4 ー妻はよそよそしいー
「オリビア、部屋でお茶を一緒に飲もう。今日はもう魔術院に戻る事は許さない」
え、何故ですか旦那様。と当たり前のように理解が及んでいない妻をリカルドは半ば強引に夫婦の部屋にエスコートした。
「暗いから危ないだろう」
「え? 大丈夫でしたよ?」
「……たまたまだ。もう夜に魔術院に向かう事は禁止する。泊まるのも無しだ」
「な、何でですか!」
必死の形相で撤回を試みようとする妻をすげなく断る。
「危ないからだ……」
「はあ……?」
「とにかく駄目だ」
オリビアはそわそわと膝の上で指を持て余している。
「でも……」
「何だ」
夫からの低い返事にオリビアはちらりと視線を向けてから、小さく口を開く。
「誤解されてしまいます」
困ったような顔で見つめてくる妻にリカルドは困惑した。
誰に何をと口にしかけて、自分の噂に思い至る。
軽く額を押さえてため息を吐いた。
「君が何を聞いてきたのかは知らないが、私に愛する女性はいない」
微かに身動ぎする妻の気配にリカルドは顔を上げ妻を見る。
オリビアは、でもと口にし顔を俯けた。
「何だ」
ちらりとリカルドに視線を送り、少しだけ顔を赤らめる。
「相手の女性はそう思ってはいないかもしれません。旦那様は、とても素敵な方ですから」
リカルドは目を丸くした。女性にそんな風に言われた事は……
思い至って頭を振る。そういえばそう言ってくれたのもあの人だけだった。
「ありえないな。あの人は高潔な女性だった。婚約者のいる身で違う男に心を寄せるような、軟弱な精神は持ち合わせていない」
「……心当たりはあるのですね」
ぽつりと呟くオリビアにリカルドは眉を上げた。
「違うと言っているだろう」
「……はい」
そう言いながらも目を伏せるオリビアにリカルドは苛立った。
「何が不満なんだ」
オリビアは一瞬何かを言いたそうな顔をしたものの、そのまま口を閉じ、何もと首を横に振った。
そのままお互い無言でお茶を飲み干し、オリビアはごちそうさまでしたと退室していった。リカルドは顔も上げず、それをやり過ごす。聞こえてきた閉まるドアの音が、何故か非常に不愉快だった。
◇ ◇ ◇
あれから二月が経った。
妻は毎日朝早くから晩餐近い時間まで魔術院に通い詰めている。時間配分がおかしい。まるで彼女の家が魔術院のようだ。
「旦那様はおいくつになりましたか」
執務室で黙々と仕事に集中していれば、執事が手紙を持って入室してきた。トレイに恭しく並べられたそれらをペーパーナイフで切っていると、執事の口からそんな言葉が出てきたので顔を上げる。
じと目で話す執事にリカルドはむすりと振り返った。
「なんだ、知っているだろう。22歳だ」
「奥様はまだ16歳でごさいます」
「……何が言いたい」
あからさまに息を吐き出す執事にリカルドは口をへの字にした。
「分かっている。だが彼女を見ているとつい苛立ってしまう」
嫌な感じはしないのに何故だろう。
研究に熱心なのは別に良い。リカルドは貴族だろうと女性だろうと結果を出す人間は好きだ。
ただ彼女はそれ以上に自分の妻の筈だ。政略結婚とはいえそれは変わらない。なのにどうしてそのように振る舞わないんだ。
彼女の振る舞いに思い当たるものがある。けれどそんな馬鹿なとすぐさま別の自分が否定する。
「まるで初恋に悩む少年のようですね」
「なんだって?」
執事の温度の感じない声音に思わず反応した。
だが執事はすい、と視線を逸らして口を閉ざした。リカルドの疑問には答えるつもりはなさそうだ。別に、とか口にしている。
「私は奥様が好きですよ。出来れば伯爵夫人として振る舞っていただければもっと嬉しいとは思いますが、そこは私どもがおりますし。奥様も事情がおありですし。そもそも旦那様は奥様が好きですか?」
急にこちらを見て目を光らせる執事に動揺する。
「わ、私は別に……」
リカルドの様子に微妙な顔の執事が続ける。
「旦那様は奥様とどうしたいのです。どんな夫婦になりたいのですか? 短い婚約期間に出来なかった話し合いを今からでもなさるべきです」
「……」
暗に両親のようになりたくはないだろうと言われているようか気がした。
オリビアは今朝も早くに屋敷を出て魔術院に行った。
気に入らないと思ってしまう。
執事からじろじろと遠慮なく送られてくる視線に、追われるように気持ちを認める。
自分はあの妻とちゃんと夫婦になりたいのだと。
だからこちらを見ず、魔術院にかかりきりになる事が不満なのだ。
自分だけ素直に気持ちを告げるのが照れ臭くて、彼女にもこちらを向いて欲しいと思っている。
執事が大人気無いと言う筈だ。バツの悪い思いで顔を伏せた。
「今日夕方に魔術院に行く」
呟いたリカルドに執事は恭しく頭を下げた。
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