第3話 そっくりな姉妹

「ん? じっと見つめちゃって、恥ずかし『いやん』。

 ……で、タルトも飲む?」


 出た、『恥ずかしいやん』。

 方言ではなく、『恥ずかしい』と『いやん』を足した言葉だ。

 昔、テュアお姉ちゃんが教えてくれたけど、誰も使っていなかった。

 今では本人しか使っていない。


 使おう使おうと思っていても、いざそのタイミングなると、その時には忘れている。

 不思議、ミステリー! 答えを言っちゃうと、忘れっぽいだけなんだけど!


 差し出されたジョッキを手で押し返し、


「んー、いいや。このまえ舐めてみたけど、おいしくなかったし」

「タルトはお子様だからなー。まだビールの美味さは分からないか」


 言いながら、さり気なく二杯目を注ぎ出したテュアお姉ちゃん。

 綺麗だったジョッキに流れ込んでいく、商売道具。


 ……変わらないなあ、昔から。


 お金がなく、妹に会計を任せる気満々で、

 お店のものをマスターがいない間に勝手に手を出せるその度胸、相変わらずだった。


 こうして元気にぴんぴんしているって事は、

 旅先で同じ事をしても、酷い目には遭っていないんだろう。


 危機察知能力とか、ギリギリこれ以上はまずいっていう境界線を、

 自然と分かっているんだと思う――で、厄介事や責任を人になすりつけて、高見の見物。

 自業自得が綺麗にはまってくれない、トラブルメーカー。


 そんなお姉ちゃんが帰ってくるのは、久しぶりだった。

 前回は、確か二か月前……、だったと思う。

 その時、わたしは巨木シャンドラの中間地点にいた。

 まだ、わたしがここに下りてくる前の話。


 森林街でお姉ちゃんと出会うのは初めてだ。

 しかも、このお店にいる事も、お姉ちゃんは知らないはずだけど……、

 だから奇跡的な偶然だった。

 こういう、なにかを持ってるのも、テュアお姉ちゃんのクオリティ。


「それにしても、まさかタルトがここにいるとはねー。

 あたしに『わたしはここに残るよ』って、悲しそうな、

 けど決意を固めた良い顔で言ってたのに、結局、タルトも家を出てきちゃったわけ?」


「……うん、まあね。

 お姉ちゃんみたいに、旅には出なかったけど、今は森林街に住んでるんだよ」


「旅なんか出なくていいよ。少なくとも、今のタルトの年齢じゃ、無理無理」


 手を大げさに左右に振る。

 けど、お姉ちゃんが旅に出たのは確か四年前で、十六歳の時。

 今、わたしは十五歳だから、大して差はないと思うけど……。


「タルトの十五とあたしの十六じゃ、まったく違うよ。

 タルトが二十でも、あたしの十六には及ばない」


 え、わたしの評価、低くない?


「姉がたくさんいるとなにもしなくなる。家柄のせいで、過保護にもなるしね。

 世話焼きな妹……っと、タルトから見たらお姉ちゃんか。

 あの子たちは、頼んでもいないのに色々としてくれるでしょ?」


「うん! みんな優しいよ!」


「なんて天使な笑顔……!」

 手を口に当てて、放心状態みたい。

 お姉ちゃんは、すぐに、こほん、と仕切り直す。

「でしょ? そうなると、自分ではなにもしなくなるでしょ? 

 十五歳の時、料理とかできた?」


「料理くらいは……、あれ? できてない? 

 そういえば、キッチンの場所を知ったのも最近だったような……」


「えー……、今の子はそこまで甘やかされているのか……」


「お姉ちゃんは、十六歳の時、料理できてたの?」


「十六歳よりも前に料理くらいはできてたよ。

 あいつができるんだから、あたしがしないわけにはいかないし」


 それは、ライバル心っていう、前向きで健全なものだったらいいんだけど。

 お姉ちゃんの表情を見るに、そういうわけでもないらしい。


 いくら姉妹でも、わたしは詳細を知らない。

 テュアお姉ちゃんが旅に出るきっかけになったあの事件の、

 爆発にまで至った精神的な摩耗の過程までは、知りようもない事だった。


 お姉ちゃんと、あの人にしか分からない、二人だけの時間があるのだろうし。


「確かに、あたしが自らが進んで始めた事じゃないけど、

 それのおかげで旅に出ても困らなかったわけだから、やっていて損じゃなかったな」


 無駄な事はなにもないんだな、と、テュアお姉ちゃんはそう語る。

 ……良い話だね。教訓めいた言葉は、これから先の道しるべになる。


「でもまあ、結局、死にかけたんだけどね」

「台無し!」


 ――え、死にかけた? お姉ちゃんっ、死にかけたの!?


「だ、大丈夫だったの!?」

「おいおいタルトちゃーん、いま目の前にいるのは誰かなー?」


「テュアお姉ちゃん!」


「素直! アッコルあたりなら、『人の皮を被ったバカですか?』とか言いそうなのに、

 タルトってば素直にあたしの名前を呼んでくれるなんて――超可愛い!」


 カウンターから身を乗り出して、わたしの体をぎゅっと抱くお姉ちゃん。

 ……温かい、落ち着く、このままぐっすりと眠ってしまいたい。

 でも人目があるからかなり恥ずかしいっ! 

