第3話 少女の記憶
私の記憶の中は、竹緒ちゃんから始まる。彼女が「はい」と手を差し出してくれるのを、いつも小走りにかけよって掴んでいた。
私には親がいなかった。私の親の友人だという竹緒ちゃんの両親である笹子さんと治史さんが私を育ててくれていた。二人はのんびりしてるから、と娘の竹緒ちゃんはしっかりものだった。
私たちが育ったのは、旧流国の王都だったという小さな島だ。私たちの生まれたくらいに、大樹が枯れ、第二帝国が滅びたり、大陸では北流の国民が出来たばかりの二共和国へ宣戦布告をしたりしていたらしい。同じ、流国だったが、大陸からは独立した政権をすでに持っていた流の諸島連邦では、食料不足には悩まされたが、大きな戦いが世界で起きていることは感じなかった。
流のことも第二帝国のことも、私は何も知らなかった。流では両親が男女で、その腹から子が生まれるのも普通だったから、笹子さんと治史さんにも、竹緒ちゃんにも私はなんの違和感もなかった。
そのうち、竹緒ちゃんに弟が生まれた。私にとっても、弟のようでかわいくてしかたなかった。治史さんはのんびりしているけれど、竹緒ちゃん達のためにたくさん働いていた。だから、私と竹緒ちゃんは育児に忙しい笹子さんのかわりに一生懸命にお手伝いをした。食べるものはあまりなかったけど幸せだった。
ある日、竹緒ちゃんと喧嘩をしていた男の子が竹緒ちゃんを階段から突き飛ばそうとした。私は、驚いて、怒って、目の前が真っ暗になった。気がつくと、男の子は後ろに吹っ飛んでいて、頭を打ったのか血を流して大泣きしていた。竹緒ちゃんが真っ青な顔をして、私に抱きついてきた。
大人達が集まってきて、同じように真っ青な顔をした。
「種子(たねご)だ!」
それが、大樹から生まれた魔法を使える子供を忌み嫌って、流の民が付けた差別語だったなんて、当時の私は知らなかった。ただ、ぎゅう、と抱き締めてくれている竹緒ちゃんの腕がかたかたと震えていたのだけは覚えている。
家に帰ると、笹子さんは竹緒ちゃんの弟を抱きながら、困ったように私の頭を撫でてくれた。治史さんは「大丈夫だよ」と抱き締めてくれた。
果たして、本当に大丈夫だったのだ。島の人は、遠巻きに私を見るだけで、何もしてはこなかった。
でも私は、怖くなった。あれ以来、身体の中に不思議な対流を感じていたのだ。それは、渦を巻いて身体の外へ出たがっていた。出てしまった、渦は竜巻となり部屋の中をぐしゃぐしゃにした。私が大泣きしていると、家族が飛び込んできてくれてなだめてくれた。竹緒ちゃんは抱き締めてくれたけれど、私は怖くてしかたなかった。だって、これではいつか竹緒ちゃんを傷つけてしまうから。
私は、誰かと一緒にいるのが嫌になって、夜暗くなるまで一人で森に入ることが多くなった。ある日、森で流の伝統服を着て、右に刀を2本差した男にあった。彼は、私を見ると紫色の瞳を大きく見開いて、ぽろりと涙を流した。私は、怖くなってまた目の前が真っ暗になった。そして、何か暖かさに目を開けると、彼が腕を血だらけにしながら、私を抱き締めてくれていた。
彼と一緒に家に帰ると、笹子さんが驚いた顔をした。彼は難しい顔をしていて、治史さんに会いたいといった。笹子さんはずいぶん考えたあとに頷き、私と竹緒ちゃんに弟を預けて、部屋に行くように促した。
その日、治史さんは帰ってきてから、今まで聞いたことのないよう怒鳴り声を上げていた。何を言っているかまではわからなかったけれど、ただ怖くて、竹緒ちゃんと手を繋いで布団に潜りこんでいた。
次の日の朝、治史さんも笹子さんも努めて何事もなかったように振る舞っていた。昼、竹緒ちゃんが買い物にいっている隙に私は彼とあの町を出ていった。ちょっと、出掛けてきます。と笹子さんに言って、彼の泊まっている宿へ行ったのだ。部屋に手紙を置いていった。
私は、魔力を制御する術を持っていなくて、いつか竹緒ちゃんを傷つけるだろうということはわかっていた。だから、魔法の使えるものが多い二共和国で暮らした方が私のためになるはず。と言った彼に着いていくことにした。彼は私の顔を見ようとはせずに腕を引いた。
二共和国はずいぶんと遠く、着くまでに何日も時間がかかった。通行止めがあって、宿の部屋から出れない日もあった。彼は、たまに私を見ては悔しそうに顔を歪めた。はじめてあった日のように抱き締めてくれることはなかった。
