第30話 十二層

 男の大口が、クマーシュの肩にがっちりと食い込んだ。


「…………っ」

 クマーシュの顔が苦痛に歪む。

 だけども、悲鳴の一つも上げなかった。


 みしみし、と音が聞こえる。

 わたしだからこそ。

 クマーシュの内側が、確実に破壊されていっている。


 ……ダメ。

 それ以上は――致命的なものになる!


「金が、欲しいのか……?」


 クマーシュはわたしがあげた袋を取り出し、逆さまにした。

 落ちたコインは、男の体に接触する。

 その中の一枚のコインを、クマーシュは躊躇いなく、男の目に喰い込ませた。


「ぎゃッ!」

 クマーシュから離れた男が、片目を押さえる。

 その姿は徐々に、元の男の姿に戻っていった。


 顔が元に戻る。

 尻尾は無くなり、鋭い爪も小さく。

 しかしまだ黒く変色した体は戻っていない。


 途中段階のまま止まってしまったみたいだ。


 コインの有無で決まる……。

 じゃあ、クマーシュは――。


 形成が逆転した瞬間だった。

 コインを失くしたクマーシュの姿が変わっていく。

 体が黒くなる。尻尾と爪が現れ、骨格が変わっていく。


 だが、まだ完全じゃない。

 今の男と同じように、中途半端な状態だった。

 それでも、人間離れしたモンスターズ・ドットコムの力を発揮できるらしい。


 決して、クマーシュのままだったら出せない力で、男の顔面に掌底を喰らわせた。


 一瞬で男の意識が飛ぶ。

 空気が震えた音と共に、男の体は窓から外へ飛び出した。


 そのまま、きっと闇の中に落ちていったのだろう。

 わたしは、その先を見れなかった。


「クマーシュ……」

「俺、今どんな感じなの?」


 今、まさに死闘を潜り抜けたとは思えないような、

 気の抜けた質問をしてきた彼に、わたしは笑いながら答える。


「人を怖がらせようとメイクして、失敗して、しかも似合ってない感じ」


 踏んだり蹴ったりだな……、と、

 クマーシュは落ちていたコインに触れ、その体を元に戻した。




「これで分かったな。

 コインがゼロになった者は、モンスターズ・ドットコムになる」


 すぐにコインを手にすれば、変化も元に戻ると。


 そういう事でもある。


「あいつの言っていた事はどうするんだよ。

 喋るな、走るな。これってさ――」


「それをすると、お金が無くなっちゃうって事?」


 そういう事だと思う。

 というか、そうとしか考えられない。


 あの男はそれだけしか言っていなかったけど、

 これ以外にも、お金が減る行動というのがあるのかもしれない。


 たとえば、通路のショートカットとか。

 ショートカット自体ではなく、

 ショートカットをするのに必要な行動、一つ一つが、対象の可能性もある。


 だって、喋ってはいけない、走ってはいけない。

 その流れを見ると、物を掴んではならない、登ってはならない……、

 他にもたくさんの減額条件がありそうな気もする。


 こうして喋っている間にも、わたしたちのお金は減っているわけで、

 モンスターズ・ドットコム化に近づいているのだ。


「どの行動で何アルマ減るのか、把握しておきたいけど、

 試して減らすのもバカらしいよな。やっぱり、想像で進むしかないか」


「ねえ、呼吸って、どうなるの?」


 もしも減額条件に入っていたら、かなり厳しいと思う。


「なさそうな気もするけど、正直なんとも言えない。

 でも、心拍数が一定以上の数値になったり、

 息が荒くなったりしたら、減額されそうだ……、高確率で」


 それを含めて、走るな、なのかもしれない。


 頭がこんがらがりそうだ。考える事が多過ぎる。


「喋らず、走らず。ゆっくりと進んでいけば、ひとまずは大量に失う事はないと思う。

 ……ただ、やっぱり蓄えは欲しいな。意識して宝箱を探そう」


「その宝箱を探そうとして行動した結果、お金が減って、

 せっかくお金を手に入れても、失った分と相殺してプラスマイナスゼロとか、やめてよ?」


「ありそうで困るな……」


 わたしも言っていて、同じ事を思った。


 十二層。


 ここまでくるのに誰も喋らず、走らず。

 ゆっくりと歩いていた。

 ショートカットもしていないので、普通に分かれ道を選んで、

 行き止まりがあったら戻って、正解の道を選ぶ。


 なんとも言えない(なんにも言えない)空気の中で、ゴールの階段を見つけ、今に至る。


 喜びなんてなかった。

 何事もなく辿り着けた事に、安堵の息を吐く。


 大多数の感情が死んでしまったわたしたちの今の状態は、ほとんどロボットのようだ。

 ジェスチャーだって条件に入っているかもしれないし……、

 だから本当に、一言も言葉を交わさず、意思疎通もほとんどしていない。


 ひたすらにゴールだけを目指す。

 ……喜怒哀楽があるからこそ、冒険は楽しいのに。


 それがないとなると、ただの疲れる作業でしかない。

 そして、口火を切ったのは、レイトリーフだった。


「――つまんなーい!」


 それに釣られるように、ラドも大声で、


「あ――――っ! ストレスだ!」


 注意しようにも、しかし気持ちが分かるために、なにも言えない。


「コロルもいいよ。さすがに休憩しないといつか壊れる」


「……じゃあ」


 わたしも同じように叫ぶ。


 あ――――――っ! って。


 大声を出すって、気持ち良い!


「はあ。退屈って、苦痛ね」

「退屈だと兎は死ぬんだろ?」


 わたしを亜人だと知りながら、小バカにした言葉だ。むっとなる。


「違うわよ、寂しいと死ぬの。いや、死なないけど」


 そう思われているらしいけど。

 結局、寂しいというか、ストレスだからね。


 別に、それは兎に限った事じゃない。

 ラドでもそういうのは知ってるんだね、

 ただ、わたしに言う必要はないと思う。


「そう言えば、ずっと明るいな……。

 外の光ってわけじゃないだろうし。今が昼間なのか夜なのかも分からないぞ」


「いや、夜だよ」

 レイトリーフが言う。

「だって、眠いもん」


 大あくびをしたレイトリーフが、こてん、と頭を体ごと横に倒した。

 そしてすぐに、すー、と寝息を立て始める。


「寝るの早っ……」


「それだけ疲れてたって事だろ。

 しまった、見てたら、俺も眠くなった……」


 かくん、と頭を揺らすクマーシュ。

 そんなことを言われたら、わたしだって……。


「寝てていいぞ」

 すると、ラドが屈伸をし始めた。

 準備運動……? にしか、見えないけど。


「ラドは、寝ないの? って、これからなにかするつもり?」

「見張りだよ。全員が寝てる間に襲われたら、バカみたいだろ?」


 それは、そうだけど……。

「ラドは、眠くないの?」


「眠くない、って言ったら嘘だけどな。

 まあ、お前らが休む間くらい起きていられる。

 こうして運動でもしていれば、あっという間だろ」


 正直、同じくらいの疲れだろうと分かると、

 見張ってもらっているのは申し訳ないと思ってしまうけど、

 ……わたしも、この睡魔には勝てなかった。


「じゃあ、お願いして、いい……?」

「いいぜ、寝ろ寝ろ。見張りはおれに任せろ」


 ありがと。

 わたしは最後にそう声を出せたのか、はっきりとしない。


 言わずに眠ってしまったかも。

 けれどラドのおかげで、わたしはぐっすりと眠り、疲れを取る事ができた。

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