13、燕

 今朝方まで雨が降っていたせいか、空は澄んで、いつもより数倍広く感じる。

 これが前でも後ろでもいいから一日ずれてくれていたらよかったのに。

 恨めしげに空を睨みつけていると、ふと愛馬が足を止めた。


 「どうしたの雪兎セキウ


 ぽんぽんと軽く腹を蹴っても、ここから先は絶対に動かないわよと言わんばかりにふんと鼻を鳴らす。

 もしかして朝餉前に出てきたので怒っているのだろうか。一応お詫びとばかりに先ほど好物の林檎を三つあげたのだが、足りなかったのか。

 雪兎は交流のある騎馬民族より葉楽の生誕の祝いにと贈られた駿馬だ。速さでは今のところ負けなしなのだが、如何せん性格が小難しい。一度へそを曲げると、回復までに半日ほど時間を要する。

 

 「ねぇ、雪兎」


 甘えた声で顔を撫でてもちっとも靡いてくれない。むしろあたしに触るなとばかりに顔を左右に振る。

 しかし、このまま道中で立ち止まっているわけにはいかない。目的の狩り場までは馬の足でなければ半刻いちじかんほど距離がある。それに日暮れまでに帰らなければ、さすがに懐の深い父とはいえしばらくは外出禁止令を言い渡されるだろう。王宮は広いが、それでもやはり退屈になるには違いなかった。

 これで応じてくれなければ仕方ないが歩いて行くしかない。三度目の正直を願い、下りて手綱を引っ張ってみるが、


 「・・・・わかったわ。そこまで行きたくないなら無理はさせない。その代わり、ここで少し待っててね」


 葉楽は雪兎の手綱を近場の木に括り付けると、狩りの道具一式を背負い歩き始める。

 目的地まであと半分ほどというところまで歩いたところで小さく腹が鳴った。そういえば、葉楽も人手の少ないうちにと抜け出してきたので朝餉を食べ損ねていたのだ。

 こっそりと厨からくすねてきた麵麭パンがあるのでひと休憩入れよう。

 目を瞑って水を探る。すぐ側に大きな水源の気配を感じた。山道を逸れて森の中を突き進むと、そこには滝と小さな湖があった。覗き込むと、ポコポコと底から水が湧き出ているのがわかる。

 葉楽はすぐに手ですくい口を濯ぐ。飲めない水はこの時点で違和感を感じるのだが、ここの水は飲めるようだ。水を吐き出し、今度は両手で掬い喉を潤す。

 ぐるりと周りを一周してみると滝の裏側に入れることがわかった。足を取られないように気をつけながら中に入る。落ちてくる水がまるで御簾のように外から照りつける日差しを遮ってくれる。


 「普段は通り過ぎるだけなので気付かなかったけど、いいところね」

 

 当たり前だが誰もいないので返事など返ってくるはずもない。だからただの独り言で終わるはずだったのだが、


 「チィチュロリ」


 まるで相槌を打つかのような声に、びくりと肩を揺らす。

 まさか、何かの祟り神とかではないわよね。

 人間や獣ならば対処できるが、幽鬼や妖怪は葉楽の守備範囲外だ。恐る恐る首を音がした方に向ける。

 しかし、そこには何もいない。もしや別方向の音が反響したのかもしれないと辺りを見渡すが、やはり何の姿も見当たらない。

 では、やはりあの声は─。

 葉楽は慌てて荷物を纏めるてその場を立ち去ろうとしたが、その時先程よりも近くで「チィチュロリ」と同じ声がした。

 動きを止めて視線だけを向ける。すると、暗闇から何かが這い出てきた。

 

 「ひっ・・・・・・と、鳥?」

 「ジュリリ」


 出てきたのは光沢のある紺の翼を持つつばめだった。まだ子供なのか普段知っているものよりも一回りほど小さい気がする。

 気付きにくかったが、よく聞けばたしかに燕の鳴き声である。

 燕は基本的に飼い鳥には向いていない。しかし燕は葉楽を見て逃げるどころか、むしろトコトコと近寄ってくる。人にでも飼われていたのだろうか。手を差し伸べると燕は躊躇なく乗ってきた。そして思わず顔を顰める。


