9、衝突

 「なに、これは」


 体は疲れきっていたはずなのに異様に頭が冴えてしまったせいで眠りにつけたのは空が白んだ頃だった。そのせいで日が高くなってから起床した葉楽ヨウラクは、いつの間にか部屋に運び込まれた荷物の山に首を傾げる。


 「先程届いた荷物でございます」

 「わたしこんなに送ったかしら?」


 エンを出る時に早急に必要ではない荷物は荷造りだけしておいて後から送る手筈を取っていた。しかし、元からたいして物欲があるわけでもなく、双子という利点を生かして服など共有していたものも多い。それ故服や装飾品の類はほとんど残してきたつもりだったのだが、荷物の蓋を開けていくと入っているのは布地や装飾品ばかりである。

 すでに仕立てた服ならまだしも布地など自分が送るわけもない。後ろに控えている師蝉シセンを見ると、なんとも言えない複雑そうな表情をしていた。


 「全て燕妃さまへの贈り物でございますよ」

 「贈り物?何の?」


 妃になった祝いにしては遅い。

 首を傾げていると、師蝉が小さく咳払いをする。


 「理由など特にございません。贈り主が燕妃さまに取り入ろうとしているのでございます」

 「えっ、何故?」


 目を白黒させる葉楽に対して、師蝉はキッと視線を鋭くする。


 「他の妃には指すら触れなかった第四皇子が唯一食指を動かした妃だからに決まっているではないですか!もはや周りからすればあなた様は未来の皇后陛下だと思われているのですよ!」

 「待って。ちょっと待って・・・わたしがいつそんな関係になったって?」

 「何をおっしゃります!昨晩に決まっているではありませんか!こんなことになるならば、お言葉に甘えず起きておけばよかった!」


 どうしてそんなことになってるんだ。

 顔を覆って咽び泣く師蝉を無視して、葉楽は近くの侍女を呼ぶと筆と紙を準備させた。受け取った筆をサラサラと滑らせ、サッと宙で乾かすとすぐに折りたたむ。


 「これを今すぐ皇子の元へ。そしてすぐに出かける支度を」


 噂の出所は一つしかない。

 あの野郎、ふざけやがって!

 ただでさえ精神がやられている師蝉にとどめを刺しかねないので口には出さなかったが、本当は窓を開けて大声で叫びたいくらいだった。

 

 「燕妃さま、髪型は」

 「一番手早いものでお任せするわ」

 「お召し物は」

 「一番手前のやつでいいわ」


 食い気味に受け答えしたせいか、侍女たちもそれ以上の会話をあきらめたらしく手際よく準備を進める。


 「あ」

 「どうかされましたか?」

 「化粧だけど、白粉はしっかり塗って」

 「はい、かしこまりました」


 すぐに侍女が白粉を顔にはたく。

 普段つけていない白粉をわざわざ指定してくるなんて、やっぱりうちの王女にも春がやってきたんだわなんて内心喜んでいる侍女には悪いが、彼女たちは知らない。第四皇子は白粉のにおいがあまり好きではないことを。そして、葉楽はそれを魔除ならぬ皇子避けに使うために塗りたくっていることを。

 あと簪を挿せば終わりというところで控えていた蛍順に声をかける。


 「駕籠かごは必要ないわ。あなただけ着いてきて」

 「傘は如何なさいますか?」

 「不要よ。ほんの少し歩くだけだから」


 本当は淑女であれば日傘は手放さないものなのかもしれないが、馬を乗り回していた葉楽からすれば今更感が否めない。

 しかし、そこではいそうですかと引かないのが商売人気質の燕の人間である。

 

 「それでは護身用に持たれては如何でしょう?蛍順さまがいらっしゃるので不要かとは思いますが、万が一がないとはございませんし」


 にっこりと細められた侍女の目は笑っていなかった。そういえば、この者はこめかみに触れた者の過去を見る力を持っていた。普通人に自分の力は公表しないが、王族に仕える際にはきちんと申告する義務があったため、調べればすぐにわかる。ただそんなことをしなくとも彼女の目を見れば一目瞭然である。

 葉楽は仕方なく傘を蛍順に持たせると、部屋を後にした。


 皇帝の後宮とは妃の数も規模も比べ物にならないのはわかっているが、それでも皇子の後宮は広い。単純計算で妃の宮が十に皇子の宮、これだけでも十一の宮があるはずなのに、池もあれば花を愛でる場所もあり、ついでに四阿もある。その光景は圧巻でとても素晴らしいのだが、これを現時点で第一から第四皇子までが皆所有しているのかと思うと脇腹辺りがもやもやする。

