14、偽物
人が行き交う中、ふわっと湯気が立ち昇る。それと同時に香ばしいにおいが鼻腔をくすぐった。その香りに心を奪われかけていると、
「なんだ、腹が減ったのか?・・・ああ、ここか。おい、二つたのむ」
「はい、毎度!」
答えるよりも先に
この男は意外とせっかちなのかもしれない。
「ほら、食え。大衆店だがうまいぞ」
「・・・いただきます」
朝餉をほとんど食べていないせいで鳴りかけていた腹を黙らすためにも一口齧る。
ふわふわの皮の中には甘辛く煮た肉餡がたっぷりと入っていた。しっかりと噛まずともほろほろと口の中で解けていく。王都に来てから包子は何度も食したが、その中でも飛び抜けて美味しい。
「どうだ、うまいだろ」
「ええ、とても。王都の大衆店は皆この水準なのですか?」
「何を言っている。ここは特別だ」
なぜか誇らしげな鴻雲を横目にまた一口齧る。悔しいがやはり上手い。
「ほっほっ、そんな風に思ってもらっているとは知りませんでしたわい」
頬張りながら看板を見上げていた二人の間に背後からぬっと老人の顔が現れる。
驚きのあまり手に持っていた包子を落としたが、地面に着く直前で老人らしからぬ俊敏な動きで受け止めてくれたおかげで無事だった。さすがに地面に落としては砂がついて食べられない。
「ほれ、お嬢さんどうぞ」
「あ、ありがとうございます」
受け取ろうと両手を出すが、老人は
一体何なのだろうか。
穴が開くほど見つめられ、なんだか気恥しくなってきた頃、老人がふっと包子を握っていない方の手を伸ばしてきた。
「・・・・もしや、あなた様は」
しかし、その手が葉楽に触れることはなかった。
「
ぐいっと体を引き寄せられる。
「やはり、そうでございましたか・・・懐かしゅうございます」
「あの・・・どこかでお会いしましたか?」
これでも顔覚えはいい方だが、こんな立派な白髭の老人は記憶にはなかった。もしかしてどこかで見かけられたことがあるのかもしれない。立場上、こちらは知らぬが、相手は知っているということはよくあることである。
しかし、夷梟は小さく頭を横に振る。
「いえ、あなた様にお会いするのは初めてでございます」
その言葉にどこか違和感を覚えつつも、にっこりとほほ笑んだ顔はそれ以上踏み込むことを望んではいなかった。
独特な空気にどうすればいいのかと鴻雲を見上げると目があったが、すぐに逸らされる。彼もまた何かを隠しているような雰囲気を纏っていた。
「・・・そうですな、また何かありましたら使いをよこしていただければ包子をもって喜んで参りますぞ」
「・・・ええ、その時はよろしくお願いしますわ」
何かが一体何を指しているのか全くわからないが、きっと尋ねたところでうまくはぐらかされるに決まっている。
「行くぞ」
「えっ」
葉楽が返事をする前に鴻雲が腕を引いた。
引きずられる葉楽の姿に夷梟はそっとため息を漏らす。
「あなた様が望みの綱です。期待しておりますぞ・・・・葉楽さま」
ぽつりと漏れたつぶやきは街の喧騒に飲み込まれた。
王都はさすが大陸一の大国である瑞の中心というだけあり、人の数も店の数も途中立ち寄った主要都市よりも格段に多い。
街は皇宮から延びて
「殿下ひとつ聞いてもよろしいでしょうか?」
「いいが、その殿下と言うのはやめろ。気付かれると面倒だ」
「・・・わかりました。ではなんとお呼びすればよろしいですか?」
「
「ではわたくしは
葉楽も一人で市井をぶらつく時は仮名を使っていた。
街歩きをする目的は単に暇を持て余しているからではない。いつもと変わらぬ民の様子を知ることも為政者としては非常に大切なことだ。部下たちの報告だけではなく、実際自分の目で見なければわからぬこともたくさんある。例えば、
「ちょっと、ちょっと、そこの、青い服のお嬢さん」
人の良さそうな老人が声をかけてきた。足を止めると、老人が屈むように手招きをしてくる。視線を下にやると、そこには金銀玉を加工してできた装飾品が並んでいた。
「なにかしら?」
「ちょっとここ数日客入りが悪くてねぇ。どうだい、何か気に入るのがあったら安くするから買ってくれないか」
「そうね・・・」
葉楽は一番端に置いてあった
