2、金


 やっぱりこれだな。

 いくつかの行李を漁って見つけたのは、華美ではないが実の良い生地で作られた短衣と褲子ズボンだ。最初は父と狩りに出る時用に作ったものだったが、あまりの動きやすさに普段から愛用してしまっている。乳母の師蝉シセンは勿論のこと、母もいい顔をしなかったが、そんな圧力も動きやすさの前には無力である。今回もこの服装でなければ、馬に乗り換えて門まで来ることは叶わなかっただろう。

 馬を止める。王都の玄関口である九鳳門くほうもんの前には確かに隊商キャラバンと思しき集団と検問官が啀み合っていた。


 「だから、これは本物なんだよ!今までそれで通れていただろ!?」

 「うるさい!駄目なものは駄目だ!何か証明するものを持って来なければここを通すわけにはいかない」

 「証明って・・・だったらその証明するためのものを提示してくれよ!そうすれば俺たちだって準備するさ!」

 「うぐっ・・・そ、それはだなぁ」


 なんだかどちらも手こずっている様子ではあるが、詳細がわからない。

 後ろに着いてきた先程とは別の従者─蛍順ケイジュンに目配せをすると、蛍順は馬を降りて端で行く末を見守っていた隊商の男に声をかける。


 「どうやら、きんで揉めているらしいです」

 「金?」


 戻ってきた蛍順の言葉に思わず声が裏返る。金など今までも大量に運ばれてきただろうに、何故今頃になって揉めているのだ。

 

 「検問官の話によると、つい先日王都内で金の贋物が見つかったそうです。それ故、金の持ち運びの規制をかけているらしく、証明できぬならば運び入れはできぬと」

 「それでこれだけ長く揉めているのね」


 蛍順の話と所々聞こえた会話から推測するに、検問官は金と確認できなければ王都に入れてはならぬと言われたもののその確認方法までは聞いていなかったため突っぱねるだけ。しかし隊商側も金という高価なものを抱えた状況で外に追いやられるわけにもいかない。どちらの気持ちも理解できるが、しかしだからといってこのまま誰かがどうにかしてくれるのを待っていたら本当に日が暮れてしまう。ここは一肌脱ぐしかなさそうだ。

 王女は馬を降りると、検問官に声をかけた。


 「もし、金が本物かどうかわからずにお困りのようですね」

 「はあ?なんだお前、は・・・」


 振り向きざま、苛立たしげに睨んできた検問官だったが、目を見開き固まってしまった。


 「・・・あの、何かついていますか?」


 あまりにじっと見つめられて居心地が悪い。声をかけると、はっと検問官が息を吸い、我に返った。

 

 「あっ・・・いや、そ、そうなんだよ!俺も上から言われただけだから困ってて、あっはっは」

 「それならば知恵をお貸ししましょうか?」

 「知恵だと?」


 検問官の目の色が変わった。

 

