第2話 それから500年②

夢を見た気がする。柔らかい黄色の光に包まれて、子どもの甲高い声がする。その音に気がつくと頬が緩む。

なのに、目が覚めたときには、その色すら思い出せなかった。



緑色のカーテンが太陽の白を孕んで揺れている。ばさ、ばさ、と開かれている窓から入った風が、本をめくる。分厚い、館内の青いシールの貼られたその固い表紙をめくる。目当ての項目を目次から探し、ぱさりとページを開く。

革命前の資料はそれほど多くは残っていない。大樹の宗教については、ほとんどのものが失われている。

『第二帝国からの大樹の刺し木なくては、子孫ができない。という思想により、多くの国から帝国へ金を含む貢ぎ物が集中していた』

革命前の帝国を中心とした世界の説明は、こんなものしかない。指先で文字を追っていると胸元の石が視界の端に揺れた。


「何を、熱心に見ているんだ?」

突然の声に、笹子は肩をびくりと揺らした。急いで顔を上げると、金色の髪をポニーテールを揺らす少女がいた。彼女は、右手の肘をついてその上に顎をのせている。

「薫さん?!」

驚いて、立ち上がって礼をすると、彼女はじっとその海と同じ色で笹子を見つめた。

「名前を覚えていてくれたか。嬉しいね」

そう言ってにこりと笑った。笹子は、首を大きく振った。

「かしこまらなくていい。やはり、その石似合ってるな」

薫の言葉に、笹子ははっとしたように石を握りしめて礼を口にした。

「大革命に興味があるのか?」

薫の問いに、笹子はこくこくと首をたてに降る。振ってから、少し恥ずかしくなった。本当に興味があるのは大革命の前だからだ。

顔を赤くして、下を向き相変わらずに石を握る。それは、もう緑の光は帯びていない。

「あの…………この石が光ったんです!薫さんは何か知ってますか?!」

言い終わってから、笹子は自分の支離滅裂な言葉に気がついた。しかし、薫はじっとそれを聞き入れて頷いた。

「光ったって?当たり前だろう。それには、魔力が籠っているからな」

笹子は薫の言葉に目を瞬かせた。

「ま、りょく?ですか??」

驚いたように声を出すと、薫の眉が一瞬下がり、はにかむように笑った。

「僕は、大樹の巫女の生まれ変わりだからな。魔法くらい使えるに決まってる」

息を飲み込み、薫の真っ青な瞳を見つめる。しかしその鏡には、自信が写っているだけだった。笹子は唇だけで『大樹の巫女』と紡いだ。

「そうさ。そして、僕には前世の………貴様を愛した記憶があるんだ」

薫の白く長い指先が胸元の石に触れる。ぞくりと、身体の芯が熱くなる気がした。心臓ばくばくと音をならす。息が上がりそうだ。耳が、顔が熱くなっていく。恥ずかしくなって両手で顔を覆っていると、耳元に触れられる。

「ははは………嘘だよ。かわいい反応だな」

薫の声に、笹子は真っ赤に熱を帯びていた顔を隠していた両手をはがす。目を見開いて、震えながら大きく口を開いた。

「嘘じゃないです!!!嘘じゃ…………ないですよね?」

今度は、薫のほうがきょとんと空色の瞳を大きく開く。大きな声を出して、がたん、と椅子を倒して立ち上がった笹子の方を、図書館中の生徒が見ている。真っ青な瞳には泣きそうに顔を歪めた笹子が写っていた。薫は、にこりと笑って座ることを促して目をつむった。

「嘘だよ。それとも、君には僕に愛された記憶でもあるのか?」

開かれた青が、じっと笹子の焦げ茶色の瞳を見つめる。唇は笑みを作っていたが、口調は痛みを感じるほどに鋭かった。笹子は、椅子に座り直すこともできずに、ぽろぽろと涙を流しながら首を横に振った。薫は満足したように立ち上がり、なにも言わずに開け放たれた、緑に塗装されたドアから出ていった。笹子は、ぽろぽろと流れる涙が止められずに、倒れた椅子を直して、机に突っ伏した。シャツの袖が涙を吸って、冷たくなっていく。


どろどろと、身体がまぶたの裏の闇に溶けて落ちていく。くるくると、周囲の闇が回転する。机と自分だけが世界の中心になる。

「さっちゃん!」

闇の中で誰かに、懐かしい声で呼ばれた気がした。



「雨宮さん?大丈夫?」

肩を優しく叩かれて顔を上げる。喉がひりつく。目の下が熱い。ゆっくりと瞳を開き、顔をあげると司書教諭が立っていた。彼女は、先ほど大声をあげたことを気にして声をかけてくれたようだった。

