第29話 レックスの誕生

「そうなると、レイトリーフは……」


 誘おうとしたけど、いや、やめておこう。

 引っ掻き回される気がする。

 今も会話に混ざらず、窓に腰かけて、暇そうに。

 飛んでいる蝶々を目で追っていた。

 ……蝶々。久しぶりに、わたしたち以外の生物を見た気がする。


 今のところ、魔獣は一体も出てきていないからね。


「とりあえず、少ない金は不安だよな……えーと、コロル」

「なに?」


 言いづらそうに、クマーシュは目を逸らしながら。

 ……ちょっと怯えてる? 


 わたし、そんなに怖い顔をしてるかな?


「ちょっと分けてくれ。借りた分、もしも消えちゃったら、ちゃんと返すから」


「いいわよ、別に。身を守るためなら仕方ないじゃない。

 わたしの事をお金の亡者とでも思ってるわけ?」


「え? 思ってるけど」


 素直だ。

 もっとオブラートに包んでほしい。


 なよなよされてもそれはそれでイラッとするけど、

 ストレートに言われても、それはそれでムカつく。

 これは相手がクマーシュだからか――そうか納得。


「お金の亡者じゃないから。

 わたし、お金は大嫌いなのよ。

 ……そう言えば、クマーシュも嫌いなんだっけ? お金」


 でも、執着してる。

 わたしと似てるから、気になっているのかもしれない。

 そして同時に、嫌ってもいる……、同族嫌悪ってやつかな。


 ともかく、

 三人に、袋に入り切るちょうどいいくらいのお金を渡して、先に進む事にした。


 三つの分かれ道に当たる。

 真っ直ぐ、右、左……、どこを進もうか。


「どの道も行き先は分からないね……、

 窓はあっても、通路自体は壁で囲われてるから、

 見える範囲は限られちゃってるよ」


 レイトリーフに確認してもらったけど、

 結局、ここで選択するしかないらしい。


 裏技で窓から外に出て、通路の移動もできるけど、

 行き止まりに当たっても、いない内はやらない方がいいだろう。

 道が先に続いているなら、そこは正攻法でいくべきだ。


「あ。もしかして、ズルをしたら減るのかな。

 ちゃんとルールに従って進まなくちゃいけない、とか」


「あり得るけど、リュックの重さの違和感があったのって、ズルをする前じゃなかった? 

 さっき、俺の前にもレイトリーフに盗んだかどうか、聞いていなかったっけ?」


 聞いてはいないか。

 チェックはしていたよね? と、

 クマーシュはレイトリーフがいるにもかかわらず、聞いてくる……、こいつ。


 怒りが込み上げたが、なんとか抑える。

 それにしてもよく見てる。

 気持ち悪いくらいに。視野が広いとか、そういうこと?


