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AVRORA

古の時代、大陸は数多の小国に分かれ、終わりなき戦乱が繰り返されていた。しかし、そんな時代も花の賢者と呼ばれる一人の男によって幕を閉じることとなる。


伝説に謳われし賢者の花を食し、全知になった賢者は、ただの都市国家に過ぎなかったイニティウムを率い、一月足らずで大陸を支配した。


後にフロス帝国と知られることになる賢者の帝国は、大陸に永遠の平和と安寧を齎す……はずだった。






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時は統一歴1205年、帝国の権威と栄光が終焉を迎えてから約200年が経った。多くの小国が独立を宣言し、現在の帝国の領土は全盛期の1/4にも満たない。そして今、帝国を取り囲むようにできた包囲網【反帝連合】によって『聖戦』が始まろうとしていた。


「進め! 進め! 聖地イニティウムは我らの目前だ!」


馬に跨った指揮官らしき男が手に持った剣を目の前にある都市に向かって突きつける。それに応えるように兵士たちの雄たけびが戦場に響き渡った。


アド・イニティウムイニティウムへ! アド・イニティウムイニティウムへ! アド・イニティウムイニティウムへ!」


「帝国は天命を失った!今こそ聖地を最高神祇官の支配下に!」


プロ・ポンティフィケ・マキシモ最高神祇官のために! プロ・ポンティフィケ・マキシモ最高神祇官のために! プロ・ポンティフィケ・マキシモ最高神祇官のために!」


「この聖戦は、神が望まれたものだ!」


デウス・ウルト神は望む! デウス・ウルト神は望む! デウス・ウルト神は望む!」


狂気的な熱意が戦場を包み込む。十万以上の連合軍が今、イニティウムの目前に迫っていた。連合軍が城壁の目の前まで進軍し、暫し動きを止めたかと思うと今度は大砲と追撃砲の爆音が鳴り響く。幾千もの大砲による集中攻撃は、今まで破られた事のなかった千年都市の城壁を容易く破壊した。そして、城壁にできた隙間に、連合軍の兵士がなだれ込む。数千人の駐屯兵が身を挺して市民と都市を守ろうと迎え撃つ。しかし、十万という圧倒的な数の暴力に帝国兵は成すすべなく敗れ去った。一時間という短い市街戦の後、聖地イニティウムは陥落した。






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イニティウム陥落、九時間前


イニティウム。この地を統べるフロス帝国の旧帝都であり、全大陸で信仰されているフロス教の聖地でもあるこの都市は、貿易の街としても名高く全大陸から集まってくる聖職者と商人で賑わっていた。


そんな都市に住んでいる少年、エレクトゥスの朝は早い。彼の家は代々時計職人の家系であり、その伝統は今も失われていない。怪我で足を満足に動かせない父の代わりに、朝一で商店街に店を出して時計を売るのが彼の役割だった。そして今、彼の父が今日売りに出せる時計の検査を行っていた。


「うーん、この時計はダメだ。点検が必要だな。じゃぁ、今日はこれらを売りに出してくれ」


そういって差し出されたのは十数個の時計だった。決して多い数ではない。


「父さん……」


少年は不安げに松葉杖をついている父を見る。彼が小さかったころ、まだ父が足を怪我してなかったころと比べると明らかに時計を作るペースと技量が下がっているのは明白だった。


「お前の言いたいことは分かる。しかし、質よりも量を選ぶのは、今までの顧客の信頼を裏切ることになる。そして何より、俺の時計職人としてのプライドが許さない」


父の言っていること自体は、間違ってはいないだろう。しかし、少年が言いたかったのはそういうことではない。人手を増やす、つまり若手の自分も時計作りに参加すれば時計を作る効率が上がるという事を彼は伝えたかった。時計作りの基礎的な知識はすでに父から教わっており、彼に足りないのは現場経験だった。少年は時計職人の修行が長く厳しいことは理解していたし、それを承知で彼は家業を継ぐ覚悟が出来ていた。


「違うんだ父さん。俺も時計作りを手伝えたら、効率も上がるし父さんの負担も……」


少年の言葉を遮るように父は叫ぶ。


「ダメだ!」


告げられたのは拒絶の言葉だった。


「何度も言っているだろう。俺はお前にはただの時計職人として終わってほしくない。お前には勉学の才能がある。お前は国の文官として大成するだけの力があるんだ。」


「でも俺は……」


「お前が時計売りの仕事を手伝うのも本当は賛成じゃないんだ。俺が足を怪我していなければ、お前に勉強を専念させたかった……」


少年が黙り込む。


「帝国の栄光が終わってから二百年。この二百年を暗黒時代と呼ぶ者も多いが、私はそう思わない。確かに古き良き帝国は今は見る影もないだろう……しかし、この二百年は発展の時代だ。ここ二百年の発展は帝国千年の発展と同等、いや上回っている。いずれ古き伝統は、発展と新しい技術の前に消え去ってしまうのだ。そして、お前には時代の波にのまれて欲しくない。時代の波に乗ってほしいのだ。」


少年は完全には納得してなかった。しかし少年は父の言った通り聡明であり、父の言葉も一理あると理解していた。しかし、彼はまだ十五歳の少年。自分の感情に振り回され、頑固になってしまうのは仕方がなかった。

