間話 彼らの出会い

その日は、雨が降っていた。ざぁーざぁーと他の音を全てかき消す音がした。次いで、ぴゅうぴゅうと強い風が吹き荒ぶ。長い間、過ごしていた場所では殆どなかった荒れた天気。フードの付いたコートが、ばさりばさりと風を受けて膨らんだ。紙袋に入ったパンが濡れないように、傘をさした。ここいらの傘は、紙で出来ていて骨の数が多かった。街中に人はほとんどない。路地裏に入りこみ、びしょぬれの木箱の上へとん、トンと飛び乗る。木製の大きな壁は、簡易造りの薄い城壁である。傘を閉じて、きょろきょろと左右を見渡す。どこにも誰もいないことを確認して、ぱさりと羽を背中に生やし飛び越える。飛び越えると、いっても勢いをつけて、羽で空気抵抗を大きくする程度。たん、とびしょびしょの雑草の上に着地すると、小走り駆け抜ける。ぴちゃぴちゃと、雫が足元をぬらした。

ふと、鉄の匂いがした。むわりとしたそれは、雨でもかき消されていない。降り返った先には、堀の様にこの街に張り巡らされている小川が流れている。水は濁って少し水位が上がっている。その流れを止めるように、人が倒れていた。ぐっしょりと濡れそぼった、鳶色の服を着ている。右手には見たこともない、刃のついた細身の剣が握られていた。付近の水が赤く染まっている。ぱさりと、フードがとれる。睦月は、迷いなく倒れている男に近づき、右手をかざした。



※※※※※


 最初に目に入ったのは、木製の継ぎ目のある天井。ぱち、ぱちと木が爆ぜる音がした。着ていたはずの服が、ゆらりゆらりと橙の光が放たれる場所の前に干されている。ズボンだけがはきかえられていて、大きな布で出来たシーツのようなものが掛けられていた。暗転する前の記憶をたどって、右わき腹に触れるがそこには何もなかった。よく見ると、腕にも脚にも、顔にもどこにも痛みはない。

ばちり、とまた木が爆ぜた。

ぼんやりとした明かりの元である蝋燭が、大きな机の上に置かれていた。そこに、伏せって眠っている少年がいた。鳶色の髪が、炎に照らされて金色に光っている。ぼつん、ぼつんと屋根に雨が降っている音がした。ぴちゃん、ぴちゃんとこの小屋の端っこで雨漏りが起きているらしく、鼻先にじめった空気を感じた。ぴゅう、ぴゅう、ごうごうと壁が揺れる強い風の音がした。少年に起きる気配はない。身体を起こして立ち上がると、頭がずきんと痛んで、目が回った。血が足りていないことを示すそれが、確かに大けがをした事実を思い出させた。ガタン、と態勢を立て直しきれずに肘から床に倒れると大きな音がした。そこで、ようやく伏せていた青年は目を覚ました。ぱちり、ぱちりと目を瞬かせてこちらを見つめる。

「うん・・・あ?起きたのか?大丈夫か?」

ごとり、と椅子が音をたてた。少年が、こちらに近づきまじまじと身体を見回す。

「大丈夫だ。これ、お前がやってくれたのか?魔法か?」

青年の声に、少年はこくりと頷いた。ごうごうと風の音がして、彼は反対を向いて窓の外を覗きに行った。

「雨がやむまでは動けねぇから。ゆっくり休んだ方がいい」

橙の光に染められて、少年はにこりと笑った。暗がりに開いた首元から赤い痣が見えた。

ぴちゃん、と雨水が室内に落ちる。

「おまえ・・・・・何で俺のこと、助けたんだよ?」

青年が、不思議そうに少年を見つめる。彼の握りしめていた武器は、今は机の横に置かれている。

「倒れてたから?」

少年が、首を傾げながら不思議そうにそう言った。「倒れて、血が出ていたから。そりゃあ、助けるだろ?」と続いた。大きな怪我を治すには、当然大きな魔力が必要である。しかし、少年には、生死を彷徨った人間を治したような体力を使いきった様子はなかった。

「赤の他人をかよ?」

青年が、訝しげにそう言うと、少年がまた首を傾げた。ぱち、ぱちとくりくりした瞳が瞬く。瞳の中に、自分が写り込む。

「他人とか、関係あんのかよ?助けられそうだったから、助けただけだぜ」

ぴゅうううう、と強く風が吹き、がたがたと扉が揺れた。雨足も強まっている。ざぁ、ざぁというひっきりなしの音がやまない。

「ぷ、ははは。そうか。ありがとな。俺は、乃介だ。おまえは?」

青年がにかり、と笑うと、少年もふうと息を吐き出して、眉をハの字にして笑った。

「俺は------------」

少年の声が耳に届くはずの瞬間に、急に脳の動きが停止した。まぶたが勝手に落ちてくる。頭が重い。気がつくと、視界は真っ暗闇に染まっていて、もう一度目を開けると、もう雨の音はしていなかった。

明るい日差しがまっすぐに、窓ガラスを突き抜け室内に入っている。先程まで、少年が座っていた場所にはもう誰もいなかった。


※※※※※※※※※※



空は一面灰色であった。高い位置を小さな、より濃い灰色の千切れた雲がぴゅうぴゅうと流れている。薄汚れた、らくだ色のローブのフードをすっぽりとかぶり、表情の見えない少年が、とんとんと短い草の生えた水路の横を駆け抜ける。

「やっと、見つけたぜ」

細身の剣を腰にさし、紺色の風通しの良さそうな服を着た青年はにやりと笑って少年の前に立った。少年の肩がびくりと震えた。そして、フードをより深く被ると、右に方向転換をして走り出そうとした。しかし、青年に左腕を捕まれそれはかなわなかった。

