22、友人

 空一面に鼠色の雲が広がっている。

 ちょうど斜め前に控える男と同じ色だ。そういえば、この間牢に復古フッコを迎えに行った際に同じ服を着て行ったら不審な顔をされたが、彼らはそういった職務はしないのだろうか。

 ついじっと見つめていると、真向かいに座る如北妃ニョホクヒが茶器を置く音がした。


 「あの者が気になられますか?」


 ふと顔を見ると、笑みを浮かべてはいるのだがなんとも複雑な心境と言わんばかりだ。


 「ええ。故郷には彼らのような役職のものはいなかったのでつい目で追ってしまいました」

 「ああ・・・たしか燕は後宮が存在しませんものね」


 納得したとばかりにその整った顔を小さく縦に揺らす。

 如北は小国ではあるが、瑞と同じく後宮があった─というよりも、ほとんどの国主は後宮を持っている。それだけではなく、貴族などの身分の高い者も妻の他に何人も妾を抱え込むのが普通である。だから世間の常識という枠組みから外れているのはむしろ燕の方なのだ。

 そのせいか燕の民は他国に嫁ぐことは非常に珍しい。本人も大勢の中の一人になるのは嫌だし、同じく手塩にかけて育てた娘が大勢の中の一人にされるのを親も嫌がるからだ。

 だからと言って情人を持たないかと言われればそうではない。ばれぬようにこっそり何人もの情人と関係を持つ者もいる。その点で言えば、むしろきちんと婚姻関係を持つ方が責任という点ではしっかりしているのかもしれないとここ最近思うようになってきている。

 どちらにせよ、期限つきで妻という肩書を背負っている葉楽ヨウラクにとってはどちらでもいいのだが。


 「そういえば、また本日のお召し物は違う柄ですのね」


 如北妃の視線が下に落ちる。


 「ええ。先日とは趣向を変えてみましたの」


 裾を持ち上げると、銀糸で刺繍された華やかな草花が陽に照らされキラキラと輝く。懐かしげに如北妃が目を細めた。

 実は葉楽が今身に付けている衣装は、鴻雲コウウンから送られたものだった。以前北方のものを取り扱う店で買い取った布地を更に一流の職人が仕立てたおかげか良い品を飽きるほど見てきた葉楽でさえ思わずため息を漏らしてしまったほどに美しい。

 その中でも一番気に入っているのはやはり狼の刺繍がされたものだった。如北妃の装いと酷似しているということもあり着るかどうか迷っていたのだが、その背を推したのは外でもない鴻雲だった。一応これでも贈ってもらった恩は感じているし、何より断りを入れた時に見せた捨てられそうな子犬を彷彿とさせる姿に心が揺さぶられた。そしてそれは姉の姿と酷似していた。

 そういった経緯で贈られた服で食事をし、その帰り書物庫に向かっている途中でばったりと如北妃と顔を合わせてしまった。しかもなんと同じ狼の刺繍をした装いだったのだ。

 しまった、と内心思ったが、今ここで服を脱ぎ捨てるわけにもいかない。しかし、気付かないふりをして立ち去ろうとする葉楽を凪いだ風のような柔らかな声が引き留めた。

 「よかったら今度わたくしの宮でお茶をしませんか?」

 如北妃は頬をほんのりと染めていた。その表情から自分に対する悪意は一切感じられなかった。葉楽はすぐさま返事をし、二番目に気に入っている装いで訪問することにしたのである。


 「・・・実はわたくし、恥ずかしながらこの花が何という名前なのか存じていませんの。よろしければ教えて頂けますか?」


 直感で気に入ったのだが、この花は故郷では見かけたことがない形をしている。

 控えていた蛍順ケイジュンが図録を持ってきた。

 年季の入ったそれは遠い西方のもので、まだ戦時中で国外に出ることを許されなかった葉楽たちのためにと父が態々取り寄せたものだった。表紙は木でできており、中は犢皮紙とくしひと呼ばれる獣の皮からできた紙だ。この辺りで使われる紙と比べると丈夫で色褪せもしにくい。

