7、第四皇子

 皇宮に集められていた女たちは近隣諸国合わせて十人。皆其々、思い思いに着飾り近しい未来の旦那の到着を首を長くして待っている。そんな中、一番端に陣取った葉楽ヨウラクは小さく欠伸をかみ殺していた。


 「王女さま」


 後ろから小声で窘められるが、もはやこれは生理現象で止めることはできない。団扇でちゃんと口元を隠したのだから、そんなにカリカリしないでほしい。


 「・・・それにしても遅いですわね」

 

 師蝉シセンが心配そうな声を漏らす。


 「そうかしら。こんなものではなくて?」


 国や民族によって価値観というものは大きく異なる。

 早いのが良いとする国もあれば、威厳を見せつけるために遅く登場するのが良いと考える国もある。その人間によってもその感覚は違うので、一概にどれがいいとは言えないが、エンで生まれ育った師蝉にとっては遅いと感じるのは仕方がない。燕は商いで大きくなった貿易都市だ。客人を待たせるなど言語道断という意識が刷り込まれている。それ故、店で注文しても驚くような速さで料理が出てくる。しかも様々な文化が混じっているせいか、どれも個性があり、非常に美味しいのだ。

 様々な文化と言えば・・・と周囲を回視する。

 着飾った令嬢たちはその形式は同様であるが、使われている布地や装飾品に個性があった。服で大方の出身はわかる。今回はかなり広範囲から集められたらしく、布地ひとつをとっても異なってくるので面白くてついつい眺めていると目があった女がジロリと睨みつけてきた。まるで親の仇を見つけたかのような表情だ。折角の可愛い顔にも関わらず、その表情一つで大抵の男は尻尾を巻いて逃げ失せるだろう。

 葉楽は肩を小さくすぼめる。もしかしたらとんでもないところに来てしまったのではないか。そう後悔していると、銅鑼の音が鳴り響いた。

 なんだと辺りを見回す令嬢たちを横目に、葉楽率いる燕の者たちは素早く立ち上がりその場で頭を下げ拱手する。慌てて他の者たちも同じような姿勢をとったところで、皇帝が姿をあわらした。

 衣擦れと靴が床を叩く音と銅鑼の余韻が広い部屋に響き渡る。ピタリと足音が止まった。


 「面をあげよ」


 それを合図にゆっくりと顔をあげる。

 立派な髭を蓄えた凛々しい皇帝のすぐ隣には、あの時の少年が立っていた。しかし肝心の第四皇子の姿は見えない。

 ふと少年がこちらを見た。目が合った瞬間、葉楽は目眩にも似た感覚を覚える。外套と覆面のせいで目元しか見えていなかったが、あの時の少年は確かに今この場にいる少年だ。それほどまでにあの瞳は強烈な印象を葉楽に残していた。

 もしかして少年だと思っていたが、あの幼さは宦官特有のもので実年齢はもっと高いのかもしれない。

 若くして宦官になった者は、人よりも老化が遅く、四十路辺りになると一気にそのつけが回ってくるのだという。そして美しい者はその美しさに磨きがかかるとも言われている。

 現に、絵画のから飛び出してきたような美しさ少年の姿に目を奪われている者も多い。


 「皆に集まってもらったのは既に知っているかと思うが、我がズイ国第四皇子鴻雲コウウンの後宮に入ってもらう為だ」


 後宮というなれない単語に肩越しに師蝉を見ると、無表情を貫いているがどこかしらそわそわとした様子である。

 実は最後の最後まで反対していたのは師蝉だ。ただでさえ潔癖の気があるのに、複数人の妻を娶るなど生粋の燕国民としては到底許せないらしい。どちらかといえば一夫一妻制を敷いている燕が珍しいのだが、そんなことは関係ないと聞く耳を持たなかった。最終的には勅令という形を取られ、仕方なく納得させた形だ。


