第2話 それから500年①

薄水色の空を、薄い巻雲が覆っている。防波堤の上を歩けば、真っ青な海は金色にきらきら光っている。灰色のコンクリートを、たんたん、と歩きながら笹子は海から吹きすさぶ風に、髪をかき回された。

背負ったリュックサックに入っているのは、何冊かの教科書と筆箱のみ。傾きだした日の光を反射する、セーラー服のスカーフの上をエメラルドグリーンの大きな石が跳ねる。首から下がった金色のチェーンがきらきら光る。



「お近づきの印だ」

一つに括られた金色の髪を、馬の尻尾のように揺らしながら彼女はにこりと笑った。彼女と話したのはこれが初めてだった。

「そんな。もらえません」

笹子が訳もわからず言うと彼女は首をふる。彼女は学園の王子様のような存在で、笹子など今まで話しかけたことすらなかったのだ。生徒会長の彼女を遠くから見たことは何度もあるが、それだけだ。

「君に貰って欲しい。まさか、僕からの贈り物を断るわけじゃないだろう?」

彼女は、笹子の瞳をじっと見つめながらそういって手のひらにその冷たい石を置いていった。

クラスに戻れば、友人の優歌に何事かと黄色い声をあげられる。先程まで、ひどく冷たかった石は急激に温もりを帯びていく。それは、手のひらにしっくりと馴染み、ここから遠く離れた南国の浅い海の色を輝かせていた。


とん、とん、とコンクリートを歩きながら、笹子は馴染みの喫茶店の扉を探している。太陽は紅に染まりだそうとしている。

500年前………この世界で大きな革命が起こったらしい。大陸から離れた、この南北に長い島は少しの混乱と大きな食糧難に襲われたが、今はそんな跡すら見られない。

歴史の教科書が教える、500年前の世界には大樹を中心とした第二帝国と呼ばれる国が大きく栄え、世界の中心となっていたらしい。現在でも、二共和国は世界の中心的な国の一つだ。しかし、第二帝国と二共和国はまったくの別物である。と、教科書は言う。第二帝国は、大樹およびその宗教の中心都市であり、空中にその都市を形成する魔法大国であったらしい。現在は、魔力を持っているものなどほとんどおらず、それは夢物語のように語られている。

笹子は歴史が好きだった。とくに革命前の世界に興味を持っていた。大樹を神とする宗教では、異性愛を禁じていたという。今では考えられないが、大樹が愛し合うものに子を授けており、本能的肉欲を禁じていたと言う。愛しているものに、子を授けてくれる大樹。なぞ、ロマンチックだと笹子は思っている。大樹が失われた今は、あの考えこそが強欲な悪魔の考えと言われているが、笹子にとってはただのロマンチックな話だった。

歴史の教科書がリュックのなかで揺れる。ざー、ざー、と波が白くたっている。灰色の小さな砂粒が転がる。

「見つけた」

鈴が鳴るような、かわいらしい声が耳元でした。笹子は、驚いて振り替えるがそこには誰もいない。きょろきょろ、とあたりを見回すと、遠く浜辺で、白く泡立つ波に細い足を浸からせる幼い女の子が立っている。薄藍色の浴衣に、藤色の帯をしている。右手には重そうなえんじ色の番傘。

周囲に大人はいない。危険を感じた笹子は、「危ないよ」と言おうと、一歩足を踏み出すと幼女は消えていた。

「え?」

と、呟くと同時に先程まで浜辺にいたはずの女の子は目の前に立っていた。小さな手が、竹でできた番傘の取っ手をぎゅっと握りしめている。藤色の大きな瞳が、ぱちくりと瞬かれる。短く切り揃えられた髪が揺れる。

「笹子さん。ずっと会いたかった」

除き混んだ藤色からは、今にも滴が零れそうだった。笹子も息を飲んで彼女を見つめる。胸元の石が、ぴかぴかと光っている。

「泣かないで。大丈夫よ」

ぽろぽろと泣き出してしまった幼子に、不信感より前に頭を撫でてそういってしまった。彼女は、泣きながら「笹子さん、ごめんなさい」と言った。何を謝られているかわからないが、先程突然現れたことも忘れて、笹子はふわりと笑った。

女の子は、笹子の頬にその小さな手で触れた。

「お願いがあるんです。治史さんに会ってください…………私、会いたいんです……………に………………」

胸元の石の光が弱くなったと同時に、ざー、ざー、と波の音が強くなる。触れていたはずの幼子の指先の感触がなくなる。声が遠くなり、コンクリートが先まで見えるようになる。

