第7話  少年の夢

【少年の夢】


少年の育ったのは、夏の短い凍らない港をもつ町だった。ある日、大怪我をして助けてくれたのが睦月という青年だった。少年は、彼に一目惚れした。一緒にいる男などよりもずっと自分の方が彼を幸せにできると思っていた。でも、いつか彼らには大樹の祝福があり種を与えられた。その日、少年は失恋に布団の中で大泣きをした。

季節が巡るなかで、大人たちがなにやら騒いでいて、おかしな雰囲気の日が多くなった。少年は、大人たちの手伝いを出来る限り行った。

ある日、流の軍が突然町に雪崩れ込んできた。流の民が大樹の宗教をひどく毛嫌いしていることを知りながら、大樹を置いて逃げ出すことは出来なかった。

しばらくすると、教会へ怪我をした背の高い女性を支えた睦月と、女性の妻が睦月と彼女の子どもを抱えて現れた。睦月は、すぐに大樹の幹に手を触れて目をつむった。魔力の低い少年にも、大きな魔力が注ぎ込まれたことがわかった。

「のん、神流を頼む」

彼はそう言って、外へと出ていった。しばらくすると、何人か、逃げおおせたような町の人が扉を潜ってきた。大樹から強い魔力がベールのように波打っていることがわかった。少年は泣き出す子どもをあやしていた。

長い時間がたったような気がした。大樹が大きな音を立てて、その枝を振った。枝は天井を破って空高くまで伸びた。崩れた天井は落ちてはこず、人の集まっているところを包み込むように幹が蠢き、根が囲った。少年たちは何が起こっているかわからず、ただ身を寄せあった。

朝がきて、大樹は魔力を使いきり枯れていった。町はただの瓦礫の山となっていた。流の兵や町の住民から流れた血の臭いが、ひどく鼻についた。

動くものが1つあり、近づくとそれは刀を持った血まみれの男だった。刀は流の武器だ。でも、彼が少年の恋敵だとすぐにわかった。

「乃介!」

少年は叫んだ。言いたいことはいっぱいあった。しかし、彼は踵を返して何かをぼそぼそと呟きながら走っていってしまった。少年は手を伸ばして、「待って」と言ったが聞こえていなかった。

たくさんの遺体の中に、彼の愛する人のものがあったことを後で聞いた。少年は悲しいと思うよりも、恋敵の、表情が抜けた顔を思いだて悔しい気持ちになり泣いた。大人たちの一部は、彼らの埋葬をするためにここへしばらく残ると言った。

まだ雪の溶けきっていない山道を行くものが多いなかで、少年と祖父は、睦月の子どもを抱いて隣街から船を出してもらい流諸島国の首都へ向かった。真っ暗な海上で小さな船は大きく傾き続けた。少年の祖父が聞いていた、乃介の故郷をつてとして、赤子を届けとようとしたのだ。

少年は、強い風から赤子を守るように抱き締め続けた。まぶしい太陽からの閃光が目に痛い。うっすら開いた瞳に島の真っ白な縁がうつった。


島の民に乃介の名を伝えれば、顔色を変えてある小さな家につれていかれた。家の中から、優しそうな黒髪の女性が、小さな子どもを抱いて出てきた。隣には背の高い男性が立っていた。

「あなたがたは、大樹の子ですか?」

少年の祖父は、ゆっくりとそう言った。彼らは頷いた。祖父が何かを話している。少年は赤子をぎゅっと抱き締めた。

本当は、任された赤子を睦月の友人だという彼らに渡すのは嫌だった。しかし、少年も祖父も赤子を育てることはできないとわかっていた。赤子がこの島で育つことは、残酷だけど、何も知らない彼女にとっての幸せになるかもしれないと考えたのだ。そうして、少年たちは島を去った。どうしたって、故郷を、大切な人たちを殺したやつらが許せなかった。彼らがその仲間ではないとわかっていても。


大樹の枯れ落ちた日を少年は今でも覚えている。混乱を極めた第二帝国の空中都市の真下で、来日も来日も魔法の修行をしていた。帝国の影が、長く灰色にレンガ造りの建物の色を奪っていた。そのころ、街の人たちはいつも、不安げに影の奥の黄色に靄のかかった空を見上げていた。帝国の空中都市の膝元でるはずの街の大樹が枯れて、数日が経っていた。

金色の髪を一くくりにした、凛とした女性が影濃い広場の石畳で背を真っ直ぐに伸ばした。

「もはや、大樹は枯れる。すぐに空中都市は形を保てなくなり崩壊する。逃げるなら逃げろ」

彼女が、行方不明になっていたはずの巫女だと誰かが言った。その言葉に、右往左往する民を横目に少年は石畳をかけた。足の裏、靴底の先にぼこぼことした硬い感触が残る。

ちかり、と空中都市を支える柱が光る。それは、流で作られる火器の発泡サインだった。少年は、何かを考える余裕もなく彼女の前に立ち、厚い氷の盾を作った。どん、と強い衝撃で右腕が痺れる。

悲鳴が聞こえる。氷の向こう側に射手と目が合う。目だけが見えていて、顔をスカーフでぐるぐる巻きにした男だ。その黄緑色の瞳は瞬きすらしない。火器の口が上を向いたと思うと、男は肩に絡み付いたマントをつかみ姿を消した。それが魔法だと少年はすぐにわかり、呆然と巫女を見つめた。巫女は、その真っ青な顔に声をあげて笑いだした。それから、一歩近づいてきたと思うと、鼻がつくのではというほど、顔を近づけられた。真っ青な瞳が、顔の造りが、どうしたって初恋の人を思い出させた。

