10、蜜月

 宮に行くと言い出したのは自分だが・・・。

 葉楽ヨウラクは通された一室を見渡し、ひどく後悔した。

 座っている長椅子から少し離れたところにある卓や箪笥まですべての家具は紫檀で統一されていた。ぱっと見は地味に見えるが、使われている木材は一級品である。また床に敷かれた絨毯には馬に乗った人間が狩猟する姿が描かれている。これは竺黄ジクオウよりさらに西方から輸入されたもので間違いない。葉楽も何度も手にしたことはあるが、花や幾何学模様が一般的でこのような柄は初めて見た。そしていいものは実際に手に取って見てみたくなるのは商人の性だ。うずうずして鴻雲の話など全く耳に入ってこない。


 「・・・おい、エン妃。聞いているのか」

 「へ?」


 慌てて振り向くと、鴻雲コウウンの眉間にはしわが寄っていた。

 しまった、完全に聞いていなかった。

 珍しくおろついていると、「いや、もういい」と適当にあしらわれる。

 話の内容は気になるが、ここでもう一度と強請れるほど神経は図太くない。それならば後で蛍順ケイジュンに聞こうと思ったが、そういえばここから離れた部屋で待機してもらっていた。流石にその距離では聞こえていない筈だ。むしろ聞こえていたら、いくら異能が人智を超えた力とはいえ普通に恐ろしい。


 「見たいのなら見て良いぞ」

 「・・・よろしいのですか?」

 「ああ。どうせ絨毯それが気になって話にならんだろう。お前、こちらを向いているつもりかもしれんが、視線は完全に床に向いているぞ」

 「・・・お言葉に甘えさせていただきます」


 鴻雲が手ほどの大きさの鐘を振って鳴らすと、使用人たちが部屋に入ってきた。そのまま指示通りに卓を退かし、下に敷いてあった絨毯を少し広い場所に移動させてくれる。


 「触っても?」

 「好きにしろ。ただ、床に敷いていたものだからきたな」


 鴻雲の話を最後まで聞かずに葉楽は手を伸ばす。

 表面の感触は想像していたよりも柔らかく、馬や人の顔は細部まで事細かに織られている。

 

 「これは竺黄よりさらに西の国から来たものですね」

 「ああ。隊商キャラバンが直々に持ってきたものだ」

 「毛は羊毛ですね。赤は臙脂虫エンジムシ、黄は番紅花サフラン使っているのでしょうか」


 じっくりと見せてもらう前から想定はできていたが、こうやって実際に触ると最高級品なのが改めてわかる。

 あまりの質の良さに目を輝かせていると、ふっと吹き出す音が聞こえ、顔を横に向けると鴻雲が笑いを堪えていた。

 何か変なことでも口走っただろうか。少し怪訝な表情になる葉楽。


 「いや、すまん。お前があまりに楽しそうにするので面白くてな」

 「・・・そんなに楽しそうでしたか?」


 生憎自分の顔というものは見えない。

 そんなに楽しそうにしていたつもりはなかったのだが、


 「ああ。燕を出て以来一番いい顔をしていた」


 きっぱりと言い切られてしまってはそうかと納得せざるを得ない。


 ん?今、燕を出てからと言った?

 鴻雲の言葉にわずかな違和感を覚えたが当の本人は特段何か変な様子はない。きっと顔を合わせて以来とでもいいたかったのだろう。瑞の言葉と燕の言葉はほとんど相違ないが、どうしても地理的に離れているため地域差が出るものだ。


 「そんなに気に入ったのならお前の宮で使えばよい」

 「えっ・・・あ、いえ、お気持ちだけ頂戴しておきます」


 一瞬声を弾ませてしまったが、ここで自分だけ贈り物を受け取ってしまえばまた周りから目の敵にされるに決まっている。後宮は狭い分、噂が広まるのが早い。先ほどの孫妃たちの振る舞いは明らかに燕妃への嫉妬からだ。

