第25話 想い、一投

「魔獣を理解したい、魔獣ハンター……か」


 まあ、嘘も方便だ。


 さすがに魔獣を殺して快楽を覚える変態ではないが、

 魔獣は、人間に害を与える存在だと教え込まれている。

 そのため、魔獣は敵だと思っている――そう、殺すべき相手だと。


 ただ、さっきまでは、だ。

 吐いた嘘も実行してしまえば本当になる。

 魔獣を理解したい……、じゃあ、理解してみよう――努力をしてみよう。


「レイトリーフ……」


 彼女は動かない。

 当たり前だ、死んでいるのだから。


 鼓動も聞こえない。

 傷口からはもう、血は流れ出てこなかった。


「ごめん。……つらいかもしれないけど、少しだけ待っててくれ。

 ……必ず、おれがお前を救うから」


 おれが怒り狂わなかったのには理由がある。

 こんな事になったのは、おれが時間を進めてしまったからだ。


 もしも、いつも通りの速度で時間を過ごしていれば。

 こんな事には、ならなかった。


 おれが招いたミス。

 そしてそのミスは、やり直せる。


「……戻るぞ、あの時間に」


 コロルの部屋へ向かう。

 持てるだけのコインを持ち、自室へ戻った。

 ダーツ……、四回目だ――コインを投入する。


「……一枚」


 本当は数枚、入れ、一発逆転を狙いたかった。


 しかし、もしも三回目の時のように大きく的をはずしてしまったら……、

 びびって、おれの手はコイン一枚でセーブをかける。


 情けない……だが、

 ここで失敗をしたら、とり返しのつかない事になりそうで、本能がそう呼びかける。


 この直感は信じた方が良さそうだ。


 そして、すぐにおれはコイン一枚でやめた事を後悔する事になる。


「……なっ!?」


 ――重い! 手に持ったダーツの矢は、踏ん張り、力を入れなければ持つ事ができない。

 持って歩くのも難しい……、三本を一度では、持ち運べなかった。


「おいおい、今でこれなら、次に挑戦する時……」


 竜を指で持つようなもんじゃねえか。


 けど、やるしかない。

 やらなくちゃ、レイトリーフは死んだままなんだっ!


 時間をかけ、なんとか定位置についたおれは――構える。

 数十秒、持ち続けただけで、腕がかなり疲弊している。

 構えるのも一苦労だ。だが、投げられないわけじゃない。


「らぁッ!」


 一投目。

 ポイントは今回、気にしない。

 とにかく的に当てる、その感覚を掴む。


 二投目、三投目。


 矢を取ってくる往復に時間をかけるという皮肉を味わったが、

 なんとか三本とも、的の中に入れる事ができた。


 ただ、息が整わない。

 やり遂げた達成感と、疲労感で、ポイントを見るのも忘れてしまう。

 出てきたコインを見つめ、這いながら、近づく。


 手を伸ばし、指先で触れ、

 しかし、景色は変わらなかった。


 そこまでの時間、巻き戻ったわけじゃないのか……、


「――いや」


 鼻歌が聞こえた。

 上機嫌な、聞き覚えのある曲。


 ……レイト、リーフ……。


 あいつの生きている時間に、戻ってこれたのか!


「レイトリーフっ!」


「うぐぅ!? って、ラド!? 

 ぐっすり寝てたんじゃ……。もうっ、びっくりしたよ。

 いきなり扉を開けてさ。そんなに慌ててどうしたの? 怖い夢でも見たの?」


 おれはそんな子供じゃない。

 そう言いたかったが、それよりも嬉しさが勝り、思わず抱き着いていた。


 ぎゅっと、力を込めて、さらに抱きしめる。


「――ちょ、っと……、本当に、怖い夢でも見たの?」


 ああ、そうかもしれない。

 お前が死ぬのは、本当に怖かったんだ。


「大丈夫。私がいるもん」

 

 そうだな、頼りないけど、いてくれるだけでとても安心する。


「……いつまでこうしてるの? 意外と恥ずかしいよ」


 意外となのか。

 普通に恥ずかしいと思うが……、

 比べて、おれは全然だった。


 冷静じゃないのかもしれない。


「もうちょっとだけ」

「で、でも……」


 レイトリーフが熱くなるのを感じる。

 その温かさもまた、心地良かった。


「ラド、そろそろ、本当に――」


「しっ」


 レイトリーフの言葉を遮る。

 ……いるな。

 見られている。


 壁に張りつくそいつは、おれたちをじっと見ていた。


 悪意、敵意はない。

 おれたちがなにかをしなければ、なにもしないはずだ。


「なにもしない。おれは、なにもしないから大丈夫だ」

「な、なにもしないって、ここまで抱き着いておいてそんな事……」


 レイトリーフには言ってない。

 いや、かと言って、なにかをするわけじゃないけど。

 じゃあいいか、勘違いしててくれ。


 手を上げる。

 降参のポーズだ。


 姿が見えない魔獣は、警戒心を解いてくれたらしい。

 ゆっくりと後じさり、魔獣が距離を取る――すると、


「ラド?」

 レイトリーフが異変を感じ取ったのか、振り向いた。


「……魔獣?」

 呟いた言葉に思わず、

「――見えるのか!?」


 ラド! そう叫んだレイトリーフが、おれを突き飛ばす。

 床を転がり、壁に叩き付けられてすぐ、レイトリーフが吹き飛ばされた光景を見る。


 落下してくる彼女を受け止め、


「大丈夫か!?」


 胸は……大丈夫だ、包丁は刺さっていない。


「どさくさに紛れて、どこを触ってるのかな……っ」


「いや……、って、今はそれどころじゃないんだよ!」


 あっ、誤魔化した! 