長い旅の末、ついた二共和国は瓦礫の山だった。正確に言うと、それは第二帝国の遺跡であり、その横に形成された町が首都だという。
それは、不思議な場所だった。人も多く、賑わっているはずなのにひどい違和感が感じられた。瓦礫にへばりつくようなバラッグには、人々が寄りそって高い空を見つめていた。
彼の紹介で私が預けられたのは、美しい金の髪と空色の瞳を持った女性--------薫さんのところだった。私をここにつれてきてくれた男性は、私を置いてすぐにどこかへ行ってしまった。
「貴様は、その魔力を制御できなければ、人を殺すぞ」
薫さんが会ったばかりの私に言った言葉だ。それは、私のお腹のなかにすとんと落ちた。そして、眼球の奥が熱くなって喉が傷んだ。息を吸うと吐くことを忘れて、喉がなった。私は、だんだんと息が苦しくなって倒れたが、彼女はそんな私をただ見ていた。
「なんてこと言うんだよ!!薫さん!!」
そう大声を出して背中を優しく撫でてくれたのは、希という青年だった。彼は、二共和国で唯一私に優しくしてくれた人だ。私は、何が何だかよくわからなくて、
「竹緒ちゃんのとこに帰りたい」
と泣き叫んだ。置いてきたのは私なのに。でも、大声をだせば、私の中の渦がまた身体から出ていこうとした。目の前が真っ暗になった。ああ、この人を傷つけてしまう。そう思ったと同時に、身体から出たはずの対流はかき消えた。
「言った通りじゃないか。帰ったって人殺しになるか、死ぬかしかないぞ」
薫さんの瞳はひどく冷たかった。
私には離れがあてがわれた。朝、昼、夜、と初老の女性が食事を運んできてくれた。同じくらいの年の別の女性が、魔法の制御方法を教えてくれた。たまに、希さんが来て様子を聞いてくれたが、それ以外の誰もここにはこなかった。私は、最初のうちは夜になると毎日泣いていた。でも、泣いても、泣いても誰も助けてはくれなかった。食事をとらないでみたこともあったけれど、彼女らは何も言わなかった。そのうち、私は泣くことをやめて何も考えなくなった。
流にいた時ひどく賑やかだった街の喧騒が嘘のように、二共和国は静かだった。真っ青な空につき出すような瓦礫の山が、ただ佇んでいる。時間だけが緩やかに流れていっていた。
ある日、給仕の老女が食事を出したまま、じっとこちらを見ていることがあった。それは、その日から何日間も続いた。そして、
「こちらにいらしてはくれませんか?」
と、ひどく優しい声で手を差しのべた。私は、いそいそとその手を掴んだ。指先に触れた暖かさが、懐かしく喉が疼いて唾を飲み込んだ。
老女は、きょろきょろと辺りを見渡しながら私を屋敷から連れ出した。その日は風が強く、通りは砂を巻き上げられて黄色く霞んでいた。
年を取っているであろう彼女の歩く早さは思いの外早く、引っ張られるようについていった。
瓦礫の下に小さな白い祭壇があった。その祭壇の上には、真っ白な粉の入った小瓶が置かれていた。老女は甘い声で
「さあ、お祈り下さい」
と言った。
「祈る?」
と私が聞けば、彼女は「はい」と言ってひどく柔らかく笑った。肩を捕まれて「さあ」と小瓶の方を向かされる。爪が肩に食い込んで痛かった。何を祈ればいいのかわからなくて、両手を合わせて目をつむってみた。心臓がどきどきと脈打った。うっすらと目を開けば、老女は瞬きもせずにこちらを見ている。
「どうしたのですか?お祈り下さい」
女の声は相変わらず甘ったるく、でも底が見えないほどどろりと流れていく感じがした。
「大丈夫ですよ。あなたが祈れば、必ず、必ず大樹は答えて下さります」
彼女は目を見開いてこちらを見ている。私はまた、恐怖で身体の中にあの渦が巻き上がっていることに気がついた。そして、怖くなってその腕を振り払うと老女は以外にも簡単にころんと倒れた。土にぶつけた、肘から血が流れていた。怖くなり、私は走った。巻き上げられた黄色がひどく視界を奪った。髪がごわごわとする。瓦礫の山は大きく、どこまで走っても途切れはしなかった。
