5、偽物
瑞において生まれ順は
現在瑞には八人の皇子がいる。そしてその中の五人が長子なのだ。
長子というのは一夫多妻の瑞では母親が一番目に産んだ子を指す。つまり父親が同じでも母親が違えば、必然的に長子は増える。しかも男と女がいた場合、それぞれ一番目に生まれたものが長子を名乗る。それ故、
そして今回の瑞への表敬訪問。これはまさしく蛍順の聞いた通り、
事の真相はわかった。しかし、蛍順にはどうしても気になる・・・いや、根本的におかしい部分に気付いてしまった。
「それでは王女さまは資格がないではございませんか」
目の前に座る王女─
葉楽は歴とした次子。双子の姉、
「ええ、そうよその通り。でも、
「無理ですね」
蛍順は躊躇うことなくきっぱりと否定する。
葉楽と馨楽。
瓜二つの麗しい双子は、その容姿とは反対に性格はもとより体の丈夫さが根本的に違う。あまりの違いに王妃の腹の中で葉楽がすべての生気を奪い取ったのかと言われるほど、馨楽は体が弱い。それこそほんの少しでも気温が下がれば馨楽付きの侍女たちが大慌てで薬湯を作る始末だ。
「もちろん、父上にも馨にも止められたわ。でも、今回の要請は絶対だった。だから他に道はなかったのよ」
瓜二つで本当によかった。
そう葉楽が言った時の、馨楽の顔が頭に張り付いて離れない。
「それは馨楽さまも大層お辛かったでしょう」
「・・・ええ、そうね」
思わず笑いそうになり、誤魔化すように眉を下げる。
違う。あの時の馨楽は悲しみの他に安堵感が見え隠れしていた。それもそのはずだ。自分の体はもとより、愛しい人と離れずに済むのだから。
目の前に水が入った器が出てくる。
「顔色が悪いです。外に出ましょうか」
「いえ、大丈夫よ。ありがとう」
そう言いつつ、頭を冷やすために水を煽る。知らぬ間に乾いていた喉が潤ったおかげか、胸を埋め尽くしかけていたどす黒い感情を端に追いやる。
「それで、もし選ばれたらどうするおつもりですか?」
「そんなことありはしないわ」
葉楽ははっきりと言い切るが、
「・・・
白砂とは燕の西側にある大陸で二番目に大きな国─
そんな状態なので無理だと国王自らやんわりとお断りをしたのが、とにかく白砂王子はしつこかった。そしてその王子をなんとか追い返したのは蛍順を筆頭にした従者たちだ。
たしかにあの時は苦労をかけたと思うし、その話を出されると居た堪れない気持ちになる。
「・・・あ、あの時の二の舞にならぬように策を練っていたのよ」
「策ですか?」
半分に細められていた蛍順の瞳がパッと一瞬大きく見開かれる。興味持ったときの癖だ。
「ええ。王都を巡ってその問題点と改善策を検討しているところよ」
「その事と妃に選ばれぬ事と何が関係するのですか?」
「とても良い質問ね」
葉楽がニッと口端を引き上げると、卓の上にあった大きさの異なる器を手に取る。
「まず今の王都へ運ばれてくる物資量がわたしから見て右。そして実際に必要とされている物資量が左」
二つを重ねる。
当たり前だが格段に大きい左の碗の中に右の碗がすっぽりと収まる。
「・・・供給不足ですか」
「そういうこと。今日主な市を見たけど、明らかに高値だったわ」
「たしかに。全体的に物価は高く感じました」
「では、この状況は?」
「あまりよろしくないですね。物価の高さは王朝への不満となります」
その答えに葉楽は思わず顔をニマニマさせてしまう。
蛍順はその家門から政治には全く疎いと勘違いする輩もいるが、そんなことはない。ちゃんと基礎たる部分は学んでいるのだ。是非この様子をあのいけすかない貴族共に見せつけてやりたい。
「賢い君主であれば今の状態はあまりよろしくないと思っているはずよ。すでに策も講じているようだけどうまくいっていないらしいわ」
「・・・いつ、そんな情報を得られたのですか」
