16、真相

 王都の西、七虎門しちこもんを抜けて少し経ったところで馬に乗り換えるために馬車を降りた葉楽ヨウラクは目を見開く。

 まさか、そんなことあり得ない。

 あまりの衝撃に完全に固まってしまっていると、隣にいた鴻雲コウウンが不思議そうに顔を覗き込んでくる。


 「なんだ、嬉しくなかったのか」


 葉楽はすぐにブンブンと頭を左右に振る。

 嬉しくないわけない。ただ、目の前の光景が信じられないだけだ。感極まりすぎて涙がこぼれそうになる。


 「お久しぶりにございます、王女さま」


 二つの手綱を引いているのは、昔から世話になっている厩舎番きゅうしゃばん林洋リンヨウだ。燕国によくいる日焼けした浅黒い肌は見慣れているはずなのに、最近あまり見ていないせいかやけに新鮮に見える。

 

 「洋、あなたまさか一人で連れてきたの?」

 「いいえ、まさかこの老体でそんな無謀なことは致しません。倅と孫は屋敷で待機しております」

 「すごい顔触れね」


 倅は葉楽の十五上、孫はまだ五つにも満たなかったはずだ。


 「いえいえ、よく寝る子なのでそれほどでもございません。なにより厩舎番が国を出る機会など戦くらいしかありませんからね。王都を見るいい機会だと思いまして」

 

 たしかに、言われてみればそうだ。特に燕国民は愛国心が強く、外に出る者自体が少ない。


 「屋敷には好きなだけ滞在するといいわ。ところで・・・」

 「ああ、忘れておりました。ほら雪兎《セキウ》、お待ちかねの王女さまだぞ」


 林洋から手綱を受けとる。すぐに雪兎が顔をすり寄せてきた。気高き彼女の普段からはあまり想像できない姿だが、よく考えてみれば出会ってからこれほど長く側を離れたことはなかった。


 「寂しい思いをさせてしまったわね。ごめんなさい」


 たてがみを撫でると、仕方ないなと言わんばかりに雪兎が目を細める。

 

 「ヒヒィン」


 そんな二人の感動の再会に水を差すように聞こえた鳴き声。

 手を伸ばすとこちらは思いっきり鼻や頭をぐりぐりと押し付けてきた。

 

 「ふふ、ごめんね白月ハクゲツ。寂しかった?」


 それに答えるように頬を撫でると、母譲りの栗色の瞳を嬉しそうに細める。


 「美しい白毛だな」

 「・・・・触れるんですか?」

 

 唖然とする葉楽に対して、鴻雲が眉を顰める。

 

 「馬に乗れるのだから触れるに決まっているだろう」

 

 たしかに乗れるのに触れないなんてのは変だが、葉楽が驚いているのはそこではない。

 雪兎は非常に気難しく、顔見知りでも触れれるものは数少ない。気に入っていないものが触ろうものなら荒れ狂って手が付けられなくなる。


 「雪兎、いいの?」

 

 恐る恐る尋ねるも、雪兎は大人しく撫でられ、気持ちよさげに目を細めているだけだ。

 すごい、いやむしろあり得ない。


 「もしかして殿下の異能って・・・・馬に好かれるとかですか?」


 真剣に聞いたのに鼻で笑われる。


 「残念だがそのような能力ではない」

 「では、種別を問わず魅了するとか?」

 「それでは聞くが、お前は魅了されたの?」

 「いいえ」


 ばっさりと切り捨てると、形の良い眉がぐっと真ん中に寄る。しかし、ここで下手に遠慮すれば自分の身が危うくなるのだから仕方がない。刺さるような視線に気付かないふりをしつつ、葉楽は自身のスカートを適当な場所で結び褲子ズボンのような形を作る。背後から「おい」と窘める声が聞こえたが、こういう時は乗ってしまえばこちらの物である。いつものように雪兎に跨る。


 「洋、白月をお願いね」

 「はい、わかりました。雪兎、今日は思いっきり楽しんでおいで」


 その言葉に返事をするかのように雪兎がぶるんと頭を大きく振る。どうやら雪兎も相当溜まっているらしい。思い起こせば、妊娠、出産、育児のせいで二人っきりで走りに行ったのは遠い昔のことだ。

 

 「燕妃、行くぞ」

 「あ、はい」


 いつの間にか馬に跨っていた鴻雲の後ろに続き、二人と二頭は深い森の中へと足を踏み入れていった。


 葉楽が見たいと思っていた川は二つ。

 一つは王都の北に位置する冰龍江ヒョウリュウコウ、大山脈から続いている川だ。そしてもう一つは王都の東に位置する神珠江シンジュコウ、現在の王都に遷都する前の都にほど近い場所にある川である。

 そして今向かっているのは北から西へと向かう冰龍江から枝分かれした支流の北雅ホクガ川である。仮説は立てているものの何が原因で水量が減っているのかを確かめなければ、対策のしようもない。

 

 「雪兎は辛くないか?」

 

