僕にはこれっぽっちも心当たりがなくて、同時に、心の底から落ち込んだ。
本当に、ダサいよな。今、思い出してもみっともない。――僕は、彼女に好かれているとうぬぼれていたのだから。
彼女の一挙手一投足に心が跳ね、僕に向けてくる笑顔に幸せを感じた。そしていつも隣に居てくれた。その全てに感じていた特別感を、僕はいつの間にか相手からの恋愛感情だと、そう、すり替えてしまっていて。
心から、恥ずかしい。十年だ。いやそれ以上か、そんな長い間、アイツからすれば怖気の走るほどに気持ちの悪い勘違いを、僕は一方的に抱いていたのだから。
良い迷惑だろう。アイツにとって損しかない。隣にこんな勘違い野郎がいたんじゃ、周りからなんと噂されていたことか。
小さい頃からの腐れ縁だ。アイツとしては僕のことを、ただ兄弟のように思ってくれていたのだろう。それならば、過剰なスキンシップも、距離間の近い言動も、当然のこと。
でも、周りの目にはどう映っていたのかな。きっと、僕が彼女と好き合っていると、恋仲だと、そう勘違いした人も少なからずいただろう。
大切な幼馴染みだ。ずっと好きで好きでたまらないそんな女の子だ。
だからこそ、僕は、そこをもっと考えてやるべきだった。距離が近いぞと、女の子なんだから慎みを持てと、そして、周りが勘違いするぞと。
僕のせいで、どれほどの素晴らしい出会いを彼女は無駄にしてきたことか。それを考えると、本当に胸が痛い。
でも、少し遅いくらいだけど、ようやく僕も気がついたんだ。
そして今、彼女もそう呟いたんだ。僕の腕に顔を埋めて、「嫌われたくない」って。
だから、だから――言った。
一度、口から出た言葉は戻らない。そんなのは知っている。理解している。でも、それでも僕は、アイツの幼馴染みとして、言った。
一度、歯を食いしばり、そして今までを振り切るように、
「もう、僕とは仲良くしない方が良い」
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