20、海蛇
「また、非常に規則的な方ですね」
ぺらぺらと紙を巡る
「そうかしら」
「ええ。若い頃は乱れたり、一月ほど飛ぶ方も珍しくはないのですが・・・これならばいつできてもおかしくないですね」
ぴしりと笑顔のまま固まってしまう。
やはりそうきたか。
本当はただ同衾しているだけなんです。手を出したら問答無用で故郷に帰ると取引しているんです・・・なんてこの場で言えるわけもなく。
「そう、ですかしら?」
残念なことに笑って誤魔化す以外の方法は思いつかなかった。
やっぱり、承諾などしなければよかった。
そもそも
川を見に行ったあの日、
三年という期間は変わらぬものの、頑張ればそれだけ早く故郷に戻れるという約束を取り付けたのは葉楽にとって大きな収穫だった。
そして同衾することは二番目の夫婦としての役目どちらにも含まれる。
鴻雲が誰のもとにも通っていないことがないと分かれば、妃、主にその後ろ盾たちが次から次へと文や訪問といった形で押しかけてくる。しかもその中には重鎮もいるわけで、無碍に扱うことはできない。そこで付け入る隙がないと示すために、葉楽の宮で過ごすことで寵愛を一身に受けているように思わせる作戦だ。
しかし、葉楽は最初反対した。寵妃を演じることは百歩譲って良しとするとしても、同衾する理由がわからない。賜っている宮には空き部屋が何個もあるので、そこを勝手に使ってくれれば良いと申し出て、一度は鴻雲も了承したものの何故かすぐに別室で寝ていると噂がたったため、仕方なく同衾する運びとなったのだ。
寝る時は裸一択の葉楽としては、きちんと服を着て寝る生活など耐えられないと思っていたが、蓋を開けてみればそんなことはなく。むしろ人肌のおかげか今までよりも質の良い睡眠を得られている。
本音を言うと、
「そういえば、あの香油は昨晩使われましたか?」
「ええ。あれは
薫衣草はここより西にある
「まだこちらでは珍しいのによくご存知ですね」
「・・・以前頂いたことがございまして」
貰ったというよりも押し付けられたと言った方が正しいが、実物を手にしたことはある。ただ、それがどこにやったのかは不思議なことに頭からすっかり抜け落ちている。誰かに下賜したか、それとも棚の奥にでも眠っているのかもしれない。
「流石は燕国でございますね。あの国に行けば手に入らぬものはないと言われるのは本当のようですね」
「有り難いですが、それは流石に買い被りすぎですわ」
土地柄入ってこないものもある。この間鴻雲と見た北の工芸品や布地などは最たる例だ。
「そこはご謙遜なさらずに誇られてよろしいかと思いますよ。現に、この国は燕国に頼らなければならぬ物はたくさんございます。ところで、以前に頂いたということであればこれまでに使われていたのですか?」
それまで穏やかだった鶉雨の顔がほんの少しだが険を帯びる。
「それが・・・お恥ずかしい話、使ったことはおろか、どこにあるのか定かではないのです」
「・・・なるほど、承知いたしました。それではこのまま使って様子を見ていただきたいのですがよろしいでしょうか?」
ええ、と小さく頷く。
「それから、貴妃さまから頭痛がすると伺いましたが今もございますか?」
「いいえ、あれからは特にございません」
「然様でしたか。それでも万が一ということもございますので、これを」
持っていた籠から手乗りほどの小さな巾着袋を取り出し、葉楽に渡す。
「頭痛が治らなければこれをお飲みください。三回分お渡ししておきます。一般的な処方とは異なりますので、無くなりましたらご連絡くださいませ」
「承知いたしました」
「それでは次は鴻雲さまの診察に参りますので、わたくしはこれで。<嬉しい>ご報告、お待ちしておりますよ」
にっこりと笑みを浮かべられるも、葉楽は素直にはいと頷くことはせずに同じように笑みだけを返した。
「・・・燕妃さま、それはいかがなさいますか?」
控えていた
「どうもこうも、必要な時は飲むわ。あと、父上にもこのことは報告は不要よ」
「・・・かしこまりました」
他国で処方される薬は気をつけるに越したことはない。毒が含まれている可能性が高いからだ。
葉楽が死んで得するものは少なからずいる。事実、瑞に来てからすでに三度も命を狙われていた。
だからいくら義母にあたる貴妃付きの薬師とはいえ、薬を処方されたことは万が一を考えて生家には報告するのが筋なのだが、頭の端で何かとてつもない違和感を感じ始めている自分がいる。
理由はない、ただの勘だ。しかし、葉楽の勘はよく当たる。
「蛍順、出かける準備をして。例の話を聞きに行くわ」
葉楽が立ち上がると、やや躊躇いつつもはっ、と小さく返事があった。
葉楽は蛍順を引き連れて、皇宮の外れにきた。
辺りは荒れ果てていることはないが、草木の手入れも最低限のため殺風景でどことなく侘しさを感じる。
鴻雲から受け取った札を役人に渡すと、一瞬訝しげな顔をしつつも、独房へと続く戸を開けてくれた。独房は地下にあるため、長い階(きざはし)を降りる。風通りは悪く、日が入らないため長居するだけで気を病んでしまうだろう。
独房はいくつかあったが、ほとんどが空で葉楽たちが目指す人物は一番奥の牢で蹲っていた。
コンコンと格子を叩くと、わずかに頭が上がった。
「なんだ、お前たちは。儂はお前たちの仲間になどになる気はさらさらないぞ」
「あら、そんなのこちらから願い下げよ」
老人はがばっと勢いよく顔を上げたかと思うと、わなわなと口を震わせる。
「おっ、お前はっ、あの時の・・・!」
「記憶力は良いみたいね。あなたのこと、少し調べさせてもらったわ、
名を呼ぶと、復古はびくりと肩を小さく震わせた。まさか自分の真名が出てくるとは露ほども思っていなかったらしい。
青ざめる復古を横目に、葉楽は懐から数枚の紙を取り出す。
「ここにあなたの情報が全部載っているわ。でも、知っていることを全部話すのならば、あなたは今まで通り居なかったことにしてあげる」
「燕妃さま!そんな勝手なことっ」
噛みつく勢いの蛍順を片手で制すと、葉楽は膝を折った。
「わたくしは別にあなたが憎いわけでも、あなたの守りたい物を壊したいわけでもないわ。ただ、真実を知りたいの。だから教えて頂戴」
真っ直ぐに見つめていると、瞳が小さく揺れる。
「・・・燕妃さまということは、王女お二人のどちらかが瑞に嫁がれたということでございますね」
「ええ、片割れは
ややあって、目を伏せていた復古が「わかりました」と虫の鳴くような声で答えた。
「ただし、海蛇をご準備いただければと思います」
その言葉に二人は顔を見合わせた。
まさか聞かされていた大人の面白くない昔話がこんな形で役に立つとは、誰が想像できていただろうか。
「・・・ええ、頼んでみるわ」
葉楽の笑みに、復古は膝をつき大きく首を垂れた。
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