うむむと唸る自分の息子を見て、父は苦笑する。


いずれ分かるときがくる、そう言って少年の頭に手を置いた。


「お、俺はもう子供じゃない!」


そういうお年頃ということだろう。顔を赤く染めながら、彼は父の手を払った。そして売り物の時計で時間を確認すると、早口で家を出る口実を捲し立てる。


「あ、もうこんな時間だ。じゃ、俺はもう行くから! アムダァ・アルハキム賢者を讃えよ!」


家に代々伝わる御呪いの呪文を言い捨て、時計が入った木箱を持つと、急いで扉を開けて家を出る。バタン! と力強く扉を閉めた音が鳴り響き、家の中に一人父が残される。息子の様子に唖然としていた彼だが、苦笑すると思春期か……と呟き、「アムダァ・アルハキム賢者を讃えよ」と御呪いの言葉を噛みしめるように反芻すると時計作りの作業に戻った。


家の外に出た少年は、家の前に止めてあった馬車に時計の入った木箱を乗せる。馬車の揺れで落ちないように、荷台の奥に押し込もうと手を伸ばして木箱を押し込んでいると、馬車の前方から幼い少女の声が聞こえる。


「お兄ちゃん、遅いわよ! 乙女を待たせるなんて酷いじゃない!」


声の正体は少年の妹だった。


「ごめん、ごめん。父さんと少し話しててさ」


「えぇー?また喧嘩?」


「毎回言ってるけど喧嘩じゃない。大人の話し合いだ」


荷物を荷台に積み終えた少年が、御者台に向かいながら返答する。


「ふーん、本当かなー?っていうか大人っ何よ! 大人ぶってるけど、子供扱いしてる私と一年違わないじゃない」


「うるさいなぁ……」


少年は、不機嫌そうな顔で御者台に上り、妹の隣に座る。


「ほら、そんな不機嫌そうな顔して。やっぱりまだ子供じゃない! の私を見習いなさいよね?ポーカーフェイスよ、ポーカーフェイス。大人の女性は常に妖艶な笑みを浮かべて、内なる感情を相手の悟らせないのよ」


そういって”妖艶”な笑みを浮かべる妹。


「こんの!」


「きゃっ!」


エレクトゥスが妹に掴みかかろうとする。


「女性に手を出すなんて!」


男の風上にも置けないわ! と言いながら、妹も反撃する。出来上がったのは御者台の上でじゃれついてる子供の図である。万に一つでも「大人」らしいと呼べるような要素はなかった。


しばらく二人でじゃれついていると、ふとエレクトゥスが正気に戻る。


「あ、そういえば遅刻してるんだった」


「なんでそれを早く言わないのよ!」


急いで喧嘩を止めると、二人は慌てながら馬車を走らせた。






「はぁ、朝から疲れたよ……」


溜息をつきながら、項垂れている少年が馬車を走らせながらそうつぶやく。


「誰のせいよ」


と妹が言い捨てる。

どの口が言うか! ムカッと一瞬頭に血が上るが、「自分は大人だ。冷静になれ……」といって自分を落ち着かせる。


「はぁ……」


再度、溜息を漏らす。

そして目線を一瞬妹に向けると、口を開いた。


「で、エレクタ。なんでお前が馬車に乗ってるんだ?」


そんな疑問を妹、エレクタに投げかけた。


「何でって、決まってるじゃない。暇だからよ!」


彼女は、ふんす、と当たり前だと言わんばかりの態度で答える。


「でもお前、今日は母さんが裁縫を教えるって……」


「あーあーあーあー、聞こえない! 聞こえない!」


じたばたじたばたと暴れ始める。そんな妹を少年は呆れたように見つめた。


「……帰ったら母さんに叱られるぞ」


「うっ……」


妹が狼狽える。母の説教が恐ろしいことは二人とも身をもって知っている。


「でもしょうがないじゃない……家の中で家事をずっとやってるよりも、外に出た方が楽しんだもの。

私の夢、知ってるでしょ?」


もう何度も聞いた、と少年が答える。

少女は顔の前に両手を合わせ、目を閉じる。そして語りだした。


「私ね、世界を旅するのが夢なの。馬車に乗って、いろんなところを旅して、知らない町を観光して、知らない人と巡り合って……。それだけじゃない、私は未知を探検したいの……今まで誰も行ったことのないような場所を。そう、未知の大地テラ・インコグニタ。その先にあるものを見つけることができたら……」


「……大層な夢を持つのはいいが、お前だけじゃなくて俺まで巻き添えを食らって怒られるのを忘れるなよ?」


「……」


しゅんと妹が項垂れる。自分の我が儘で兄を巻き添えにしてったことに多少の罪悪感は感じているようだった。

そんな妹を見かねた少年は、


「でもお前がいると時計の売り上げが良くなるからな。看板娘としては優秀だ。売り上げるためだったら、お前と一緒に母さんに叱られることなんて些細なことだ」


ぱぁと妹の顔が明るくなる。

少年は恥ずかしそうに頬を掻くと、


「だからちゃんと看板娘として働けよ?」


「うん!」


妹は満面の笑みを浮かべた。






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イニティウムの商店街は、今日も沢山の客と商人で賑わっていた。内壁の内側、イニティウムの中心部を取り囲むようにある商業地区は大陸中から商人が集い、中央にある旧王宮の周りをぐるっと円を描くように作られたストリートを中心に商店街を形成していた。観光名所でもある旧王宮の目の前には、開けた広場があり、噴水や様々な露店が並んでいる。そこは様々な人種、階級の人々が集まった世界の縮図とも呼べる場所だ。そして旧王宮の近くには、聳え立つフロス神殿と60m程の巨大な時計塔がある。周辺の町からもくっきりと存在が目視できる時計塔は、この都市の象徴ともいえる建物だ。そして、商人たちの宣伝や通行人の話声を遮るように、ゴーン、ゴーン、ゴーンと正午を告げる時計塔の鐘の音が、イニティウムの街に鳴り響く。