 「皆も知っていると思うが、三年何もなければお役御免となる」


 皇帝の言葉に、明らかに場の空気が変わる。

 瑞ではまだ誰が皇位継承権を得るのか決まっていないため、皇子は妙齢になると各々が後宮を持つ事となる。そして集められた娘や女官はその後宮に入るのだが、三年何もなければお役御免ということで必然的に故郷に戻されるか、下賜される。これは皇帝の後宮も例外ではない。いつまでも若い女を飼殺しにしないというのは正しい判断だと思う。それだけで将来の労働力が産まれるか産まれないかに差が生じる。それは後々の国力にも大きな影響を及ぼす。

 顔を強張らせている令嬢方には悪いが、葉楽はお役御免を望んでいる。

 理由は簡単だ。葉楽は瑞から要望のあった長子ではない。あくまで長子馨楽キョウラクの代理、偽りの王女なのだ。選ばれてしまっては都合が悪すぎる。

 だからこうして目立たぬように人が避けていた一番端の場所を陣取ったのだ。服装も他の令嬢に比べればかなり控えめにしている。師蝉は国の威厳がと華美にしようとしたが、下手に目立ってお手つきになっては国に帰れなくなると説得してやっとこの服を許されたのだ。そうは言っても最高級の絹。スカートは淡い緑で下から上にかけて濃淡があり、布地は程よく透けている。うわぎは飾り気のない白だが、これもよく見ると花の刺繍が施されており、良いものだとわかる者にはわかる。


 「ここからは本人に話してもらった方が早いだろう。鴻雲」

 

 それまでの表情とは打って変わり、皆明らかに色めき立つ。

 皇帝の隣にいた少年が一歩前に出た。

 その行動に一瞬疑問を感じたが、もしや第四皇子付の宦官なのだろうか。燕には宦官が居ないため、詳しい作法などはからっきしだが他の令嬢たちが騒ぎ立てないところを見ると、これが一般的なのかもしれない。

 しかし、いくら待てど第四皇子らしき人物が現れる気配はなかった。さすがにおかしいと思い周りを見渡すと、同じように困惑の表情を浮かべている。その様子を傍観していた少年が徐に口を開く。


 「何を困惑している我が妃たちよ」


 見た目にそぐわぬ重厚感のある声音に、皆がハッと息を呑む。

 この場にいるすべての視線を独り占めした少年がフッと片方の口の端を引き上げた。


 「困惑するなとは言わない。ただ、見当違いであったのならば退した方がよい」


 そう言い残すと、少年─鴻雲はさっさと袖に捌けてしまった。慌てた宦官たちが「皇子!」と後を追っていく。その様子を横目で見ていた皇帝が小さく息を吐くと同じように袖に捌けていく。皆が呆然とする中、燕の者たちだけはしっかりと拱手で見送っていた。

 見当違い、辞退。最後の鴻雲の言葉に引っ掛かりを覚える。


 「・・・彰祥ショウショウ

 「・・・わたくしも何がなんだか」


 父の右腕で外交を一身に任されている彰祥ですら珍しく困惑の表情を浮かべている。元はといえばこの縁談自体彼を通して持ち込まれたものだ。


 「あなたがわからないならば、多分ここにいる全員がわかっていないわね」


 ちらりと横目で周りを見るも、困惑を通り越して呆然としている者たちすらいる。


 「・・・仕方ない。いいわ、早くわたし達の宮に参りましょう」

 

 葉楽たちが動き出すと、遅れを取るなとばかりに周りも動き始めた。



 衝撃的な第四皇子との対面からすでに十日が経とうとしていた。現時点で皇子の通いがないのはなんと葉楽もとい燕妃だけである。

 というのも、皇子はあろうことか壇上から見て左端から座っていた順に妃全員の元を訪れていた。そして十番目である葉楽の元を訪れるのは今晩である。


 「蛍順《ケイジュン》、彰祥から返事は来ている?」


 念入りに髪や手足の手入れをされている葉楽の問いに、蛍順は「いえ」と首を横に振る。


 「そう。でも、本物なのよね?」

 「ええ、それは間違い無いということです」


 第四皇子は葉楽よりも一つ年上の十九と聞いていた。しかし、あの姿はどんなに上に見積もってもせいぜい十五といったところだ。普通に街で聞けば大抵が十三くらいだと答えるだろう。

 考えられることとしては自分と同じ偽物かと思ったが、どうやらそうではないらしい。それならば何故あのような容姿なのだろうか。もしや遺伝的に皇族は若く見える・・・いや、そうだとしてもやはり無理がある。

