21、毒

 海に面する燕には様々な伝記がある。

 その一つが海蛇だった。

 ある日、男は漁に出た。しかし海は時化て、船は荒波にのまれ転覆する。溺れ死ぬことを覚悟していると、海蛇がやってきて言うのだ。

 「お前はまだ生きたいか?」と。

 力なく男が頷くと、海蛇がどんどん大きくなり、男を飲み込む。すっぽりと海蛇の口の中に収まった男は、嵐が去ると同時に外に放出された。

 国はすでに風と波によって失われていた。残ったのその男ひとり。海蛇は神だった。たった一人しか人間を残せぬため、その男を─以前殺されそうになっていた自分を助けた選んだのだ。男は国の復興を目指した。

 それ以降、海蛇は神として祀られ、今でも大切に扱われている。そして国を消すほどの嵐からも守ることから転じて、時に内密の取引や密室のことを指すこともある。


 本当に便利な異能だことで。

 ぐるりと自分たちを取り囲んだ白壁は、作りの手性格が影響するのか隅から隅まで目を凝らしても淀みが全くない。


 「鴻雲コウウンさま」

 「ご苦労、下がって良いぞ」


 指示通り、英清はそのまま数歩さがり、そして消えた。

 一体どういう仕組みなんだと手を伸ばすも、普通に触れることができる。どうやらこの空間は作者本人の意思なしには入ることも出ることもできなさそうだ。


 「ここは半刻いちじかんもすれば自然に消滅する。話をするならば遊ばずに早くしろ」


 別に遊んでいるわけではないと反論したかったが、それこそ時間の無駄である。葉楽は口に出す代わりに人睨みすると小さく咳払いをする。


 「それでは劉復古リュウフクコ。何故流刑に処され、六年も前に死亡したエン国人のあなたがここにいるの」


 葉楽の問いに、復古が小さく俯く。

 復古が流刑に処されたのは今からおよそ十二年ほど前、ちょうど瑞との国境付近で衝突が起こり、戦火を交えた頃の話だ。一官吏であった復古は当時の国王に即時中止の意見書を提示した。しかし、国王は耳を貸すことなく、復古そのまま思想犯として投獄、国王が急逝する三月前に流刑になった。

 燕国には天以外が人命を裁いてはならぬという考えがあり、死刑がない。つまり刑罰の中で流刑が一番の重罰である。流刑になった者は、燕国のさらに南にある離島へと送られる。そしてそこで労役を行い、罪を償うのだが─問題はその後であった。復古は六年前に病により死亡したことになっていた。


 「あなたが気にしているのは国に残した家族のことだったわよね」


 いつまでも口を開かない復古に痺れを切らした葉楽が口火を切る。

 俯いたままの復古の肩がぴくりと小さく反応した。


 「何が望み?」

 「・・・家門の名誉を取り戻していただけますか?」

 「そんなのすでに戻っているのではなくて?息子二人はあなたと同じく官吏を続け、娘は豪農に嫁いだらしいわよ」


 バッと勢いよく顔が上がる。


 「う、嘘じゃ!そのようなことがっ」


 わなわなと唇を震わし、目を見開く復古には悪いが、態々戸籍まで確認したのだからこれは紛れもない事実である。

 しかし、驚くのも無理はない。身内に罪人がいれば官吏になるための試験は愚か、受験資格すら失ってしまうのは燕国民の誰もが知っている常識だ。


 「・・・残念だけど、嘘ではないわ。あなたは再審の結果、無罪よ」


 現国王─葉楽の父は即位してからすぐに前政権の際に投獄された罪人の再裁判を密かに行っていたが、なにしろ戦後間も無いということもあり国内も混乱しており、ついでにいえば思想犯として投獄された者は国内外を問わず数多いた。

 燕は貿易都市と呼ばれるだけあり、他国と友好な関係を築がなければならない。そのため、心苦しいが再裁判は国民よりも他国民を優先するしかなかった。しかしそれが公表されれば国内から不満が出る可能性を考慮し、内密に行われていた。

 復古の無罪が確定したのは、彼が亡くなったとされる時から半年ほど後のことだ。


 「それでは・・・儂が今までしてきたことは・・・」

 

 がっくりと肩を落とす復古を前に、葉楽は頭を下げようとしたが、すっと横から出てきた腕に止められる。


 「過去を悔いても何も変わらぬ。今できることは、未来に繋がる活路を見出すことだ」


 それは復古に向けた言葉でもあり、葉楽に向けた言葉でもあった。

 そのおかげで少し冷静になる。

 自分は燕国の王族として謝罪をしようとしたが、葉楽は現時点では燕国の王族としてではなく瑞国第四皇子妃だ。その自分が頭を下げるということは、延いては瑞が復古に頭を下げるという奇妙な構図になってしまう。

 ここには三人しかいない。それでも、やはりこの一線は守らなければならない。

 ぎゅっと拳を強く握り締めた復古がその拳を解いた。

 

