15、贈物
次に
どうやらこの通りは布地などを扱っている店が軒を連ねているようだ。どの店も大抵似たり寄ったりなのだが、葉楽たちの目の前にある店は明らかに周りとは一線を画していた。
というのも、まず入口に目をひん剥いた白狼の毛皮が飾られている。これだけで普通の女は怖がって店に近寄らないだろう。集客を目的としているのであれば完全に逆効果だが、どうやらこの店は数ではなく質にこだわる戦略らしい。ちょうど店から出てきた婦人はそこら辺の者とは身につけているものが桁というかむしろ貨幣自体異なる。
まあ、皇子が態々足を運んでいる時点で察するべきである。
肝心の皇子はといえば、早々に店内へと入って行く。葉楽も後を追うように店内へと足を踏み入れた。
「こっ・・・これは」
あまりの衝撃に言葉を失う。
店内には北方地域の布地や雑貨など所狭しと陳列されていた。
そういう経緯もあり、故郷では滅多にお目にかかれない品々に葉楽は釘付けになってしまう。
「その小物入れ、とてもきれいでしょう。昨日仕入れたばかりの品なんですよ」
奥から現れたのは、妙齢の女だった。
目が合うと、葉楽が手に取ろうとしていた箱と同じく砂の大地を思わせる明るめの茶色の瞳を細める。
「ぜひ遠慮せずに手に取って見てください」
近づいてきた女からはふわりと薔薇の香りが漂う。
渡された箱の側面は魚の鱗のような模様が巡らされており、蓋の中央には
「これは・・・白樺の樹皮ですか?」
「あら、ご存じでしたの?」
「いいえ、現物を見るのは初めてです。ただ、北方の工芸品といえばそれくらいしか思いつかなかっただけです」
「そうですか。たしか南のご出身ですわよね?」
はいと返事をしそうになって、ふと葉楽は口を閉ざす。
出身地については一切話していない。
自分が誰かを知っているのか。
「あら、ごめんなさい。その雰囲気で勝手にそう思ったのですが違いましたか?」
葉楽が訝しんでいるのがわかったらしく、女が困ったように眉を下げた。
「・・・いえ、間違っていません」
「よかった。実は長らく旅をしていまして、そのおかげか出身地を当てるのが特技なのです」
「それはすごいですね」
「ええ、よく言われますわ。ところで、今回は何かお探しですか雲景さん」
「ああ。先日珍しい布地が入ったと聞いたものでな。まだ残っているか?」
「ええ、ございますよ」
少々お待ちくださいと女が奥に引っ込んでいく。
「気に入ったのか?」
「え・・・あ、これですか?」
言われて初めて小物入れを握ったままだったことを思い出す。
「そうですね。珍しい物ですし、この玉も素敵です」
まあ、玉自体然程興味がないのでどちらか選べと言われれば選ぶ程度でしかないのだが。
「・・・あの、で、
何か考え込むように小物入れを凝視していた鴻雲がはっと顔を上げる。
「どうかしたか?」
いや、聞いてきたから感想を述べたのだが─どうやら彼の耳には届いていなかったらしい。
「いいえ、なんでもございませんわ」
にっこりと営業
無視されるのは気持ちの良いことではないが、態々蒸し返すほどの話ではない。たまたま聞こえなかったと言うことにしておこう。
一瞬怪訝そうな表情を浮かべた鴻雲だったが、すぐにまた真剣な顔で小物入れを凝視する。そんなによく見たいならば一層のこと自分で持って見てもらった方が楽なので渡そうとしたが、そこへ女が両手いっぱいの布地を抱えて戻ってきた。
「お待たせいたしました。左側が比較的斬新な意匠で右側か伝統的な意匠になっています。わたくしのおすすめとしては」
女が左寄りの布地を広げる。
思わず言葉に詰まる葉楽を見て、女は得意げな笑みを浮かべる。
「ふふ、素敵でしょう?北方では獣は神使だと信じられているのでよく刺繍するんですよ」
「神使ですか?」
「ええ、特に大狼は神獣として丁重に祀られているくらいですわ」
如北妃の
「というわけで、雲景さまいかがでしょう。お連れさまの虫除けになると思いますし、何よりお顔立ちがはっきりされているので濃い色も映えるかと思いますよ」
他の布地を手にしていた鴻雲が顔を上げ、布地と葉楽を交互に見遣る。
「そうだな・・・では、そこにあるものとあの棚のものを全て頂こう」
「まあ、ありがとうございます!それではお包みいたしますね」
満面の笑みを浮かべた女は言うが早いか、鴻雲が指定したものを丁寧かつ素早く籠に入れるとまた店の奥へと引っ込んでいく。
そんな大量に何に使うのかと思ったが、現在抱えている妃だけでも十人はいるのだから平等に分配すればちょうどいい量なのかもしれない。
嫁がたくさんいるというのは外から想像するよりもずっと大変なのね。
一人納得した葉楽は、準備ができるまで店内をじっくりと見て回ることにした。
店を後にした葉楽たちは再度大通りを歩いていた。時折露店から声をかけられるが、生憎答える気分ではない。
「
背後から呼びかけられ、葉楽は足を止める。
「なんでしょうか?」
「お前、何をそんなに怒っているのだ。もしや・・・実は気に入っていなかったのか?」
