第32話 知らない金額

 ――会話が止まったきっかけは、一つの雄叫びだ。


 空間が揺れるほどの、耳を押さえなければ、内側から狂わされそうなものだ。


「ダンジョンボスの、魔獣……」


 さっき、集まったモンスターズ・ドットコムが言っていた。


 レイトリーフでさえも、ばくばくと食べてしまう脅威。

 ……遠くの音を拾ったこの感じ、もしかして、徘徊してる? 

 ダンジョンボスが、ダンジョン内をうろうろと移動してる!?


「誰だろ……なんで解き放っちゃったのかな。

 危ないから閉じ込めておいたのに。まったくもう……、

 みんなで協力しないと、あの魔獣ちゃん、檻に戻せないのに――」


 ……もしかしてだけど、レイトリーフ側で、内乱でもあったんじゃないだろうか。

 二分、三分化した、派閥の争い。

 もしくは、レイトリーフでさえも敵わない魔獣を解き放ち、レイトリーフを討つ、とか。


 なんにせよ、わたしたちはモンスターズ・ドットコムの精鋭十体、

 そして、解き放たれたダンジョンボスの魔獣を相手にしなければいけなくなった。


 このダンジョンを攻略するためには。


 同時に、レイトリーフを攻略する、という意味でもある。



 レイトリーフは、

 解き放たれたダンジョンボスの行方を追うと言って、わたしと別れた。

 誰の陰謀かは分からないけど、それによって被害が出るかもしれない。


 身内は結託している可能性が高いけど、

 レイトリーフは家族を救いに、音のする方向へ向かう。


 みんなのために。

 そして、わたしは別れた後、きた道を戻った。


 ラドとクマーシュが眠っているだろう場所へ。


「…………いない」


 二人の姿は消えていた。

 一緒にわたしのリュックも。


 これはわたしが悪い。

 いくらレイトリーフがいなくて焦り、話し声の先が近くだからと言っても、

 リュックを置いて離れるのは不用心過ぎだ。

 分かっていたはずなのに……、盗られるのは当然の結果だった。


「どうしよう……、お金なんて……」

 でも、ない事も、ない。


 日頃から体のあらゆる場所にコインと紙幣は仕込んである。

 リュックがなくなっても、すぐにモンスターズ・ドットコム化する事はないけど、

 このまま減っていったら、仕込んだお金も、あっという間に消える。


 ミスなんてほとんどできない。

 わたしは今、走る事だって満足にできないのだ。


「――あれ?」


 ポケットに、入れた覚えのない袋が入っていた。

 中にはぎっしりと、お金が詰まっていた。


 ……まるで、一人分だ。

 そして、服のあちこちに、

 わたしが仕込んだものよりもさらに多くのお金が仕込んであった。

 わたしの知らない内に、追加されたとでも言いたげに……。


「あ・い・つ・ら~」


 眠っていたラドとクマーシュは、実際は起きていたのだろう。

 そして、わたしが寝静まった頃を狙って、自分のお金のほとんどを預けた。


 そして、自分たちは捕まった。

 ……わたしを、逃がすために。


 たぶん、わたしが起きてレイトリーフの元へいったのは、ただの偶然だ。

 それを読めるわけもない。


 だから最初からわたしにお金を預けておき、

 いざという時に、自分を捨て駒にしてわたしを逃がせるように、

 準備をしていたのだと見るべきだ。


 想定よりも早く作戦決行してしまったけど、

 結果は同じなのだから、たぶん、二人は満足してるだろう。


 わたしは全然、不満なのに。


「ほんとに、勝手な事を……っ」


 考えたのはラドだろう。

 お金を仕込んだのはクマーシュだと思うけど。


 二人が揃うと大胆さと綿密さが合わさって、死角がなくなる。

 なのに、なんで自分たちの事はまったく考えないんだか。


 二人が捕まってたら、意味ないじゃん。

 だからこれは、……踏み台にしていけって事なんだろう。


「そうよね、二人が捕まっている今なら、わたしはこのダンジョンを抜け出せる。

 攻略はできないけど、戻るためのお金の蓄えはあるわけだし。

 わたしも、どうしてもこのダンジョンを攻略をしたいわけじゃない――」


 師匠から出された課題はとにかくお金を稼ぐ事だ。

 人の信頼さえも買えてしまうものだが、だからこそ、使い方によって大きな武器になる。


 権力者や悪党からそのお金を奪う事で、

 武器を失くさせるという意味もあるわけだけど、

 まあ、それは二の次で、盗賊団の武器を増やす方が優先だろうとは思う。


 うちの団長はお金が大好きだから。

 わたしは大嫌いだけど。


 よくもまあ、こうも反発する性格で、わたしを採用してくれたものだなあ。

 それが面白いから、入団させてくれたのだろうけどさ。



 お金のせいで、わたしは一人ぼっちになった。

 そんな子供時代だった。


 亜人だからとか、正直、関係ない。

 差別はあったけども、それはグループでの話だ。


 亜人のグループが出来上がっていて、

 わたしを含めたその四人組は、親友と言える仲だったのだ。


 ……だった。

 関係が崩れたのは、お金が原因だ。


 人間の仲間に入りたかった子がお金を渡して、対立する人間の子のグループに流れた。

 他の二人も同様に。

 裕福でなかったわたしだけが、お金を渡せずに、一人ぼっちになった。


 仲間意識を高めるための共通の敵として、利用された。

 もしもわたしにお金があれば……、でも、

 それで得た友達を友達と言えるかどうかは、首を捻るしかないけど。


 お金は嫌いだけど、たくさん欲しい。

 だって、お金で変えられるものが必ずあるのだから。


 なにかを壊せるなら、なにかを直す事だって、できるはずなのだ。


 一人ぼっちだったわたしを気にかけてくれた師匠も、

 仲直りのきっかけを作ってくれた団長にも、わたしには大きな恩がある。

 それを返したい。


 そのためには、生き残らなければいけないのだ。

 あの二人……、いや、盗賊団のみんなに黙って、わたしは死ねないのだ。


 だから、クマーシュとラドの、その厚意には甘えるべきだ。

 脅したわけじゃない。

 二人が率先して、わたしのためを想って、実行してくれた作戦なのだから。

 ここで引き返して、二人の顔に泥は塗れない。


 でも。

 お金を捨ててまで、わたしを救ってくれた二人を見捨て、わたしは生き延びる……、


「それって、団長が一番嫌いな生き延び方じゃん」


 約束を破る奴はクズだ、と、団長はいつも言っていた。

 破った団員は女でも遠慮なく殴り、厳しい罰を与える。

 それだけ約束を破るという罪は重い――しかしそれ以上に。


「仲間を見捨てるやつは救いようのねえクズだ、って――そうも言ってた」


 たとえ相手の意思を踏みにじってでも。

 それが戦略的な撤退だったとしても。

 たとえ駆けつけて、なにもできなかったとしても。


 共にいる事に意味がある。

 共に死んでやるのが仲間だ。


 命を懸けて、最後まで傍にいる……、

 それが憧れる人の生き様だったはずだ。


 師匠と団長の言葉は、わたしの迷いを断ち切った。

 でも、迷ってるようじゃ、まだまだなんだろうなあ。


 全然、敵わない。

 二人に追いつき、追い越す夢は、まだまだ叶わない。


 わたしは帽子を深く被り直した。


 周囲を動く、音を追う。

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