第28話 そなたはややこしい
レイフは族長の家で、族長とその妻イエレン、2人の娘で幼馴染のモアと食卓を囲んでいた。
「近々戦が起こるという噂は本当なのか?」
族長が心配そうに尋ねる。
「うーん…。多分な」
レイフは曖昧に答える。
「この前の戦で怪我したんでしょ?」
モアが言う。
「や、怪我したのは戦が終わった後、国境を偵察してた時だよ。ご機嫌に風の精霊飛ばしてたら見つかっちまってさ」
はは、と笑うレイフにイエレンは顔を顰めた。
「レイフ、また戦に行こうっていうんじゃないわよね?」
「行くよ? 仕事だし」
「やめなさい、あなたが行く必要ないでしょう。そのために軍があるのよ?」
「まあ、私もその軍の一員だからさ」
レイフはスープの人参を避けて即座にイエレンに注意された。
その夜は、久しぶりに族長の家に泊まった。モアと夜中までおしゃべりするのは本当に久しぶりだった。
「ね、レイフ」
レイフと並んでベッドに腰掛けたモアは、ためらうように手を握ったり開いたりした後、一気に言った。
「私、結婚するんだ」
突然の友人の言葉にレイフは驚いて目を見張る。
「そうなんだ? おめでとう!」
「ありがとう」
2人は手を取り合う。相手は誰か、結婚することになった経緯、式の準備など、レイフが尋ねたことをモアは隠さず話してくれた。
「レイフ、さ」
熱に浮かされたような時間が過ぎて、モアは壁にもたれながらレイフを見た。
「すごく綺麗になったよね」
「えっ」
突然の言葉にレイフは固まる。
「や、変わらないよ」
「ううん。全然違う。久しぶりに会ったら全然違ってて、びっくりした」
モアは大人びた笑顔で言った。
「レイフは小さい時から、ずっと王子様が好きだったんだもんね」
「なんで…」
「わかるよ。だって、私も精霊使いだもん。幸せになってね、レイフも」
「うん…」
幼馴染たちは久しぶりに、昔に戻ったかのように抱き合った。
***
フルールフェルトに関する軍議が終わって解散した後には、王太子とシェル将軍だけが残った。
「あの絵図はレイフが描いたのか?」
「風の精霊に描かせたと言っていたよ。苦労していたらしい。精霊も苦労するんだな」
王太子の父親よりも歳上で剣術の師でもある将軍は、砕けた口調で答える。
「レイフは領地に帰ってしまったのか」
「ああ」
「引き止めなかったのか」
「引き止めたさ。だが、あの頑固者が私が何か言ったくらいで聞くものか」
王太子の言葉を聞いて将軍は笑った。
「レイフも同じことを言っていたよ」
「何だそれは。心外だな」
「私も言ったんだ。王太子殿下の側にいてやってくれと。だが、だめなんだそうだ。責務を果たす殿下が好きだから、だと」
「…」
それは王太子自身もレイフから言われた言葉だった。執務に精を出し、2人の妃を愛すること。
「レイフが」王太子は床の一点を見つめたまま言う。「レイフが言っていた。何もいらないから、腐った魂が生まれない世の中を作ってくれと」
「腐った魂というのは、思いを遺して死んだ者の魂だったな」
「そうだ。遺した思いが強すぎて、天に還ることができない哀れな魂だ」
「それならば王太子。まずは戦を終わらせろ」
シェル将軍の言葉に、王太子は黙ってうなずく。
「それはそれとして。何と言ってレイフを引き止めたんだ?」
「何と言って? 本当に帰るのか?と…」
「それだけか?」
「他に何がある」
「お前が側にいなければ生きている意味がない、くらいのことを言えよ。あのひねくれ者の単細胞にはそれくらいでちょうどいいぞ」
「まさか。いつものように頭がおかしいと言われて終わりだろう」
「わかってないな」
シェル将軍は鼻で笑った。
***
族長の家に数日滞在し、精霊現しの儀式を見届けてレイフは塔に戻った。子どもたちが緊張しながら一生懸命に自分の精霊を見せる姿は本当に可愛らしく、レイフはずっと頬が緩みっぱなしだった。
夕暮れ時になって塔に戻り、お茶を淹れてぼんやりしていると光の精霊がやってくるのを感じた。
「やあ、どうしたんだ?」
王太子が塔のバルコニーに戦車をつけたときには、空は夕暮れから夜に変わっていた。
「どうもしない。会いに来た」
王太子は戦車から飛び降りると、レイフを抱きしめる。レイフも王太子の背中に腕を回して、鎖骨のあたりに頭をもたせかけた。
「会いたかった」
王太子はレイフの髪に顔をうずめる。
「ほんの何日かじゃないか、大袈裟だな」
「大袈裟じゃない」
王太子はレイフの首筋に唇を触れさせながら言う。くすぐったさと身体の甘いざわめきに、レイフはぶるっと身を震わせる。
「そうだ。イミニとサーシャから差し入れだ」
王太子は戦車からバスケットを下ろした。
「食事がまだなら一緒に食べよう。2人が、偏食は良くないと心配していたぞ」
「お前が余計なこと言うから、いらない心配させるんだろうが」
レイフは恨みのこもった目で王太子を睨む。
「そなたが痩せ我慢しているから助け舟を出してやったのに。ひどい言われようだな」
「私の努力を無駄にしやがって」
レイフがぷんぷん怒っているのを見て、王太子は笑った。
食卓兼書き物机にしているテーブルを囲む。王宮の1室に比べれば独房のようにそっけないところだが、王太子がそこにいて食事をしているだけで、あっという間に優美な雰囲気になる。高貴な生まれというのはすごいものだとレイフは純粋に感心する。