 「はい。水が並々に入った桶を二つ、あと秤を用意していただきたいのです」

 「それで本物かどうかわかるのか?」

 「ええ、わかります」


 提示した三点があれば、いとも簡単に本物かどうかはわかる。しかし、検問官は「水かぁ」と顎に手を当てて唸る。


 「難しいでしょうか?」

 「えっ、あ、いや、桶と秤はすぐに準備できるんだが、何せ王都では今水はかなり貴重だ。そんなことの為に使うことが許されるかどうか」


 そういえば昔、王朝が水害で倒れてしまった為水捌けが良い場所に王都を移したと書で見たことがあるが、よもや水捌けが良すぎて水不足になっているのだろうか。

 ちらりと横目で蛍順を見る。こちらの視線に気づいているようだがあえて気付かないフリをしてくれているようだ。


 「それでは水はわたしが用意いたしましょう」

 「それは助かる!ほら、桶と秤だ」


 全ての道具を礼を言って受け取る。さすがは王都の玄関口というだけあって、しっかりとしたものが用意させれている。

 王女はにんまりと笑うと、勢いよく隊商の方を振り向いた。


 「金を貸して頂けますか?」

 「あっ、ああ。これだよ」


 受け取った麻袋の中には金塊が入っていた。すでに加工されているためわかりやすい。その中から一本拝借し、右側の皿に金塊を乗せる。そして、


 「おっ、お嬢ちゃん!?」


 いきなり褲子を引き上げた王女に、商人の声が裏返る。しかし、王女は気にした様子もなく足首に手をかけるとそれを左側の皿に乗せた。


 「うーん、まだ足りないですね」


 次は腕を捲り上げて同じように皿の上に乗せる。どんどん装飾品を外しては乗せていく姿に、商人だけではなく検問官達までも愕然とする。

 物を置くごとに右に大きく傾いていた秤の傾斜が緩やかになり、そして腕輪をもう一つ乗せた時。


 「おっ、どう蛍順」

 「・・・ぴったりですね」


 秤はどちらに傾くわけでもなく、真っ直ぐを維持している。


 「よし、それでは次は水ですね」


 王女が二つの桶にそれぞれ手をかけると瞬く間に桶に水が溜まる。


 「そ、そんな!一体どこからっ!」


 商人の男が身を乗り出し、王女の手を握った。しかし、その手はすぐに蛍順によって叩き落とされる。


 「お前、無礼であろう」

 

 喉元に刃を突き付けられた商人が顔を引きつらせる。


 「蛍」


 窘めると小さく舌打ちをして刃を鞘に納めた。

 蛍順は腕は立つのだが、とにかく手が早い。相手にさほど悪意がなくとも、王女に害をなすかもしれないと判断したら切り捨てることも厭わない性格だ。それ故守られているという安心感よりも何かあれば自分が止めなければという責任感を持たざるを得ない。こんな場所で殺傷沙汰など起こせば、国交問題に発展しかねない。


 「あの・・・もしかして先ほどの力はですか?」


 先ほどとは違う男が蛍順を警戒しながらも尋ねてくる。

 

 「異能?」


 聞き慣れない単語に王女と蛍順は顔を見合わせる。

 

 「申し訳ありません。わたし達はその異能についてよく知らないのですが・・・」

 「そ、そうなのですか!?」


 王女の返答に男だけではなく、周りの人間たちも驚いた様子を見せる。

 そんなにこの辺りでは常識的な話なのだろうか。


 「それでその異能とは?」

 「それはわたしがお答えしましょう」


 群衆の中から初老の男が名乗りを上げる。

 男の話によれば、異能とは普通の人間にはないはずの人智を超えた力のことだという。ある者は空を飛び、またある者は人の心を読む。ある者は枯れた大地に草木を咲かせ、ある者は雨を呼び寄せる。そういった人とは異なる力をとこの辺りでは呼ぶのだと言う。

 そしてその話を聞いた王女の反応と言えば、


 「そんな能力を持った人間がいるんですね」


 完全に他人事である。

 老人はごほんと咳ばらいをすると、王女を指さした。すぐさまその指を折ろうと蛍順が動こうとしたので、さっと制す。あんな骨と皮だけになった指なんてそれこそすぐに折られてしまう。


 「お主のその力はまさしく異能だ。そして異能は国の為に働かなければならない」


 老人の言葉に周りから歓声が上がる。

 おっと、なんだか話の雲行きが怪しいぞ。


 「・・・わかりました」

 「おお!なんと話の早い娘御だ。そうとなれば」

 「待ってください」


 その一言で皆の動きがぴたりと止まる。

 それほどまでに王女の声ははっきりと通る声なのだ。


 「その話はあとで聞きます。それよりも、金塊。忘れていませんか?」

 「あっ!そうだ!金」


 全く何のために水を出したのかわからない。

 ただ一つ言えるのは、あまりこの力は人に見せない方がいいということだ。このまま有耶無耶にしてしまえるならば、そうしよう。

 

 「さて、それでは続きといたしましょう」

 

 王女は盤の中に水の入った桶を入れると、その中に金塊を入れた。桶から水が溢れ出し、土に染み込む。同じ要領でもう片方には同重量の装飾品を入れる。


 「一体何をしたんだ?」


 周りが首を傾げる中、「あっ」と誰かが声を上げた。

 皆の視線が一斉に集まった場所に居たのは、まだ幼さが残る少女だった。

 