広場付近に露店を出していたエレクトゥスとエレクタは、もうそんな時間かと神殿のある方向に目線を向ける。そして二人同時に立ち上がり、んんーっと声を漏らしながら大きく伸びをした。朝の6時ごろから店を出していたので、もう六時間も座りっぱなしだったことになる。


「もう正午か。それじゃ一旦店を閉じて、昼餉にするか」


昼餉という言葉を聞くと、勢いよく妹が振り返る。


「え、お昼ご飯?何食べるの?私、最近巷で話題の甘味が食べてみたいわ」


少年は呆れたような顔で目を細めながら妹を見る。


「何言ってんだ?店出したまま、どっかに食べに行けるわけがないだろ」


「なら私一人が買い出しに行けばいいわ」


「女一人じゃ危ないだろ。それに家からパンと干し肉を持ってきている」


そういって馬車の荷台からバスケットを取り出した。上にかぶせられていた布を取ると、中には先ほど言ったパンと干し肉に加えてワインとドライフルーツが入っていた。


「ぶー……」


と妹が不貞腐れる。


「お前が食わないんだったら俺が全部食うぞ」


そういってパンと取り出し、手で千切ると口の中に放り込んだ。

ムスッと眉を顰めた妹は、食べないとは言っていないと言って少年の手からパンを奪取するとパンにそのまま齧りついた。

少年は少しの間唖然としていたが、すぐに妹に対して呆れた視線を向けると、


「もっと行儀良くしろよな……」


と呟く。そして自分もバスケットから新しいパンを取り出すと、食事を再開した。二人は淡々と食事を続ける。エレクタはまだ甘味が食べられなかったことに怒っているのか、二人の間に会話はなかった。話し相手がいないと暇だな、と思いつつエレクトゥスは露店の屋根の隙間から空を見上げ、考えに耽る。思い出すのは今朝の父と妹との会話だ。


(父さんは出世しろだの、エレクタは世界を旅したいだの言うけど、俺はそんな大層なことは望んでいない。生意気だけど可愛い妹と優しい両親との日常が続いてるだけで、俺は満足なんだ……)


ゴーン、ゴーン、ゴーンと鐘が鳴り響く。煩いほど賑やかだった商店街は徐々に静まり返り、やがて静粛が訪れる。商店街の人々はなんだなんだと不安げに鐘が鳴っている時計塔の方を向く。聞こえるのは延々と鳴り響く鐘の音だけだった。


「もぐもぐ。んー?さっき正午を告げる鐘が鳴ったばかりじゃない。神殿もたまには間違いを起こすのね」


口の中いっぱいにパンを詰め込んだ妹の楽観的なつぶやきが聞こえる。対して少年は焦燥感に駆られていた。何かがおかしい。場の異様な空気に少年は緊張を覚えていた。心臓の鼓動が早くなり、一粒の汗が額を伝う。鐘の音はまだ鳴り響いていた。正午を告げる鐘は通常数回鳴ったらそれで終わりだ。でも、今回の鐘は違う。文字通り、延々と鳴り響いていた。止まる様子のない、そしてどことなくいつもよりペースが速いように感じる鐘の音が、イニティウム全体に響き渡っていた。もしかして……と少年がある結論に至ろうとしたその時、馬に乗った一人の兵士が商店街に現れた。突然現れたそれに、人々は驚きながらも道を開ける。商店街の中心、噴水がある広場にて馬と止める。兵士の顔は気のせいか青ざめていた。そして震える声で兵士は告げた、


「敵襲! 敵襲! インペトゥス王国と神祇官領を筆頭とした対帝連合が、十万の兵士を率いてミットからイニティウムに向けて進軍を開始し、あと半刻も経たずにイニティウムに到着する! 市民は速やかに都市を抜け、レフギウムに避難せよ! 再度告ぐ! インペトゥス王国と神祇官領を筆頭とした対帝連合が、十万の兵士を率いてミットからイニティウムに向けて進軍を開始し、あと半刻も経たずにイニティウムに到着する! 市民は速やかに都市を抜け、レフギウムに避難せよ!」


言い終えた後、兵士は馬を走らせると、商店街を去った。それと同時に混沌が訪れる。店を出していた商人たちは、一斉に店を閉じはじめ、買い物に来ていた客は内城壁の城門目指して一目散に駆けだした。そこから先は地獄だった。先ほどまで住民の笑い声と商人の威勢の良い声で賑わっていた商店街が、今では悲鳴と叫喚に満ちていた。エレクトゥスの頭の中が真っ白になる。あまりにも急激な状況の変化に少年は言葉を失った。