 完全に税の無駄遣いだとしか思えない。事実、瑞の税は年々上がってきており、属国である燕も余波を受けている。今の額であれば国庫が潤っている燕には痛くも痒くもないのだが、それでも燕の民が汗水流して稼いだ金だ。こんなことに使うくらいならばもっと他の有意義なことに使ってもらいたい。

 そう心の中で不満を漏らしていると、数名の妃たちがそれぞれの侍女を引き連れて対面からやってきた。

 この後宮の難しいところは、妃に位がつかないところだ。普通皇帝の後宮であれば、家柄や寵愛によって妃は貴妃、賢妃などの位を賜る。これでどちらが上かはっきりできるのだが、ここではそれがない。

 妃たちが道の真ん中で足を止める。葉楽たちも同じく道の真ん中で足を止めた。じっと見つめ合い、互いに道を譲らない。重苦しい空気が漂い、一瞬道を譲るべきかと思ったがすぐに頭から追いやった。

 道を譲るということは、相手よりも格が下だと認めたことになる。妃たちは皆、瑞の貴族出身の者だ。瑞の属国とはいえ、王族である葉楽の方が身分は上である。だからここで譲ってしまえば燕の権威が失墜する。できるならばそれは避けて通りたい。

 しかしいくら待っても妃たちは一向に動かない。さて、どうやって動いてもらおうか。一層のこと、彼女たちの上にだけ恵みの雨でも降らせてやろうか。広範囲に雨を降らせる力はないが、ひと三人程度ならば他愛もない。自分はしれっと傘でもさしておけばいい。

 あと百数える間に動かなければ実行しようと、数え始めて三十が過ぎた頃、


 「何をしているの」


 透き通るような白い肌に大きく色素の薄い瞳。栗色の髪を靡かせながるのは、後宮に入る直前に集められた際にひどく怪訝そうな顔をした如北ニョホク妃だ。

 如北国は大陸の北東にある小国で、国土のほとんどが岩と山に覆われいる険しい場所だ。しかしその環境故鉱物資源が豊富で、また加工技術も優れているため武器から装飾品の類まで一級品が作られることで有名だ。

 職人にとって非常に勉強になる環境、職人に課す税が著しく低いことから職人の楽園の異名を持つ国でもある。

 如北妃はつい先日葉楽が物珍しくてじろじろと見てしまったあの時と同じスカートを身にまとっていた。燃えるような赤の布地に金糸で鳥や動物たちが刺繍されている。その中には獰猛な狼と思われる姿もあったが、あまりの美しさに恐ろしさではなく感嘆のため息が漏れそうになる。自身が着飾ることには興味がないが、良い品物を見るのはこの上ない幸せだ。良い品は良い目を育ててくれる。

 コツコツと沓を鳴らしてやってきた如北妃は足を止めると葉楽ではなく妃たちの方を向いた。


 「聞こえなかったの?わたしは何をしているのと聞いているのよ」


 美人だからというのもあるが、それよりも女にしては上背があるせいで上から見下すような視線に妃たちは息をのむ。その姿はまるで彼女の裙に描かれている狼さながらである。むしろ狼の方がまだ優しいかもしれない。迫力負けした妃たちは顔を真っ青にし、皆口を噤んでしまう。

 これは自分に味方してくれたの?

 いまいち如北妃の立場はよくわからないが、彼女は妃たちに向かって話をしている。ここで葉楽が口を挟むのはそれこそ無礼にあたる。

 

 「・・・・そう。答えないのであれば、あなた達は燕国王女に対して他者には答えられないようなことをしていたということになるけど?」

 

 その言葉に妃の一人、三人の真ん中にいるソン妃が唇を強く噛みしめる。

 ああ、これは良くない。あの裙が傷んでしまうのは心苦しいが、やはりここはひと雨降らせてしまおう。

 葉楽が周りに気付かれないように背中側で掌に水を集めていると、まるで時機タイミングを計ったかのようにコツコツと沓が床を叩く音がした。


 「お前たち、こんなところで何をしている」


 颯爽と姿を現したのは、あの人形のように見る目麗しい少年─ではなく昨晩見た時と変わらぬ年相応の端正な顔立ちの青年の姿の鴻雲コウウンだ。

 葉楽と如北妃がすぐに拱手の姿勢を取るが、対立した孫妃たちは不思議そうな・・・いや、どちらかというと惚けたような表情で突っ立っている。鴻雲は孫妃たちを一瞥すると、すぐに視線を葉楽たちに向けた。