 不老の妙薬か、それとも成長が止まる病なのか。いずれにせよ、ここでいくら考えた妄想を膨らませたところで結論は出ない。葉楽に残された道は、直接本人に聞くことくらいだ。別に皇子の外見が何故かの少年のようかなんて知らなくても死にはしないのだが、どうしても好奇心が打ち勝ってしまう。

 西の国の言葉で、好奇心は猫をも殺すとあるが、そんなこと言われても気になることは気になるのだから仕方がない。


 「王女さま、間違っても事をなしてはなりませんよ」

 

 鼻歌でも歌いそうな雰囲気に師蝉シセンが釘をさす。


 「心配しなくても、そんなことしないわ」

 「いいえ。今の王女さまであれば、『真相を教えるから閨を共にしろ』と言われれば素直に従ってしまいそうですわ」

 「・・・あのね、わたしそんな安売りする主義ではないのだけど」


 普通は逆になんとか閨を共にして寵愛をというところだろうが、裕福な燕には瑞からの支援も必要なければ国内での地位も全くもって必要ない。それこそ十年ほど経った今でも、瑞から独立しようと声高らかに主張しているものも数多いるほどだ。

 だから葉楽の仕事は寵愛を受けず、閨を共にせず、穏やかに、できれば燕に有益な情報を収集しつつ三年の後宮生活を送ることだ。むしろ下手に寵愛なんて受けてみろ。いつ自分が長子の馨楽ではなく、次子の葉楽だとボロが出るかわからない。万が一そんな恐ろしいことになれば、流石に瑞も黙ってはいないだろう。良くて王家の取り潰し、最悪晒し首だ。

 それこそ後宮での呼び名が燕妃だったことに安堵と共に大変感謝しているところである。これが名前呼びだったら、呼ばれていることに気付かないなんてこともあり得る。今日という日が無事終わったら、天におわす王母娘娘おうぼにゃんにゃんに祈りを捧げなければならない。

 コンコンと戸を叩く音と共に部屋の外から宦官が声をかけてくる。

 

 「燕妃さま、そろそろご準備をお願いいたします」

 「ええ、わかりました」


 立ち上がりさっさと寝所に向かおうとすると、くんと腕を引かれる。見ると師蝉が手巾で目頭を押さえていた。


 「王女、いえ燕妃さま、どうかご無事で」

 「・・・そんなに心配しないで。わたしは必ず戻るから。これが無事終わったら廟で祈りを捧げましょう」

 「燕妃さまっ」


 まるで今から戦場に向かう恋人を送り出すようなやりとりを黙って見ていた蛍順はこっそりとため息をつく。本当に手篭めにされたくなければ、そんなに着飾らなければ良いものの、それは師蝉の矜恃プライドが許さないらしい。

 美しい方には美しくものを、そしてさらに美しく。

 祖母の座右の銘とも言える言葉に血縁ながらその美意識の高さには舌を巻くしかなかった。


 「蛍順」


 ふと前行く葉楽が振り向いた。

 見慣れた自分でも見惚れてしまうほどの美しく着飾った姿に、もはや嫉妬心など抱かない。これは、この方たちは別世界の人間なのだと思い知らされるだけだ。


 「無事何事も起こらなかったら、あなたも廟にお礼参りに行きましょう。きっと王母娘娘は厄除けになってくれるはずよ」


 まるで今から訪れる第四皇子を妖か縁起の悪い魔物のかのような言い草に、思わず蛍順は笑ってしまいそうになる。いくら見た目がかわろうとも、中身は燕妃─葉楽のままだ。当たり前なのだが、その事実にほんの少しだけほっとする。


 「燕妃さま、皇子殿下は妖でも魔物ではございませんので何かあっても手を出してはなりませんよ」

 「当たり前よ、善処するわ」


 そこは善処ではなく誓って欲しいのだが。

 まあ、長年王妃の代理を務められていた葉楽のことだからうまくやってくれるだろう。

 しかし、蛍順の願いは虚しくも叶わなかった。そして王母娘娘へのお礼参りももちろんできなかった。

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