「お兄ちゃん! 私たちも早く逃げないと!」


妹の声ではっと我に返る。そうだ、俺たちも逃げないと。

少年は急いで露店に並べていた時計を回収して、馬車の荷台に積もうとする。すると妹の困惑した声が響く。


「何やってるのよ、こんな人混みの中で馬車なんか出せるわけないでしょ!」


少年は目の前の広場と商店街を見た。通常、馬車用に道の中心は開けているのだが、必死に逃げようとしている人々はルールなどお構いなしに道の全ての占領していた。

少年は、苦虫を噛み潰したような顔をする。馬車を出せない、つまりそれは、


「父さんの時計が……」


父の作った時計を見捨てることになる。それを少年は許せなかった。少年のつぶやきに応えるように、妹の怒気を含んだ声が聞こえる。


「時計なんて父さんが生きてればまた作れるでしょ! 死んだら元も子もないのよ!」


「……」


妹の言葉に顔を顰める。渋々納得すると、自分の目の前に積まれている時計を名残惜しそうに見つめる。湧き上がる感情をグッと抑えた彼は、時計を一つだけ取り出すと自分のポケットの中に入れた。


「いくぞ」


と覚悟を決めた声で妹に告げると、妹の手を取り人混みの中に入った。少年は、人混みをかき分けるように、城門の反対方向に進んでいた。妹は戸惑った声で兄に疑問を投げつける。


「ち、ちょっと! どこ行ってるのよ! 城門は逆方向よ!」


そんな妹の声を無視するように少年は進む。人波に呑まれながら、何とかたどり着いたその場所は、商店街の住民が逃げ込んでいた城門とは逆の方向にあるもう一つの城門だった。もうすでに皆別の城門に駆け込んだせいか、目の前にある城門の周りに一般人は誰一人いなく、城門は固く閉ざされていた。エレクトゥスは城門に駆け寄り、門を開けようとするがびくともしない。そんな少年の様子を見ていた門衛が声を張り上げる。


「おい、お前ら何をやっている! 住民にはレフギウムへの避難命令が出ていたはずだ。この南門はレフギウムとは逆方向、つまり敵軍が進行してきている方向だぞ!」


門衛の言葉を無視して、少年は扉を叩き続ける。


「お願いだ! この門を開けてくれ!」


少年の様子に門衛は怪訝な表情を浮かべ、少年に詰め寄る。妹も「なにやってるのよ」と言いながら少年を城門から引き放そうとする。門衛が少年の肩に手を置こうとしたその時、少年が叫ぶ。


「家族が! 父さんと母さんが! 南地区に住んでるんだ」


妹もはっとした様子で言葉を紡いだ。


「そうだわ……父さんと母さんがまだ!」


必死な様子の二人を宥めるように門衛が語り掛ける。


「大丈夫だ、外壁周辺の住民には中心部よりも前に既に避難命令が出ている。だから君たちも早く……」


門衛の言葉を遮るように少年は言った。


「で、でも……父さんは足を怪我していて、母さん一人じゃ父さんを運ぶのは……」


門衛はそんな少年の言葉に苦笑を漏らすと、こう告げた。


「大丈夫だ。俺たち帝国兵の役目は市民を守ることだ。避難の手助けにたくさんの兵士が回っている。安心してくれ、お前の両親含めたこの都市の全住民は帝国の名に懸けて必ず安全に避難させる。だから、君たちも早く逃げるといい」


少年と妹は頷くが、不安が完全なくなったようではなかった。

そんな彼らを見て門衛が続ける。


「なーに、心配するな。俺たちを誰だと思っている。生ける伝説、全大陸を千年もの間平定したフロス帝国の兵士だ。それにこの都市イニティウムは神代の時代から一度を陥落したことのない千年都市。敵も攻略できずにすぐに撤退するさ。そうしたら君たちもすぐにこの都市に戻ってこれる。だから安心して避難しなさい」


二人はこくりと再度頷く。今回は不安を取り除けたのか、憑き物が取れたような顔を浮かべる。少年は、行こう、と言って妹の手を取ると、レフギウムに向かうため南門へと駆けだした。そんな少年少女の後姿を見て門衛が苦笑を零す。


「お前たちは生きろよ」


兵士は二人の後姿を最後まで見届けると、自分の持ち場に戻ろうとする。その時、兄妹との会話を見ていたもうひとりの門衛が問いかける。


「おい、あんなこと言って良かったのか?帝国が本当にイニティウムを守れる自信があるのなら、住民の避難なんてしないはずだぜ?それに帝都からの援軍はなし。このイニティウムには元々いた千人にも満たない駐屯軍しかいない。これってつまりよぉ……」


彼の言葉を遮るように、門衛は告げる。


「それ以上はダメだ。俺たちは帝国兵。出来るのは祖国と皇帝陛下を信じて戦う事だけだ」


「あ、あぁ。そうだな、すまねぇ」


「……それに、あの子らはまだ子供だ。夢と希望を取り上げちゃいけない。現実と向き合うのは俺たち大人、兵士の役目だからな」


そう言って門衛は、振り返ると敵軍が進軍してきている方向を向いた。そして表情を真剣なものに変貌させる。その表情は、死地に赴く覚悟を決めた顔だった。






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二人の少年と少女が息を荒げながら駆ける。避難民の行列に追いついた二人は、人波に紛れレフギウムへと足を進めた。二人はキョロキョロと辺りを見回して、両親の姿を探しながら足を動かすが、両親が見つかることはなかった。とりあえずレフギウムまで行けば会えるだろうと思い、少し歩くペースを速る。


それから数十分後、外壁の城門を抜けてレフギウムまであと少しという瞬間、後方で轟音が響き渡った。大砲だろうか?激しい爆発音と破裂音が耳を劈く。振り返るとイニティウムの方から煙が上がっていた。その煙が大砲のものなのか、火によるものなのか、それとも城壁が崩れ去ってできたものなのかは分からない。少年は一瞬不安に駆られるが、兵士の言葉を思い出し、気を取り直した。突然手を握る強さが増す。隣で一緒に歩いている妹に目を向けると、震えているように見えた。エレクタ、大丈夫だと小さく彼女に呟くと少年も妹の手をぐっと存在を確かめるように強く握る。それから二人は無言でレフギウムまでの道を歩んだ。