 「如北妃、発言を許す。何があった」

 「はい、鴻雲さま」


 如北妃の発言に孫妃たちが一気に青ざめた。

 声には出さないものの、まさか、そんなと口が小さく動いている。

 わからなかったのも無理はない。彼女たちが見た第四皇子とここにいる男は、その事情を知っている葉楽から見ても全くの別物だ。言うならば兎が虎になったくらいの変貌を遂げている。

 だが、それでも燕と如北双方の王女が拱手した時点で相手の身分は皇族以上だと彼女たちは気づくべきだった。そうでなかったとしても、ここはあくまで第四皇子の後宮である。男が皇子以外に居るわけがない。


 「瑞の御令嬢方が燕妃の前に立ち尽くし道を譲る様子が見られませんでしたので、後宮の道理を教えようとしていた次第でございます」

 「ほう・・・燕妃、如北妃の言に違いはないか」

 

 一瞬、どちらにも角が立たないようにと思ったが、標的にされていたのは自分だったことを思い出す。それでもなんとか面目を保ってあげたい気持ちはあるにはあるのだが・・・どうにもこういった場面に出くわしたことがなかったため、いい言葉が浮かばない。それになにより助けてくれた如北妃に恥をかかせることは断じて許されることではない。

 

 「・・・はい。如北妃の仰る通りです」

 「そうか・・・おい、お前たち」


 鴻雲に呼ばれた孫妃たちはぴくりとその細い肩を揺らす。


 「この者は燕国の王妃だ。自分たちよりも身分は上なのがまさかわかっていないのか?」

 「も・・・申し訳ございません。まさか王妃さまとは存じ上げなかったもので」


 いや、絶対知ってただろ。

 保身のためとはいえ、当たり前のように嘘を吐く姿勢に一瞬でもなんとかしてあげたいと思った気持ちを返してほしい。

 鴻雲が孫妃の真ん前に立つ。そして、


 「その言に嘘偽りはないな?」


 あからさまに冷たい声音に孫妃はぐっと奥歯を噛みしめる。


 「・・・はい。申し訳ありませんでした」

 「・・・そうか。ならば今回は信じよう。しかし肝に銘じておけ。王族に無礼を働く者は我が妻には必要ない」


 きっぱりと言い切った鴻雲が踵を返す。

 その後姿を見送っていると、急に足を止め振り返った。


 「何をしている。遅いから迎えに来てやったのだぞ、燕妃」


 言われて、そういえば訪問するという趣旨の文を送っていたことを思い出す。このごたごたに巻き込まれたせいで失念していた。

 場を離れる前に如北妃にお礼をと思ったが、孫妃たちの前で見せつけるような形になるのは厭味たらしい気がするし、何よりその如北妃が先日と同じように目を吊り上げているためそんな雰囲気ではない。

 仕方がない。如北妃にはまた後日文でお礼をしよう。

 葉楽が一歩進むと、孫妃たちがさっと道を譲った。さすがに今指摘されたことをできないほど愚かではないらしい。


 「蛮族ばんぞくの癖に」


 いや、前言撤回だ。

 明らかに敵意を孕んだ言葉に、葉楽は足を止めて孫妃を見る。

 何かを言おうとして口を開きかけたが、すぐに口を閉じる。

 以前葉楽が熱病で倒れ、代わりに珍しく馨楽キョウラクが他国の大臣の相手をした時の話だ。

 その場にいなかったため何があったのかは実際見ていないのだが、馨楽が大臣を憤慨させ、国交断絶を勝ち取った。大臣は口には出さずとも燕のことを小国だと馬鹿にしていたきらいがあり、何より不利な条件の交易を押し付けられていたため燕としては断絶して困ることは一つもなかった。むしろ万々歳だった。

 後日、他の使者が国交再開の申し入れをしてため、燕にかなり有利な条件で再開することができた。その時、葉楽は馨楽に聞いたのだ。どうやってあの腹黒い大臣をそこまで憤慨させたのか、と。

 すると馨楽はその薄い唇を横に引いた。

 

 『相手を憤慨させるのは簡単よ。何をされても何を言われてもただにこりと笑っていればいいの。あなたなんて眼中にないのよってね』


 葉楽は睨みつけてくる孫妃を一瞥すると、にっこりと笑みを浮かべた。

 次の瞬間、孫妃が顔を真っ赤にし、ふるふると小さく震える。

 その反応に満足した葉楽は先行く鴻雲の後を追った。

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