「鳥の串を買いに行ってくれてた時。近くにあった茶屋で客の話が聞こえたの。なんでもここ数年、物価が上がり続けているらしいわ。銭の流通量を増やしてみたりしたらしいけど、ただ支払う銭の枚数がその分増えただけで結局余剰分は回収されんですって」
「
当たり前だが鋳銭にも金はかかる。そっくりそのまそ損失になったと思えば泣きたくなるのもわからなくはない。
「結局、必要量と供給量が一致していないのよ。その大きな要因が二つ。一つはここ十年程度で急激に王都の人口が増えたこと」
「戸整理ですか」
「そう。そのおかげでどこにでも自分の戸を持って行けるようになった」
これまでは戸籍は家族単位だったため面倒な手続きが多く、出稼ぎに行くとしても簡易手続きで済むため出生地近隣で一番大きな都市というのが一般的であった。しかし十五年ほど前、税収をあげるためにと戸を再度細かく整理することになった。それから個人でも戸籍を比較的簡単に動かせるようになってしまい、一番稼げる王都へ人が流れてくるようになったのだ。
「戸部が頑張ってしまった弊害ですね」
蛍順の言葉に葉楽は曖昧に笑うしかなかった。
戸籍整理を行うことになった要因の一つは燕との戦である。当時瑞は数か国と代わる代わる戦をしていたが、その中でも一番の小国燕との戦が思ったよりも長引き、国庫を逼迫。それ故税収をあげる他ないとなったのだ。
だからと言って責められた側である葉楽が負い目を感じるのも変な話だが、大半の庶民は戦に関係がない。上が戦をすると決めればそれに従うしかないのだ。決定権のない者たちにしわ寄せがきているのはどうしても良心が痛む。
「そして二つ目。これは燕との街並みを比べればわかるわ」
「水路ですか」
「ええ。
街にはいくつもの立派な水路は見つかったものの、水は微々たるものだった。水の都と称される燕と比べればその違いは雲泥の差である。
「たぶん水が少ないせいでこれも高くなったんでしょうね」
葉楽が酒瓶を振る。
二人でまだ数杯しか飲んでいないのにも関わらず、残りはほどんどなかった。
価格をあげると客足が遠のくから価格は変えずに量を減らす。特に酒楼なんて酔っ払いがほとんどだからそれで成り立つのだろう。
「実はわたしも水路については気になっておりました。元々王都は乾燥地帯なので水は少なかったようですが、前王朝から現王朝で遷都し、数代のうちには治水に成功していたはずです」
「あら、よく勉強しているのね」
目を丸くすると、蛍順がなんとも言えないような顔になる。
「お言葉ですが葉楽さまほどではないにしろ、わたしも基礎教養は叩きこまれております」
「もはやそれ基礎ではないと思うけど?」
「そ・・・そうなのですか!」
今度は蛍順が目を丸くするが、他国の治水の話までは基礎ではないだろう。
どうやら
お家騒動にならなければいいが。
葉楽はこっそりとため息を漏らす。
「まあ、あなたの言う通り治水に成功していた。でも現実問題として王都は水不足に陥っているわ。たぶん、そのせいで川から直接船で運び入れていた物資が滞っているはずよ」
「でも干ばつの話は耳にしておりません」
「生憎わたしもよ。干ばつがあれば、すぐに
燕はその土地柄貿易都市として成り立っている。人が集まると言うことはそれだけ噂も集まりやすい。特に干ばつは絶好の商機となるため、黙っていても耳に入ってくる。
そうなると考えられるのは─。
「瑞はつい最近、
「ああ、その話ならばわたしも
「蓬将軍が言うならば間違いないわ。彼、そのために花街通いしているらしいから」
一見好々爺のように見えて、その才覚で瑞との戦を率いた手腕は全国民が知るところだ。ただ、非常に女にだらしがないところが玉に瑕である。
葉楽としてはちくりと棘を放ったつもりだったが、
「なるほど、だからあんなに通い詰められているんですね」
