第26話 厳重抗議
扉が閉められた瞬間、サーシャ妃はずいっとレイフの方に1歩踏み出した。
「レイフ様、わたくし、本当に本当に、お会いしたいと思っておりましたのよ!」
サーシャ妃は両手でレイフの手を握る。
「あ、ええ。それは、光栄でございます…」
先程とは打って変わったサーシャ妃にレイフは気圧される。
「もうお身体はよろしいのですか!? お怪我をされたと伺った時は、気が気でございませんでしたわ! いえ、わたくしだけではございませんわ。この、後宮の女性たちは全員! レイフ様の御身を案じておりましてよ!」
言葉を挟む暇もない。
「竜に乗った男装の麗人は、後宮のみなの憧れですもの! ああ、騎士服のレイフ様も凛々しくて麗しいけれど、ドレス姿も本当にお可愛らしい…」サーシャ妃は少し離れて、レイフの頭の天辺から爪先までうっとりと何度も視線を往復させる。「こんなお近くでお会いできるなんて。役得ですわ。ねえ、今度、騎士服を着たお姿を見せていただけませんこと?」
「え、ええ…それは構いませんが…」
レイフは目でイミニ妃に助けを求める。
「サーシャ様、お茶をお召し上がりになって? レイフ様も」
「まあっ、いけないわたくしったらついいつもの癖で。はしたないわ。申し訳ございませんレイフ様」
「いえ、そんなことは…」
3人の王太子妃は用意されたソファにそれぞれ座る。
サーシャ妃は好奇心に目を輝かせながらレイフに詰め寄る。
「レイフ様は精霊使いでいらっしゃるのですわよね? わたくし、精霊というものを見たことがないので、是非見せていただきたいのですが」
「レイフ様の精霊たちは、お可愛らしいですわよ。きっとサーシャ様もお気に召しますわ。ね?」
イミニ妃は首を傾げてレイフに同意を求める。イミニ妃にお茶に招かれた時にはいつもレイフの精霊に給仕をさせていた。レイフは頷いて4体の精霊を現す。
「まあっ」サーシャ妃は両手で口元を覆って目を見開く。「まあまあまあっ! なんてことかしら!」
「ね? お可愛らしいでしょう?」
動物の頭部で少年従者の格好をした精霊たちは、一瞬でサーシャ妃も虜にした。
「レイフ様とお会いする時はいつも、彼らに給仕を頼んでおりますのよ」
イミニ妃はふわりと優しく微笑む。
「ああもう、あまりのことにわたくし言葉がありませんわ。イミニ様、今度から是非わたくしもお茶会に呼んでくださいませね?」
「ええ。王太子妃3人、仲良く力を合わせましょう。ね、レイフ様?」
イミニ妃の言葉にレイフは驚いて目を見開く。
「サーシャ様にはわたくしが伝えました」
イミニ妃は、おっとりとした、しかし意志の強そうな目で真っ直ぐにレイフを見た。
「よかったのですか? 王太子殿下は…」
「許せませんわ」
サーシャ妃が言う。
「知っていれば、もっと早くレイフ様とこうしてお近づきになれましたのに。レイフ様を独り占めしたいからって、あんまりですわ」
サーシャ妃の言葉に、イミニ妃は口元を扇で覆って上品に微笑んだ。
「ええ。殿下にはわたくしたちから厳重抗議を申し入れましょう」
「傷を負われたレイフ様が王太子宮で療養しておられることを、殿下は『他に適当な場所がなかったので』とおっしゃっていましたが、殿下の嘘に完全に騙されましたわ。適当な場所も何も、王太子宮がレイフ様のいるべき場所なのではありませんか。ねえイミニ様!?」
「まあ…嘘か嘘でないかで言えば、かろうじて嘘ではないのではないかと思いますけれど…」
「いいえ」サーシャ妃は即座に否定する。「わたくしが嘘だと思えば、それは嘘ですわ。そして、わたくしは嘘と隠し事が大っ嫌いなのでございます」
「うふふ、隠し事という点では、完全に殿下の負けでございますわね」
楽しそうなイミニ妃の微笑みに、王太子も大変だな、とレイフは他人事ながら思わずにいられなかった。
イミニ妃から晩餐を一緒にと言付けがあり、王太子は執務を早めに切り上げてイミニ妃の元へ向かった。
「殿下、お忙しいところお時間をいただき、嬉しゅうございますわ。ね?」
「ええ」
イミニ妃の隣で微笑んでいるのは、サーシャ妃だった。王太子はじわっと背中に汗をかく。戦場でも政治の場でも、これほど困難な相手と対峙することは滅多になかった。
「喉が渇いたのだが…」
王太子はソファに掛けながら時間稼ぎを試みる。しかしそんなものはイミニ妃には通用しない。
「ええ。後ほど、お茶なりとお酒なりと、お望みのものを持たせましょう。ご希望とあらば、樽で。…晩餐の支度が整うまで、わたくしたちからお話がございます」
イミニ妃がふわりと微笑む隣では、サーシャ妃が頷いている。
「そうか。助かる…ええとそれで、話とは?」