「今のは、神官長補佐だ」

少年の耳元で囁くように巫女は言った。盾にしていた氷が僅かに溶けだし、ぴちゃりと地面を濡らす。誰かが遠くで『流の獣がいる!』と叫んだ。先程の巫女の言葉より、ずっと、明確に彼らはパニックを起こしていた。人と人のぶつかる音がする。

「『巫女が流の民に暗殺されたせいで、帝国は倒壊する。』そういう筋書きを望んでいるんだろう。」

沢山の声が混じった空間の中で、彼女の声だけが何故かはっきりと聞こえていた。巫女は不敵に笑っている。悲しみや不安を隠しているようにはみえず、口調も心底楽しそうだった。全然違う。少年は思った。

あの時はなにも知らなかったこと、聞かされなかったこと。大人とも言える年になり、耳にはいる噂を整理していけば、意味を理解することもできる。それでも、あの小さな凍らない港町の風景は、たしかに少年の脳裏に鮮やかな色合いで刻まれていた。少年はゆっくり瞬きをして、正面の真っ青な瞳を見つめた。

「俺に、あんたを助ける手伝いをさせてください」

気がつくと唇から言葉が溢れていた。巫女は口角を上げて笑った。

「なら、手始めに帝国を崩壊させるぞ」






【少女の道】


師匠と再会したのは、私が15歳の時だった。国交の回復しない二共和国へ行くために、私は志願兵の乗船する船に乗り込んだ。大陸へ渡るには、もうこれしか方法がなかったからだ。

神流が家を出ていった日の私は、一言で言えばボロボロだった。虚無感とどうしようもない怒りで、ぽろぽろと涙が止まらなくなった。神流が私を傷つけまいと出ていったことが明らかで、そんなことをさせてしまった自分の不甲斐なさと、頼ってもらえなかったショックとで、もう何がなんだかわからなくなっていた。ただ、強くならないといけないと知った。泣いて、泣いて、朝日が出たときにはこうしてはいられない。と思った。あのとき、家族には言いにくくて、町にあった古びた剣術道場へ行き入門を頼み込んだ。断られたら、まずは町の少年たち相手に喧嘩をして、そして強くなっていこう。と勝手に計画していた。その計画が道場の主にばれていたのか、嫌な顔をされながらも許可してもらえた。私は嬉しくてその日からひたすら、道場主の教えの通りに竹刀を降り続けた。

地道な作業に嫌気が差したことがたくさんあったし、私をやめさせるための嫌がらせじゃないかと思ったこともあった。それなら、認めさせればいいだけ!だって私は、どうしても強くなって神流のところへ行きたいから。形振りなんてかまっていられなかった。

こっそり裏の森で素振りをして、手の豆を軒並み潰して血だらけにした時に、父さんと母さんにはことがばれた。お父さんは、やめさせようとしていたみたいだけど、お母さんは止めなかった。ただ、自分勝手な喧嘩だけはしないことを二人に誓った。これは、道場主にも誓っていた。


時が経ち、私は弟の松次にだけ志願兵の乗る船に忍び込む計画を話した。そして当日、私は船乗りを父に持つ友人に頼み込み、積み荷に紛れることに成功した。船は、機雷を避けながら二共和国の港へと進んでいった。

流諸島国連邦は大陸より大きく離れた大洋に点々と浮かんでいる。その間…というには少し離れた場所、大陸より東へ突き出た半島が北流である。昔は北流を含む大陸のもっと多くの範囲が、流国だったらしい。南洋の諸島国に比べて、北流は寒冷な土地だという。その北流の近くの海域を大きく迂回して、東の港から大陸へ入る。濃紺の水の上に、ぽっかりと浮かんだ緑。その手前に、黄土色の石垣が並んでいた。空を見上げれば霞んだような、ぼんやりとした太陽が浮かんでいて、そのくせ雲が一つもない。

町の全てのものに、細かな黄色い砂が積もっていた。

志願兵たちは、二共和国の大隊による選別を受けりために書類を渡す。年齢のせいで、志願兵になるには父母のサインが必要であったが、許しがもらえていない私は当然そんなもには持っていなかった。けれど、実技試験さえ受けることが出来れば落ちるつもりはなかった。私は、少なくともこの船に乗っている誰よりも強かったから、二共和国の兵達はきっと私の腕を買ってくれる。そう信じていた。

しかし、そんな目論みは神流を拐った、あの男を見た瞬間に吹っ飛んでしまった。私は反射的に刀を抜いてしまった。男はいとも簡単にその太刀を受け流し、右足で私の腹を蹴り飛ばした。私は全体重をかけて面を打ちにいっていたため、反動で大きく飛ばされ刀を手放してしまった。泥の細かい粒子が、肺に入った気がしてむせる。鳩尾ははずされたのか息はできる。右手に力を入れて立ち上がろうとする私を、男はどろりと溶けてしまったような、紫色の瞳で見ていた。

あの時、私はこの男には勝てない。という、どうしようもない敗北感に憤怒しながらも、ひどい憧憬といつか勝たねばならない敵を見つけたような興奮を覚えるという、ぐちゃぐちゃな感情の渦の中にいた。そして、渦を外に出すように彼に弟子にしてほしいと懇願した。

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