真い空に黄色の靄がかかっている。流では、真っ青な空に白く薄い雲が常にかかっていた。光の加減で、緑や紺に輝く海原もここにはない。細かな砂の積もった瓦礫がその姿を霞ませながら、青であろう場所を貫いているだけだ。喉がひくついて、嗚咽が漏れた。でも、このまま大声で泣いてしまえば、足が動かなくなるような気がして、歯を食いしばった。とにかく、遠くへ行こうと思った。この瓦礫の見えなくなるくらい・・・・・黄色の靄の向こう側まで・・・・
どこか、遠くから何をささやく優しい声が聞こえた。
身体がだんだんと軽くなっていった気がした。体内を渦巻く風が外へ、外へと向かっていく。背中が熱い。ばさり、と風を切る音がしたと思えば、身体が宙に浮かんでいた。心臓がばくばくと鳴っている。黄色の、煙のような砂嵐が勢いよく下へと通り過ぎていく。もっと、上へ、上へ。視界を遮るものが消えた瞬間に、瞳を強い光が突き刺した。私は、その痛みに目を瞑り、身体の力が全て抜けていく感覚に目を回し、暗い底へと落ちていった。
目が覚めると、茶色の染みのある天井が見えた。息を吸おうととすれば、体中肺と背中が傷んだ。げほ、げほ、とせき込んでいるとベッドの横に立っていた薫さんは何も言わずに、部屋を出て行った。その様子を目で追うことはできなかったけれど足音で分かった。希さんが私の手を握りしめていた。
「ごめんね」
息を吸うだけで体中が傷んで、怪我をしているのはわかるのだけど、いったいどこをしているのかわからなかった。希さんが謝った理由もわからなかった。
「な・・・で・・・?」
どうにか言葉を紡ごうしても、それは声にならず、掠れた息を吐き出しただけだった。希さんが顔を上げて、恐る恐る私の髪をなでた。
「助けられなかったから・・・・・」
ぽつり、と落ちたその言葉の本当の意味が、私に向けられたものではない気が何故だかした。あれほど、荒れ狂っていた風が体の中で正しくゆっくりと対流している気がした。私は、目を瞑るとそのまま、また暗闇に戻ってしまった。
毎日、薫さんや希さんが治癒の魔法をかけてくれているらしく、怪我は少しずつ治っていき、ひと月もしないうちに、痛みが消えていた。ただ、長い時間をベッド上で過ごしたため、息を吸うのが億劫なくらいに身体が重かった。
あの日以来、給仕の老女も魔法の指導をしてくれていた老女も現れなくなった。怪我をさせてしまった女性について、希さんに一度だけ聞いてみたが、柔らかく笑うだけで何も答えてくれなかった。薫さんに聞く勇気は私にはなかった。
魔法の指南は、希さんや薫さんがしてくれた。でも、二人とも忙しいらしく、朝起きると、夜までの食事が置かれていて、それ以外誰も訪ねてこない日もあった。私は、ただ空を真っ青な空を眺めていた。
そんな日は、だんだんと増えていった。ただ、何があっても食事だけは用意されていた。ある時、離れには書庫があることに気が付き、本を読むようになった。それを声に出して読むことで、しゃべることを忘れはしなかったけれども、確実に何か大事なことを忘れていっていることはわかった。
そのうちに、もう流に戻りたいという気持ちも竹緒ちゃんに会いたいという気持ちも失っていた。このまま、たまに空を覆う黄色の砂と一緒に、巻き上がって消えてしまえたらな。と思うだけだった。
だから、あの日。屋敷の外から聞こえた声に、私は何をすればいいのかわからなかった。ただ、ぽろぽろとその懐かしい声に涙が出てきただけで。腰に刀を二本差して、ずいぶんと背の高くなった彼女がくしゃりと表情をゆがめて私を見たとき・・・・・私は、心底、どうすればいいかわからなくて、ただ声をあげて泣いていて、泣くなんて方法をちゃんと覚えていたのだ、とどこが遠くから考えていた。
***************
ぎゃああ。と、甲高い鳥の声が聞こえた。青い空に薄い雲が渦を巻いて流れている。水平線の近くは深い、濃紺に染まっている。銀の鏡面がきらきら輝いている。
傘を持った少女は竹緒を愛していた。それは死ぬまで、変わらず愛し続けた。竹緒は笹子と治史の元にしか生まれてこない。からからと回転する運命の環の中で、こんな干渉をしてはいけないだろうことはわかっていた。薫に知られれば絶対に怒られるだろうと思いながら、彼女はくるくると傘を回した。厚い紙の奥から日の光が入り込んでいた。
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