第37話 ダンジョンの姫

 すると、クマーシュは腰に巻いていたロープを取り出した。


「レイトリーフ、ちょっと」

 そして、わたしも同じように呼ぶ。


 ロープをぐるぐるとレイトリーフの体に巻く。

 両腕も一緒に固定させて。

 これじゃあ、拘束しているようなものだけども……、拘束、しているの? 


 それからクマーシュは、モンスターズ・ドットコムの体を活かして壁を伝い、

 天井に張りつき、鋭い爪で天井に穴を開ける。


 二つ。

 逆さまのUの字で、ロープを通させ、片側のロープを持ちながら、落下した。


 彼の重さによって、レイトリーフの体が持ち上がる。


 彼女は宙吊り状態になった。


 腕は拘束され、身動き一つ取れない。

 足は固定されていないために動かせるが、

 それが脱出に、なんの助けにもならない事は当然、分かる。


 ……どういう事?


「えっと……クマッシュ……? なにしてるの?」


 質問には答えず、クマーシュはのこのこと、Tレックスの元へ歩いていく。

 Tレックスは踏み潰した剣士の死体を食べており、近づくクマーシュには気づかない。

 瓦礫の一つを手に取り、投げた――Tレックスの頭に当たり、ギロッと、睨み付けられる。


「な、なにしてんのよ……っ」


 説明がない。

 ないまま、わたしたちを巻き込まないでほしいんだけど!?


 上体を起こしたTレックスは、後じさるクマーシュを目で追いながら、

 宙吊りになっているレイトリーフに気づいた。

 気配を殺し、クマーシュはゆっくりと、わたしの元へ戻ってくる。


「……ねえ、クマーシュ、このままじゃ、レイトリーフが……」

「ああ、食われるだろうな。けど不死身だから、すぐに回復してまた食べられる」


 平然と、クマーシュはそう言ってのけた。


「レイトリーフには痛みも恐怖もある。

 いつもは食われてからすぐに逃げるから、Tレックスも復活した事に気づけないんだ。

 でも、目の前で回復されたら。

 ……Tレックスだって理解する。噛み応えだけをほっしているTレックスは、

 レイトリーフをずっと噛み続けられる、ガムみたいなものだと思うだろ」


 それは、分かる。

 なにをしたかったのかも。


 けど、


「動機が分からない……」


 クマーシュがこんな拷問のような……、いや、それそのものをする理由が分からない。


 騙された恨み? 裏切られた怒り? 興味本位? 

 たとえどれだろうと、わたしはクマーシュを軽蔑する。


 たとえダンジョンボスでも、レイトリーフは女の子なのだ。

 こんな、心のない無残な殺し方をさせるなんて……。


「俺はレイトリーフをどうにかしたいわけじゃない。ただの餌だよ」


 それは、見ていれば分かる……。


「そのまんま、Tレックスへの餌ってわけじゃなくて」


 Tレックスが歩を進め、宙吊りになっているレイトリーフへ近づく。

 レックスの生温かい息が、レイトリーフを撫でた。

 彼女の体が全身、震えているのがここからでもよく分かる。


「俺たちじゃ、あのTレックスを倒せないだろ。

 たとえモンスターズ・ドットコム化しても。無理だって分かる」


 じゃあどうすればいいかって、俺は考えた――、

 クマーシュはレイトリーフを見上げて、


 ……そのクマーシュの考えは、勝算があるの……?


