馬車の一幕
翌日。
善は急げとはよく言ったもので、ブラーチの言う医者の元に向かうことにした。
午前中のうちに、移動してしまおうと、手配された馬車にリュクレーヌとフランは乗り込む。
そこから1時間ほど、馬車に揺られながらロンドンの郊外の方へと向かって行った。
最初は平坦な道を駆けていたが、坂道へと差し掛かると、馬車はぐらりと揺れる。
リュクレーヌが窓から外の様子を伺うと、緑が生い茂る丘の上に建物が見えた。
きっと、あれが、件の病院だろう。
「おおー!あの丘の上にあるのか」
リュクレーヌはいよいよ目的地が見えてきたと目を輝かせて声を張る。
だが、フランは反応を見せることなく黙り込んでいた。
結構な大声だ。声が届かなかった、という事はないだろう。
不思議に思ったリュクレーヌは「フラン?」と呼びかける。
「あっ、ごめん。ボーっとしてた……何?」
「大丈夫か?酔った?」
「うん、大丈夫だよ……」
大丈夫。
と言いながらフランは笑った。
いや、大丈夫じゃない。
これは苦笑いだ。
だが馬車に酔ったわけではない。
ただ、単純に──
「元気ないな」
「そんな事は……」
心当たりが一つだけあった。
今回の事件は、難病に苦しむ患者が永遠の命を得るためにマスカになったという疑いだ。
どこかで聞いた話だと思った。
「……両親のこと、思い出したのか?」
フランの両親だ。
難病に侵され、死を待つだけの母の命を救う為に父が、母のマスカとなった。
フランにとって、決して忘れる事の出来ない、一件目のマスカ事件だ。
リュクレーヌの問いに流石にもう誤魔化しは効かない、と思ったフランは小さく頷いた。
「……うん」
「まぁ……そうだよな。似てる話だと思った」
話を聞いてからフランの様子がおかしいと思ったら、案の定だ。
リュクレーヌも同調して頷く。
だが、これだけは忘れてはいけない。
「けどな、何があっても、命は有限だ。死は誰にでもいつか必ず来る」
人間ならば、死は必ず迎えるものだ。
「奴は、それを受け入れられない人間の心に付け込むんだよ」
だが、死を受け入れたくない、迎えられない、逃げ出したいと背いた先に奴──ファントムは現れる。
そして、永遠の命という甘い誘惑で、マスカと言う玩具を作っていくのだ。
「分かってるよ……」
そんな事は分かっているとフランは不貞腐れながらリュクレーヌから顔を背けた。
自分の父だってそうだった。そんな事、フラン自身が一番よく分かっていた。
「そうだったな。フランなら、分かってるはずだ」
フランの様子をみたリュクレーヌは悪い事を言った、と感じフォローする。
そして、彼のキャスケット帽を二回程ポンポンと叩き、慰めた。
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