 「この後どうするかわかる?」


 少女は周りの大人の視線に戸惑いながらも、ゆっくりと口を開く。


 「残った水の量を比べるのでしょうか?」

 「・・・正解です」


 思わず口元が緩む。その年でこの方法を知っているということは偶然知っていたか、知識が深いからのどちらかだ。そして、偶然とは考えにくい。


 「あの、同じ重量であれば残る水量も同じなのでは?」

 「はい。同じ重量の同じ素材であればの話ですか」


 そう言うと王女は質問してきた検問官に水が入った桶を渡す。検問官は渋々ではあるが、それを秤に乗せた。秤はピタリと釣り合う。

 周りからは感嘆の声が上がるが、検問官は些か・・・いやまだかなり訝しんでいる様子だ。この方法自体仕事柄知識として持ち合わせてても良いと思うのだが、これまではきっとそこまで厳しい取り締まりをしていなかったのだろう。


 「では、次はこうしましょう」


 再度秤に金塊を乗せると、蛍順を手招きして耳打ちすると懐から銀貨を出させた。空いた皿に銀貨を乗せて秤を釣り合わせる。そして新しい桶をもらい、銀貨を沈めた。水が溢れ出し、また土に染みを作る。

 銀貨の桶を渡すと、検問官は金塊の桶と共に秤に乗せた。すると、秤が金塊の桶の方に大きく傾いていた。実際にはそんなことをしなくても残っている水の量の違いは明らかなのだが。


 「どうです。これでもまだこの金塊は本物ではないと疑いますか?」

 「・・・いや、お前が言いたいことは理解できた」


 よかった、これで野宿は回避できそうだ。

 しかし、ほっと胸を撫で下ろしたのも束の間「だが」と固い声が上がる。


 「お前がつけていた装飾品。それらが本物の金だという証拠がない。もしそれが偽物であれば、これらの証明は意味をなさない」


 確かに検問官の言う通りだが、この場で装飾品が全て金であると証明する方法は残念ながら思いつかない─となれば。

 王女は検問官に睨みをきかせ、今にも飛び出して襲わんばかりの蛍順を片手で制するともう片方の手で器用に胸元を探ったがどうやら身分を証明できるものは着替えた時に馬車の中に置いてきてしまったようだ。


 「ちょっと取ってきますね」


 王女がその場を離れようとすると、検問官とはまた別の─見た目からすると門番だろうか。体格の良い男が二人、前に立ちふさがる。

 

 「なんだお前たち」


 今にも掴みかからんばかりの蛍順を目で制すると、王女が一歩前に出た。


 「身分を証明するものを取ってきたいので、そこを通していただけますでしょうか?」

 

 至極丁寧な、しかし有無を言わさぬ威圧感に男の一人が顔を強張らせたが、もう一人の男は全く動じる様子はない。それどころか男も同様に一歩前に出る。


 「それはできぬ」

 「何故です?」

 「お前が隊商あいつらの仲間やもしれん。仲間であれば逃げる可能性もある」

 「仲間ではございません」

 「それはどう証明する」

 「だからそれも併せて証明の物を見ていただければわかります」

 

 しかし男は一向に道を開けようとはしない。

 肌身離さず持っておけとあれほど言われたにも関わらず、馬車に忘れたのは王女の過失だ。だが、そうだとしてもこの男は些か疑い深すぎではないだろうか。

 横目で周りの様子を伺うと、隊商の者だけではなく、他の者たちも不安そうな表情を浮かべている。その反応に小さな違和感を覚えた。


 「では、こういたしませんか。わたしがここに残ります。その間にこの従者に取ってこさせる。これでもまだ逃亡するとおっしゃいますか?」

 「ああ、だめだ。お前たちが本当に主従関係にあるかどうかも怪しいではないか。それともここででもさせて証明してみせるか」

 「貴様っ!」 


 男の下種な笑みに蛍順が刀の柄に手をかける。しかし、男は慌てる様子もなければ応戦する様子も見せない。ただ、にやりと口元を緩めた。それを王女は見逃さなかった。

 ガキンっと金属がぶつかる音がする。


 「なっ」


 刀は鞘から抜き出す途中で、王女の刀によって封じられた。

 蛍順の前に立ちはだかっている王女の目の前には、水に包まれた一本の矢が浮かんでいる。

 なんとか間に合ったと安堵したのも束の間、キランと何かが光ったのが見えた。それが自分を狙った矢だと分かったのは、すでに放たれた後だった。

 もう間に合わない。眉間から真っ直ぐ頭を射抜かれる光景が頭に浮かぶ。死際を想像したことはこの立場上何度もあった。でも実際にその場面に出食わすと思うように体は動いてくれない。だから、せめて。せめてしっかりと見ておきたい。自分が生きた世界を、自分を殺した奴たちを、貪欲にこの瞳に焼き付けてから冥途に渡るのだ。

