エゴイスターズ:姉妹戦争

渡貫とゐち

1章 テュアの頼みごと

第1話 シャンドラの伝説と森の少女

 雲を突き抜けても、まだまだ高く伸びている巨木があった。


 人間も亜人もみんな、

 世界のほぼ中心地点に立っているそれを、巨木『シャンドラ』って呼んでる。


 この巨木にも歴史があって、その名前になった理由がちゃんとあるんだろうけど、

 わたしは一から、なにも知らなかった。

 だからどうしてシャンドラなのか、よく分からない。


 でも気にしていなかった。

 だって、名前なんだから、この巨木がシャンドラって名前なら、

 じゃあそう呼んであげるのが普通だ。


 わたしの名前はタルトって言うんだけど、

 なにもみんな、わたしの名前の由来まで知っているわけじゃない。

 というか、わたし自身だって知らないし。


 タルトを調べて見たら、

 甘いお菓子の一種で、焼き菓子なんだって、と、この前、初めて知った。

 わたしが生まれた日に、もしかしたらお母さんが食べていたのかもしれないし、

 たまたま目に入ったのかもしれない。そうだとしたら、文句はないけど。


 ええ……、そんな取ってつけた感じなの……? 

 なんて、気はするけど、うん、文句はなかった。


 名前に意味はあるけど、それを他人が理解している必要はない。

 知っていればもっと親密になれる可能性は、もちろん高くなる。


 興味のあるなしが相手に伝わるからね。

 向こうからしたら、

 自分に興味を持って調べてくれた人を毛嫌いする事は、あんまりないと思う。


 ただ、必要以上に知ってしまうのも問題かも。

 ストーカー的な不気味さを出してしまうと、効果は逆に振り切っちゃう。


 だからバランスが大事。

 適度な距離も必要。タイミングとか、フィーリングとか。


 人間関係っていうのは、色々と必要なことがあって、

 本能で仲良くできるのはうんと昔に終わってしまったらしい。

 生きにくい世界になっちゃったなー、って、なんとなく思った。


 わたしにとっては。


 たぶん、みんなはこの世界に適応して、人間関係に困っている事はないんだろうなあ。


「今日もお疲れだねー。ちょっとだけど、お水かけてあげる」


 本当にちょっぴり。巨木の幹のところに、じょうろに入れた水をかけてあげる。

 シャンドラからしたら、こんな水は気のせいとしか思わないんだと思う。

 だけど、しないよりは、いいのだろう。

 わたしがしたいからしたのだ。言っちゃえば自己満足。


 シャンドラのためを思ったら、じょうろじゃなくて、

 もっと大きなバケツを大量に用意するほどのガッツを見せるはず。

 そうしないって事は、どこかで面倒だと思ってるから。


 だからと言って、シャンドラの事を嫌いだと思っているわけじゃないよ。

 嫌いだったらじょうろでさえ、水をあげたりしない。


 本当に、いつも立派に立って見守ってくれていて、

 ありがとうって感謝の気持ちで、少しだけ、お水をかけてあげてる。

 みんなの心の支えになってくれていて、お疲れさま、とも。


「本当に、元々――ドラゴンだったの?」


 お母さんから、お姉ちゃんから、そう聞いた。


 この世界では竜を神と呼んで崇めている。

 で、昔、世界を創造した竜は役目を終えて、この巨木になったって伝説があるのだけど、

 まあ、それも色々と解釈があって、

 ハッピーエンドもバッドエンドも存在するから、どれが本当なのか判断がつかなかった。


 どれが本物だとか、きちんと答えが出てるわけでもなく。

 人それぞれ信じるものが違うように、だから竜の神話も、どれだっていいらしい。

 ……それならハッピーエンドがいいよね。

 というわけで、わたしはハッピーエンド説を信じている。


 竜が寿命で死ぬ時に、大自然が感謝を込めて、

 その竜の墓を作るために、たくさんの木を寄せ集めてこの巨木シャンドラができた――、


 とか……、

 つまり感謝の分だけ、この巨木が大きいわけで。

 雲を越えてもまだ伸びるだけ、ありがとうで作られている。


 役目を終えた竜は、人にそれだけ思われて、生涯を過ごした。


 良い話だなー。

 わたしも、そんな誇れる人になりたいと思った。


 だから、まずは後悔をしたくなかった。

 自分がやりたい事を遠慮なくやろうと思った。


 だって自分のやりたい事をやれば、もしも失敗しても、後悔なんてないでしょ? 