なんとなく心当たりがあるようなないような感じがするが、とりあえずとぼけてみる。
「レイフ様のことですわ」
イミニ妃がふわりとした微笑みを崩さぬまま言う。
「わたくしが小耳に挟んだところでは、最近殿下は毎夜のようにレイフ様のお部屋を訪ねておいでだとか。王太子宮に仕える者たちの間では、その話で持ちきりだと」
イミニ妃の言葉を継いだサーシャ妃も柔らかく微笑む。
「ああ、まあ…」
それは否定しようのない事実だったので、曖昧に頷きながら、頭の中でこの先の展開を素早く何通りも計算する。
「それで?」
サーシャ妃が言う。
「それで、とは?」
王太子はすっとぼける。
「わたくしに、何かおっしゃっていないことがおありですわね?」
その言葉に、王太子は自らの完全な敗北を悟る。
「あ、ああ、そなたに伝えるのが後手になったことは済まない、それというのもつまり…」
「わたくしは」サーシャ妃は王太子の言葉をぴしゃりと遮る。「大変に怒っておりますわ。なぜなら殿下がもっと早くにこのことをわたくしにお教えくださればわたくしはもっと早くレイフ様とお近づきになれましたのに殿下の陰謀のせいで随分時間を浪費してしまったからでございますわよろしくて? あの、王太子宮に咲く白百合、竜に乗った男装の麗人、レイフ様と! お近づきに! おわかりですか!?」
「あ、ああ…。済まなかったな」
全くわからなかった。王太子はサーシャ妃の剣幕から無意識に逃れようとして、ソファの背もたれに阻まれる。
「そのようなわけでございますので、今後は王太子妃3人、仲良く力を合わせて殿下をお支えする所存でございますわ」
イミニ妃がふわりと微笑みながら言う。
「お話中、失礼いたします。晩餐が整いましてございます」
侍女が落ち着いた口調で告げる。このタイミングで晩餐の準備が整ったというのは、もちろん演出であった。侍女は、イミニ妃の目配せを受けたタイミングで切り出したに過ぎない。しかし仕組まれた演出に気付く余裕もなく、王太子はほっと胸を撫で下ろす。
落ち着いた調度類で上品に纏められた食堂に、1人座っていたのはレイフだった。
「レイフ」
意外な人物の姿に驚き半分、安堵半分で王太子が言う。
レイフは立ち上がって目を伏せ、淑女の礼を取った。いつもの気安さがなく、少し残念な気持ちになる。
「今宵は、わたくしたち家族が揃った記念すべき日です。王国とわたくしたち家族の未来の明るいことを願って、乾杯いたしましょう」
イミニ妃が言う。王太子も頷いて、杯を上げた。静かに上品に晩餐が始まった。
王宮の食事とて、毎日贅を尽くしたものが並ぶわけではなかった。もちろん庶民のそれとは比べ物にならないのは確かだったが。外国産の珍しい食材が食卓にのぼることもあったが、基本的には国産のものだ。王国内で取れる季節の野菜や魚、肉、果物は、国内の農業漁業畜産業の発展度合いを図るために供されていると言っても過言ではない。
王太子宮付きの料理人によって、使われている食材の産地や今年の出来具合が説明される。王太子と2人の妃は、関係部署から説明を受けている資料と突き合わせながら食事を進める。これも国内の実情を知るための職務の一環とされていた。
「レイフそなた、いつから野菜を食べられるようになったんだ?」
スープとサラダが済んで、次の料理が出てくる間に王太子が言う。レイフは余計なことを言うなと目で制する。
「昔のことを持ち出すのはおやめください、殿下」
レイフは内心ギリギリと歯噛みしながらもなんとか言う。隠しきれていないその表情を見て王太子は笑う。
「そうか? この前侍女のカーラが、レイフが野菜を残すとぼやいていたのは、聞き間違いだったか」
「だから! 余計なこと言うな!」
レイフは大声を上げてからハッとした表情で口を押さえた。王太子が弾けたように笑う。
「本当にそなたと言う者は、壊滅的に不器用だな」
「もう! せっかく頑張ってたのに台無しにしやがって、覚えてろよ!」
イミニ妃とサーシャ妃も笑う。上品に。
「申し訳、ありません…イミニ様、サーシャ様…お見苦しいところを…」
小さくなってしまったレイフにイミニ妃が笑いながら言う。
「お気になさる必要はありませんわ、レイフ様」
「ええ! そうですとも。これからは、わたくしにも気安くお話しくださいませ! わたくしは大歓迎でございますわ!」
「そんなわけには…」
「無理はしなくていいぞ。どうせすぐにボロが出る」
王太子はレイフの様子を見てニヤニヤ笑っている。
「お前のせいだろうが!」
顔を真っ赤にして怒るレイフの言葉に王太子と2人の妃は笑い、給仕の者たちは目を丸くした。
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