 「あれは、それこそ六年前の話でございます。ある男が夜更に儂の牢に訪ねてきました。燕妃さまならばよくご存知かと思いますが、流刑島はその立地から面会に来る者は多くはございません。それが面会ではなく、しかも夜更に直接牢に来るなど・・・その状況とこちらを見る男の冷たい瞳に正直殺されるのかと思いました。

 しかし、男は儂の息の根を止めるどころか牢から出すと提案してきたのです。承諾するのならば家族を他国で養う、その対価として儂の力を使いたいと。

 息子たちが幼い頃より官吏になるためにと勉学に励んでいたのを一番よく知っていたのは儂でした。その夢を摘んでしまった罪は測り知ることができません。自責の念に駆られ続けていた儂は、卑怯にも男に協力することにしたのです」

 「・・・男がそこまでして求めたあなたの力─異能は何?」


 無実の罪とはいえ、罪人を外に連れ出すことなど誰にでもできる話ではない。もし万が一露呈した場合、その男ももれなく同じように流刑になるか、牢に入れられるかのどちらかだ。危険を冒してまで手に入れたい力とは一体何なのか。

 ないとは思うが、万が一に備え意識を集中させる。

 戸籍上は死んでいても、復古は燕の民だ。葉楽はまだしも、鴻雲に怪我でも負わせたら、本人は打首、下手をすれば再度戦火を交える可能性も高い。燕国内にも過激派の残党はいる。

 しかし、緊張した葉楽に対して、復古はふっと自嘲気味な笑みを浮かべる。


 「燕妃さまが警戒されるような力ではございません。儂の力─神力シンリキは、他者よりも少しばかり毒に強いだけにございます」


 毒。

 その単語に二人は顔を見合わせた。


 「それは・・・もしかしてあなたが売っていた金と関係があるの?」

 

 葉楽の問いに小さく頷く。


 「あれは銅に金を貼り付けたものでございます。みずかねを使用する製法といえばお分かりになりますでしょうか?」


 はっとする。

 そうだ、どうして気づかなかったのか。


 「鍍金か」

 

 鴻雲がぽつりとつぶやく。


 「ええ、その通りです。汞と金を熱に溶かし、銅に塗り付ければ薄い金の膜で覆うことができます」

 「周りは金でも中身は銅・・・」

 

 単純に金と銅の価値だけ考えれば四千倍である。真面目に働くのが馬鹿らしくなる数字だ。


 「それで、あなたはその加工を担当していたの?」

 「はい。半年前までですが」

 「半年・・・ちょうど部族から報告があった頃か」

 「何故担当を外れたの?」


 復古は街で露天商の真似事をさせられていた。一般的に考えて、職人の術はその年月によって成熟していく。それなのに何故態々外されたのか、単純に興味があった。


 「それは・・・儂の力が尽きてしまったからですな」

 「力が尽きる?」


 そんなことあり得るのか。

 初めて耳にした事実に鴻雲を見るも、真っ直ぐ復古を見つめたままだった。その様子から察するに、鴻雲は知っていたのだ。

 やや戸惑い気味の葉楽に復古が語りかける。


 「燕ではあまり知られておりませんが、力とは有限なのです。ただその上限は人により異なります。儂の場合、五年半、毎日使い続けて上限が来てしまったようです」

 

 五年半、毎日・・・頭の中で反芻するが、いまいち腑に落ちない。そんな大事な話、何故燕国民は知っていないのだろうか。


 「燕の民は元々その上限が高いため、日常生活で使う程度では一生かかっても使いきれない。むしろ下手に不安を煽って使い渋りをする方が経済活動の妨げになるから一般的には知らされていないのだ」


 疑問符を浮かべていた葉楽に答えをくれたのは、真向かいに座る復古ではなく、真横の鴻雲だった。


 「・・・何故、殿下がそのことを?」

 「燕に居た古い友より聞いた。ただそれだけのことだ」


 王族である葉楽も知らぬ事実を知る友とは一体何者なのだ。

 しかし、葉楽は喉元まで出かかった問いを飲み込む。

 ぶっきらぼうな言い方は、これ以上の介入を明らかに拒んでいた。叩きまくればいつかは綻びが出るかもしれないが、それは今すべきことではない。

 葉楽は復古に向き直った。


 「王都へつながる川が毒に侵されていることは知っている?」


 復古は一瞬唇を強く噛むと、蚊の鳴くような声で「存じております」と答えた。


 「あなたの力がなくなったことと水が毒された時期、一致しているの」

 「ええ、そうでしょう。全ては儂の力がなくなったせいでございます。実は毒に強いだけではなく、毒の気配を察知できましたので、現場で毒全ての管理も行っておりました。しかし、ちょうどその半月ほど前、息苦しさや吐き気を感じるようになりました。ただらそれは年のせいだと・・・儂は自分の力がなくなっていたことに気付かなかったのでございます」

 「それは毒、つまり汞が流失していたことに気付かなかったというわけか」


 鴻雲の問いに、復古は小さく、しかししっかりと頷いた。

 