「そう、だね。じゃあズルをしたら減るってわけでもないのかなあ」


「いや、その可能性もちゃんと考慮しよう。

 別に原因があるって事も考えておいてさ」


「どうすんだ? 真っ直ぐか、右か、左か」


 ……そうだなあ、と考えているクマーシュに、

 わたしはとんとん、と肩を叩く。


「聞こえた……」


 わたしは耳が良い。

 言うまでもなく。


 クマーシュはわたしの一言だけで理解したらしい。

 ――どっち? その問いに、わたしは左を指差す。


 向かった先には、怪我をしているために壁に背を預けて、座り込んでいる男性がいた。

 武器である剣は、刃が折れていた。

 服はボロボロ、足から流血している。

 三十代くらいだろうか……、その人がわたしたちに気づく。


 聞こえたのはこの人の声……、というより、息遣いだ。

 必死に逃げてここまできて、体力の限界になって座り込んでいる、と言った感じだった。


「おっさん、魔獣ハンターか? 奥に手強い魔獣でもいたのか?」


 ラドが、年上に敬語もなしで話しかける。

 いやあ、わたしにはできないなあ。

 年上には敬語で話さないとダメって、

 師匠に叩き込まれたわたしとしては、絶対に無理。


 座り込んだ男性は、手の平をこちらに向ける。


「くるなよ、ガキ共」


 そう、か。

 今までわたしたちだけだったから忘れていたけど、

 大人から見たら、わたしたちは子供なのか。

 だけども、それを素直に聞くラドじゃなかった。


「おれも魔獣ハンターだ。

 大人と同じ仕事をしてる。止められる筋合いはないね」


 どけ、あんたが倒せなかった魔獣をおれがぶっ潰してきてやる、と、

 男性の制止の声を振り払って進もうとしたら、刃のない剣を向けられた。


「やめろ……。魔獣じゃない。そういうわけじゃねえんだよ」


「……どういう事だ?」


 今度はクマーシュだ。

 この人は、なにか知っている。

 そんな匂いを嗅ぎ取ったらしい。


 それは、わたしも同じく感じた。


 耳よりも、今回は鼻が良い。


「あんた、なにを知ってんだ? ……ここから先の、ルールはなんだ?」


 男の表情が変わった。

 クマーシュをじっと見て、


「どうやら力馬鹿じゃねえらしい」

「おい。じゃあおれは力バカなのかよ」


 ラドの文句はスルーされた。


「どうしても先に進みたいのか? おすすめはしねえ。

 攻略が目的じゃないのなら、引き返した方がいい。

 その金だけを持ち帰っても、しばらくは遊べるだろ。

 ガキにとっちゃあ、大金だろうしな」


「いや、攻略する。譲れないな」


 クマーシュは一歩も退かない。

 ラドは意外そうに、クマーシュを見る。


 ……クマーシュは、もしかしてラドに合わせた?

 ダンジョン攻略に付き合うと覚悟を決めて。


「そうかよ」

 剣を下ろした男は、

「――金はあるのか?」


 疑問符が浮かんだが、すかさずラドが答える。


「あるぞ、たくさんな」


 わたしを見て言う。

 分け合うつもりだけどさ……、だからってあてにされても困るよ。


「なら、喋るな、走るな。それだけでだいぶマシになるだろうぜ」


 そう言って、先を促す男。


 ……え? それだけ?


「悪いが、攻略法なんて知らねえもんでな。

 こっちが知りたいくらいだ――、いけよ。

 お前らに止まる気がないなら、こっちも無理して止める事もねえ。

 ハンターなんだろ? 進みたきゃ進め」


 忠告はしたぞ、そう言い残して、黙り込んだ男を越え、

 わたしたちは先の道を進む。


 ――そこで。


 折れた刃の剣を掴んだ男が、わたしたちの背中に忍び寄る。

 怪しげな音に気づいたわたしが振り向いた時、

 折れた刃の荒い断面が、レイトリーフを突き刺すところだった。


 ラドの蹴りが男の顔面に突き刺さる。

 握っていた剣が飛び、くるくると回転して天井に当たり、地面に落下した。

 同時、飛ばされた男の体も、地面を転がる。


「……金ぇ」

 静かな、低い呻き声だ。


「金だ、金があれば、俺は……」


 ラドが男の前に立ち塞がる。

 わたしたちを守るように。


 金、金、金、と繰り返す男の目がぶれ、自らの手を見る。


 そして、発狂した。


「頼む! 金をくれ! もう嫌だ! 

 せっかく元に戻ってここまでこれたのに! なんでこんな所でッッ!」


 男がラドの服を力強く掴む。

 ラドも、どうしていいか分からず、後じさるだけだ。

 攻撃しようにも、できない。男の取り乱し方は、なにか事情がありそうだ。


「ひっ」

 珍しく、ラドがそんな声を出した。


「なん、だ……?」

 クマーシュも気づいた。


 わたしも。

 耳じゃなく、この目でしっかりとと見る。


「手が……」


 黒く、骨格から変わるように、細く。

 爪は鋭く、長く。

 その黒色は濡らした紙のように広がっていく。

 

