人魚飼育日記・その1


●1日目


 ここしか置き場がないため、水槽はテーブルの上へ。

 狭い部屋のどこからでも見渡せるのがいい。

 昨夜から汲み置きしてカルキを抜いた水を水槽に入れ、酸素ポンプを設置。

 試しに起動させるとポコポコと泡が出て、小学校の教室にあった緑色の水槽を思い出した。

 あの中になにがいたのか……それは思い出せなかった。


 水槽に「人魚の素」を入れ、段ボール箱の底に入っていた黒い布で、光が当たらないよう全体を覆う。

 説明書によれば、一晩待てば人魚が孵化している……らしい。

 なんとも眉唾モノだがメシの種、信じなければ。


 ところで、「人魚」とはいったい?

 昔流行ったというシーモンキー?

 それともジュゴンのような姿をしているのだろうか?

 これ以上は考えても無駄なので、今夜は寝ることにする。


 明日の朝が楽しみだ。



●2日目


 午前7時。

 いつもより早く目が覚めた。

 仕事を辞めて(ここ重要)以来、こんな時間に目が覚めたことなんてない。


 ああ、楽しみなんだ。


 昨日から頭のなかには「怪しい」と「楽しみ」という気持ちが同居していて、良くも悪くも「人魚」が孵るのを心待ちにしていた。

 おそるおそる黒い布を取る。

 水槽のなかには、小豆粒くらいの物体がふよふよと浮遊していた。

 じっと目を凝らして見てみると、表情はわからないものの顔、体、そして魚の尾びれのようなものが見える。

 これは「人魚」といっていいのだろうか?

 いや……もしかしたら、これから俺の想像する「人魚」になっていくのかもしれない。


 とりあえず横山さんに、無事に孵化したことを連絡しておこう。



●3日目


 朝起きると、横山さんからメールが届いていた。

「孵化、おめでとうございます!」とテンションの高い言葉のあとに、「メーカーのホームページにあった注意書きなんですが……」という煮え切らない文章が続く。

「人魚には絶対触るな、ということです。理由はわかりませんけど、魚の一種? だから、弱っちゃうんですかね?」


 弱る……ありうる。

 魚というのは人が不用意に触れると、火傷のような傷を負ってしまうと聞いたことがある。

 正直言って、魚は苦手だ。

 人に誘われて釣りを何度かしたことがあるが、釣れた魚を触るのがイヤで仕方がなかった。

 だから俺がこの得体のしれない生物に触れるなんてありえない。

 そう思いながら水槽に目をやると……なんてことだ!

「人魚」は昨日よりもはっきりとした形になっていた。


 全長は5cmほど。

 シーモンキーでもジュゴンでもない。

 ふわりとした長い髪と大きな瞳……おとぎ話に登場する「人魚」そのものの姿。

 水槽に顔を近づけて姿を観察していると、こちらに気付いた「人魚」はニコリと笑い、水草の森に姿を隠した。


 朝、昼、晩の3回、熱帯魚のエサをひとふり。

 そのたびに水草のなかから顔を出して、エサをパクパク食べる姿が可愛らしい。

 あくまで「謎の生物にしては」だが……。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る