 「気づいた時にはすでに取り返しのつかない量の汞が流れ出ておりました。儂は責任を問われましたが、すでに汞が混じった水はどうすることもできません。もちろんそのことをもわかっておりました。儂は今度こそ死を覚悟しました。しかし、奴らは手切金とばかりに偽の金を渡しました。そこで儂は・・・欲が出てしまったのです、死ぬ前に家族にひと目会いたいと」

 「・・・復古、あなたもしかして」

 

 細い瞳をさらに細くした復古が口を緩める。


 「もって、あと三月かと」


 ガツンと頭を金槌で叩かれたような衝撃を受ける。


 「・・・医師に診せたの?」

 「いいえ。本物の金を一銭も持ち合わせていない老人を無料で診てくれるお人好しなどそうおりませんよ。燕妃さま、儂は自分で言うのもなんですが、能力の秀でた官吏ではございませんでした。ただ、毒のことに関しては自身の力ゆえ他者よりもよくわかるのです」


 言葉が出なかった。

 誰が何と言おうと、この事態を招いたのは前国王である祖父だ。


 「では、あの装飾品を売り捌いた金で故郷くにに戻るつもりだったのか?」


 完全に黙り込んでしまった葉楽の代わりに鴻雲が問う。


 「はい、まさしくその通りでございます。燕には居ないとしても、何か手がかりがあればと・・・。最後の最後に人様を騙すなど、地獄に落ちることは確かでございますな」


 力なく笑う復古の姿に、胸が散り散りになる。

 葉楽が決めたことではないし、口出しできることでもなかった。なにより復古が捕まった時、葉楽はまだ七が八である。そんな幼子に政治のことを考えよという方が無理難題だ。

 わかっている。頭ではしっかりわかっているのだ。それでも─ 自分にはその血が流れているのだ。目の前の男の人生を奪った元凶の血が。


 「・・・すぐに荷を纏めなさい」

 「燕妃さま?」

 「あなたの話は馬車の中で聞くわ。早く、燕に帰るのよ」

 「待て」


 立ち上がった葉楽の腕を鴻雲がすぐさま掴む。


 「なんですか?」

 「おかしいとは思わないか。お前が同じ立場だとして使用済みになった者に偽とは言え金を渡し、野に放つか?」


 唐突な問いに怪訝に眉を寄せる。


 「・・・いいえ、わたくしならばその場で息の根を止めますわ。そうすれば秘密が漏れることも、利が減ることもありませんもの」

 「ああ、俺でもそうする。では、何故奴らはそんな自分たちにとって利が少ない選択をしたのだ」


 利益が少ない方を選択する理由は二つ。何も考えていないか、その損失の埋め合わせをできるくらいの利益を手に入れられる─つまり餌にするためだ。復古を餌にして何が釣れるのか・・・。


 「毒に強い力・・・まさかっ」

 

 はっとして鴻雲を見ると、しっかりと頷いた。

 きっと背後にいる何者かは金を手にした復古のあとをつけ、同じ異能を持つ可能性が高い親族を代わりとして使おうとでも考えていたのだろう。しかしその計画は葉楽たちと出会ったことで残念ながら頓挫してしまった。そうなれば自分ならどうするか─。


 「家族が、危ない」


 やっと状況を理解できた復古が椅子から立ち上がる。

 慌てて葉楽も立ち上がるが、ふと思い出して小さく息を漏らし、また腰を下ろした。

 

 「復古、体に障るから落ち着きなさい。先ほども言った通り、家族は兵が守っているわ」

 「待て。今までの話から推測するに、復古を連れ出した者は中枢に近い、もしくは繋がりがある者ではないのか?」


 一瞬安堵の色を浮かべた復古の顔色がまたもやさっと青ざめる。

 鴻雲の考えは可能性としては非常に高いのだが、それをはっきりと口に出すのは如何なものか。言うなれば配慮が足りない。

 

 「殿下の推測は概ね正しいと思います。しかし、警護している者たちは皆わたくしの私兵ですわ。あの中に裏切り者はいないと断言できます」


 私兵とは言え、葉楽自身が集めた者はごく僅かであとはいつの間にか志願者が出始め、それを国王が許可してできた親衛隊である。先日やっとの思いで故郷に帰した法円ホウエンはその記念すべき志願者第一号だ。ちなみに彼は馨楽キョウラクの親衛隊も兼任している。

 しかし、葉楽の親衛隊は誰でも入れる馨楽の親衛隊とはわけが違う。

 基準は本人の能力と忠誠心で決定される。そして何故かその入隊には馨楽から合格を貰わなければ入れないという謎制度なのだ。なにはともあれ、今のところ信頼できるということは確かだ。

 復古は一瞬窓の外に目をやると、二度ほど瞬きをし、そして椅子に腰を下ろした。


 「わかりました。燕妃さまを信じます。どうか家族のことをよろしくお願いします」

 「・・・すぐに連絡を取ってみるわ。家族には、絶対に会えるように取り計らいます」


 その言葉に復古は何も言わずにただ深々と頭を下げた。

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