 目は絶対に閉じなかった。だから全てを見ていた。

 何が起こったかというと簡単だった。王女を狙った矢は真っ二つになり、転がっている。その矢を切ったのは紛れもない少年だった。外套を深く被っている為目元しか見えないが、その体格から十三、四頃だと推測できる。


 「・・・おい、怪我はないか」


 王女の前に立つ少年の問いに、「ええ」となんとか頷く。


 「そうか、良かった・・・おい、捕まえろ!」


 少年の声にびくりとか大きく肩が揺れたが、槍を持った男たちは王女と対峙していた男の方を取り囲んだ。怒声が飛び交い何が起こっているのか分からないが、捕まるのはどうやら自分たちではないらしい。


 「王女さま!お怪我は!」

 「ええ、擦りもしていないわ。あなたも見たでしょ」


 彼が矢を真っ二つに切り落としたところを。

 しかし、その言葉を口には出せなかった。口に出したら一気に現実味を帯びてしまう気がしたのだ。いや、実際自分の目で見たのだからこれは現実なのだが、その動きは明らかに常人のそれを超えていた。

 蛍順が無言で羽織を肩にかけてくれる。そこで初めて自分が震えていることに気がついた。

 怖かった。確かに死がすぐそこにあった。でも、この震えは多分恐怖ではない。

 

 「騒がせたな」


 いつの間にか先ほどの少年が傍に立っていた。

 

 「いえ・・・命を助けて頂きありがとうございます」

 「礼は良い。あのような者が我が兵に紛れ込んでいたのはこちらの責任だ。すまなかった」

 「おっ、おやめください!」


 頭を下げようとしたので慌てて止めにはいる。命を助けてもらっておいて頭を下げさせるなど絶対にあってはならない。

 王女の慌てぶりに少年が視線を上げた。ばっちりとかち合った瞳は黒曜石そのものだった。深い闇夜のようで、言い表せない妖しさを含んでいる。それでいて何故だろう。酷く懐かしいような気分になる。

 

 「王女さま」


 耳打ちされハッとなる。どうやら見惚れてしまっていたらしい。誤魔化すように小さく咳払いをする。


 「どうしたの?」

 「もう黄昏に差し掛かっております」


 その言葉に西の方角を見ると、あと半刻いちじかんもすれば完全に姿が見えなくなる位置まで日が下がっていた。

 しかし、列は全くと言っていいほど進んでいない。これから順調に検問が行われたとしても万が一にも間に合わないだろう。

 

 「・・・仕方ない。野営の準備を」

 

 師蝉はきっとわかりやすく落胆するだろう。何せ下手すれば王女よりも筋金入りのである。

 さっさと馬車に戻ろうと待たせていた馬に跨がろうとした時、後ろから腕を引かれた。


 「・・・あの、何か?」

 「忘れ物だ」


 少年が麻袋を差し出してくる。

 受け取り中を見ると、金の装飾品が入っていた。普段身につけないもののせいか完全に忘れていた。


 「ありがとうございます。助かりました」

 「ああ。ところでそれは非常に質の良い金を使ってあるな。エンの物か」

 

 王女の眉がぴくりと動く。

 少年はその反応で肯定と捉えたらしい。


 「英清エイセイ


 名を呼ぶと、少し後ろに控えていた男が駆け寄り跪く。


 「彼女たちを中に」

 「はっ」


 それだけ言い残すと少年は他の者が連れてきた馬に跨った。去り際に一瞬目があったが、すぐに共を連れ門の中へと吸い込まれていく。


 「お連れ様方のところまでご案内いただけますか」


 あまりの急展開に半ば呆然となっていた王女たちは、英清の言葉で現実に引き戻される。

 何故自分たちは特別待遇を受けれたのか。また、たった一言でそれが罷り通ってしまうあの少年は何者なのか。

 疑問は沢山あるのだが、今は目的を達成できたので良いとしよう。

 

 「こちらです」


 王女はひらりと馬に跨ると、先導を切った。

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