第27話 王太子の匂い

 念のため、という口実であと10日余分に王宮に滞在することにはなったが、医師からようやく塔へ帰る許可が降りた。周りの人々に良くしてもらって、王太子宮の暮らしはとても楽しく快適だったが、自分の家に帰ることはまた格別だった。


 あれからサーシャ妃は何かと理由をつけてレイフをお茶に誘った。話してみてわかったことだが、サーシャ妃は音楽の素養があり、ありとあらゆる楽器の演奏法を身につけていた。しかしリーリを見たのは初めてとのことで、合奏しようということになり、王宮づきの音楽家たちが作曲した楽譜を書庫から引き出してきては片っぱしから2人で演奏した。何日もしないうちに2人の熱のこもった演奏は後宮中の評判となり、是非とも演奏会を開いてほしいという熱意に根負けしたイミニ妃が、後宮の女性たちを招いてコンサートを開いた。これは完全にサーシャ妃の陰謀だとレイフは思ったが、当日用意されていたのは、純白の、騎士の第一礼装だった。当然レイフに合わせて仕立てられており、寸法はぴったりだった。

 華やかな騎士の礼装を纏い、髪を結い上げたレイフが姿を見せたときは、王都随一の劇団が訪問した時もかくやという歓声が女性たちからあがり、主賓の王妃が苦笑する始末だった。コンサートは大盛況のうちに幕を閉じた。



「こんなに後宮の女性方に見られていたなんて、思いませんでした…」


 王太子宮に戻り、イミニ妃の応接室のソファに腰掛けるとレイフは頭を抱えた。


「うふふ、いつも竜で正面から王宮に乗りつけていらっしゃるのに、面白いことをおっしゃいますわ。今度から、王宮にいらっしゃる時は、必ず後宮の前もお通りになってくださいませ」


 イミニ妃がふわりと微笑む。今日のコンサートの手配は見事の一言だった。王妃を主賓に招いてあっという間にあの場を準備してしまうなんて。一国を取り仕切るべく教育を受けてきた女性にとっては、あのくらいのことは簡単なのだろうか。格が違いすぎて、レイフは嫉妬心すら抱く余地がない。


「それにしても、お二人の演奏、とても素晴らしゅうございましたわ。王妃殿下からもお褒めのお言葉をいただきましたわね」


「ええ。王妃殿下の御前で演奏できて、本当に光栄でございましたわ」


 レイフを引き立てるために自らは黒のドレスを着たサーシャ妃が、興奮冷めやらぬ様子で言う。


「あの、私のこの格好は、サーシャ様のご発案なのですか?」


 レイフは気になっていたことをようやく尋ねる。


「いいえ? イミニ様とわたくしの共同ですわ」


 ね?とサーシャ妃がイミニ妃に笑いかけると、イミニ妃も笑ってうなずく。サーシャ妃がいつもの早口で捲し立てる。


「礼装は、レイフ様がご快復になって、領地へお戻りになる時に是非着ていただきたいと思って準備させておりましたの。今回、後宮の方々に近くでお披露目できてよろしかったですわ。これでまた捗りますわね」


「捗る…?」


「あ、いえ、それはわたくしの独り言でございますのでお忘れくださいませ」


 うふふ、とサーシャ妃は上品に笑った。


「明日、お戻りになる時は、その礼装を着て竜に乗ったお姿を後宮の者にお見せくださいね?」


 イミニ妃も少し首を傾げて笑った。


***


 ランプの灯り1つが照らす仄暗いベッドの上で、王太子は紅いくちづけの痕が数知れず散らされたレイフの白い肌に指を這わせる。その肌に、顎の先から汗が滴り落ちた。


「も…あたまがへんになる」


 レイフが目を薄く開けて、唇を尖らせ、恨みがましい顔をする。


「ああ、そうなってくれ。そうして、昼も夜も、私のことだけしか考えられなくなってくれ」


 王太子はレイフの頬をなで、くちづけた。


「やだよ。私だけ…」


 目を閉じて顔を背けてしまったレイフに、王太子は笑って言う。


「私は既に、昼も夜もレイフのことだけしか考えていないからな」


「何言って…ばか…」


 レイフは手で顔を隠してしまう。

 王太子はその手をそっとどけると、唇を重ねた。


「可愛い可愛いレイフ。愛している」


「うん…アールト、愛してる」


 しっとりと汗に濡れた、吸いつくような肌に王太子は再び手を伸ばす。


「なあ、レイフ。本当に明日帰るのか?」


 王太子はいつものようにレイフの背中に寄り添う。


「うん」


「本当に?」


「うん」


「本当に?」


「だからそう言ってるじゃないか」


 振り返ったレイフを素早く捕まえてこちらを向かせ、くちづける。


「ん…」


 憎まれ口は途端に甘い吐息に変わる。


「レイフが帰ってしまったら、私はどうすればいい?」


「これまでどおりに。執務に精を出して、2人のお妃を愛する」


 レイフは笑って、細い指で王太子の髪の生え際を撫でた。王太子はその手を捕まえて、手首の内側にくちづける。


「会いに行く。戦車で」


「うん」


***


 翌日、レイフはバルコニーに出て空に呼びかけた。


「ドラゴン、来てくれないか」


 しばらく空を見つめていると、久しぶりに王都の上空に竜が現れた。

 ドラゴンは王太子宮の、レイフの部屋の前にやってきた。光の戦車を悠々と停められるバルコニーは、ドラゴンでもなんとか降りることができた。


「ドラゴン、久しぶり。心配かけて悪かったな」


 レイフはドラゴンの鼻先を撫でて、そっとくちづける。


「レイフ。良かった。本当に。本当に良かった」


 ドラゴンは目を閉じて撫でられるに任せる。


「帰ろう。私たちの家に」


 そう言ってレイフはドラゴンの背中、首の付け根と翼の間にひらりと飛び乗った。


「南側の庭の真ん中辺りに出てもらえるか」


「いいけど、なんで? それから、その服は何? 戦いに行く時の服に似てるけど、そんなにいっぱい飾りつけてちゃ戦えない」


「恩返しだよ」


 レイフは笑ってドラゴンの首筋をぽんぽんと軽く叩いた。


 後宮の窓には、女性たちが鈴なりになっていた。

 騎士の第一礼装に身を包んだレイフは、その窓に向かって笑って手を挙げる。見える限り全ての窓に顔を向けるとドラゴンを促して空に舞い上がった。

 後宮の窓から見える空に大きく2度円を描いて、さらに高く昇る。王宮の屋根に、黄金の光が見える。王太子の精霊だった。レイフは精霊に手を振り、塔を指して真っ直ぐにドラゴンを飛ばした。


「レイフ、なんだか匂い変わったな」


 ドラゴンが言う。


「匂い? 王宮にしばらくいたからかな」


 新しい服を着ているのもあるかも、とレイフは襟元の匂いを嗅いでみるがわからない。


「違う。王太子の匂いがする。レイフの中から」


「それは…」


 レイフはどう答えたものか、真っ赤な顔で考える。


「レイフの魂と王太子の魂が、一番深いところで混ざりあってる。そういう匂いだ」


「あ…うん…」


 レイフはますます顔を赤くして俯いた。


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