もう少し歩くと先ほどまで平原しかなかった道の周りに家や集落が見え始める。それを目印に、二人はレフギウムに着いたことを認識した。二人はレフギウムの様子を見ると目を瞬かせる。レフギウムは決して小さい町ではないが、大都市でもない。そんな都市に大都市イニティウムの難民がなだれ込めば、どうなるかは明白だろう。町に入ると、予想道理の惨状だった。難民で溢れかえった町は、道路の隅という隅にホームレスのように難民たちが座り込んでいる。どうやら他の都市に連れていく難民用馬車を皆待っているようだった。そんな彼らを傍目で見ながら、二人は両親を探しにレフギウム内を捜索し始めた。半刻が過ぎただろうか。未だに両親は見つからなかった。もしかして……と色々な不安が募り始める。そんな時、エレクタの驚いたような声が響く。


「あ!」


彼女が指をさしている方向には一人の男いた。その男の名前はデレリクティオ、エレクトゥスの父の友人で、彼らの近所に住んでいた気のいい中年のおじさんだった。二人は彼に両親の居場所を知らないか聞こうと思い近づく。デレリクティオは何やら気が滅入った顔をしており、二人が目の前に来ても項垂れるだけで接近に気づくことはなかった。そんな彼の様子を見て顔を見合わせる二人。どうしたのだろう?と怪訝な表情をしながら、エレクトゥスは話しかけた。


「デレリクティオさん。俺です、エレクトゥスです。よかったら両親がどこにいるか……」


エレクトゥスは喋り終える前に言葉が止まってしまった。それも無理ない。エレクトゥスの声を聴いて顔を上げたデレリクティオは、幽霊のような、死人のような生気のない顔をしていたからだ。エレクトゥスがどうしたのかと様子を尋ねる前に、デレリクティオは震えた声で二人に語りだした。


「エレクトゥス……エレクタ……」


そういった二人の肩を掴んで抱き寄せる。二人は耳越しでデレリクティオの嗚咽を聞いた。エレクトゥスとエレクタの顔に困惑の表情が浮かぶ。


「すまない……すまない……俺が悪いんだ。俺がしっかりしていれば……」


泣き止む様子のないデレリクティオに二人は徐々に不穏を覚える。


「ど、どうしたんですか、デレリクティオさん。俺たちはただ両親がレフギウムのどこにいるのか知りたくて……」


困惑した様子でエレクトゥスが再度質問する。


「いない……。お前たちの両親は、レフギウムにはいない」


はっと二人は息を呑む。エレクタが震える声で聴く。


「なら今はどこにいるのよ?もしかしてもう他の町に避難したとか……?」


「違う……彼らは避難してない……」


それって……、兄妹の言葉が重なる。


「……そうだ、イニティウムだ」


えっという声が二人に口から零れる。


「イニティウム……なんで。避難したんじゃ……」


その言葉にデレリクティオは顔を顰める。そして返答した。


「お前たちの両親は、イニティウムに残るといった。俺も最初は一緒に避難しようとしたさ。でも頑なに断るんだ……。この家と都市イニティウムと共に死ぬと言っていた……」


「なんでだよ! 古き伝統はいずれなくなる、そして新しい時代が来るって言ってたのは父さんじゃないか……なのになんで。父さんこそ伝統と家に囚われているじゃないか!」


「本当にすまない……」


少年は泣きながら叫んだ。


「この人殺し! お前が! お前が! 父さんを、母さんを、見殺しにしたんだ!」


「すまない……俺は後悔している。無理やりにでもお前たちの両親を連れてくるべきだった……」


「なんで……どうして……」


デレリクティオは二人を強く抱きしめた。少年の肩から力が抜けていく。デレリクティオは再度言葉を紡いだ。


「……お前たちの両親から最期の言葉を受け取った。エレクタ、お前は自分のやりたいことをやれ。母親の望むまま女としての道を生きるのもよし、世界を旅する自分の夢を追いかけるのもよし。ただ他人に振り回されるな。自分の意思で選び、自分の選択を後悔するな……と仰っていた」


その言葉にエレクタの泣き声が大きくなる。


「そしてエレクトゥス、お前は前に進め。過去と伝統に囚われるな。この家の伝統と歴史はイニティウムと共に俺の代で終わらせる。だから後腐れなく、お前は次の時代に進めと仰っていたよ」


エレクトゥスの泣き声が止む。そして、ゆっくりと自分の思いを吐き出した。


「俺は……俺は……そんなこと望んでない!!!」


それに父さんと母さんが死んだとまだ分かったわけじゃない! と言い捨てるとバッとデレリクティオの手を振りほどき、彼は走りだした。


「お、おい。エレクトゥス!」


デレリクティオとエレクタは急いで立ち上がると、少年の後を追った。


少年は駆ける。涙を流しながら、少年はイニティウムの方向に向かって走る。今すぐイニティウムに戻って両親を連れだす、それがエレクトゥスの出した結論だった。門衛が言ったようにイニティウムは千年攻め落とされたことのなかった伝説の要塞都市だ。ぽっと出の軍隊になんか破れるわけない! そうな思いを抱きながら、後方で止まるように叫ぶデレリクティオとエレクタの声を無視して、彼は走り続けた。






