第18話 淑女のふり(回想)
王と王妃に拝謁する日が決まったのは、それから数ヶ月後だった。
王太子の応接室でお召しを待っていると、ディクスがやって来た。
「殿下からご伝言を賜っております。『マナー訓練の成果を見たいので、淑女のふりで向かえるように』と」
「ふりってなんだ。くそ、信じてないな、王太子の野郎」
レイフは腕組みをする。
「間もなく殿下もこちらにお見えになりますので」
ディクスは苦笑する。ほぼ時を置かず、今度は本物の先触れがやって来る。
「王太子殿下がお見えです」
その声に、レイフの表情がさっと変わる。ディクスはやや垂れ目の目を見開いた。
レイフは膝を折って顔を伏せ、完璧な淑女の礼で迎える。
深緑のシンプルなドレスで美しく装い、淑女の礼で迎えたレイフに、王太子は初めて会う女性のような錯覚を覚える。
「…レイフ・セレスタ、久しいな」
「王太子殿下におかれましては、ご機嫌麗しゅう存じます」
慣れていない者にはかなりきつい体勢だが、そこいらの令嬢とは身体の鍛え方が違うせいか、全く危なげない。声の出し方も普段と違っている。
「許す、楽にせよ」
礼を解いて顔を上げたレイフは、それでも真っ直ぐに顔を見ることはせず、伏し目のままでいる。
「レイフではないようだ。調子が狂うな」
王太子はいつもの砕けた口調で言う。それに応じてレイフも顔を上げた。
「なんだよ。淑女のふりしろって言うから合わせてやったのに」
「ああ、よかった。いつものレイフだ。具合でも悪いのかと思ったぞ」
「どういう意味だよ」
レイフは口を尖らせる。
「言ったとおりの意味だ。行こう」
王太子に伴われて向かったのは、王宮の一番奥、迷い込んだら2度と出てこられそうにない場所にある、国王の私的な応接室だった。血縁者など、ごく近しい者と会う際に使われるやや小ぶりの部屋だが、とはいえ、内装の優美さは外国使節を迎える際の公的な応接室と遜色ない。
全く場違いなところに来てしまったことを自覚して、レイフは身体が強張るのを感じる。
「いいかレイフ、ここは戦場だ」
「本物の戦場の方がまだマシだ」
レイフは小さな声で反論する。手袋をはめた手に汗が滲んでくるのを感じる。
「お見えになりました」
壮年の執事が低くよく通る声で言う。誰が、とは言うまでもない。
レイフと王太子は礼を取る。
張り詰めた感覚に、覚えのある土の魂がゆっくりと近づいてくるのを捉える。
床に向けた視界に、貴人の爪先が入る。直接顔を見たわけでもないのに、物凄い威圧感だ。
「アールト、今日は、私に報告があるとか」
国王がゆったりとした口調で尋ねる。
「はい、父上。この度、このレイフ・セレスタ・オルトマールーンを私の新しい妻といたしました。レイフが、挨拶を申し上げたいと」
「許す」
「国王陛下、王妃殿下、レイフ・セレスタ・オルトマールーンにございます。本日は拝謁の栄誉に浴し、恐れ慄いております。また、この度、王太子殿下のおそばに侍ることとなり、不足の身ながら、誠心誠意お仕えする所存でございます」
レイフは100万回練習させられた口上を述べる。緊張で頭は真っ白だったが、口は淀みなくすらすらと動いてほっとした。
「レイフ・セレスタ。そなたの王国に対する忠義は見事である。これよりは、王国だけでなく、王太子の良き伴侶となってもらいたい」
「勿体のうございます」
次に王妃から声がかかる。
「レイフ・セレスタ、あなたをお迎えすること、嬉しく思っています。これからは共に王家をお支え申しあげましょう」
「勿体のうございます」
レイフは礼を崩さぬままで言う。
「さあ、儀式はここまでだ。改めて家族として話をしようではないか」
国王が明るい声で言った。驚くほど王太子にそっくりな声だった。国王は2人に椅子を勧めた。
「あの日、大僧正に連れられて王宮に来た少女と、義理の親子として再会するとはな。縁とはわからぬものだなあ」
国王はしみじみと王太子をレイフを眺める。
「義理の親子などと。恐れ多い…」
レイフはなんと言っていいかわからず、ただうろたえる。
「類稀なる精霊使いの守護者にして、光の来訪者であるそなたと縁続きになれたことは、王家にとってもこれ以上ない名誉だ。光の来訪者に対して、人の世の身分など、なんの意味があろう」
王太子と同じ緑の瞳に赤毛の王は、慈愛に満ちた表情でレイフを見た。王太子の栗色の髪は、母譲りだったのだな、と今更レイフは思う。
「いえ、わたくしも人の身でございますので、どうか、世の理のとおりに…」
「大寺院が、そなたを神子として迎えるつもりであると聞いておりましたが…?」
