第26話 時は金なり

「――はっ!?」


 状況を理解したおれは、立ち上がろうとするが、

 右手を地面についたところで、力が抜ける。

 顔面を地面に打ち付ける間抜けを披露した。

 見ているのがおれだけで良かった……今のはかなり情けない。


「右手が……」

 動かない。

 そして、忘れていた激痛が今更やってきて、顔をしかめる。


 正直、激痛はがまんできる。

 だが、数ミリでさえ動かせない腕があるのが、違和感だ。

 こりゃあ、肩がはずれてるな。


「胸の傷が治りかけたところで、これかよ」


 はめられれば大丈夫だろうが。

 何度か挑戦するが、上手い事、はまってくれなかったので諦めた。


 動かせる左手は、麻痺したようにぴりぴりしている。

 ドアノブを掴んだ時、感覚がいつもよりもない――おいおい……ぼろぼろだな、おれ。


 扉を開ける。

「一緒だよな……」


 キッチン。

 レイトリーフは、仰向けで転がっていた。

 左胸、心臓に突き刺さった包丁は、まだ変わりなくそこにある。


 一突き。

 簡単に、命を奪った。


「もう一度……だ」


 コインはまだあるのか? 手元には、既にない。

 コロルの部屋へいき、また数枚、取ってきて挑戦する……。


 だが、おれの腕は今、こんなんだ。

 使い物にならない。

 そんな状態で、さらに難易度が上がったダーツをクリアできるのか?


「クソっ、クマーシュの後ろ向きに、影響を受けてるじゃねえか!」


 クリアできるかどうかじゃない。

 クリアするんだ。

 じゃないと、レイトリーフは……、


 元に、戻れなくなる。


 手元のコインがいつなくなるか、分かったものじゃない。

 なにもしなくとも、コインは常に消えていっている。


 なぜなのかは分からないが。

 とにかく、タイムリミットがあるのだ、足踏みをしている場合じゃない。


 腕が千切れようが、おれは矢を投げるだけだ。


 すると、がくん、と、足の力もなくなっていた。

 膝をつき、麻痺した左手の肘を地面に当て、這いつくばりながらも進む。

 キッチンから出るための扉が遠い。

 ドアノブは、こんなにも高かったか?


「諦めるか……っ」

 諦めて、たまるか!


「……あ」


 ドアノブに手を伸ばしたところで、おれは動きを止める。


 ……聞こえたのだ。


 息遣いが。音が。


 振り向けば、深々と刺さった包丁は、抜き取られていた。


「なに、これ……」


 レイトリーフはきょとんとした表情で、おれを見る。

 それから寝ぼけているように、周りをきょろきょろと見回していた。


 状況が把握できていないのかもしれない。

 大丈夫だ、おれも一緒だ。

 そして、なにがなんだか理屈は分からなくとも、結果だけは見たまんまだ。


 レイトリーフが生きて、動いている。

 それだけだ。

 力が一気に抜け、どっと疲れが出てきた。


「……レイトリーフ、おかえり」


 おれの言葉に、彼女はこう返した。


「ラド、ここはおはよう、でしょ?」


 もうそれでいいや。

 生きていてくれただけで、充分なのだから。



 朝帰りをしてきたコロルとクマーシュ。

 なんだか怪しいな。

 まあ、つまりおれとレイトリーフも、家で二人きりだったわけだが。


 気になったので冗談交じりに問い詰めるが、二人には、なにもないよ、と真顔で言われた。

 嘘をついているわけじゃないし、動揺もないな。

 二人共、ちょっと怒っているのはなんでだ?


「魔獣に襲われててさ。まともに食事も摂らずに逃げ回ったり隠れたりしてたんだ。

 必死だったんだよ。そんな大変な思いをして帰ってきたら、

 二人で朝帰りだなんて怪しいな、とか言われたら、

 なにも知らないくせに勝手なことを言うなよって思うだろ?」


 それに、ラドもレイトリーフも二人きりじゃん、と返しの球をもらう。

 同じように、なにもなかったけどな。


 そう言うが、問い詰められたレイトリーフは、慌てて否定する。

 おれが見ても怪しいぞ、それ……。

 なにもなかっただろ。一緒に隣で寝ただけだ。


「隣で寝ただけって……。って、二人とも怪我してる!?」


 コロルが近づき、おれの右手を掴んだ。


「い、いってえ!?」

 ちょ、おい! 乱暴に扱うな、まだ肩がはまってないんだよ!


「体のバランスが悪いから、なにかと思えば……大した事ないじゃない」


 自分でもそう思うが、人に言われるのはなんだかムカつくな――、


 なにも知らないくせに! と思う。


「で、レイトリーフ」

「ん、なにかな」


「なにかな、じゃなくて。

 隠した胸元を見せなさい」


 わー、きゃー、という女子同士のセクハラが目の前で繰り広げられていた。

 服がはだけ、肩と胸元が見えるレイトリーフと目が合った。

 慌てて逸らす……しかし、しっかりと胸元はチェック済みだ。


 傷口、消えればいいけどな……。


「なんだ、少しの擦り傷じゃない」

「え?」


 おれは思わず声を出してしまう。

 あの傷は、そんなものじゃ……、

 そして、今度はばっちりと見てしまった。


「ラド、なに見てんの?」

 コロルの冷たい視線。


「いや……、つーかなんでここでやるんだよ! そりゃ見ちゃうだろ!」


 なあ、クマーシュ? 