「ちが・・・あの店の品は全部素敵でした。ただ、あんな大量のもの、一体どうするのですか」
妃たちへの贈物だと思っていたそれらがすべて葉楽への贈物だとわかったのは、店先で待ち構えていた従者「直接燕妃さまの宮にお運びいたしますが、よろしいですか」という言葉だった。
まさか従者を目の前に今更店に返品するわけにもず、葉楽は首を縦に振る以外の選択肢はなかった。
早ければ今頃大量の贈物に
「必要ない物は宮の者や屋敷の者に下賜すればよい」
あっけらかんと言い放たれ、葉楽は眩暈を覚える。
下賜をすると簡単に言ってのけるが、これでも誰に何をあげるかで使用人間の争いごとに発展することがあるのだ。しかも現在の燕宮は故郷より連れてきた者と鴻雲の命にて配属された者が半々といったところだ。平等にしたつもりでも、あちらの方がよかった、こちらの方がよかったと結局雰囲気が悪くなる可能性だって高い。
その危険性はまだ手探りの今はできれば回避したい。となると─
「わたしが着るしかないんでしょうね」
やはり自分が着るという選択をせざるを得ない。
「ああ、そうしろ。仕立てはこちらで手配しておく」
「・・・・ありがとうございます」
服には興味がないが、布地には興味があるのでいい機会だと思って穴が開くほど観察してやろう。そして故郷に戻った暁にはそれらを参考にして新しく事業を興そう。そうすればこの
「そういえばお前、何か見たいものはないのか?」
「見たいものですか?」
唐突な質問に葉楽は歩く速度を緩めた。
すでに大通り沿いは到着してから数日で見て回ったし、今更見たいところなど・・・。
「・・・あの、それは羅城外でもよろしいでしょうか?」
「外か・・・出してやれぬことはないが・・・・」
鴻雲が顎に手を添え考え込む。
皇子妃は夫である皇子の許可さえあれば外にでることは可能だと法典に載っていたため簡単だと思っていたが、もしかすると手続きが面倒なのかもしれない。ちなみに後宮に入る前に外に出ようとしたが、次期皇子妃ということもあってとにかく手続きがめんどくさくて断念した。
「ちなみに何を見たい」
「川を見とうございます」
「川・・・なるほど。見せてやってもいいが、落胆するなよ」
川を見て落胆とはどういうことだ。
よくわからないが、連れて行ってくれるならばそれだけでも一歩前進だ。もし葉楽の仮説が正しければ、交渉する価値はある。
迎えに来たのは馬車だった。外に行くならば絶対に馬の方が早いのにと思いながら乗り込む。
「街を抜けるまでは馬車で我慢しろ。高貴なものは顔を容易く見せる者ではないと周りがうるさい」
口に出していないのに何故わかったかと驚いていると、鴻雲が鼻を鳴らす。
「お前の考えていることなどお見通しだ。ほとんど顔に出ているぞ」
「そっ・・・・そのようなこと、初めて言われました」
「皆気を遣って言わぬのだ。お前はとてもわかりやすい」
今度はふっと目を細めた。
何故だろう。彼が皇子と知る前に会った時から数えてもまだ一月足らずだというのに、その表情は葉楽をとても懐かしい気分にさせた。
ああ、そうか。鴻雲の眼差しはどことなく彼に似ているのだ。彼が
「・・・そうですね、わかってくれていればよかったのですが」
そうすれば今ここに葉楽はいなかったのかもしれない・・・いや、違う。彼はきっと葉楽の想いに気付いていた。気付いていて気付かぬふりをしていた。葉楽はただ選ばれなかったのだ。目を逸らしていた現実を突きつけられた気がして、胸がぎゅっと痛む。
真正面に座る鴻雲が突然葉楽の腕を掴んできた。次の瞬間、ふっと自身の手から力が抜けるのがわかった。いつの間にか拳を強く握りしめていたらしい。
鴻雲は爪の跡がついた掌をじっと見つめると、そのまま唇を落とした。予想外の行動に思わず後ろに引こうとしたが、がっちりと固定され動かせない。見た目はそんなに鍛えているようには見えないが、やはり男というだけあって力では敵わない。
「ひっ」
何かが這うような、先ほどまでとは違う感覚に思わず声が漏れる。
「な、にをするのですかっ」
しかし当の鴻雲はというと、
「消毒だ」
しれっとした顔で薬指に軽く歯を立てる。痛くはない、むしろ子猫がじゃれてくるようなくすぐったさだが、子猫と言うにはあまりにも大きくかけ離れた存在だ。むしろ対局と言ってもいい。
どうせ抵抗したところで意味はない。大人しく待っているとひとしきり満足した鴻雲が口を離した。唾液が糸をひき、すぐ目の前でぷつりと切れる。
こんな風に人の想いもぷつりと切れてしまえば楽なのに。
どこか他人事のように傍観していると、きゅっと頬を摘まれる。
乙女の顔に何をするのだ。
半眼で睨めつけたのに、何故だか鴻雲は頬を緩める。
「殿下、笑ってないで離してください」
「ああ、すまん。忘れていた」
いや、これでも結構痛いので忘れないでくれ。
むうと剥れると、先ほどよりもはっきりと笑った。その顔に一瞬見惚れたのは、自分だけの秘密である。
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