第31話 約束
王太子は逡巡を隠すこともなく、レイフの髪を梳いた。
「しかし…。レイフ、そんな目で私を見るな」
「なんで?」
「なんでも何も…。どう考えても、生死の境を彷徨う大怪我を負って、今日ようやく意識が戻ったのに…。鬼畜すぎるだろう」
「私が頼んでるのに?」
「試さないでくれ。頼む」
王太子の言うことはもっともだった。王太子の言うことが完全に正しいとわかっているのに、レイフは拒絶されたような気持ちになって、肌着の前をかき合わせた。
「…ごめん」
負傷して身体が思うように動かなくて、熱も出していて、今の自分は普通ではないとレイフもわかっていた。王太子は拒絶などしていない。至極真っ当なことを言っただけだ。そう感じてしまう今の自分が、普通でないだけだ。不安で、優しくしてもらいたかったのだろう、多分。レイフはそう自身の心情を分析する。
「忙しいのに、来てくれてありがとう。嬉しかった」
レイフは無理に笑った。ベッドサイドのランプの光に照らされたその笑顔はこれまでに王太子が見たどんな笑顔より儚くて、目を離したら彼女は消えているのではという恐怖に駆られる。王太子は逆に、レイフに縋りつく。
「アールト…?」
王太子は答えない。レイフの肩に顔を押しつける。完全に下がりきっていない熱のせいで、レイフの身体はいつもより熱かった。
レイフは肩に顔を埋めている王太子の髪を撫でる。王太子は自由の効かないレイフの左腕を撫で、手を握り、指を絡める。レイフは肌着の肩が濡れていることに気づいた。
「アールト…なんで…」
王太子はレイフを抱く腕に力をこめる。その腕は小さく震えている。
「レイフ」絞り出されたその声は、涙をはらんでいた。「生きていてくれて良かった。どこにも行かないでくれ。どれほど恐ろしかったか」
レイフはあやすように王太子の背中を撫でる。
「生きてくれているだけで十分だ、もう一度声が聞けるだけで十分だと思っていたのに。こうしてそなたに触れると、もっともっとほしくなる…」
「うん…。うん、触って、アールト」
王太子は、レイフの肩にくちづける。
「ん…」
王太子がレイフの肩から顔を上げる。涙に濡れた緑の瞳。唇が重なり、舌が絡まる。
王太子の手が、レイフの身体をなぞる。背中を撫でていた王太子の手が、ためらいがちにレイフの痛々しい左胸にそっと触れた。レイフは目を閉じて顎を上げ、ため息を漏らす。
「痛むか?」
王太子が気遣わしげに尋ねる。レイフは目を閉じたまま首を振った。
「私を、守ってくれたのだな。身を挺して」
「大切だから。何よりも」
レイフは目を開けて王太子を見た。もう二度と開かれることはないかもしれないと思っていたその瞳に見つめられると、胸が締めつけられる。王太子は両腕でレイフをしっかりと抱いた。
「もう離れないでくれ。ずっと私のそばにいてくれ」
レイフは笑って、自分を抱きしめる王太子の腕に触れた。
「わかった」
2人はそのまましばらく、くちづけたり、お互いの身体に触れ合ったりしていた。
横たえられたレイフは右手で左手を持ち上げて顔の前にかざす。ぎこちない動きではあるが、ゆっくりと手を握って開く。王太子はレイフの隣に寄り添って横になった。レイフの左手を取る。
身体を重ねて、しかし体重をかけないようにしながら、ゆっくりと、深くくちづける。
「アールト、好きだ…。私の大切な人。生じさせ、実らせ、還らせる者」
レイフがそっと王太子の頬に触れる。
「愛している、私の光」
王太子は唇をレイフの首筋に、肩に、移していく。レイフの身体が小さく跳ねる。王太子の唇が傷痕をなぞる。傷痕そのものは感覚を失っていたが、そこにくちづけられると、受け入れられていると感じた。醜く変形してしまった左の乳房に王太子がくちづける。王太子の左手が、傷ついていない右の乳房を撫でる。
甘いため息が漏れる。レイフは王太子の左手に、自由になる右手を重ねた。
王太子はレイフの傷痕を脚の方へなぞっていった。傷は骨盤のあたりで止まっていた。傷痕の端に唇を触れさせた王太子は、はっとして目を開いた。そこに異質な存在を感じた。混沌。レイフが言っていた混沌とは、これのことに違いなかった。全ての属性が混ざり合った異形の存在。ほんの僅かではあるが、それがレイフの身体の中に埋め込まれている。この混沌は、レイフを内側から蝕むだろう。取り除くことはできないと直感的に悟る。
王太子は目を固く閉じ、歯を食いしばった。レイフの平な下腹部に、押しつけるようにくちづける。
王太子はレイフを横向きにさせると、レイフの背中側に寄り添って横になる。レイフの両脚を揃えて自分の腰のあたりに乗せて、こちらを向かせる。
「なあ、レイフ」
くちづけの合間に言う。
「生まれ変わりというのは、あるのだろうか」
レイフは王太子の意図を図りかね、不思議そうな顔をして、しかし真剣に考えてから答えた。
「わからない」
「そうか。…もし生まれ変わりがあるのなら、もう一度、私を見つけてくれないか」
レイフは何も言わず王太子を見つめている。王太子はもう一度くちづけて、続けた。
「そうして今度は、ただの男と女として、ずっと一緒にいよう。ただ毎日、生きるために働いて、食べて、抱きあって眠って、笑って、歳を取っていこう」
王太子はレイフの左手を取って、自分の頬に触れさせた。レイフの両目から涙が溢れる。
「私は、責務を果たすアールトが好きだ。でも…。そうだな。そうしよう。必ず、見つけるから。アールト。どこにいても、どんな姿をしていても。必ず見つける。約束する」
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