 並走している鴻雲が視線を雪兎の足にやりながら徐に尋ねてくる。

 雪兎と鴻雲の馬の足には進度の術がかけられていた。進度の術とはその名の通り、速度をあげる術のことだ。術自体は馬具に結びつけた掌ほどの玉に施されている。異能者の中にはこのように自身の力を他の物に分け与えられる者もいる。


 「大丈夫だとは思いますが・・・念のため近くの水場で休憩させてもよろしいですか」


 国にいる時も似たような術具を使ったことはあるが、あの時とは場所も違えば出産という大仕事を成し遂げた後の体である。基本的に疲れたら反応を示すが、やや興奮気味なので疲れを感じにくくなっているかもしれない。馬は無理をさせれば


 「そうするといい。こっちだ案内しよう」


 ぐんっと鴻雲が道を逸れる。すぐに後を追うと、水の気配が近付いてくるのがわかった。

 着いた先には小さな池があった。近付くと水面が小さく揺れている。どうやら地下から水が沸き出ているようだ。

 馬から降りた鴻雲が水を手で掬い、口をつけた。

 

 「大丈夫だ。ここの水ならばお前たちも飲めるだろう」

 「・・・お気遣い感謝いたします」


 葉楽も大人しく同じように喉を潤す。鴻雲の言う通り、大丈夫な水だった。

 しかし皇子自ら毒味をするなど、姿は見せないが隠れているであろう護衛たちは肝を冷やしたに違いない。だいたい、水の異能者である葉楽はその雰囲気で飲めるか飲めないかはある程度わかるので毒味は不要だ。

 とんだお人好しだ。呪いを解くためとはいえ、好きでもない女のために毒味ができる者などそう多くはない。人間誰しも自分がかわいい。自分を犠牲にしてまで人を助けるのは頭のおかしい奴かお人好しのどちらかだ。

 それにしても、よく飲む。

 雪兎の飲みっぷりに感心していると、すっと鴻雲の馬が顔を寄せてきた。雪兎とは正反対の、まるで烏のように深い黒毛は艶々としていて手入れが行き届いているのがわかる。頬を撫でてやると、嬉しそうに目を細めた。初めて会ったのに人懐っこい馬だ。


 「黒影コクエイだ」


 馬たちと戯れていると、すぐ背後から声がした。


 「・・・黒影」


 なんだか聞いたことのあるような気がしたが、よく思い出せない。実は燕を出てからちょくちょく同じような感覚に陥ることがある。ぼんやりとした違和感は喉につっかえた小骨のようでなんだか気持ち悪い。

 しかも脳裏に一瞬だけ黒影に似てはいるがもっと年若い馬がパッと浮かぶ。そして、その上には跨る少年のような後姿があった。

 

 「どうかしたか?」

 

 覗き込んできた瞳が一瞬何かを期待するように煌めいた。しかし、葉楽はそれに気付かないふりをした。考えてはならぬと頭の中で何かが警報を鳴らしている。


 「・・・いえ、なんでもありません。そろそろ出発いたしましょうか」

 「・・・そうだな。あまり長居をすると日が暮れる」


 鴻雲が小さく肩を落とした気がしたが、それも無視して雪兎に跨る。

 先行く鴻雲の背中は先ほどまで変わらないはずなのに、何故かとても広くなったように感じた。

 


 森を抜けた先にあったのは大きな川だった。

 葉楽の予想とは異なり、水量も多く、流れも穏やかである。しかし、王都へと通じる水路はは堰で水が完全に流れないようになっている。


 「何故、という顔だな。お前の予想では大方我が国と対立する他国が水量調整をして十分な供給量を確保できなくなっているとでも思っていたのだろう。そしてその解決をするためには自分が一肌脱げは何とかなると」

 「・・・ええ、まさしくその通りですわ」


 ここまではっきりと見抜かれるのは非常に悔しいが認めざるを得ない。

 

 「王都では水不足だと伺いました。そのせいで物価があがっているのではございませんか?」

 「その通りだ。他にも要因はあるが、水不足のせいでここ数年で倍以上の値になったものも多い」

 「わかっておいでならば何故っ・・・!」

 

 一歩近づいた時、やっと気付いた。

 この感覚をなんと表現すればいいのかはわからない。ただ背筋を何かが這いあがり、体の中でざわざわと蠢くような気味の悪い感覚に陥る。

 

 「これは・・・一体」


 鴻雲が小さく震える葉楽の手をそっと包み込んだ。そこで初めて自分が震えていたことを知る。

 直感でわかる。ここの水は何かがおかしい。


 「この近くに住む部族で幼子たちが奇病にかかったとの報告があったのが始まりだった。調査を行う最中、次第に大人も皆手足のしびれなどを訴え始め、数十人の犠牲が生じている」

 「王都での被害は?」

 「幸いにも部族の者が水が怪しいとの知らせをくれたので、すぐに止めたため死者は出ていない。ただ、それでも右京の幼子たちの中では未だに麻痺が残っているものもいる」


 今の話から察するに右京の方にこの川からつながる水路の始まりがあるのだろう。

 王都では皇宮から九鳳門くほうもんへと続く大通りを挟んで西を右京、東を左京と呼ぶ。基本的に左京は貴族や金のある者が暮らし、反対に右京には一般的な庶民や貧しい者が多く暮らしている。