 手から腕へ、


 腕から肩へ。


 ゆっくりと。


「助けてくれ!」


 と、男がラドに頼るが、

 不気味な変化に、ラドは男の手を振り払う。


 うつ伏せに倒れた男は、やがて真っ黒になった。

 なかったはずのものが増え、元の男とは思えないほど、見る影もなかった。


 そして、わたしたちは知っている。


 その姿を。

 過去、わたしたちを襲った、敵を――。



「モンスターズ、ドットコム……」



 その誕生の瞬間を、偶然にもわたしたちは、目にしたのだった。





 ふしゅー、という吐息と共に、蒸気が舞い上がる。

 四つん這いから立ち上がる途中の中腰状態で、

 かつて魔獣ハンターの男だったレックス……、

『モンスターズドットコム』は、わたしたちに狙いを定めた。


 ふっ、と消えた。


 いや、わたしの耳は相手の居場所を特定する。

 天井。足の爪を喰い込ませて、蜘蛛のように張りついていた。


 音を聞き、目を向ける。それじゃあ遅い。

 目を向けた時には、相手は大口を開けて、わたしに噛み付こうと接近していた。


「うっ」

 腕で目を塞ぐ。

 だからどうなったのか分からなかったけど、わたしは噛み付かれていなかった。


 ゆっくりと目を開けると、壁には蜘蛛の巣状の亀裂。

 地面には、横たわるレックスの姿。


 血走った目は変わっていなかった。

 よだれと共に、黄色い吐しゃ物が地面を濡らす。


 刺激臭に鼻をつまむ。

 自然と眉が寄ってしまう。

 女の子にはきつい光景だと思う……、

 レイトリーフも、うげ、と数歩、下がっていた。


 耳が良くて助かった。

 もしも鼻が良かったらと思うと……、想像もしたくない。


「こいつ、変化と共に理性も失ったのか? 人間を見た時の反応が魔獣そっくりだ」


「モンスターズ・ドットコムにしては、他と行動が違い過ぎるな……、

 もっと考える力があったと思うけど。

 まだ馴染んでいないのかもしれないな。暴走状態か?」


 さすが、男子二人は、目の前の変わり果てた男を見ても、動じていなかった。

 ラドは相手を殴ったか、蹴ったか、またもやわたしを救ってくれた。

 

 クマーシュは、冷静に分析までしている。

 そして、さり気なく二人共、わたしよりも前に出てくれていた。


 …………格好いいじゃん。

 クマーシュも。ちょっとは見直した。


「金、だ。かね、カネ。俺にカネを寄越せ。そうすれば――」


「おっ、喋れるようになってきたな」

「やっぱり馴染んでなかっただけか」


 しかし、だからと言って、会話が成立するとは限らない。


 相手に話す気がなければ、言葉が通じないも同然だ。


「ガキが。いいからお前らは搾取されてりゃいいんだよ。

 なにも知らねえくせに、俺の脱出の邪魔をするんじゃねえ!」


 腕で口を拭った男は、地面に爪を立て、小さな石を取り出す。

 剛速球が飛んできた。


 受け止めたラドは、ふっ、と体が浮いた。

 勢いを受け止め切れなかったのだ。


「わっ、とと」

 すぐに着地したが、勢いに押されて、そのまま後ろに倒される。

 言い方は悪いが、わたしたちのパーティの、壁役がいなくなった。

 つまり、前衛に残るクマーシュと、わたしが、相手の餌食になる。


「お前らは、あいつほど頑丈じゃねえだろ」

「!」


 石ころを投げるなんて、小手先の小細工は使わない。


 男は細く見えるが、かなりの力を出せる腕を伸ばす。

 クマーシュはそれを同じく手で掴み、止める。

 似合わない……、クマーシュらしくない。


 なんで……、


「わたしが、いるから……?」


 もしも、わたしがすぐ後ろにいなければ、

 クマーシュにはもっと選択肢があった。


 それを選び取る事もできた。

 たぶん、クマーシュはラドとは違って、力技には頼らないタイプだと思うから。


 わたしのせいだ。

 わたしが、足手纏いになっている。


「安心しろ。口の中にバクテリアを飼ってるわけじゃねえ。

 毒で麻痺させて、なんて、いたぶる趣味はねえよ。

 単純な牙と顎の力で――噛み砕く!」

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