3、王女と従者

 開け放たれた窓から入る風はからりとしている。肌はやや乾燥してしまったが、そんなことよりも気持ち良さが上回る。風だけでいえば、故郷よりも断然ここの方が居心地は良い。

 意外と王都も悪くないな。

 まだ半分しか起きてない頭で匙を片手に饅頭マントウを齧る。匙を必ず握ってしまうのは、故郷に居た頃の癖、というよりも習慣だ。

 ここ数日体感してわかったのは、王都では小麦が主食ということだ。故郷では毎食普通に出されていた米の姿はほとんど見当たらない。朝餉だって故郷では粥一択だった。でもここでは何も言わなければ粥は出てこない。特段気にせず食べていたが、こうして毎日小麦ばかり食べていると米が少しばかり恋しくなる。


 「王女さま、本日の夕餉は鶏の什錦飯たきこみごはんにいたしましょうか」

 「・・・もしかして心を読んだ?」 


 後ろに控えている師蝉シセンを見るが、心外だと言わんばかりに大きくため息をつかれる。


 「米が恋しい、と王女さまが仰ったのですよ?」

 「・・・その耳の良さ、相変わらずよね」

 「ええ。これがわたくしの神力しんりきですから」


 ぱんと胸を叩き、誇らしげな表情を浮かべる。

 神力。

 王女の故郷─エンでは人よりも特出した力のことをそう呼んでいる。きっと老人が言っていたがそれに該当するのだろう。

 神力は親から子へ同じ力が受け継がれるのが一般的で、稀に別の力に目覚めることもある。王女もその一人であり、また王族は皆この力を持ち合わせている。そしてこの力こそ、ズイと燕の戦が長引いた大きな要因でもあるのだ。

 一万の兵を率いた瑞を燕はたった五百で撃退した。それは策略がよかった、地形に詳しかった等といった条件のおかげではない。燕は神力を持つものが多い。それこそ貴族はほとんどが神力持ちであるし、庶民でも力を使えるものもいる。そのおかげで瑞と燕の戦は拗れに拗れた。このままいけば瑞は一小国を潰すために大陸一を誇る軍を結集させるのではとまことしやかにささやかれていたほどだった。

 しかし、事態は当時の燕国王、つまり王女の祖父の急逝によって幕を閉じた。次期国王となった父はもとより戦反対派だったため、これは好機とばかりに停戦を申し出た。だが、当時の皇帝は停戦ではなく属国になることを望んだ。これには燕国内でも賛否が大きく分かれたが、結局国王は属国になる道を選んだ。瑞に比べれば被害は少ないとは言え、民がこれ以上傷つく姿を見ていられなかったのだ。

 そしてその翌年、会談の席に着いたのは終戦時東宮であった現皇帝だった。彼は前皇帝とは異なり、燕に対して友好的だったため形式上属国となったが王族がそのまま統治することを許されている。

 そのおかげで当時まだ物心がつくかつかないか程であった王女もこうして王女という立場のままだった。それがいいのか悪いのかは他の立場を経験したことがないのでわからないが、見せしめとばかりに王族は殺されることも多い。命があっただけでも運がいいのに、今までと変わらぬ待遇となれば恵まれているのは確かである。


 「本日はどこに向かわれますか?」


 出された朝餉を食べ終えた王女が腰を上げようとすると、すぐに蛍順ケイジュンが部屋の外から声をかけてきた。

 この耳の良さは完全に祖母から孫に着実に受け継がれていた。


 「師蝉、父上から連絡は?」

 「まだ来ておりません」

 「そう」


 燕を出る際に指示された場所にはすでに顔は出してしまっていた。追加の指示も来ていないということは─。

 戸を開けると一目見て武人だとわかる服に帯刀をした蛍順が立っていた。当たり前だが普段と寸分変わらぬ姿だ。


 「蛍順」

 「はっ!」

 「あなた、着替えてきなさい」


 突拍子もない指示に蛍順が目を白黒させる。


 「これは今朝着替えた新しいものです」

 「そういうことじゃないわ。今から行くところに相応しくないということよ」


 そうは言ったものの、蛍順のことだ。手持ちの服はほぼ着ているものと大差ないだろう。


 「師・・・いや、屋敷のものに準備させるわ」


 一瞬師蝉を頼ろうとしたが、そんなことをすれば色々大惨事になるのは目に見えている。人が嫌がることはなるべくしたくはない。それも時と場合によるが。

 王女の言葉に師蝉はつまらなさそうな表情を浮かべ、蛍順はほっと胸を撫で下ろす。

 二人の表情は正反対なのに、どこか似ていた。



 等間隔で飾られている巨大な灯篭からだらりと長く伸びた布が風に揺らめく。距離があるのでもっと気温差があるかと思っていたが、季節が良かったのかそこまで違いを感じない。おかげで到着早々風邪ひくことなく無事に過ごせていた。

