第2話 困った時は


「何か?」


 侯爵令息が面倒そうに口にします。……勝手に人の名前を読んでおいて随分な言いようですが、場の空気を壊した事には変わりありません。そこはごめんなさい。


「なんだ、サンディーン。何かあるのか?」


 何も、と返事をする前に王子が余計な一言を加えて来ました。本当この人ろくな事しませんね。

 首を横に振ろうとする前に反対隣の伯爵令息も口を開きます。


「もっと酷い現場を見たという証言じゃないか?」


 違います。

 けれど、王子は成る程と首を縦に振り此方に向き直ります。


「そうか、分かった。発言を許そう、サンディーン。この際この女の罪は全てこの場で洗いざらい吐き出させる!」


「……」


「真実を話せ、サンディーン」


「……」


 困りました。

 実は私、頭良く無いんですよ。

 こういう時どうしたらいいのか分かりません。この人たちの言う真実って嘘の事ですよね? でも私は一応公爵家の遠縁で、立場を悪くするのはよろしくなくて……


 ぐるぐると回り出す頭が、顔色に出てきたのか、近くにいる友人が気遣わしげに、大丈夫? と声を掛けてきました。


「はい! 大丈夫です!」


「……」


 ……しまった、返事を間違えました。空気感半端ないです。どうしましょう。

 そこで私はハッと気がつきます。そうでした、困った時は父の教え────


「サンディーン。お前の署名のあるこの書類に書いてある。フィラデラの所業、間違いないな?」


 どっかの代官の台詞みたいですね。

 しかし私は首を傾げます。はて?


「サンディーン!」


 ぼけっとしているように見えたのでしょう。王子が急に大きな声で名前を呼ぶものですから、肩を跳ねさせましたよ。

 もう、少しくらい考える時間を下さいよ。短気な人ですね。


 私は胸に手を当て、一つ息を吐いてから王子に目を向けます。


「殿下、私は署名していません」


 ◇


 ……さわめいていた会場が水を打ったように静かになりました。

 え? 本当の事ですよ?


「何を言っている?」


 王子は不機嫌顔で問いかけてきます。けど、何をと言われても……私は再び首を傾げました。


「私は……書類にサインはしませんよ。親に禁止されているのです。それこそどんな小さな約定だろうと」


 はい、私前述したように馬鹿でして。

 親に下手な事に巻き込まれないようにと、心配というか信用されていないと言いますか……


 へらりと笑うと、近くの友人がうんうんと頷いているのが見えますが、少しだけ悲しいのは何故でしょう。深く考えない事にしておきます。


「もういい! ではここに書いてあるものをお前は見たか?」


 そう言って王子が掲げる書類は豆粒で……そんな小さな字見えませんよ。何者だと思われてるんでしょうか……

 思わず口をつぐめば、沈黙が気に入らなかったのか、隣の伯爵令息に読み上げさせました。


「ルディを階段から突き落とした。皆の前で誹謗中傷をした。突き飛ばした。足払いを掛けた。水を掛けた。食事をひっくり返した。教科書を隠した……」


 こ、子どもじみていますね。やられる方の物理的及び精神的ダメージは大きそうですが……公爵令嬢の発想がそれでいいのかと。あまり人の事言えませんが。


「……」


 伯爵令息が読み上げた文章を聞き終わり、彼らは揃ってこちらを見ます。

 ……今更ですが、彼らは何故私なんかにこだわってるんでしょうね。流してそのまま話を進めれば良かったのに。


 無言の圧力を感じ、私は逡巡します。

 前述した通り、私は公爵家の遠縁です。ですが王族と事を構えるのであれば、優位性はそれは王族でしょう。しかしですね、更に前述したとおり、私は馬鹿で……こういう時どうしたらいいのか分からないのです。

 そして迷ったら父の教えと優先せよと聞いています。

 いいですね、お父様。いきますよ?


 私はぐっと一度目を閉じ、王子を見ました。


「殿下、私はその書類に書いてある事を目にした事がありません」


 ……父の教え……嘘ついちゃ駄目! 絶対!

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