「はぁ……はぁ……」


デレリクティオとエレクタの二人が息を切らしてエレクトゥスを追いかけ、やっとの思いで少年に追いついた。レフギウム城門の外にある小さな丘に少年は一人立っていた。丘を登りながら、エレクタは語りかけた。


「お兄ちゃんの思ってることは分かっているわ。私ももちろん探しに行きたい。父さんと母さんが死んでいないって信じてる。でも今行くのは危ないわ、お兄ちゃんにまで危害が及ぶかもしれない。敵が撤退してから行けばいいのよ……」


自分たちの都市、イニティウムが攻め落とされるわけないと思っていたのはエレクタも同じだった。少年を元気づけようと掛けたエレクタの言葉にエレクトゥスは答えない。その代わり、無言で目の前を指さした。

デレリクティオとエレクタがエレクトゥスの指した方向を見ると、目を見開いた。そこにはあったのは千年都市が、不落の都市であったイニティウムが炎に包まれている姿だった。そして、彼らの目の前でイニティウムの象徴ともいえる建造物、時計台が倒れ、崩れ去っていくのが見えた。今この瞬間、イニティウムは陥落した。






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イニティウム陥落の知らせは直ぐにレフギウムに広まった。次はレフギウムが狙われるかもしれないと、パニックを起こし始めた難民とレフギウムの住民たちは、早く非難用の馬車を連れて来いと抗議していた。


「馬車はどこだ!」


「帝国は一体何をやってるんだ!」


住民と難民の怒声と喚声がレフギウムの町を包む。そんな中一台の馬車が城門を通り抜け、レフギウムの中へと入っていく。それに続くように、二台、三台、四台と次々に馬車が入っていく。


難民用の馬車が来たのか?と住民は期待を寄せるが、どうやら彼らはただのキャラバンだった。その事実に難民たちは落胆する。事情を聞くに彼らキャラバン、イニティウム周辺の集落から来ており、連合軍から逃げる際中だったそうだ。そしてレフギウムに難民が集まっていると聞き、荷台が空きがあるということも相まって難民の非難の手伝いをしたいということだった。それを聞くや否や難民たちはキャラバンに迫った。


「お、俺を乗せてくれ!」


「何言ってんだ、俺が!」


「せめて子供たちだけでも!」


キャラバンのリーダーは難民の勢いにたじろぐ。が、空きが少ししななく、イニティウムの全難民が乗るには圧倒的に足りないという事を丁寧に説明する。そして自力で歩くのが難しい子供や老人を優先的にキャラバンに乗せたいという趣旨を告げた。その言葉に大人たちは渋々頷き、それぞれの子供をキャラバンに預ける。子供や老人たちが次々の馬車に乗っていく。そんな光景を気にも留めていない様子のエレクトゥスとエレクタは、イニティウムの陥落を見たあと無言を貫いており、放心状態だった。そんな彼らを見かねたデレリクティオは、エレクトゥスとエレクタもキャラバンに同伴できるように頼み込む。キャラバンのリーダーは二人の年齢を聞く。デレリクティオが十五と十四だ、と告げると快く承諾し、エレクトゥスとエレクタは為されるがままにキャラバンに同伴することになった。


キャラバンが出発する直前、馬車に乗せられた子供たちと町に残された両親は鳴きながら別れを告げていた。デレリクティオも荷台に乗っているエレクトゥスとエレクタへ近づくと、頭に手を乗せて呟いた。


「お前たちは生きろよ」


最期にそう告げるとデレリクティオはレフギウムの町へと消える。

そして、キャラバンが動き始めた。





二人の乗っているキャラバンは帝都ウルブスへと向かっていた。エレクトゥスとエレクタには帝都に住んでいる親戚がいる。両親に何かあったら親戚の彼らを頼れと言われていた二人は、一先ず帝都に行くことを決める。しかし、レフギウムからウルブスの間にはプラニティエス平原と呼ばれる広大な土地があり、帝都までは一日以上掛かるためすぐには着かない。キャラバンがレフギウムを出たのは午後だったので、一晩どこかの町で過ごさなければいけなかった。キャラバンはレフギウムとウルブスの中間に位置するメディウムと呼ばれる都市にて止まり、夜を過ごそうと考えていた。


キャラバンがメディウムの城門で止まる。どうやらキャラバンのリーダーと門番は揉めているようで、中々メディウム市内に入ることが出来なかった。耳を澄ませば、前方から言い争っている声が聞こえる。交渉が決裂したのかどうか分からないが、結局市内に入ることはできず、城壁外に馬車を止めることになった。後で聞くにどうやらメディウムはすでに帝都行きの難民で溢れかえっており、キャラバン一つを市内に入れる余裕がないとのことだった。キャラバンは仕方なしに城壁外に馬車を止める。荷台の隙間から見ると、どうやらこのキャラバン以外にも沢山の馬車が城壁外に止まってるようだった。メディウムが難民で溢れかえっているというには半信半疑だったが、この様子を見るにどうやら本当のようだった。そしてそれらの馬車を守るように守備兵も配置されており、これなら安心だとキャラバンのリーダーも満足げに頷く。