 と同意を求めようとしたら、既にクマーシュは部屋から消えていた。

 危険を察知して逃げやがった!? 

 おれに伝えないところが、あいつらしいけどよ!


「ラド、エッチだね……」

 ぼそぼそっと言われたレイトリーフの言葉は、攻撃力が強い。


 ぐっ、女二人に男一人は、分が悪い。

 というか、コロルが相手ってだけで、勝ち目はほとんどない。

 おれも、クマーシュに倣って部屋を出る。


 すると、階段付近にいるクマーシュを見つけた。


「……って、クマーシュ、二階は女子の部屋だろ?」

「ああ、気になる事がある」


 そう言って、階段を上がるクマーシュのあとを追う。

 おれも、気になる事があった。


 ただ、クマーシュを追いかけたところで解決はしないがな。


 レイトリーフの事だが、まあ、傷の治りが早くても、変ではないか。

 コロルのように、人間でなかったとすれば、説明はできてしまうのだし。


「俺が気になってるのは、コロルの部屋だ」

「コロル? 気になってるのか?」

「だから、部屋だよ」


 今更だが、勝手に入っていいのか? 

 本人がいない時ならまだしも、一階にいるぞ?


「ささっと、少し見るだけだ、大丈夫だろ」


 本来ならいなくてもダメだけどな。

 しかし、クマーシュ、説得力がない。


 言って、部屋に足を踏み入れる。

 特に変わった様子はない、か。

 朝帰りをして、まだコロルは部屋に戻ってきていないのだ……、

 変わっていなくて当たり前だ。


 変わっていない――そう、そのはずなのだが。


「目につくなあ、山積みの金」

 そう、明らかに、昨日よりも増えているのだ。


 一瞬、変化に気づけなかったが、よく見ればまる分かりだ。

 まるで、今日になったから、追加されたかのように。


「気になっていたんだ。コロルのじゃないお金。

 いったい、誰のだろう、コインが消えたりするのはなんでだろう……、

 毎日、元の金額に戻るかのように、増えているのはなんでだろう――って」


 クマーシュはおれに、というより、

 自分に言い聞かせるように喋る――答え合わせか?


 このお金と謎にしか、目を向けていないのか。


「たぶん、この金、元々は八六四〇〇アルマあるんだと思う。

 今は減って、それよりも少ないと思うけど」


「? なんでその金額なんだよ。中途半端じゃねえか?」

「一日の秒数だ」


 んー、ぴんとこないな……、一日を秒数にする機会がないだろ。


「まあ、そんなに使わないか。

 とにかく、一日の秒数は八六四〇〇秒なんだよ。

 で、一秒で一アルマ消えたとすれば……」


 そうか。

 そこまで言われれば、おれでも分かる。

 一日が始まった時に一日の秒数=お金が渡され、一秒に一アルマ引かれていく。

 時間=金額になっているんだ。


 だとすると、時間の巻き戻しと、チャプター移動も、理屈は分かる。


 時間(お金)が増えたから戻り、

 時間(お金)が減ったから、進んだのだ。


 渡されたこのお金でしか、おれは時間の移動ができなかったのか……。


 最初はコロルのお金と一緒に混ざっていたから、分かりづらかったが、

 分けられた事で一気に分かりやすくなった。

 それでも、おれは今まで気づけなかったけどな……。


「もしかして、ずっとこれを考えてたのか?」


「いや、コインが消えていくのを一回見て、気になって考えていたら、

 今の考えが一番しっくりしたから、確かめにきたって感じだな。

 これ、なかなか面白いと思うぜ」


 面白い、ね。

 おれはこれに苦しめられたわけだが……、しかし、救われた事もある。


 たとえばレイトリーフ。

 一度、死に、巻き戻った後の時間では、

 レイトリーフに刺さった包丁は、角度が少しずれていた。


 だから、二度目は死ななかったのだと思っている。

 ただ、傷の治りの早さから見て、

 関係ないって気もしてきたが……、そのあたりはまた、聞いてみる事にしよう。


「それで、クマーシュ。仲直りはできたのか?」


 コロルとの仲だ。

 気にしていないわけがない。


「険悪ではないな……、吊り橋効果な気もするけど」


 そう言えば、魔獣に襲われたとか言っていたな……。


 まあ、仲直りであるのは、確実だ。


「もう喧嘩するなよ。こっちも気まずいんだから」


「気を付ける。もしもまた喧嘩したら……」


 ――したら?


「手伝ってくれよ」


 知らねえよ、と笑いながら、

 おれは、任せろ、とクマーシュの肩を叩く。




 そして。



 ダンジョン十層から、


 おれたちは本格的に、攻略を開始する。

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