「東雲さんは、いつもああだから。気ににしちゃだめよ」

それは、ひどく優しい声だったが、笹子は首をゆっくりと横に振った。胸元の石が揺れる。また、ぽろぽろと涙が零れた。司書教諭は、困ったように笑って膝をついてこちらをしばらく見ていてくれた。そして、何かを思い出したように「あ」と一声出すと立ち上がった。ゆっくりと笹子が顔をあげると、美しい色合いの一枚のチラシを持っていた。

「日野さん、さっき大樹に興味があるって言っていたでしょう。今度ね、近くの美術館で大樹に関する絵の企画展をやるのよ。行ってみたらどうかしら?」

彼女の手の中で、緑の濃い大きな木が黄色の花を咲かせている。その空は、青地に薄紅の筋がまっすぐ伸びていた。





雲が薄紫色に染まりだす。空の黄色が濃く、レモン色に染まる。定期便のつく船着き場の横を歩きながら、このまま海沿いのアスファルトを歩き幼子に会うか、香り立つコーヒーの煙に誘われるべきか。真上を見れば、雲は薄く伸ばされて形を変えながら、海へと流れていく。右手に握りしめた、チラシはつるりと指先を滑る。ぼお、ぼお、と船着き場で人が降りる度に揺れる小さな白い船を見つめる。帰路へ向かうであろう人が陸へ降り立つ。

この島の地図は、白いポールの二本立つ真ん中に大きく広げられている。

背の高い、学生服を着た青年がじい、とそれを見つめている。船からきょろきょろと辺りを見回しながら降りていた。彼は、ポケットから小さな紙切れを取り出して、それを見ながら不安そうに地図を見直している。

「どこかお探しですか?」

笹子が、緑の石をふりながらにこりと笑って声をかける。彼は、驚いたように持っていた紙から手を放した。

「あ!」

彼は、慌てて右手を伸ばしたが、風にのった紙は太陽に照らされ黒く影を作ったと思うと、そのままぴらり、と波のぶつかるコンクリートの向こう、きらきらとガラスが光る方へ流されていった。笹子も右手を伸ばしたが、それは紙の端を掠りもしなかった。白い紙は、真っ直ぐ波間に上に飛び、波立つ水面の上に落ちた。

青年を見ると、目を見開いて、ふるふると震えていた。

「ど、どうしよう……」

そう言いながら、一歩右に出ては、戻り、次は左足を踏み出して、また戻った。

「だ、大丈夫ですか?」

笹子が、恐る恐る訪ねると彼は泣きそうに顔を歪ませて首を振った。

「病院の名前、覚えてないのに……」

泣きそうな青年に、病院?と笹子は問うた。

所々に嗚咽を漏らしながら、言葉を紡ぐ青年の話をまとめれば、彼はこの島にある病院に入院した親友の見舞いに来たという。今日の朝、学校に行けば幼なじみが居らず、教員から入院したという話を聞いたらしい。そこから、なんとか聞き出した病院の名前を小さなメモ帳に書いて、明日から休日になることに託つけて、授業をサボってこの島まで飛んできてしまったのだという。そして、やっと島について病院を探していたところだったらしい。

「大丈夫ですよ!この島の大きな病院なんて一つしかないですから」

笹子は言いながら、こっちです。と、指を指して海とは反対側へ歩き出した。青年はちょこちょこと、高い身長を猫背で隠しているかのような姿勢でついてきていた。

おどおどとしながら彼は、歩いている間中ずっと幼なじみの心配をしていた。笹子は彼を励ましながら、治ったらぜひこの島を観光してほしいと言った。雲の紅が濃くなっていく。もしかしたら、橙の星が一つ、光だしていたかもしれない。ようやくついた病院の受付に走っていく青年を見送ったまま、様子を見ていると、彼は何度か首を振って、俯きながらのがら、扉の方へ戻ってきた。

「場所が違いましたか?」

笹子が慌てて、そう聞くと青年は首を振った。

「ううん。違うんだ。今日の面会時間は終わったって言われた…」

その言葉に、見上げた空は黄色く染まっている。青年を慰めて、明日の朝もう一回一緒に行きましょう!と励ました。彼は、大島のホテルに泊まると言っていた。明日は学校は休みなので、始便の時間から桟橋で待ってますよ。と、笹子の言葉に青年は泣きそうな顔で頷いた。

ふと、病院の前に立っている時計の針に目がいった。

「あ!大変です!大島への最終便が出ちゃいます!!」

そう叫ぶと、笹子は青年の腕を引いた。青年は驚いたような顔をしたあとに、うつ向いて耳を赤くしていた。

黄色のキラキラした光で、水面がいっぱいになっている。その奥に向かって、船は進んでいく。大島の港町がぼんやりと揺れる。もう少したてば、この場所はただ、のっぺりとした闇になる。

「よかった…」

あの幼子の鈴をならすような声が聞こえた気がして振り返ったが、そこには誰もいなかった。

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