そして馬車が止まった。キャラバンのリーダーは難民たちに馬車から降りるように促すと、メディウム内の神殿で夕餉を取るつもりだと告げる。馬車を市内に入れるのは許可されないが、市内に入って神殿で食事をする分には問題がないらしい。難民に食事を与えないのは、人道に反すると判断したのだろう。しかし宿はすでに埋まっており、寝るのは城壁外の馬車の中にしてくれと注意を受けているようだった。エレクトゥスとエレクタは周りに流されるままメディウム市内に入っていき、神殿へと足を進めた。





食事を終わらせた頃には、日は既に沈んでいた。他の難民と一緒にキャラバンに戻った二人は、荷台の中で寝る支度をする。寝る準備といっても布切れ一枚が配給されるだけで、それを纏うとエレクトゥスは目を閉じようとするが、その前に不安そうにしている妹と目が合う。そんな妹を見かねたエレクトゥスは、手を伸ばすと纏った布切れの下で妹の手をつなぐ。もう一度妹の顔を見ると、心なしか少し不安が和らいだような表情をしていた。妹は小さく微笑み、「ありがとう」と告げるとゆっくりと目を閉じた。それに続くようにエレクトゥスも目を瞑ると、今日一日の出来事を頭に思い浮かべる。寝て起きたらすべてが夢であることを願いんがら、徐々に少年の意識は闇に沈んでいった。


覚醒する。彼はまだ荷台の上にいた。どうやら全て夢ではなかったようだった。尿意を覚えた少年は、布切れを纏いながら荷台から降りようとすると、妹の手がまだ繋がれていることに気づく。妹を起こさないようにゆっくりと手をほどくと、荷台から降りる。ギィと木の軋む音が響く。地面に降りたエレクトゥスは、ふと空を見上げる。今日は満月だった。綺麗だな、と思っていると、夜の冷風が肌を刺す。


「ここままじゃ、風をひいてしまう」


寒さに凍えながら、急いで月の光を頼りにキョロキョロと用を足せそうなところを探す。城壁外に建てられた小さな物置小屋を見つけると、裏手に回り、用を足した。ふぅ、と気が抜けたような声を漏らす。ズボンを上げ、馬車に戻ろうと物置小屋の裏手から出ようとしたその時、前方で男の呻き声とガシャンと金属が地面に落ちたような音が聞こえた。なんだ?と動きを止める。音を立てないように体を硬直させると、耳を澄まし、恐る恐る物置部屋の裏手から顔を出す。すると、ひひーんと馬が鳴く音と共に、暗闇の中から光が見えた。光の中から現れた男たちは、薄汚い服を纏い、ピストルやマスケット銃を装備していた。

あれは……盗賊だ、とエレクトゥスは驚愕する。物置小屋の後ろに身を顰めると、事態の収束を待つ。悲鳴、発砲音、様々な音が前方から聞こえてくる。聞きたくないといわんばかりに耳を抑えるエレクトゥス。幾ばくかの時間が過ぎると、前方の音は鳴りやみ、代わりに遠く離れたところから馬の駆ける音が聞こえた。盗賊の襲撃に気付いた城内の兵士が来たのだろう。これで助かる、と安堵の息を漏らす少年。物置部屋から顔を恐る恐る出す。盗賊がもういないことを確認し、兵士が松明を持ちながら辺りを馬で駆けているのを確認すると彼は自分の馬車に戻ろうとする。しかし、そこに少年が乗ってきた馬車は既になかった。


もう一度あたりを見回す。周りでは難民の子どもたちが馬車の荷台から降りていくのが見える。どうやら先ほどの騒ぎで目が覚め、様子が気になって出てきたようだった。その様子を見ていた兵士が声を上げる。


「おい! 馬車に戻れ! 賊がまだ潜んでるかもしれないんだぞ!」


兵士の怒声に怖気づいた子供たちは、急いで荷台の中へと戻っていく。他の子供たちが荷台に戻っていくなか、一向に戻る様子のないエレクトゥスを見かけた兵士は馬を走らせてエレクトゥスに近づくと、再度同じことを告げる。しかし、エレクトゥスは放心しているのか、兵士の言葉が聞こえていないようだった。


「おい、お前。聞いてるのか! 危ないから、さっさと馬車に……」


「ない……」


兵士の言葉を遮るようにエレクトゥスが呟く。


は?と兵士の困惑した声が聞こえる。


「ないんだ。俺の乗っていた馬車が」


そんな馬鹿なと言いかけた兵士だが、こちらにやってくるキャラバンのリーダーを見かけると言葉を止める。どうやら騒ぎを聞きつけて、様子を見に来たようだった。

兵士は馬から降りると、キャラバンのリーダーに語り掛ける。


「キャラバンのリーダー殿、あの少年が中々馬車に戻らなくて困ってるんですよ。なんとか言ってくれませんかね」


その言葉を聞いたキャラバンのリーダーがエレクトゥスに語り掛ける。


「何をやってるんだね。君も早く馬車に」


「だから、馬車がないんだ」


再び、少年が呟く。


キャラバンのリーダーは言葉を遮られたことに少しむすっと顔を顰めるが、「そんなはずない」と言いながら少し後退し、キャラバンの馬車の数を数える。


「1,2,3,4,5、6……一つ足りない……」


キャラバンのリーダーの顔が青ざめる。


「い、急いで部隊長に報告してきます!」


先ほどの兵士が馬を走らせ、メディウムの城門の方へと向かっていく。そして、連れてこられた部隊長に告げられたのは、妹が乗っていた馬車が盗賊に盗まれた馬車の内の一つだったという、どうしようもなく残酷な現実だった。