 実はこれは生家に残そうと思っていた代物だったが、馨楽キョウラクが頑なに持っていくことを勧めるので半ば仕方なく持ってきた図録だ。

 それがまさかこんな形で役に立つことになろうとは。

 受け取った如北妃が指の先で丁寧に頁をめくっていく。ちょうど三分の一ほど進んだところで手が止まる。


 「・・・これですわ」


 開かれた頁にはこんもりとした黄色の中心をぐるりと囲むように一列に並んだ細長い白の花びらが可愛らしい花が描かれていた。

 名は西洋の文字の下に小さく洋甘菊カミレツと書かれている。


 「洋甘菊・・・もしかして、あの茶の?」

 

 目を丸くする葉楽に対して如北妃は口元を緩める。


 「ええ。気が昂った時に飲むと落ち着ける効果がありますの。如北ではよく見かける花ですわ」

 

 効能についてはよく知っている。なぜなら響楽が愛用していたからだ。

 一日中部屋に閉じこもってばかりなのに気を張ることがあるのだろうか・・・と本人の耳に入れば臍を曲げてしまいそうな感想をつい漏らしそうになったことは多々あった。


 「よろしければ今度お送りいたしますわ」

 「よろしいのですか?」

 

 思わず声が弾んでしまう。

 洋甘菊は南方では取れないせいか、燕ではかなりの高値で取引をされていた。しかも姉が毎日本能の赴くまま嗜むため、なくなったら困るだろうと遠慮してほとんど口にしたことはなかった。

 それに一大産地国の王女直々の贈答品となれば、王族に献上される最上級の品だ。量にはよるが、故郷に送ってやればあの姉が小躍りするかもしれない。


 「ちょうど今が最盛期ですから、あと二月もすれば初物をお渡しできると思いますわ」

 「ありがとうございます。そうだ、如北妃さまは何かお好きなものなどございませんか?」


 何かもらえば、それ相応の贈物をするのは礼儀である。茶が好きであれば先日貴妃に献上した花茶もいいなと考えていたが、如北妃は左右に頭を振る。


 「いいえ、必要ございませんわ」

 「そんなわけにはいきません!今回のお茶会のお礼も兼ねて何か贈らせてくださいまし」


 しつこく食い下がると、如北妃は顎に手を添え少し考える素振りを見せた。


 「それでは─」


 すっと伸びてきた手が葉楽の手に添えられる。やけに冷ややかな手はそれであっても令嬢らしく柔らかい。上向く瞳は日をあびてキラキラと輝く。

 それはまるでほうせきのようだ。玉にあまり興味はないが、これはきっと売ると言われれば買ってしまうだろう。

 続きが出てこないため不思議に思った葉楽が小首を傾げると、それを合図に意を決したかのように如北妃が大きく息を吐く。そして、


 「お友達になっていただけませんか?」

 「・・・・・・・はい?」


 瞬きをゆっくりと三回。

 その間に言葉を何度か咀嚼してみたが、一向に飲み込めなかった。

 お友達・・・友人になるのは別に構わない。ただ、葉楽と如北妃は同じ男の妻である。立場上、友人になれるのだろうか。

 現時点で契約もあるため妻の座を降りることは叶わないが、いずれ辞する。つまり如北妃が鴻雲と関係を持ったとしても、葉楽にとっては痛くも痒くもない。呪いのせいとはいえ、接吻を頻繁にしなければならないことだけが心苦しいが、それくらいは数多の妻を娶る位の者に嫁いだ時点である程度覚悟の上だろう。むしろ接吻だけなら赤子もできないし、実害はないはずだ─とここまで考えた結果。