王太子と同じ栗色の髪に髪と同じ色の目をした王妃が言う。王太子は王妃に瓜二つだった。
「それをアールトが横から攫っていったのだろう? 大寺院はさぞかし悔しがっているだろうな」
国王は楽しそうに言う。
「ガルム補佐が飛んできましたが、レイフが私の妃になったと知って怒り狂っていましたよ。あれは見ものでした」
王太子も笑って言う。
「大寺院には千里眼がいるだろうに、それでは満足できぬのか」
「千里眼は闇です。彼らとしては、光を手に入れたかったのでしょう」
「光と闇を手中にせんとするか。…そなたを見出したのも千里眼だったな?」
国王がレイフに問う。
「左様でございます」
「魂は見ればわかる。しかしなぜ、そなたが来訪者であることがわかったのだ」
「それは…。わたくしの予言のせいです」
レイフは床に視線を落とす。
「予言? 予言とは?」
「物心ついた頃から、わたくしは時折、未来を視ることがございました。わたくしの両親はわたくしが来訪者であることに気づいていたのでしょう。視たことを他所で口にせぬようにと厳しく言われて育ちましたが…」
レイフは言葉を区切る。
「父が魔物に襲われたパーティーの救援に行くことになったとき、はっきりと視えたのでございます。数日前に降った大量の雨によって、堰が崩れて今になって川を溢れさせるのを。川を渡っている父が、急に増えた水に飲まれ、押し流されるのが視えました。その光景を自分の胸の内だけにしまっておくには、わたくしは幼すぎました。七つの時のことでございます」
「そなたの言葉どおりに父ぎみは亡くなったのか」
「左様でございます」
「母上は、ご健在なのですか?」
王妃が気遣わしげに言う。
「いえ…。母はもともと、わたくしを産んでから臥せりがちになっておりましたので、父の死後体調を崩し、後を追うように亡くなりました」
「それは…」
王妃は悲しげに目を伏せた。
「そなたの視た光景を避ける術はないのか」
国王が尋ねる。
「ございません」レイフはきっぱりと言う。「あまりにも時間が離れており、漠として内容が掴めないということもあるにはありますが、わたくしがはっきりと視る未来は、必ず起こることでございます。避けなかった結果そうなるのか、あるいは避けようとして却ってそこに引き寄せられていくのかはわかりませぬ。…人は、視えるからにはそれを回避する術も知っているはずだとわたくしに期待いたしますが、わたくしはただ視るにすぎない、無力な者でございます」
「なるほどな」
国王はため息をついた。
「未来を視る少女の噂は大寺院にまで届いたわけか。そして千里眼がそれを確認したということなのだな」
それからしばらく会話は続いたが、筋書きどおり、レイフが王妃のサロンに連れられて行った後、王太子は久しぶりに父親と親子の会話をかわした。
「前評判では、酷く粗野な者だということだったが、当てにならぬものだな」
父のレイフの評価に王太子は笑顔で応える。
「粗野ですよ。あの者にとっては、淑女のふりをすることなど容易いと、ただそれだけのことです。また、粗野な振る舞いは、周囲があの者に無遠慮に掛けてくる期待を受け流すための盾です」
「あの者の存在を公にしないつもりだというのは、本当か? 竜を従えた王国の守護者だ。歓迎こそすれ、非難する者はいないだろうに」
「いえ、それはできません。私はあの者に、自由を約束しております。私の妃としたのは、その約束を果たすための手段です。あの者を無理に縛ろうとすれば、竜を連れて国を出て行ってしまうでしょう。それを止める術はありません」
「確かにな。民はかの者を熱狂的に支持している。我が国を捨てさせるわけにはいかぬな」
「はい。それに、レイフが私の妃になったことが公になれば、イミニを差し置いてレイフを正妃に、という声が民から出てきかねません。しかし、トゥーマ王国との関係を横に置いても、未来の王妃はイミニ以外にはありえません。私に万一のことがあったとき、この国を取り仕切れるのは、イミニだけです」
王太子は第1王太子妃の名を口にする。言ったことは真実だった。第1王太子妃は、この国を共に背負うに相応しい女性である。しかしそれと同じくらいに、王太子はレイフを政治の重圧から守りたかった。それは口にしない。
「イミニがそこまで優秀な女性であったとはな。我が国にとっては幸運なことだ」
「はい。あのように聡明で忍耐強い者は他におりません」
王太子の力強い返答を聞いて、国王は満足したようだった。お互いに多忙な父子の会話はそこで打ち切られた。
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