少年がその場で倒れる。


「お、おい。君、大丈夫かね!?」


兵士たちがきちんと警備をしていなかったせいだと責めれば少年も少しは気が収まるだろう。しかし、今の少年に怒る気力はもう残っていない。彼はもう、何に対して怒り、責任を押し付ければいいのかもう分からなくなっていた。理不尽な現実に対する怒りはもうない。あるのは、絶望だけだった。



_____________________________





少年は今、一人馬車に乗っている。少年が気絶から目覚めた後、キャラバンのリーダーと兵士たちには難民を狙った卑劣極まりない盗賊の仕業だと告げられたが、そんな言葉は慰めにもならなかった。


朝一にメディウムから出発し、帝都に着くころにはもう黄昏だった。帝都の城門を抜け、キャラバンが市街に入る。イニティウムの雑草のようにあちらこちらに建てられている建造物とは違い、帝都ウルブスの町並みは規則性があり、素人目でも綺麗に町並みが構築されていることが分かる。正面門から都の中心まで続く大通りに入ると、イニティウムとは比べ物にならないくらい繁栄していることが分かる。しかし、馬車を見る人々の顔は、心なしか暗かった。大通りを抜けると、宮廷の前の広場に着く。そこで馬車を止めると、キャラバンのリーダーは難民たちにここで降りるように促す。エレクトゥスも荷台から降りると、少年の顔を夕日の光が照らす。眩い光とは反対に少年の顔は暗かった。


他の難民たちが次々と馬車を降り、帝都の人波に消えていくなか、エレクトゥスだけが一人、広場で立っていた。そんな少年を不憫に思ったキャラバンのリーダーは何かできることはないかと少年に告げるが、少年は助けの手を払いのけた。大丈夫だ、と告げると少年も帝都の街へと繰り出す。だんだんと小さくなってく少年の後姿に、キャラバンのリーダーはもう一度声をかけるが、少年は無視して歩き続けた。


エレクトゥスは記憶を頼りに親戚の家を探した。広い帝都を隈なく探し、日が暮れる前に何とかたどり着くことが出来た。


「ここが……」


目の前にある家を見る。確かに記憶の中にある家と同じだった。扉をたたく。何だい?と言って扉を開けたのは少年の知らない女性だった。少年は表情を変えずに彼女に問う。


「ここはコグナトゥスさんの家ではないのですか?」


コグナトゥス?と女性は首をかしげる。そして何か思い出したのかポンと両手を合わせる。


「そういえばこの家の前の持ち主がコグナトゥスだったかしら」


「今どこにいるのか知っていますか?」


「うーん、遠くの田舎町に引っ越したってことしか分からないのよね。正確な町名までは分からないの、ごめんなさいね」


女性は、申し訳そうな顔を浮かべた。

そうですかと言った後、ありがとうございますと一言お礼を言うと少年は歩き始めた。


「ちょっと、どこいくんだい?こんな夜遅くに一人で大丈夫かい?」


後から聞こえる女性の声を無視して、少年は進む。そのまま、少年は帝都の闇へと消えていった。


家族を失い、最後の頼みの綱の親戚は帝都にはいなく、途方に暮れた少年は、行く宛てもないまま帝都の通りを歩き始める。ふらふらと歩き始めてからどれくらい経っただろうか。気づいたころには裏路地に迷い込んでいた。ふと空を見上げれば、月が浮かんでおり、すでに夜になったことに気づく。帝都とは言えど夜の裏路地は静かだった。静粛が訪れる。かすかに聞こえるのは風の音と少年の足音だけだった。そしてついに歩く気力がなくなったのか、途端に止まる。そして少年がふと横を見ると、そこには一枚のポスターが壁に貼ってあった。


『EXERCITVS FLORIS』


フロス軍と書かれたそのポスターは、兵士への志願を促すためのものだろう。別にそのポスターが珍しいなんてことはなく、彼の故郷イニティウムでも度々見かけるものだった。しかし、今少年はそのポスターに魅入られるようにずっと見つめていた。そして少年は思いを馳せる。


自分は、今孤独だ。なぜこんなことになったのか、と少年は自分に問いかける。答えは決まっていた。全ては敵が悪いのだ。新参国家であるインペトゥス王国と帝国を裏切った神祇官領。あいつらが攻めてこなければこんなことにはならなかった。そう、もし帝国が千年の黄金時代のように、全大陸を支配していればこんなことにはなっていなかったのだ。戦争がない、死人のでない平和な世界が続いていたはずだったのだ。


失われていた怒りが、再度少年の心の火を燃やした。怒りの矛先を、すべての責任を押し付ける相手を少年は見つけてしまった。


「ごめん、父さん」


と少年は呟く。


「やっぱり父さんの言ってることは納得できないよ」


父はこの二百年を発展の時代といった。しかし、それは人の命、家族の命よりも大切なのか?いいや、そんなわけがない。人々の犠牲の上に成り立つ発展は、間違っているに決まっている。少年は再度、心の中で父に謝る。やっぱり自分は前には進めない。自分は発展よりも、平凡な毎日を選びたい。父の理想と対立しているのは明白だったが、少年の決意が揺るぐことはなかった。


「俺はインペトゥス王国と神祇官領を許さない。あいつらだけじゃない、オキデンス、オリエンス、メリディエス、ルム。帝国から分裂していったすべての国家を許さない。俺……俺は、フロス帝国の栄光を取り戻し、この大陸に永遠の平和を齎して見せる!」


その日、ただの時計職人の息子だった少年は、兵士になった。













































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