 彼女に指摘されるが、相手にしない。

 このあとが怖いが、ともかくだ。


 さっきまであんなに警戒心を解いていた魔獣が、なぜこうも暴れるんだ!? 

 キッチンにあった器具を片っ端から掴み、投げてくる。

 その中には包丁もあった――まずい! これじゃあ、さっきの二の舞だ。


 包丁だけを的確に弾く。

 それ以外は当たっても、怪我はしても、致命傷にはならない。

 レイトリーフを背にして、前だけに集中する。

 この器具の雨を抜け――あの魔獣の動きを止めるんだ。


「ラド! 後ろ!」


 うし――ろ? 


 前だけに集中していたおれは、後ろからの攻撃に気づけなかった。

 弾いた包丁、それを舌で掴んだ魔獣が、

 おれの後ろから刺そうと、包丁の切っ先を向けている。


 飛んできた包丁は、レイトリーフが受け止めた。


 左胸、心臓――、同じ場所だ。


「あ、ぐっ――」


 とん、と力なく、

 おれの背に体重を預けたレイトリーフは、そのまま足を崩して倒れる。

 深々と刺さった傷口からは、血が滴り落ちている。

 急速に体が冷えていく……ぞっとした。


 レイトリーフのその表情が、終わりを告げているような気がして。


「ら、ど……」

 吐血し、上手く喋れていない。

 それでも必死に、口を動かす。


「手、握って……て」

 おれは、震える手でレイトリーフの手を握る。


 言葉はなにも出ない。

 言いたい事はたくさんあるのに、どうやって声を出すのか、忘れてしまったかのように。


 握った手は冷たく。

 いつの間にか、声は聞こえない。


 微かな動きもなくなった。

 瞬きを、しなくなった。

 そしてやっと、おれは声を絞り出す。


「れいと、りーふ……」


 上手く喋れていなかった。

 声はぐちゃぐちゃで、おれ以外、なにを言ったのか分からなかっただろう。

 それくらい、まともじゃなかった。


「ま、じゅう……」

 後ろにいる。

 そいつはおれを見て、立ち去る場面だった。


「ッ、逃げんじゃねえ!」


 ダメだ、止まらない。

 こうして目の当たりにしてしまうと、自制が利かない。

 全てを壊し、めちゃくちゃにしたい感情に支配される。


 今のおれは真っ赤だ。

 そして、真っ黒だ。

 私怨を振り回す、悪意の塊。


 踏みとどまれたのは、

 レイトリーフにまだ、微かな息があると分かったからだ。



「……こんなことをしている場合じゃない」


 魔獣は既に窓から逃げている。

 なら、今のおれがするべき事は?


 思い出せたら、行動は早い。


 自室に戻る。

 すぐに取り出せたコインを、四枚、投入する。

 三本の矢の一つを持つ。


 おれの手は、矢の重さで地面に落ちた。

 床は凹み、おれが立ち上がろうとしたら、重さで床が軋む。

 いつ抜けてもおかしくない。


 両手で持たなければ、移動さえもままならない。


 これを投げる? 無理だ――いつもなら。


「レイトリーフを、助ける……」


 そのためには、たとえ肩が壊れようとも、

 二度と両手が使えなくなろうとも、構わない。


 妹に似ているから、だけじゃない。

 レイトリーフという人間が、おれには必要だからだ。


 絶対に、失わせやしない。


 一投目、はずれる。的の下、壁に突き刺さった。


 二投目、力がなくなり、的に届かなくなった。地面に突き刺さる。


 三投目。膝が悲鳴を上げる。ダーツを持ち、支える事が困難になってきた。

 がくん、と膝が地面につき、立ち上がれない。

 大量の汗が視界を歪ませる。見える的が複数になった。意識が朦朧としていた。


「……たったダーツの矢、一本……ッ、投げられなくて、なにがハンターだ!」


 壊れかけた膝を無理やり動かす。

 もう体はぼろぼろだ。

 痛みは、麻痺してなにも感じない。

 全ての集中力を手に――指先に、集める。


 この一投だけは、絶対に。


 そして。


 倒れたおれは、その矢を投げる事すらできなかった。


 時間が進んだのか、気絶していたのか――分からない。


 ……気づけば、外は暗く、夜になっていた。

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