 「これは・・・痛かったわね」


 燕の肩付近にはどこかで擦ったような傷があった。


 「・・・拭いてもいいかしら?」


 人間の言葉なんてわからないだろうが、一応尋ねてみると燕は小さく鳴く。それを了承ととった葉楽は持っていた手拭を水に浸して傷を拭う。滲みるだろうに燕は非常に大人しく、喚き声一つあげない。逆に不気味である。


 「化膿止めは塗ったけど・・・このまま野生に戻すのは心配ね」


 何があったのかは知らないが、創傷から見て矢ではないかと判断する。しかもこれは明らかに対人用、殺傷能力が高いものだ。戦の情報は入ってきていないが、用心するに越したことはない。戦とは何が火種になるかわからない。

 葉楽は少し考え、荷物から手巾を取り出すと燕の体を優しく包んだ。


 「あなた、怪我が完治するまでわたしの子になりなさい。悪いようにはしないから」

 「・・・・チュリチュリ」

 

 燕の声に思わず笑ってしまいそうになる。やはり、鳥というよりも人を相手にしているみたいだ。


 「さて、まずは雪兎のところまで戻らなきゃ」


 今日の狩りは中止だ。

 国の安寧と自分の趣味をほんの少しでも天秤にかけたことが知れれば父から大目玉を食らうだろうが、こうして大人しく戻るので勝手に帳消しにしておこう。

 

 「そうだ、あなた名前がいるわよね。色が燕にしては黒いわね。それに身体が小さいから・・・黒鼠コクソってのはどう?」

 「・・・・・・・・ツピー」

 「・・・いや、今のはわたしが悪かったわ。ごめんね、雪兎の時と同じ感覚でつけたら駄目よね。そうね・・・じゃあ、碧(ヘキ)でどう?わたし海が好きなの」


 燕はやや考えるような素振りを見せ、まあ仕方ないかと言わんばかりに「ガァ」と小さく鳴いた。燕は比較的賢い鳥だが、その姿は賢いというよりも人間そのもののようである。生物は稀に通常の知能を凌駕する個体が生まれることがあるというが、もしかしたら碧はそれなのかもしれない。どちらにせよ、怪我が治るまでは面倒をみると決めたのだから天才だろうが阿保だろうが関係ないが。

 

 「じゃあ、碧。急ぐから走るわね。痛かったら鳴きなさいよ」

 「ジュリリ」


 碧の返事を合図に、葉楽は元来た道を駆け下り始めた。





 なんだかとても懐かしい夢を見ていたような気がする。

 目を覚ました葉楽は格子窓から差し込む柔らかな日差しに数回目を瞬かせる。師蝉に起こされる前に起きるのはここ十年くらいで数えるくらいしかなかった。ちなみにそれらは全てこっそりと王宮を抜け出す用事がある時だけだ。

 しかし今日はやけに体が重い。

 脇腹あたりに違和感を覚えつつ、大きく欠伸をして体を縦にぐんっと伸ばすと、右腕が何かに当たった。


 「んっ」


 何か聞こえた気がしたので首を捻って向くと、そこには精巧な作りこまれた人形が目を閉じたまま眉をひそめていた。

 一体何だこの状況は。

 ぐるぐると頭を回転させているつもりが、何故何故とただ堂々巡りするばかりだ。寝起きの悪い葉楽にとってこの時間程頭の回らない時はない。駄目だ、考えれば考えるほどよくわからなくなってくる。そして─

 うん、私は何も見ていない。そうだ、何も見ていない。

 もうひと眠りすれば、きっと誰かが収集してくれるはずだ。そう信じて目を閉じたのだが、


 「・・・楽」


 うなじに柔らかい何が触れた。それが何なのか理解するのに然程時間はかからなかった。


 「・・・っきゃぁぁぁぁあ!!」

 

 早朝から宮に響いた断末魔に護衛官たちが閨に雪崩れ込み、あられもない姿を公衆の面前に晒してしまった葉楽は再度悲鳴をあげた。


 「いい加減機嫌を直せ、燕妃」

 「・・・・別に怒ってはいません」


 嘘ではなく、本当に怒ってはいなかった。

 ただ、見知らぬ護衛官たちにあられもない姿を見られたことが想像よりもずっと衝撃ショックだっただけだ。まだ嫁入り前─一応嫁には来ているのだが、閨事はまだだし、これからもするつもりもないので見せる予定はなかった。