「ないわけじゃない。

 でも、成功させるためには、レイトリーフの協力も必要なんだ。

 ……でもそれは、レイトリーフが自発的にしてくれた方がいい……、

 だから、なにも言えない」


 レイトリーフが、こっちを振り向く。

 助けてと懇願している目だった。

 だけど、わたしは動けない。


 クマーシュの考えに、ここは乗るしかない。

 今のわたしにも、クマーシュにも、

 レイトリーフをそこから助け、逃げ出せる自信がないからだ。


「レイトリーフはどこかで楽観視してる節があった。

 必死じゃないって言うか……、まあ、俺の印象なんだけど」


 不死身だから、かもしれないけど、わたしも感じるところはあった。

 命を懸ける場面で、襲撃されている場面で、危機感が足りないと感じていた。


「レイトリーフには、必死になってもらいたかった。それで初めて届く声もあるんだ」


「ねえ、クマーシュ。……クマーシュは、一体、誰を見ているの?」


 レイトリーフでは、当然ない。

 ラドでも、わたしでもない……、じゃあ……、


「十体の精鋭は既に食われ、殺されている可能性が高いな。だからそうじゃない奴らだ」


 このTレックスを、俺の言う通りに解き放った奴らでもない……、


 今、さらっと重要な事を言われた気がするけど……、

 ともかく、そこまで言われたら、わたしにも分かった。


 クマーシュが待つ、その人たちが。


「ここに閉じ込められてもまだ、レイトリーフを肯定する奴らだ」




「いや、だ……痛いのは、いや……っ」


 レイトリーフは弱々しい声で、接近してくるTレックスを言葉で止めようとする。


 当然、Tレックスは止まらない。

 その大口を開け、牙をレイトリーフに見せつける。

 その牙で噛み砕かれても、レイトリーフはすぐに回復するため、死なない。


 でも、死ねない――、

 拘束されたその状態じゃあ、永遠に、レイトリーフは苦しむ事になる。


 死ななくても、彼女は痛みをしっかりと感じるのだから。


「こないでよ……、今は、逃げられないの……。

 一回、死んで回復しても、逃げられないの。

 お願い、こないで……ほ、ほらっ! 別のお肉あげるから! だから――っ」


 言葉は通じない。

 その命乞いも、Tレックスには無意味だった。


「う、ぐすっ、ひぅ、あぅ……」


 逃げられない。

 たったそれだけの違いだ。


 不死身なのは変わらない。

 痛みだって、レイトリーフはある程度は、慣れているはずなのだ。


 なのに……、

 拘束され、逃げられないというだけで、ここまで壊れるなんて……。


「レイトリーフ」


 クマーシュが声をかける。


 レイトリーフが、期待した目でこちらを振り向くが、

 しかし、クマーシュはその心を折った。

 容赦のない、自らの心を殺して放った言葉だ。


「俺たちは助けない。……助けられない」


 そして、背を向けるクマーシュに、わたしもついていく。

 ごめんね……、レイトリーフ。


 でも、こうしないと、レイトリーフはわたしたちを頼るでしょ? 

 あんたを信じた仲間が、近くにいるのに。


「待っ――」

「お前には」


 クマーシュが笑みを見せた。

 良かった、と安心したような感情を乗せながら。


「お前には、俺たちしかいないのか?」


 そして、空白が生まれた。

 レイトリーフは一瞬、言葉を失ったが、はっとして、手を口に当てようとして、

 今もまだ、両手が拘束されているのだと気づいた。


 身を捻じり、それから微かに聞こえた小さな声……。


「そっか」


 気づいた。

 仲間がいる事に。


 不死身の自分が、彼らに助けを求めても良いのだという事に。


 自分がそうしたいと思える状況なのだ。

 レイトリーフだって、今だけは本音を叫ぶ。


「助けて……っ!」


 叫ぶと言うには小さな、こもった声だった。

 だけども、感情だけは檻から解放されたように、

 彼女の本心からの言葉だった。


 ――充分だった。

 声量なんて問題じゃない。


 叫ばなくとも。

 既に近くにいたレイトリーフの仲間に、その声は届いていた。


 もしも言葉なんてなくとも、状況を見て、彼らはすぐに助けていただろうけど。


『待っていろ、いま助ける』


 Tレックスの体は輪切りにされ、全ての部位が平等に、同時に崩れ落ちる。

 一瞬の出来事だった。

 各方面からの同時攻撃は、Tレックスに感知させても、避けさせる事がなかった。


 ロープを斬られ、解放されたレイトリーフは、一人の男の胸で、大泣きをしていた。


 怖かった、痛かった……と、不死身だって事を忘れて、子供のように泣き叫んでいた。

 仲間たちはそんなレイトリーフを囲み、頭を撫でたり、優しい言葉をかけたり、

 必死になって、レイトリーフを慰める。


 まるでお姫様扱いだった。

 ……まるで、じゃないな。

 あの人たちにとっては、レイトリーフはお姫様も同然なのだろう。


 わたしとクマーシュはその光景を遠目に見ながら、ゆっくりとその場を後にする。

 今、あそこに混ざるのは無粋だと思った。出る幕なんてないし、混ざる資格もない。


「レイトリーフを縛ったのは俺たちだし、絶対にばれたらボコボコにされるだろうしな」


「わたしをさり気なく混ぜないで。報復されるのはクマーシュだけよ」


 そーだな、

 そう他人事のように言いながら、歩くクマーシュの背中にコインを押しつける。

 モンスターズ・ドットコムの姿から、人の姿に戻っていき……、

 わたしは囁くように言ってあげた。


「格好良かったよ」


 クマーシュは心音を少し跳ね上げさせながら、


「……おう」

 とだけ、小さく返した。

 



 遅れて、ラドと合流する。

 遅かったのはどうやら道に迷っていたから、らしい。

 クマーシュと同様に、コインを渡して姿を元に戻し、十三層のゴールに辿り着いた。


 残りは二層……、十五層がゴールのため、

 この風景を見るのもこの十四層で最後か、と、ちょっとうるっときた。


 長かった。

 短ったようで、やっぱり長かったと思う。


「そういや、さっきレイトリーフを見たぞ。

 なんか、すげえ囲まれてたけど。混ざりづらかったし、

 それにおれじゃ役不足だと思ったから、声かけないでお前らのところにきたけどさ」


「なんだ、そういう気遣いはできるのか」


 わたしも感心した。

 ラドの場合、空気を読まずにそこに突っ込むと思っていたんだけど……、


「あのなあ、おれも空気くらいは読めるんだよ」

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