 「もちろん、わたくしでよろしければ喜んで」


 笑みを浮かべると、釣られたように如北妃も笑みを浮かべた。

 ふと視線を感じて斜め前に視線をやると、先ほどの宦官がほんの僅かだが口元が緩んでいた。

 なるほど、どうやら彼は如北から連れてきた者だったようだ。

 燕にはその存在自体ないため、燕宮には瑞の宦官が派遣されているが、普通一国の王女となれば世話役の宦官が居て当然である。


 「でも、やはりそれでは対等フェアではございませんわ。贈物を貰えば、同様に返すのが友人でございましょう?」


 友人の定義はさて置き、親しき仲にも礼儀は必要だ。むしろ親しいからこそ貰ったならば、それ同等の、いやそれ以上の物を贈りたいと思うものだ。

 葉楽の言葉が予想外だったのか、如北妃は目を瞬かせると、先ほどとは比べ物にならないほど嬉しそうに顔を綻ばせる。


 「ええ・・・そうですわね」

 「ああ、そうだ!そういえばちょうど故郷を出る直前に珍しい茶葉が手に入っていましたから、それを取り寄せますわ。また今度お茶会の時に持って参ります」

 「はい、楽しみにしておりますね」


 それから二人は与太話に花を咲かせ、気づけば真上にあった日が大きく西に傾いていた。


 「それではそろそろお暇しますわ。長く止まってしまって申し訳ありませんでした」

 「いいえ、とても有意義な時間を過ごすことができましたわ。また近いうちに兄様も交えて茶会をいたしましょう」

 「兄様?」


 聞き捨てならない言葉に葉楽が眉を潜めた。

 如北妃に兄がいることは何ら不思議ではないが、ここはあくまで第四皇子の後宮だ。親族と面会することはできても、無関係の妃が顔を合わせることはできなくもないが常識的に考えればあり得ない。別の種が紛れ込むことなどあってはならないのだ。

 葉楽の考えを汲み取ったのか、如北妃が慌てて訂正する。


 「兄様というのはわたくしの本当の兄ではございません。鴻雲さまのことですのでご安心ください」

 「顔見知りだったのですね」


 なるほど、それで呪いが解かれた年相応の姿で現れた時も全く臆せずに対応していたわけか。

 実は密かに気になっていた項目が一つ解決された。


 「ええ。従兄妹同士ですので、よく存じておりますわ。もちろん燕妃さまのことも」

 「・・・わたくしですか?」


 従兄妹という想像していたよりもずっと近い間柄に驚いたが、それよりも自分をよく知っているとはどういう事だ。つきんとまた頭が小さく痛み、それと同時に芯がすっと冷える感覚に陥りそうになる。


 「桃凛トウリンさま」


 しかし、それを阻止したのは耳障りの良い柔らかな声だ。

 如北妃がいつの間にか真横に立っていた声の主を見上げる。


 「・・・わかっているわ」

 

 きまりの悪い─というよりも拗ねたような表情は大人びて見える妃を年相応、むしろもっと幼く見える。たったそれだけで彼女が男を信頼しているのが伝わってきた─いや、これは信頼云々というよりももっと深い・・・。駄目だ、これ以上想像だけで深追いしてはいけない。


 「燕妃さま」


 なんとも言えない空気に話を切り出す時機タイミングを伺っていると、遠慮など糞食らえと言わんばかりに蛍順が割って入ってくる。

助かったという気持ちが半分、空気を読む能力の欠如を心配する気持ちが半分である。


 「どうしたの?」

 「皇子からの伝言にございます。晩餐を共にしたいので、宮に酉の刻までに参上せよと」

 「あら、それはいけませんわ。外までお見送りいたしますわ」


 一旦燕宮に戻ってから支度をしてと算段を立て始めた葉楽よりも先に如北妃が動き出す。

 

 「ぜひまたいらっしゃってくださいね」

 「ええ、もちろん。今度はわたくしの宮にもいらしてください」

 「はい、楽しみにしておりますわ。志青シセイ


 はっ、と短く御付きの宦官が返事をする。


 「燕妃さまの宮までお見送りを。何かあればこれを使いなさい」

 

 そういって如北妃が志青に渡したのは、小笛だった。

 一体何に使うのかよくわからないし、なによりすぐ側の宮なので何もないと思うのだが・・・まあ、好意は有難く受け取っておくに越したことはない。

 葉楽は再度お礼を言い、自身の宮へと向かった。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

偽りの王女はさっさと国に帰りたい うみの水雲 @saku1222

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