 風邪といえば、国に残った方が心配である。あれは暑くなれば食が細くなって痩せ細り、寒くなれば体調を崩してばかりである。季節の変わり目も大抵風邪をひき、それによってもうすぐ季節が変わるのだと実感させられていたくらいだ。

 今度は少し強めの風が吹く。近くを通っていた年若い娘が乱れた髪や服を直す。同じように髪に手をやると、砂っぽさを感じた。王都の西側に砂の大地が広がってるせいなのかもしれない。


 「王女さま」


 肩越しに振り返ると、先ほどの格好とは打って変わり下級役人に見える程度の身なりになっている。ただその表情が些か険しい。


 「なに、どうかしたの?」


 態と惚けてみると、さらに眉間に深いしわが刻まれる。これでも幼き頃より共に過ごしてきた仲だ。何故そんな顔をしているのか見当はついていた。しかし、それでも一応きちんと口にしてもらわねばならない。どんなに分かり合っていても結局は他人だ。それをつい最近痛感させられたばかりだった。


 「なに、ではございません!先ほど露店でわたしが口をつける前に茶を飲まれましたよね!?」

 「ええ、喉が渇いていたから」

 「そんな・・・!」


 蛍順が愕然とした表情を浮かべるが、本当に喉が渇いていたのだから仕方がない。それに何より、食べるもの飲むもの全部毒味させていては自分の正体を露呈しているようなものだ。実体験から言わせてもらうと、市井では普通相手の毒味もしないし、してもらうこともない。それはきっとどこの国でも同様のはずだ。

 「王女さまに万が一何かがあれば」と頭を抱える蛍順を尻目に、王女は次は何を食べようかと散策する。

 

 「聞いておりましたか!?」

 「うんうん、ちゃんと聞いてるわ。心配してくれてありがとう」


 全く感情がこもっていない返答だったが、蛍順はそれ以上は追及しなかった。というよりも追及できなかった。

 故郷を出る時からここに至るまで、王女はお世辞にも楽しそうだとは言えなかった。元から使用人にすら気を遣う方だ。だから疲れた様子は見せず常に笑顔は絶やさないが、それでも蛍順にはわかっていた。

 今回の王都への表敬訪問は臣たちも知らぬ何かが隠されている。だから国王も王女が国を出る際、臣の前にも関わらず抱擁したのだろう。驚き、そして少し照れ臭そうにしながら王女もしっかりとそれに答えていた。

 あれはまるで─そうだ、もう二度と国に戻ってこない娘を見送る父のようだった。年が十離れた姉が隣国へと嫁ぐ際、蛍順は似たような姿を目にしている。

 そのこともあってかこの旅が始まってからずっと喉に小骨がつっかえたような嫌な感じがしていた。そしてその疑念が当たってしまっていたら、こうして王女と共に街を歩くことなど必然的にできなくなる。

 瑞に属国の、しかも嫡子で未婚の王女が一人で来るなど考えられることは一つに行きつく。


 「蛍ー!」


 はっとして顔をあげると、少し先の露店で王女が笑顔で手招きしていた。目当てのものを見つけたのか、笑みを浮かべている。故郷に居た時と変わらぬ笑顔にほっとしたのもつかの間、あからさまに王女を見て指さしている男たちが目の端に映る。

 普段からすれば格段に質の悪い召し物のはずなのに、逆に周りとの対比ができ存在感が露になっている。

 王族は見る目麗しいのが当たり前だが、王女たちはその中でも群を抜いて美しかった─いや、その実母である王妃がと言った方がいいだろう。蛍順はその神子とまで言われた王妃の顔をほとんど見たことがない。王妃は産後の肥立ちが悪く、王女たちが七つの時に常夜の国へと旅立った。それまでも病床に伏せていたため、公式の場にはほとんど顔を見せなかった。亡くなる半月ほど前に一度だけ御簾越しに会話をしたことがある。会話といっても身分も違えばまだ六つのこどもだったので、頷くだけで精一杯だった。

 しかし、あの時の言葉を蛍順はこれまで忘れたことはない。

 

 「蛍ィー!」


 しびれを切らした王女がさらに声を張り上げる。

 呆けてしまっていた。考え事をするとぼんやりとしてしまうのは悪い癖だ。ここに父が居れば間違いなく拳が飛んできていただろう。

 なにより急がなければ先ほどの男たちが王女に近づこうとしているではないか。一刻も早く間に入らないと、面倒なことになる。形式上とはいえ属国の王女が来て早々、市井の者を再起不能に陥らせるなんてことになったら国王からだけではなく、代々王族の護衛官を任せる家門として父からも大目玉を食らうこと間違いなしである。それこそ頭に何発撃ち込まれるか分かったものではない。

 蛍順は男たちのために、いや、自分のためにも気が立っている様子の王女の元に急いだ。

 

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