 奇異の目線じゃなくて、微笑ましいものを見る目なのがまだ救いだった、けど……、


「や、やっぱりは恥ずかしさには耐えられないよ、お姉ちゃん!」


 ぐいっと押して、抱擁を解く。

 もー、と頬を膨らませると、

 ショックを受けたような、青ざめたお姉ちゃんの顔があった。


 いや、そこまで敏感にならなくても……、拒絶じゃないよ? 

 大丈夫だよ、場所を選んでくれればいつでもウェルカムだよ!?


「ふふっ、言質は取ってやった」

「してやられた!」


 全ては手の平の上だった。

 ビジュアル化すると、テュアお姉ちゃんの場合は、足の裏って感じだけど。

 だとすると、片手間で遊ばれてる感が、さらに酷くなった気がする。


「タルトの許しも出たしね、そう簡単には死ねないよ。

 ほら、あたしって悪運が強いじゃない? 

 死にかけたあの時も、もうダメかもと思ったけど、

 たまたま通りかかった旅団一行に助けられたんだよね――で、今に至る」


「かなり省略されたんだけど……」

「うーん、語ってもいいけど、長いし起伏もないし聞いていてつまらないよ?」


「外伝としては最低のクオリティだね」


 そう言われると話したくなってきたなー、と、

 お姉ちゃんは特性、『天の邪鬼』を発揮した。


 もちろんここでは語らず、一緒の布団で寝た時、

 子守歌の代わりに、話してくれるらしい。

 聞いていてつまらないのだったら、よく眠れそうだ。


 でも、はちゃめちゃなテュアお姉ちゃんがいて、

 つまらない物語なんてあるわけがないし――それなりに面白いのだと思う。

 だから密かに期待していた。夜が楽しみになってきた。


「ん? じゃあ、今日は泊まるの?」

「それはお誘いなのかな?」


 舌をぺろりと出して、唇を舐め、口角を吊り上げる。

 わたしはその顔にぞくりと、鳥肌が立った。

 身の危険とアラートが、鳴りっぱなし。


「ま、泊まりたいけど、残念ながら無理なんだよね。

 というわけで、一緒の布団で寝るのはまた今度」


 また今度、とは、一体いつになるのやら。

 旅に出たら連絡をしないお姉ちゃんなら、半年後とか、数年後とか、普通にあり得る。

 寂しい思いをする妹の事を、お姉ちゃんは絶対に考えていないと思う。


「いいなあ、旅」


「だーかーらー、ダメだってー。

 今のタルトじゃ、あたしと同じで死にかけるんだから。料理すらできないならさ」


「今はできるよ! 一人暮らしだもん!」


「あ、そうなの? でも、それだけじゃダメ。

 あたしに組手で勝てなくちゃね、じゃないと話にならないよ?」


 それは、分かってる。

 森林街の外、外側の世界(通称アムプルス)に出るには、

 生活力、知識、力が必要になる。


 わたしには、どれも足らない。

 テュアお姉ちゃんでさえ死にかけたのなら、わたしだったら死ぬ。


 すぐ死ぬ。あっという間。

 あっ、とも言えないくらいに早く。


 旅に出るのを止めるお姉ちゃんの気持ちも分かるけど、でも――、


「外の世界を、見てみたいんだよぉ」


「うっ、その顔は、反則だっつの……!」

 お姉ちゃんは手で額を押さえて、

 なにかを必死に制御しているように見えた。

「うう、っううッ! ああもう、ダメったらダメなのっ!」


「ちぃっ」

「可愛らしい舌打ちだけど、舌打ちって事に変わりはないんだぞ!?」


 いいよーだ、とわたしは諦めた振りをする。

 ほんとは諦めていない。

 お姉ちゃんのあとを追って、外の世界に出てみようかな、と画策している。

 心の中の悪魔が笑い、天使は横になって……、サボってる!? 

 対立意見がないんだねえ!?


「タルト、お姉ちゃんは別に、一生旅に出ちゃダメ、と言っているわけじゃないの。

 問題なのは、技術がまだ追いついていないから、力を蓄えて、

 万全の状態でいこうよってわけ。

 タルトに死んでほしくないんだよ。タルトが大事なの――分かった?」


「分かった」

「物分かりが良すぎて不安だ……、けどまあ、いいか」


 で、本題。

 と、お姉ちゃんが一枚の紙を取り出した。


 ん? 話題が変わった? 

 というか、本題って? 今までの会話って、前振りなの?


「いやあ、別に、この本題のための会話じゃないから、ただの雑談だよ。

 姉妹の貴重なコミュニケーション」


「ふうん。楽しかったから満足だし、それでいいや」


 そうそう、とお姉ちゃんも相槌を打つ。

 大ざっぱな性格が二人いるので、いつもこんな感じ。


 そして、本題のキーワード、『首飾り』。


 綺麗なそれが映った写真が、

 カウンターテーブルに、ぱしんっ、と優しく叩きつけられた。

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