「離せ!」

少年が、声を張り上げて叫んだ。

「まあ、待てって、俺はお前に用があるんだ」

青年が、ぐいっと掴んだ腕を引っ張った。そして、その瞬間、触れていた肌から電流のようなもにがびりりと走り、慌てて彼は手を離した。青年の手が離れたのを確認すると、少年はうっそうと覆い繁る木々の生えた、暗い森へと走り出した。青年はその後に続いた。

「おい、待て!」

少年と青年は、と言っても二人の年の頃は同じように見えた。ただ、少年は細身で小柄なのにたいして、青年はあどけない表情はしているものの、がっちりとした体型をしていた。

少年は、歩き馴れているのか、木の根と根の間をぴょんぴょんと跳ね駆けて行った。木々が開けた場所へでた。少年は、フードに隠された顔のままでこちらを振り返った。ばさり、と背中に濃い茶色に縁取られた、風切り羽が生える。そのまま、強い風が地面の上で渦を巻いたと思うと、少年は鳥の姿で宙を舞っていた。

「待ってって!!俺は!!!」

青年の声が、森の中に響き渡り、ざわざわと葉が擦れ会う音だけが鳴りつづけた。






※※※※※※


次の日、再びびゅうびゅうと強い風が吹いていた。がたがたと、薄いステンドグラスが風を受けて暴れている。大嵐を受ける天窓の下に、一本の樹がはえている。その手前に大きな祭壇が置かれていて、供物が多数おかれている。それから、小さな柔らかな綿の敷き詰められた籠が置かれている。その籠には、タグがついておりどれも二つの名前が記されていた。フードを被った少年は、両手を組み祭壇の前で祈りを捧げていた。ざあ、ざあとひっきりなしの音がして、ばたばたばたと、窓ガラスが震える音がする。樹の葉がさわさわと揺れる。ざわざわと、波打ち、少年のフードの上にぱらりと一枚の緑が乗る。

「一人で、何を祈ってんだ?」

青年の声に、少年は弾けるようの後ろを振り向いた。フードはぐっと握ったまま。表情は見えない。

「ここは、第二帝国から随分と離れてるからな、もう最近は種をつけていないぜ」

少年の肩が小刻みに震えている。フードを掴む手がよりいっそうきつくなる。

「・・・・」

小さな声で呟かれた謝罪の言葉に、青年は首をかしげた。

「なんで、謝るんだよ?」

青年がそういいながら、一歩前にでると少年は一歩後ろに下がり、祭壇に手をついた。風は、室内には入っていないはずなのに、枝がざわりざわりと大きくしなり揺れた。

「なあ、お前のことをずっと探してた。上手く巻かれ続けたが、俺だって馬鹿じゃねえ。お前さあ、森の奥の小さな家で暮らしてるだろ。男と女と・・・・」

びゅう、と強い風が吹き青年の頬に切り傷を作った。少年のフードがその風の反動で外れた。鳶色のまんまるい大きな瞳が見開かれている。

「あんた、何なんだ?」

鳶色の鏡には青年の顔がうつる。ぴゅう、ぴゅうと少年の起こした風か外の風か、細い場所を通った甲高い鳴き声がする。

「お尋ね者なのは、わかってんだな。その顔。随分な賞金がかけられてるぜ」

青年が、乃介がにこりと笑ってそう言うと少年はいっそう強く彼を睨み付けた。

「お前、自分の立場わかってんのか?よくも、のこのこと街で買い物したり、あまつさえ教会なんかに近づけたもんだぜ」

ぱたぱたと、フードが揺れる。少年は右足で地面を擦り、背中に回っていた左手を握りしめた。

さらさらと、薄紅色の燐粉のような輝きがこぼれ落ちて樹へ流れていく。少年は、はっとしたように樹を見上げた。ざわざわ、と枝が大きく揺れて葉どうしが、がさがさと鳴き出す。枝の先端から葉が一枚一枚、茶色に染まりぽとりぽとりと落ちていった。

「だめだ!」

少年は言葉を溢すとともに、祭壇の横から続いていた柵を乗り越え、根と根の間をとんとんと進んで、その幹に触れた。目をつむり、大きく息を吸い込む。背中が少しだけ丸まった。シャンシャンと、小さな鈴が振り撒かれたような音がした。と、同時に先ほどと同じ薄紅色の光が少年を包む。

ばりばりと、薄い窓が震える。先ほどまで、荒れるようにざわついていた枝達が、ぴたりと静まった。茶色だった葉たちは見ているうちに、水分を取り戻した新緑色に染まった。枝の間に、ぎゅうっと縮こまった、薄黄色の細長い塊が現れる。それは、少しずつ、少しずつ膨らんでいき、薄い花弁が1枚づつ剥がれていく。

少年はその様子を見て、ほっと息を吐き出した。それから、ごわごわとした幹を撫でた。

乃介はその様子を呆然と見つめていたが、幹に手を触れたまま動かない少年の様子に、彼と同じように柵を乗り越え、その肩をつかみ樹から離した。少年は、ぼんやりと揺れる鳶色の瞳の中にステンドグラスの赤を湛えていた。

「おい!!お前、なに考えてんだ?!!」

 両肩に手を置いて大きく揺さぶると、少年ははっとしたように肩を痙攣させた。そして、捕まれていることに驚き身を捩った。

「離せ!!!」

その拍子に、乃介の右腕は大きく引っ張られた。踏ん張ろうと左足に力をいれるが、バランスの悪い根上にいるため、態勢を大きく崩す。それに合わせて少年の体もずるりと傾いた。乃介はとっさに少年の下に身体を滑り込ませた。

ごん、という大きな音がしたと思うと勝手に瞼が落ちてきた。暗闇のなかで、乃介はまた少年の名前を聞けなかった、と思った。

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