キラキラと目を輝かせ心服した反応に拍子抜けする。
そういえば、蛍順は一時期修行と称して蓬将軍の配下になったことがあった。何故だか知らないが将軍は部下から人気がある。例にもれず蛍順もまさしくそのひとりというわけだ。
「・・・まあ、その話は置いておいて。つまり、わたしがいいたいのはこれよ」
葉楽はどこに隠し持っていたのか、折りたたまれた紙を取り出す。
「これ・・・・どこで手に入れられたのですか」
広げられた紙は地図だった。しかも瑞国内だけではなく、その近辺の諸外国も記されていた。
このご時世、地図は貴重だ。なにせ国内の地形が分かれば戦に利用されかねない。だから貴重というよりも門外不出と言った方がいいかもしれない。
「燕を出る直前、街に下りたの」
そんな話は聞いていない。
ジロリと睨む蛍順の視線に気付かないふりをして葉楽は話を続ける。
「いつも行ってた古本屋があるでしょ」
「あの港近くの古びた店ですか?」
「そう。あそこにしばらく帰ってこれないって挨拶しに行ったのよ。ほら、しばらく顔を見せないと死んだんじゃないかって勘違いされるから」
ちなみに古本屋の店主である老婆は、葉楽が男のような格好で行くせいか一兵卒だと思っている。公務で丸二月顔を出さなかった時は戦死したと思われていたらしく、幽鬼が出たと大騒ぎされた。
「そしたらね、自分もいつまで生きてるかわからないし、あんたも帰ってこれるかわからないから餞別にって
「くれたの・・・って、いや、それ売ればあの店だって一等地に立て直せますよ!まさか価値を偽って貰ったんですか!?」
「失礼ね、そんなことしないわ。さすがに悪いと思ったし、ちゃんと価値のある物だから売ったほうがいいって助言したの。でもね、お婆が『こんなのが役立たずの男共の手に渡ればそれこそまた戦が起こってしまう。ここは一番まともなあんたに託すよ』って。だから有り難く頂戴して、戦を起こす可能性がある者達の目に触れないように持ってきただけよ」
この件は父である国王にすら報告していない。父のことを信頼していないわけではないが、その周り全てが同じ考えだとは決して思っていない。
「さて、王都の水源が・・・あったわ」
北の大山脈から伸びる川を指差す。
そしてそのまま指を滑らせると大山脈を挟んだ向こう側には
「呂は五年ほど前に景の公主が嫁いでいるわ。協力を仰いだと考えれば妥当ね」
「上流で止められるのはきついですね」
「そうね。しかも相手も愚かじゃないから、完全に止めるわけではなく量を調節しているはずよ。完全に止められれば抗議されるし、何より攻め入る口実になるわ」
戦など何が火種になるかわからない。さすがに呂もいくら山脈を挟んであるとはいえ、瑞を相手に闘いたくはないだろう。
「そして使えそうな川は・・・これね」
葉楽の指が瑞の東を指差す。
しかし、その川は下流に大きくバツ印が付けられていた。
「もしかして、前王朝があった場所ですか?」
「たぶんね。わたしも実際に見たことはないけど、伝聞から推測するにこの辺りの筈よ」
「でしたらその川は」
蛍順の顔色が曇る。
口にせずとも言いたいことは分かる。前王朝を滅ぼした要因と言える川だ。未だに治水はされていないと考えるのが自然だ。
「でも、一番近くて十分な水量があって、他国の影響を受けない川は他にはないわ」
葉楽の言いたいことは蛍順もよく理解している。ただ、一つの王朝を潰した荒くれものを治められる者なんて─。
「あ」
慌てて視線をあげると、葉楽と目が合った。ニヤリと悪戯が成功した
それが答えだった。そしてこれ以上の会話は必要なかった。
二人は無言で茶を啜ると、店員に声をかけ店を後にした。
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