 

 「その幼子たちの生活はどうなっているのですか?」

 「意見が割れている。今は宮廷医に定期的に診てもらっているが、平民の、しかも幼子にそこまですることはないという輩も一定数いる」

 「・・・幼子だからこそ意味がありますのに」


 今は幼子でも、あと二十年もすれば国を支える立派な人材となる。国とは民である。民の働き次第で国の命運は決まると言っても過言ではない。それなのにその幼子を疎かにするなど、自分の今しか考えていない阿保ですと公言しているようなものではないか。


 「瑞の官吏はもう少しまともだと思っていましたわ」

 「仕方ないであろう。半分は世襲みたいなものなのだから頓馬が混じっていても不思議ではない」

 

 それを同じく世襲制である皇族が言うのもいかがなものかと思うが、現時点で鴻雲はいきなり口づけをしてくるなど理解不能な部分はあるが自分勝手な人間ではないと判断できる。

 

 「ちなみに、そのうちのひとりは孫妃の父親だ」

 「なるほど、納得ですわ」


 まだ見た目も中身も幼さが残る少女を思い出す。

 取り巻きの妃と比較すると特にその幼さが目立っていた。呪いがかかっているときの鴻雲であればお似合いかもしれないが、今の鴻雲と並ぶと未熟さが否めない。


 「それにあいつの父親は野心家だ。暇さえあれば、娘の宮に通えと文を送ってくる」

 「あら、でもそれは当たり前のことではないでしょうか?」


 手塩にかけた娘を次期皇帝と目される皇子の後宮に入内したとあれば、それが当事者たちがどうかという話は別として次は後継ぎをと願うこと自体は間違っていない。

 自身の家門から皇帝が誕生する可能性など千載一遇の好機だ。鼻息が多少荒くなることくらい大目に見てあげるべきではないだろうか。

 まあ、わたしには関係ない話だけど。

 他人事ならばいくらだって正論を並べられるのが人間という生き物だ。


 「燕国からは何も来てないぞ」

 「では、そういうことなのでしょう」


 暗に察してくれとばかりに笑顔を作ると、面白くなさそうに顔を背けられた。その拗ねた童(こども)のような仕草は、今の外見よりも少年の時の方がしっくりくる。

 葉楽が手をかざすと、川の水が掌の上で丸くなり浮かぶ。


 「この川の水は・・・みずがねが混ざっていますね」


 汞の原料である丹は薬として重宝されるが、これは明らかにその量を超えている。


 「やはりそうか」

 「ご存知だったのですか?」

 「一応こちらでも調べた。部族のものと幼子たちに出た症状が丹を過剰摂取した際の中毒症状と酷似していたからな。あとは薬や毒に精通している者と鉱石に精通している者にも見てもらっている」

 「・・・元に戻るまでにどのくらいかかるのですか?」

 「わからぬ。浄化の異能は絶対数が少ない。その中で戦力になる者も一握りだ」


 浄化はその発現自体が珍しく、受け継がれにくい。また毒や汚染を取り除くため本人の負担になりやすく、これだけの範囲を任せるとなると幼子、女、老人は必然的に戦力外となる。青年から壮年で体力もあり、かつ浄化の異能を持ち合わせている者など国中探しても両手分いるかどうかだ。


 「・・・あの、殿下質問をしてもよろしいでしょうか?」


 神妙な面持ちで手を挙げる葉楽。

 

 「なんだ」

 「わたくしの他に水の異能者はいないのでしょうか?」


 葉楽の考えとしてはこうだ。

 川自体が汚染されているのであれば、一旦水をすべて入れ替えてしまえばいい。もし土壌まで汚染されていれば、そこは他の異能者に頼らざるを得ないが、川全体を浄化するよりも手っ取り早いはずだ。

 しかし、鴻雲は渋い顔をする。


 「いるにはいるのだが・・・その男なのだ」

 「・・・何か問題があるのですか?」


 なぜこの話の流れで性別が関係してくるのかわからない。

 葉楽が小首を傾げると、鴻雲は何かに気付いたのか誤魔化すかのように咳ばらいをした。


 「いや、今のは忘れてくれ」

 「・・・わかりました。それで、結局いらっしゃるのですね。できればその方とお話ししたいのですが」


 すると今度は鴻雲が何とも言えない苦い顔になる。

 実際は表情筋の動きがそこまで大きくないので、よく観察していない人間には悟られない程度だが、根っからの商人気質のせいか表情の変化に鋭い葉楽にはわかってしまうのだ。

 

 「何か不都合でもございますか?」

 「いや・・・・わかった。手配しよう」

 「ありがとうございます」


 話がまとまったところでこれ以上ここにいても仕方がない。

 葉楽たちは黄昏に間に合うためにも、馬を走らせた。

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