 だからわたしは後悔なんてしていなかった。


 よく、「後悔してるんじゃないの?」とか聞かれるけど、

 わたしはいつも、「そんなことないよ」と答える。


 だって楽しいから。

 今の生活が。

 自由で、なんでもできて、自分の身一つの、この生活が。


「じゃあ、今日も一日、がんばってね」


 水をかけ終わり、幹を撫でて、巨木シャンドラに別れを告げる。

 今日は、というか、今日もレストランのマスターのお手伝いがあるので、

 森林街ウッドリンクへいかなくちゃならない。


 小銭を稼ぎ、生活をするための、わたしのルーチンワークだ。



「マスター、ぜんぶ運び終わったよー!」


 ビンの詰まった箱を三十、倉庫に運び終わったわたしは、額の汗を拭う。


 マスターは、「ご苦労様」と言って、

 わたしにお駄賃と一緒に、ビンの牛乳を差し入れてくれた。


 お風呂上りに飲むのがわたしとしては最高なんだけど、

 喉が渇いている今も、同じくらい最高だった。


「ぷはあっ! マスターおかわり!」

「二本目はサービスじゃないよ?」


 今まで怒った顔を見た事がない、温厚な性格の初老のマスターは、

 微笑みながらメニュー表を指差した。

 百レート。

 もらったお駄賃の十分の一で、もう一本がもらえるけど、うーん、悩みどころだった。


「うー、いいや、がまんする」


「そうかい。そしたら、少し休憩していきなさい。

 今はちょうど混んでないし、空いてる席ならたくさんあるから」


「ちょうど混んでないって、いつも混んでないじゃーん!」


 ははは、と笑ったマスターの、少しだけ開いた瞳が笑っていなかった。

 ……余計な事をすぐに言う口には、チャックを閉めておこう。


 時間帯は昼過ぎ。


 お酒がメインの、バーのような雰囲気だけども、

 メニュー表を見るとファミリーレストランみたいなラインナップだった。


 実際、ファミリーレストランだし。

 今も四人席にいる家族は、小さな子供がスパゲッティを食べている。


 おいしそう……と、よだれが垂れそうになるのを慌てて押さえる。

 節約しなくちゃいけないからね。


 ファミリーレストランにしては、雰囲気が暗い。

 高級感が漂う内装と、外装もそうかな。

 そのせいで新規のお客さんは入りにくいのかもしれない。


 わたしみたいな常連さんは、結構、穴場として利用していたりするから、

 客足は途絶えないのだろうけど……。


 やっぱり、繁盛はしていないんだろうなあって、思う。


 カウンターテーブルを挟み、


「マスター、本当はここってバーだったの?」

「いいや? ここは最初からファミリーレストランだよ」


「え、でも、かなり入りづらいんじゃあ――」


「あ、やっぱりタルトもそう思うかい? 

 最初は他のお店との差別化として始めたんだけどねえ……、

 やっぱり、お客さんの受けは、あまり良くなかったねえ。

 でも、今更スタイルを変えるわけにもいかないし、

 それに、この内装が好きって言ってくれる常連さんもいるから」


 そっか、需要があるなら、身勝手に変えることもできないよね。

 確かにわたしだって、この落ち着いた雰囲気は好きだったりする。

 ここで食事をした後って、猛烈に眠くなって、一睡しちゃうんだよね。


 それが心地良くて、好きだった。

 マスターからしたら、いい迷惑なのかもしれないけど。


「そんなことないよ。お昼寝をしているタルトを見にくるお客さんもいるし、

 食事中に和んでくれる方もいるからね。

 タルトはもう、このお店のマスコットみたいなものだよ」


「う、なにそれ、恥ずかしい……」


 毎回、寝顔を見られてた!? 

 変な顔になってないかなー? よだれとか、だらだら垂れてないかなー?


「ふふ、じゃあ、今度、写真に収めておこうか?」

「絶対にやめて!」


 マスターの事だから、その写真をお店の中に貼りつけそうだった。

 わたしも女の子なんだから、寝顔を見られるのは恥ずかしいんだよ?


「今更だけどねえ。

 常連さんはタルトの事を知っているし、寝顔なんて、生で見ているよ。

 よだれだって、みなさん拭いてくれているからねえ」


「え、やっぱりよだれ垂れてたんだ!?」


 うわああ、と顔を覆いたくなって、両手で覆った。

 穴があったら入りたい。恥ずかしい。

 ……けど、見られてしまったものは仕方ないので、もういいや、と前向きに考える事にした。


「寝顔を見られたわたしには、もう恥ずかしい姿なんてない! 

 うん、失うものはもうなにもないんだよ! マスター!」


「タルトのそういう前向きなところは好きだよ。

 それにしても、タルトにとっては寝顔の方が裸よりも恥ずかしいんだねえ」


「ああああああっ!」


 そ、そうだった! まだ失うものがある! 

 いや、でも、このお店で裸になる事なんてないから、

 そもそも可能性に入れる事もないんじゃないの?


「さあ? どうなんだろうねえ」

「絶対に、裸になんてならないからね!」


 水着だって嫌だから! と言うと、

 マスターは分かりやすく落ち込んだ。

 ……うわあ、ミス・コンテストとか、やりそう……。


 わたしも、自慢のスタイルを晒す事が、本当に嫌なわけじゃないけど、

 まだ発展途上中だから、中途半端なものを見せたくない。


 もう少ししたら、お姉ちゃんみたいに、ボンッキュッボンッってなる予定だし、

 そしたら披露してもいいかな。


「まあ、タルトを脱がせると、犯罪的な絵面になるからやらないけどねえ」

「……あと数年、待ってくれたら――」


「ノリノリじゃないか」

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