第2話 次女・テュア

 コップを拭く、キュッキュ、という音が響くと、そこで会話が止まった。

 単純に話題が終わっただけだ。

 わたしだってずっと喋っているわけじゃないから、こういうしーんとした時間だってある。


 ファミリーレストランだから、わたしとマスター以外にも、会話しているお客さんは多い。

 家族できていたお客さんは、楽しく談笑している。

 店内には落ち着いた音楽が流れていた。

 それと、お客さんの会話を聞きながら、わたしはのんびり、まったりしている事にした。


 耳を澄ませば聞こえてくる、たくさんの音。

 それは生活だったり、感情だったりを表現している。

 千差万別、被る事はなくて、音の個性が退屈にさせてはくれなかった。


「ふんふふーん」


 いつの間にか歌っていた。

 店内に流れる音楽を、半拍遅れて追っているだけで、知っているわけじゃない。

 だからちょっと間違えるし、知っている人からしたら、あれっ? って、

 ずっこけてしまうかもしれない。


 それでもいいのだ。

 だって聞かせるためのものじゃなくて、自分が心地良くなるためのものなのだから。


 全部、自分のため。

 それが巡り巡って偶然、人の心に残ってくれたら、

 それはそれで、してやったりみたいな気持ちになる。


「タルト」

「どしたのマスター?」


 歌をやめて聞き返すと、申し訳なさそうなマスターの顔があった。


「倉庫にある材料を取りにいかなくてね。

 その間、カウンターを留守にするけど、タルトに任せてもいいかな?」


「そっち側に立ってコップを上下に振ってればいいの?」

「バーのイメージが強過ぎるよ。というか、バーじゃないからもうその道具はないよ」


 それは残念。

 見たことがあるだけで、なにをしているかは分からないけど、

 たぶん、なにかを混ぜているんだな、と漠然と思う。


「いいよ! 今だけわたしがマスターって事だね!」

「ふふっ、じゃあ、任せたよマスター」


 マスターにマスターと呼ばれた。


 マスターのマスターがわたしに移ったって事は、

 マスターはわたしで、じゃあマスターはマスターでなくなるから、

 もうマスターとは呼べなくなる――、じゃあマスターの事はなんて呼べば? 


 ……なんか途中からこんがらがってきたので、考えるのをやめた。

 たった数分の話だし。

 そうこう考えている間に、マスターが戻ってきそうだった。


 カウンターの外側、つまり、今の居場所から動かなくていいと言われたので、

 じゃあその言葉に甘えようと思った。


 一人でぽつんと取り残されて、ぼーっとしながらメニュー表を見ていると、

 とん、とん、と足音。

 扉の音がしなかったので、入店してきたお客さんじゃないと思っていたら、

 わたしの横に腰を下ろした。


 真っ黒なポンチョを被った、黒尽くめの……、男、女? 

 分からないけど、その人は黙って、わたしの隣に座った。


 新しい、お客さん……、だよね? 

 いらっしゃいませ、って言うタイミングを逃しちゃった。

 けど、気にしない。


「いらっしゃいませーっ!」


 元気な声で挨拶したけど、向こうは反応しなかった。

 うん、まあ、言われて返事をするお客さんもいないけど。


 普通なら、そのまま注文をする流れだ。

 けど、ポンチョの人はまだ注文が決まっていないのだろうし、だから無言なのかもしれない。


 でも、なんでわたしの隣? 

 カウンター席は横に五つも空いている席があるし、わざわざ、隣にする必要もないと思う。

 あとこういうのって、一つ間隔を開けるのがマナーというか、暗黙の了解というか。

 まあ、いいんだけどね。人と接する事は苦手じゃない。


「おすすめ、教えてあげよっか?」


 わたしは身を乗り出して、その人に近づく。

 慣れ慣れしいとか、失礼だなとかよく言われるけど、

 こうして行動する事で友達ってすぐにできちゃうもの。

 わたしの隣に座ったのが運の尽きだったね、へっへっへ!


 わたしのそんな行動に、

 ぱちくり! と驚いた(ように見える)ポンチョの人は、笑いをこらえるように震えていた。


「な、なに? わたし、変なことした……?」


「違う違う。数か月ぶりだけど、変わってないね――タールト」


 顔を隠すフードを取って、出てきたその顔は、見覚えがあり過ぎるものだった。


 この前、見た時よりも少し髪が伸びていて、大人っぽく感じる。


「――あ! お、お姉ちゃん!?」


 シャーリック十三姉妹の一人、

 次女――家出中の、テュアお姉ちゃんが帰ってきた。



「ビールはないの?」

「あるだろうけど、

 今、マスターがいないからどこにあるか分からないし、勝手に注いでいいのかも……」


「お、あるじゃん。いくらか知らないし、お金なんてないけど、もらうよタルト」


「あれ!? お姉ちゃんいつの間にカウンターの向こう側に!? 

 しかもその言い方は、

 食い逃げするかわたしに会計を押し付けるかの二択しか考えていないよね!?」


 ジョッキに注いだビールを、ごくごくと飲み干すテュアお姉ちゃん。

 ぷはあ! と豪快な飲みっぷりだった。

 口元に白い泡をつけながら、カウンターテーブルにジョッキを叩き付けるように置く。


 カウンターの向こう側から置かれたジョッキの中身が既になく、

 白い泡が内側の側面に残っているこの状態は珍しい。

 というか、まずないと思うけど。

 あらためて、テュアお姉ちゃんをじっと見つめる。


 元々は綺麗な金色だったんだけど、旅に出ていたせいか、

 くすんだ金色の髪の毛が、前に見た時よりも少し伸びて、大きな胸に乗っかっていた。

 ポンチョの上からでもはっきりと形が分かる二つのふくらみは、わたしの憧れだ。


 スタイルが良く、可愛いと言うよりも、美人と言うよりも、格好良いが似合う。

 男の子よりも女の子にモテそうだった。仕草もいちいち男らしいし、しかも男勝りだし。


 ビッグマウスで心の器が大きくて……、

 わたしは最近、同じ年代の男の子というものを近くで見たけど、

 本物よりもお姉ちゃんの方が男に見えた。


 褒めてるつもりなんだけど、なんだか、最終的に微妙な感じになっちゃったな……。


 ともかく、わたしたち、十三姉妹の中でも二大派閥に分かれる、

 片方の信仰対象が、目の前のこの人、テュアお姉ちゃんなのだった!

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