「待って!」

そう、声を出せたかどうかわからないままに、幼子は消えていた。遠くから、カモメの鳴き声だけが聞こえた。






焦げ茶色の重そうな木で出来たカウンターの前に座り、笹子はぼんやりとメニューを見つめていた。窓の外では、くれない色の太陽が色づき出した山へと沈みだしている。

「笹子ちゃん。ぼんやりしてどうしたんだよ?」

真っ黒なエプロンを着て、紫色の瞳をぱちくりとさせた青年が笑う。この喫茶店でアルバイトをしている乃介(だいすけ)という青年だ。

はい、ブレンド。と言って、カップを笹子の前におく。ここへくるまでは、学園の王子に突然もらったペンダントの話を話そうと思ってたのだ。しかし、そんなことは先程の不思議な女の子との出会いで消えていた。

「………なおしさん……」

笹子がそう呟くと、乃介が目をぱちくりとさせてこちらを見ていた。

「笹子ちゃん……思い出したのか?」

その言葉は、何かを恐れるような緊張した震える声で紡がれた。平素、飄々としている彼には珍しいことだった。笹子はゆっくりと首を振った。胸元の石が揺れた。

「その石…………」

笹子が、これは学園で薫がくれたのだと言うと、乃介はますます驚いたような顔をする。

「乃介さん?」

笹子が、恐る恐る名前を呼ぶと彼ははっとして、すぐににっこりと笑った。そして、「何でもないよ」と言う。その言葉に、はぐらかされたと感じた笹子は怒ったように首を振った。

「何でもないわけ、ないですよね。乃介さん、なおしさんって誰だか知ってるんですか?」

笹子はなるべく真剣に見られる眼差しで乃介を見た。彼は、にっこりと笑った。

「コーヒー冷めちゃうよ」

それからカウンターの奥に座って、クッキーが二枚入った皿を笹子の前にごとりと置いた。

「その名前、どこで聞いたの?」

酸味の強いコーヒーの香りがする。一口、口にふくませてから笹子は目の前の青年を見た。

そして、先程の不思議な幼子との出会いを話した。信じてもらえるようなものではないのに、乃介はただ頷いて聞いていた。

「藍色の浴衣に、えんじの番傘………」

噛み締めるように、そう言った青年の声は震えていた。乃介は再び厨房に戻り、今度は包装されたチョコレートを3つ持ってきてテーブルの上に置いた。包み紙の金色が蛍光灯に照らされて鈍く輝いている。

「笹子ちゃん、歴史好きだったよね…。昔……革命が起こる少し前………まだ第二帝国があった頃の話だよ………

この世界では、まだ愛し合う同性に対して大樹が子を授けていた。

ある女は、第二帝国で後に最高権力者となることが約束されている大樹の巫女の寵愛を受けていた。しかし、巫女の浮り気が原因で悩んでいたところに出会った男と恋に落ちてしまう。当時、帝国で異性愛は罪だ。巫女の権力で女は閉じ込められ、男は捕まり、牢獄のなかで処刑の日を待つのみとなった。


男には、幼なじみがいた。彼は、女を助け男とともに駆け落ちすることを勧める。


結局、彼らの計画は巫女に見つかってしまうが、彼女の計らいで、4人揃って帝国から逃げ出すことになる…」

乃介の言葉に、笹子は首をかしげた。

「巫女が第二帝国から亡命した話ですか?でも、巫女は大樹の声に悲しみ、強欲な神官達に嫌気がさしたはずですよね?」

乃介は、カウンターにおいたチョコレートを包む紙を両手でつまんだ。中から、真っ白い四角い塊が出てくる。彼はそれをつまみ、口に入れた。

「歴史の教科書は全て正しいとは限らない」

かちゃり、とカップをソーサーに奥音だけが店内に響いた。乃介が笑う。

「笹子ちゃん。あんたの前世が巫女の寵愛を受けていた少女で、その治史っていうのが駆け落ちした男だって言ったら、どうする?」

乃介の紫の瞳が、じっとこちらを見ている。いつになく真剣な表情に笹子は唾を飲み込んだ。かしゃり、とチョコレートの包みの潰れる音がした。

と、乃介が急にこらえきれない、と言うような表情をして笑いだした。笹子はただきょとんとその様子を見ていた。

「あはは!嘘だよ。嘘!俺も今日、授業で大革命やったからそんなんだったら面白いだろうと思っただけだよ。笹子ちゃんが変なこというからからかっただけだよ」

乃介の様子に、笹子は自分の言葉が信じてもらえなかったのだと気がついた。

「待って下さい。私のは嘘じゃないですよ」

そう、必死に言ってみるも乃介はとりあう様子もなく、疲れてるんだよ。甘いもの食べな。と笑っていた。

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