王太子宮の料理人が作ったディナー(野菜多め)は、持ち運ぶことを考慮した簡単なものだったが、文句のつけようがなく美味しかった。
「なんだ、前よりは食べられるようになったのか」
「だから言ってるじゃないか」
水の精霊が食器を下げ、風の精霊がお茶を淹れてくれる。
「そうだ、シェル将軍が恋愛結婚だったって、知ってたか?」
「ああ。有名な話だ」
「そうか。そうなんだ。あんなに邪悪な顔してるのに。びっくりした」
邪悪、と王太子は笑う。
狭いテーブルを囲んで他愛のない会話をしながら、もし自分たちが何の肩書きも持たない市井の民だったら、毎日がこんな風だったのだろうかと王太子は夢想する。暮らしは楽ではないだろうが、毎日一生懸命働いて、夕方になれば同じテーブルを囲んであれやこれやと話をして、一緒に眠って、朝が来てまた働いて。昨日のような今日が来て、今日のような明日が来て、それをずっと繰り返して、お互いに老いていく。もしかしたら子どもに恵まれる幸運もあったかもしれない。その想像は、王太子を強烈に魅了した。
王太子は立ち上がると、レイフの手を引いてソファに座らせる。
「どうしたんだ?」
くだらない話をして笑い合っていた続きで、レイフは笑顔のままで言う。
レイフをソファに掛けさせると、王太子は床に膝をついた。両膝をついて跪き、レイフの胸に顔をうずめて背中に腕を回す。
「ちょっ、何やって…! 王になる者が、跪いちゃいけない」
レイフは驚いて王太子を引き剥がそうとするが、王太子はびくともしない。
「ここは王宮ではない。レイフのくせに堅苦しいことを言うな」
「だから、レイフのくせにってどういう意味だ。…もう」
レイフは諦めて王太子のするに任せる。甘えてきた子どもをあやすように、王太子の髪をまさぐる。
「レイフは寂しくないのか。私1人が寂しいと思っているのか」
胸に顔をうずめたままで王太子が言う。
「私だって寂しいよ、アールト。離れていることがこんなに寂しいなんて、思わなかった」
レイフは優しく言う。
「ならば、戻ってくれ。私の光」
「それはできない」
口調は優しかったが、そこにははっきりした拒絶の意思が感じられた。
「なぜだ。イミニとサーシャに気兼ねしているのか」
「…」
レイフはしばらく黙っていた。
「あの方たちは、すごい女性だな。ゆくゆくは王妃になって国を動かしていく人って、こんなにすごいのかと思って、圧倒されたよ。王太子妃に相応しい方々だ。気兼ねなんて。却って失礼だよ」
レイフは王太子の髪を優しく梳く。
「ならばなぜ」
王太子は腕に力を込める。
「私が、お2人を前にして、平気でいられないからだよ」
王太子は、顔を上げてレイフを見る。
「あのお美しい方々に、アールトは触れたんだよな…。私にしてくれたみたいに、優しく。私に言ってくれたみたいに、愛していると言って」
レイフの両目から涙が溢れる。
「こんなこと、言いたくない。思いたくない。私も愛されているからそれでいいと思いたい。それはそれだしこれはこれだって割り切っていたい。なのに…。私は、逃げたんだ。私は、弱いから、耐えられなくて。あの方々もきっと傷ついてのたうちまわってる。それでも耐えておられる。なのに私は」
レイフは涙を拭いもせずに言う。
「私だけ見ててほしい、私だけ愛してほしい、私にしか触れてほしくない。そんなこと無理だって、これは責務だって、知ってるのに。わかってるのに。でも、それと同じくらい、責務を果たすアールトが好きなんだ」
2人の視線が絡まり、唇が重なる。
「相変わらずややこしい人間だな、そなたは」
長いくちづけの後で王太子が言う。
「うるせーよ」
「他の妃のところに行かないでくれと、身分も国も何もかも捨ててくれと言ってくれれば話は簡単なのに。しかしそれでは嫌なんだな?」
レイフは泣き腫らした目で、唇を引き結び、こくんと頷いた。
「本当にそなたはややこしいな…。しかし、だ」
王太子は立ち上がるとレイフの隣に掛ける。
「レイフにはいつでも触れていいということだな?」
「なんで?」
「これ以上ややこしいことを言うな。頼むからちょっと黙っていてくれ」
「訊いといて? っん」
王太子はレイフを黙らせる。物理的に口を塞いで。
「お願いだ、戻ってきてくれ、私の光」
唇を離した王太子は、レイフの目をまっすぐに見つめて言う。
「今そう言われたら、嫌だって言えないじゃないかよ…」
「だから言っている」
「やり方が汚えな。びっくりするくらい汚い」
「使える手は躊躇わず全て使う汚さがなければ、王は務まらないのさ」
王太子はニヤリと笑ってレイフにくちづける。
「…なんて奴だ」
レイフは笑う。
「じゃあ、私が王宮に行くときは王太子宮に泊まる。これでいいだろ」
「では、10日に一度は王宮に来い」
「何のために?」
「そんなもの。シェル将軍と会議か訓練でもすればいいだろう」
「なんで10日に1回も地獄の執政官に会わなきゃならないんだ」
「贅沢を言うな。私に会うという名目では来てくれないのだろう、どうせ」
王太子は恨みのこもった目で言う。
「なんで怒るんだよ」
「怒ってなどいない」
王太子はレイフをもう一度抱きしめると、肩を甘噛みする。
「拗ねているだけだ。わかれ」
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