第8話 許嫁といつもと違う朝

 現在時刻、およそ六時。

 今日は、いつもは見えない光景が目の前にが広がっている。

 空を見れば、あまり見ない朝月夜が昇っていて、部屋を見れば、一人の少女が赤ん坊のように布団に抱きついて、口をパクパクしながら寝言を言っている。

 その少女が言っている寝言は、どのようなものか気になるが、声が小さい所為せいか、あまり聞き取れない。


「さて、どう起こせばいいのか……」


 いつもは六時半くらいに起きている俺だが、今日はこの少女、高坂こうさかさんが居る事も踏まえて、この時間に起きている。

 女の子は朝の準備とか、大変そうだし。

 

「女の子の体を触るのは気が引けるな」


 結局、悩みに悩んだ末、体を揺すって起こす事に決めた。

 決めたのだが、高坂さんに近づいていけばいくほど、イタズラしてやりたいという気持ちが強くなる。


「本当に可愛い顔してるんだよなぁ……」


 改めて間近で見ると、この上ない可愛さで危うく惚れそうになってしまう。

 それも無理はないだろう。

 元々容姿が完璧な上に、赤ん坊のように寝ているなんて、もう可愛すぎる。

 ただの可愛さの塊じゃないか。天使かよ。

 普通に起こすのは少しつまらない。

 よし、頬をつついて起こす事にしよう。

 よし…………


 ツンツン


「女の子のほっぺって、こんなに柔らかいのか」


 ちょっと感動。


 ツンツン


 あれ?まだ起きないのか?


 ツンツンツンツン


「ちょっとー!!いつまで私のほっぺつついてるのよー!!」

「わわ!こ、高坂さん!?起きてたの!?」

「当たり前よ!」

「え……、いつから……?」

「……加賀かがくんが『本当に可愛い顔してるんだよなぁ』って言ってた時からかな」

「結構前からじゃん!しかもそれ、俺の独り言だし!」


 聞かれてるなら、言わなきゃ良かった……。

 くそ気まずいじゃないか。この状況。


「いやー、まさか加賀くんが私の事、可愛いと思ってるなんて知らなかったよ〜」


 そう煽ってきた高坂さんは、少し顔が赤いような気がする。


「うるさいな。俺に限った話ではないだろ」

「そうかもねー。私、学校では有名人らしいし」

「自意識過剰か!!」


 だが、本人の言ってる事は、あながち間違ってはいない。

 高坂さんの事を知らない人なんて、俺たちが通っている高校に存在するのだろうか。

 新入生である一年生は仕方がないが、在校している二年生や三年生の中に、知らない人など存在しないだろう。


 高坂さんは、才色兼備、スポーツ万能、温厚篤実な完璧人間パーフェクトヒューマンという形で、周りに知られているのだ。

 俺が通っている高校の三大美女の一人としても知られていることから、高坂さんを狙っている人は、間違いなく大勢いる。

 ファンクラブだってあるらしいし。

 そんな三大美女の一人の許嫁が俺だなんて、そのファンクラブの奴らに知られたら、リンチされるに違いない。


「そ、そろそろ準備始めなきゃ間に合わないと思うよ」

「あー、確かに加賀くんの家って学校から遠いよね。電車でどれくらいかかるの?」

「電車使うなら、一時間あれば学校着くと思うけど」

「それなら七時半くらいに出ればいっか」


 高坂さんは、布団から出て立ち上がった。

 寝方が悪かったせいか、寝癖が酷い。

 そのせいで、艶やかな長い黒髪は、四方八方に広がっている。


「高坂さんは、取り敢えず寝癖直したら?中々凄い事になってるよ」


 俺に寝癖を指摘された高坂さんは、自分の髪を触って、寝癖の状況を確認し始めた。


「あ、ホントだ」


 高坂さんは、寝癖の状況を確認し終えて、俺の部屋を出て行く。

 洗面所に向かったのだろう。

 昨日の時点で、俺の家の間取りを把握したらしく、行動に迷いがない。


 そして俺は、LIMEで一人の人物にメッセージを送った。

 俺のメッセージの受取人は、もしかしたら怒るかもしれない。後で謝っておこう。


 三十分ほどして、高坂さんは俺の部屋に戻ってきた。ボサボサだった髪は、昨日学校で見た髪と同じように綺麗に整っている。


「ちょ、ちょっと……。そんなにジロジロ見ないでよ……」


 感激して、俺がじっと見ていたからか、高坂さんは恥ずかしそうに、手で髪を隠した。

 よく見ると、顔だけでなく耳まで赤くなっている。


「あ、ごめん」

「……うん。行く準備しよ」


 俺と高坂さんはそれぞれ別室で、高校指定の制服に着替え、朝飯が並んだ食卓に向かう。

 今日の朝の食卓には、白米と鮭を一切れ、味噌汁と、いつもと同じような食事が並んでいた。


「わ〜!どれも美味しそう!今度、何か料理教えてもらってもいいですか?」


 高坂さんは、前に並んだ朝飯を見て、目を輝かせていた。

 対して母さんは、「ええ、いつでもいいわよ」と、笑って答えた。

 昨日あんな事を言っていたのに、どういう風の吹き回しか、何事も無かったかのように返答している。

 こっちはあの一言のせいで、迷いに迷っているというのに。

 でも、もし仮に俺が高坂さんとの許嫁の関係を無かったことにしたら、どうなるんだろう。

 もう、この楽しそうな会話を聞くことは出来ない。

 本当に、どうしたらいいんだよ……。


「加賀くん!もう行かなきゃ間に合わないんじゃない?」

「本当だ!早く食べて学校行かなきゃ」


 俺と高坂さんは、残っている朝飯を一瞬で平らげて、急いで玄関に向かい、ドアを開ける。


 しかし、この時の俺は、あの校内三大美女の一人が許嫁になっていることの危険性が、どれほどまでか理解出来ていなかった。

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