 そんな想像しているような甘い関係ではないのだが、たしかに指一本触れないよりは前進した関係である。葉楽としては指一本触れないでいてくれた方がよかったのだが。


 「案ずるな。お前だけではなく他の妃にも下賜する予定だ。他のものが良ければ他のものを割り当てるぞ」


 控えていた英清エイセイが巻物を広げる。

 

 「この中に欲しいものがあればお前に優先的に贈ろう」

 「はぁ・・・」


 右から左へとざっと目を通す。

 金やほうせきの装飾品や布地などいかにも女が喜びそうなものばかりだ。元より装飾品にはさほど興味はないし、手持ちのもので間に合っている。


 「この絨毯をいただいて参りますわ」 

 「そうか。ならばお前の宮へ送る手筈を整えておこう」

 「ありがとうございます」

 

 下男が部屋に入って絨毯を回収していく。

 それを名残惜し気に眺めてしていると「燕妃」と声をかけられた。

 

 「なんでしょうか?」

 「さて、それでは貢物も贈ったことだ。ここからは取引といこう」

 「・・・取引、ですか?」

 「ああ。お前も態々遊びにこの宮に来たわけではあるまい」


 鴻雲の言葉で思い出す。

 ソン妃たちに絡まれたり、物珍しい絨毯に心奪われたせいで頭から完全に抜け落ちていたが、葉楽が鴻雲の宮を訪れたのにはきちんとした理由があった。忘れたはずの火が胸の奥で燻り出す。

 取引の内容は気になるが、その前に聞いておきたい。

 

 「何故あのような虚偽の風説を流布されたのですか」

 「虚偽、とな?」

 「ええ。たしかに他の妃よりは踏み込んだかもしれませんが、同衾した覚えはございません」


 まさかその年で口付けで子が成せると思っているような頓珍漢ではなかろう。


 「何を勘違いしているのか知らんが、俺は同衾したなどと一言も話してはいない。父上に結果を聞かれたので、『相性がいい妃がいた』と答えたまでだ」

 「・・・それで皆が勘違いした、と?」

 「そういうことだろう。しかし、俺に他意はなかった」


 飄々と言ってのけるが、どこからどう聞いても男女の仲が進展したとしか思えないような発言である。他意はなくとも真意がわからない。きっとそれが取引につながっているのだ。

 今まで何度も外交の場に出たことがあるが、ここまであからさまに不利な交渉は初めてだ。当たり前だが地盤の頑丈さがまず違う。

 やってられない。

 例えではなく実際に匙を投げたくなる気持ちをぐっと抑えるように葉楽は大きくため息をつく。


 「それはわたしにとっても利はございますか?」

 「もちろん。そうでなければ取引ではなく、命令をする」

 

 言われてみれば確かにそうだ。

 今の葉楽の立場は燕国王女である前に、瑞国第四皇子朱シュ鴻雲の妻なのだ。夫が妻に命じるのは男尊が基本の瑞では当たり前の思想である。

 逆に考えれば、それだけ尊重してくれているということだ。葉楽の中で少しだけ鴻雲の株が上がる。

 葉楽が反論しないのを是と取ったのか、鴻雲が話し始める。


 「まずこの呪いについてだ」


 一発目にそんな核心の話をするのか。

 

 「そんな顔をするな。安心しろ、俺の側近と両親も知っている」

 

 いや、そのどこが安心できるのだ。完全に限られた人間のみしか知らない極秘情報トップシークレットだろ。

 これは確実に聞いたら後戻りできないやつだ。

 

 「あっ、そ、そういえばわたくし用事がっ」


 うまい言い訳なんて考えている時間すら惜しい。急いで退席するため立ち上がるが、光の速さで捕まえられる。

 

 「そう硬いことを言うな。せっかくに蜜月だし、なにより乗りかかった船であろう?」


 蜜月・・・は一応定義としてはあったいるとしても、その船は絶対に泥舟だろ。しかも絶対沈むとわかっているのに、物理的に逃げられない。

 一体どんな仕打ちですか、王母娘娘オウボニャンニャン

 信仰心はさほど強くなかったことを後悔しつつ、葉楽は大人しく鴻雲の隣に腰を下ろした。

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