第16話 エゴイスタ

 いつも同じ、背丈に合っていない長過ぎる白衣を着ていた。

 座っても立っていても、裾が地面についてしまって、歩けば引きずるほどに身長が低い。

 うちよりもちょっと低いくらい、かな。いつもフー姉の事を見下ろしているから。


 薄紫色のおかっぱで、目がぐるぐると、狂気的な印象。

 病的、とも見える。プロロク姉様のような感じじゃなくて、危ない人、に近いかも。


 童顔で、貧乳。うちと一緒。

 一緒ではないや。年の差は六つもあるし。


 キーボードのカタカタ音がぴたっと止まる。隣に立ったうちを見上げ、


「六歳も下の妹と同じ体型で悪かったな!」

「そんなこと言ってないじゃん!」

 思いはしたけどさ。


 どうだか、と作業に戻ったフー姉。

 うちは机に本を置き、ディスプレイを見つめる。


 高速で指が動き、文字が文章を作っていく。

 短いスパンで投稿されて、それに食いつく人たちがたくさん。

 動画投稿サイトのコメント欄に、フー姉の名前がどんどん更新されていった。


 返事をしてくれる人は妙にテンションが上がって、なぜかずっと叫んでいた。

 向こうはキーボード連打ですぐ投稿してるんだろうなあ。返事がものすごく早い。


「火種さえあれば簡単に燃え上がる。労力なんてまったくかからないからな」

「あ、これが炎上ってやつなんだ」

「微妙に違うかもしれないが、まあ、そう思っておけば難しくないな」


 一通り打ち終わったフー姉は、もう興味がないのか、視線をディスプレイの一台に向けない。

 配信中だった動画が終了し、画面の中の画面が暗転する。

 自動でページが切り替わり、ホーム画面に戻った。


「可愛い人だね……」

 フー姉が次に操作したディスプレイには、オレンジ色の髪に、整髪料を使ったのか、

 ふわふわっと膨らませて、ピンクと白の、お姫様のようなドレスを着た女の人が映っていた。


 その人のブログらしいけど……、画面は編集画面だ。

 フー姉がどうしてアイドルみたいな、

(みたいな、じゃなくて、もしかしたらアイドルかもしれない)

 可愛い女の子のブログ編集なんてしてるんだろう? 

 ハッキング? フー姉ならやりかねないけど。


「時間がないあいつのために、ぼくが代わりに更新してるだけさ。

 ま、内容はぼくの好きなようにさせてもらってるけどね」


 ブログの中の人! 

 今すぐフー姉からブログの編集権を取り上げて! さもないと大変な事になるよ!?


 既にもう遅く、取り返しのつかない事が起きているかもしれないけど、

 やめさせれば起きてしまった以上の事は起きない。止めて損はないはず。


「ふう。コメントも定期的に入るようになってきたな。

 なにか新しい企画でも……、対抗してライバルが真似してくれればいいんだがな」


「真似されていいの?」

「真似してくれるために煽ってるんだからな」


 うちには分からないフー姉の考えがあるのだろう。

 たとえ説明されても、きっとうちには分からない。

 フー姉は絶対、言わないとは思うけど。


「とりあえず一段落か。ん? メール……、

 ちっ、どこの企業だ。ええい、面倒くさい! 無視だ無視!」


 開きかけたメッセージを閉じる。

 既読をつけない事で相手からの過剰な催促を封じていた。

 でもフー姉なら、既読をつけないなんてセコイ事しなくても、

 真っ向から文句を言いそうな気がするのに……。


「子供だったらそれでもいいが、あっちは大人で、しかも組織だ。

 感情任せに叫んでも、事態は良い方には転がらないんだよ」


 フー姉でもそう思うんだ。

 誰よりもわがままを言いそうなのに、しっかり考えてるんだなあ。


「……サヘラ、そろそろ出ていけよ。昨日から動きっぱなしなんだ。

 このままぼくは寝る。お前のくだらない中二設定に付き合う気はないね」


「そ、そんな! こっちの世界で見つけた、唯一の仲間だったのに! 

狡猾こうかつ】を司るアストゥト! 同じ生まれ変わった竜なんでしょう!?」


「……あんまり連呼するな。

 今更、お前に乗って考えた設定に、かなり恥ずかしい思いをしているんだから……」


「アストゥト! 元気がないぞアストゥト! 仲間を探しに外へいこうよアストゥト!」

「わざとやり出したら敵対行為とみなすぞ」


 フー姉が不穏な空気を纏ったので、うちも自粛する。

 フー姉を怒らせると社会的に死ぬ。

 あることないことネットで書かれて、しかも写真アップ――、

 毎日、びくびくと怯え、

 奇異の目線に耐えながら生活していかなきゃならない……そんな生活、絶対に嫌だ!


「奇異の目線なら、お前は慣れているはずだろう……」


 確かに、普段からどこにいってもアウェイだけど。

 それと社会的に死ぬ事は別問題。


「似たようなもんだろ……」

 と呆れるフー姉は、ひと眠りするのをやめたらしく、うちと会話してくれた。

 なんだかんだと文句を言い、うちを言葉でちくちく攻撃しながらも、

 ちゃんと相手をしてくれるところは姉様らしい。


 うちにとって姉らしくないのは、タルト姉だけだ。

 あれだけには振り回されたくない。


「ちょうどいい。

 毎回思うが……、お前どうやってぼくの『エゴイスタ』の中に入ってきている?」


「……普通に?」

 特別な事をしていないので、そう答えるしかなかった。

 怒られるかもと思ったけど、フー姉は腕を組んで、なにか思考を開始する。


「単純に、設定した条件をクリアしたって事だろう。

 ……シンプルに、リスクを失くしたのが幸いだったな。

 もしも細かく設定していたら、ルールを突破された今、

 ぼくに多大なデメリットがきているはずだし」


 フー姉はうちに聞こえる声の大きさでぶつぶつと、頭の中で検証をしていた。

 集中するとなにも見えなくなる。

 フー姉の場合は前すらも見ない。全部、頭の中で処理してしまうのだ。


「昔から、決めた設定をきちんと演じているあたり、当然、育つものはあるわけだ」


 答えの出たらしいフー姉の顔色が変わった。

 面白い遊び道具を見つけた、みたいな、邪悪と言える笑みだった。

 これじゃあ、マッドサイエンティストだ……あれ、いいのか。

 フー姉はそれそのもだった。


 フー姉は人差し指をうちの心臓に、とんっ、と置く。


 ぐりぐりしながら、


「お前だけだな。――ぼくと喋りながら、ずっと無関心でいられるのは」


 それがフー姉の、エゴイスタの答えだったのだろう。

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