 しかも今回の一件で、完全に葉楽は寵愛を受けていると勘違いされた。もはや言い逃れはできない。

 面倒くさい。出来るだけ早く後宮を去って国に帰りたかったのに、これでは何もなくとも三年は滞在しなければならない状況ではないか。

 そしてそうなれば、宮で首を長くして待っているであろう師蝉シセンの今後について検討しなければならない。

 老人にとって三年は短いようで長い。その三年を好物が食えない他国で過ごすよりも、たらふく魚が食える故郷で過ごさせてやりたいと葉楽は思う。

 これは本格的に先に返すように段取りを取らなければならないかもしれない。

 気が重くなりすぎて全然食が進まないでいると、向かいに座る鴻雲コウウンが箸を置き、こちらを真っ直ぐに見る。その表情は葉楽が言うのも何だが、お世辞にも機嫌がいいとは言い難い表情だった。


 「済んだことを悔やんでも仕方がないだろ。俺とて気分は良くない」


 あまりの言い草に葉楽は唖然となる。

 家臣たちに見られて嫌な嫁を同衾させたのはどこのどいつだ。

 なんとか口には出さなかったが、さすがに表情までは取り繕えない。葉楽の顔が一気に剣を帯びる。

 せめてこの国の寝着が帯で結ぶようになっていなければ、結果は違っていたはずだ。寝相の悪い葉楽とは最悪の相性である。そしてこの国にいる以上、また同じような辱めに合わないとも限らない。それはいくら肝が据わっている葉楽でも無理だ。


 「はぁ、帰りたい」


 思わずぽろりと漏れた本音。

 

 「・・・そんなに俺が嫌か」

 「あ」


 しまった。

 想定よりも葉楽の声は大きかったらしい。そろりと視線をあげると、仏頂面・・・というよりもどこか傷ついたような、憂いたような表情をしていた。そして悔しいことに葉楽はそういう顔に弱かった。


 「・・・・別に殿下のことが嫌なわけではございません。ただ、少しこちらの暮らしに飽きてしまっただけです」  

 「そうか・・・たしかにお前にとっては窮屈かもしれんな」


 鴻雲は何かを思い出したかのようにふっと口元を緩めると、後ろに控える英清エイセイに何かの指示を出す。英清が部屋を出て行くとすぐに代わりとばかりに侍女が入ってきた。鷹を思わせるきつめの顔立ちの美人だ。年の頃はちょうど葉楽の親世代と言ったところだろう。ただ美人はやや年上に見えることが多いので、もしかすると少し下かもしれない。


 「鶴心カクシン、燕妃の準備を頼む」

 「かしこまりました。さあ燕妃さま、こちらへ」

 「えっ、あ、ちょっ」


 返事をする間もなく連れ出される。

 部屋を出る際に一瞬目があった鴻雲は非常に爽やかな笑みを浮かべていた。普通ならば好感の持てるはずなのにそこに胡散臭さを感じてしまうのは、これまで散々な目に遭わされているからだろう。

 馨楽が来ていたら、それこそ大変なことになっていたはずだ。あの子は体と同じく精神も繊細なのだから。

 あれ、でも馨楽であれば水の力ではないからこんな展開にはならなかったのでは・・・。


 「燕妃さま」

 「あっ、はい!」


 急に名前を呼ばれ顔を上げると、鶴心の他に数名の侍女が葉楽を取り囲んでいた。香油に化粧道具、服に装飾品と其々が何かしら手に抱えている。


 「おでかけでございます」


 こどもに言い聞かせるような優しい物言いだったが、完全に目は笑っていない。それはまるで獲物を見つけた猛禽類のようだ。

 この人には逆らってはいけない。姉曰く女の勘は死んでいるらしいが、野生の勘はちゃんと働いている。

 無抵抗だと分かると侍女たちは躊躇なく葉楽の手入れを始めた。

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