「お目が高いね。その紅玉は大きな声じゃいえないんだけど
たしか瑞と竺黄の間には玉や金銀の取引に関しては厳密な規定があったはずだ。その厳密さ故に、両国の商人が燕国を介して取引をしていた時期もあるほどだ。
ちらりと横目で鴻雲を見ると、はっきりとは顔には出さないもののやや渋い表情をしている。なるほど、これはあまりよろしくない行為という認識で間違いはないらしい。
ついでに陽の光にかざしてみる。
「・・・なるほど。この紅玉と金はどこ経由で入ってきたの?」
「経由に関してはうちも商売やってるからはっきりとは言えないが、燕とかを通していないことは保証しよう。その分、安くなってるからね」
つまり、竺黄から直接入ってきているということか。
この場合、どうすればいいのか。今度はしっかりと鴻雲の目を見て、判断を仰ぐ。
「・・・好きにしろ」
「それではこれ、もらうわ」
「まいど!じゃあ、お代は」
「あ、待って。これ紅玉は本物だけど、金は偽物よね?」
「は・・・なっ、なんてことを言うんだ!」
老人が腕輪を奪い取ろうとするが、葉楽はひょいっと避ける。
「あなたが知らずに売っていたのか、それとも故意に偽物を売っていたのかは知らないけど、どちらにせよこれは偽物よ。偽物の売買は法律で禁じらレていることくらい商人の端くれであればもちろん知ってるわよね?」
偽物、贋作の売買は価値の重さに比例する。つまり、安価なものであればそれだけ罪は軽く、高価なものになればそれだけ罪は重い。金や玉は一番罪が重く、減刑無しの絞首刑である。もちろん故意か故意ではないかというのは減刑の対象にはなるが、減刑されたとしても良くて死ぬまで労役だ。
「しっ、知っているに決まっておるだろう!」
「それならば話は早いわ。この紅玉はどこから買い取ったの?教えてくれるならそれ相当の代金は払うわ。でも教えてくれないのであれば・・・」
ちらっと見ると、鴻雲が小さくため息をつく。
「金吾衛に引き渡すしかあるまいな」
「だそうよ。わたしとしては話す方をお勧めするわ」
この場で話さなくともどうせ経緯を話せば尋問されるのだ。泡銭でも懐に入れたいと思うのが普通の思考である。
「それはできねぇ」
「そうよね。うん・・・え、話さないってこと?」
目を白黒させる葉楽を横目に男は小さく頷く。
「おい、お前。一体何に怯えている」
いきなり割り込んできた鴻雲の言葉に、老人はびくりとその細い肩を揺らした。驚きのあまり気付かなかったが、よく見ると手が小刻みに震えている。尋問、もっと言えば拷問されるかもしれないというのにそれよりも恐ろしい何かを背負っているのか。
老人は一瞬考え込むように動きを止め、しかしすぐに小さく頭を左右に振った。
「こればかりは言えねぇ。金吾衛でもなんでも連れてきな。俺は爪を剥がれようが舌を抜かれようが一切話さねぇからな」
まるで目の前の葉楽たちではなく、他の誰かに宣言するような物言いに違和感は深まって行くばかりだ。
葉楽がついっと鴻雲の袖を引き、顔を寄せる。
「で・・・雲景さま、どうします?」
「どうするも何も・・・お前はどう思う」
「深い事情まではわかりませんが、わたくしならば保護致しますわ」
きっと老人は偽物だとわかっていて売っていた。その一面だけ見れば悪人だが、のっぴきならない事情が背後にある気がしてならない。
「・・・保護、か」
「ええ。もし難しいのであれば後から燕宮に送っていただければこちらでなんとかしますわ」
「いや、それは俺が許さぬ。おい」
鴻雲が声をかけると、何処からともなく二人の男が姿を現した。
「お呼びでしょうか」
「この老人を連れて行け。あくまで丁重にだ」
「はっ!」
「なっ、くそ!俺は話さんぞ!」
ずるずると引き摺られるようにして連れて行かれる老人の様子に周りの人間たちもなんだなんだと騒つく。
その光景に目を凝らしていると、がしっと背後から腕を掴まれた。
「何をしている。さっさと行くぞ」
返事をする間もなく連行される。
あれ、これついさっきも同じことがあったような・・・。
既視感に襲われながらも葉楽は足早にその場を後にした。
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