第24話 魔獣ハンター、舌回る

 心臓には、包丁一本、根元まで刺さっている。

 顔は白く、生気を感じられない。


 足が動かない。理解ができない。


 なんだ、なんだよこれ……っ!

 レイトリーフは、死んでいるのか……?


「おい……」

 頬を撫でる。冷たい……。

 彼女は目を瞑り、無表情だった。


 苦しんだ様子はないように見える。

 まるで、眠っているかのようだ。


「なんで、お前が……」

 血溜まりが広がっていく。

 床を、全て染め上げるように。


 ……待て。

 じゃあ、レイトリーフが死んでから、まだ時間は経っていない?


 ぴちゃん、と、おれの頬になにかが落ちてくる。

 つー、と垂れるそれを手の甲で拭うと、赤色が付着していた。


 真上。

 レイトリーフが、包丁で胸を刺され、

 その時の血が、天井にまで届くわけがあるか?


「ッ!」


 手の甲についたのが血だと分かった瞬間に、おれは横に転がる。

 椅子とかテーブルとか、関係ない。

 体当たりでそれらを吹き飛ばし、距離を取った。

 ……見えないが、滴る返り血が、『奴』の居場所を教えてくれる。


「今のお前は、怒ってるな――」


 赤色だ。

 ほんのりと、まるで湯気のように見える薄い赤色が、おれの目の前にいる。

 レイトリーフの近くで、そいつは動きを見せなかった。


 血溜まりに奴の足が乗る。

 血の池は奴の足の形を浮かび上がらせる。


 四足歩行だ。

 足は、太い指、二本なのか……?


 四つの足跡が、こっちに近づき、増えていく。

 相変わらず姿は見えない……、こいつは、そういう魔獣なのだ。


「もしかして、ここはお前の家だったのか?」


 だとしたら、おれたちはこいつの巣に無断で入ってしまった事になる。

 警戒心が足らなかったおれたちが悪い。

 だが、この家に住み着いてからずっと、こいつはこの家にいるが、

 怒りも敵意も、見えなかった。


 姿が見えないまま、同居している認識だった。


 こいつもおれたちと同じで、この家で休んでいただけなのかもしれない。


 そのため危険性はないと判断したのだ、おれは。

 コロルにもクマーシュにも、レイトリーフにも、

 わざわざ言って、不安がらせる事もないよな、と思って。

 魔獣が全て悪いわけじゃない。

 平穏に暮らしたい奴だっているのだ……、こいつはそうなのだと思っていた。


 そして実際、それはその通りなのだ。


 魔獣は、ダンジョンや神獣の加護が効いていない巣窟と呼ばれる場所で生活をしている。

 弱肉強食の世界であり、

 生きるためには相手を殺す必要がある世界で、これまで生きていた。


 ……相手を殺すのに、敵意を持たない。

 憎しみもない。

 必要だから殺す。

 自分が危ないと思ったから、殺す。

 見える感情は、その体の通りに、無色透明なのだ。


 だから、分からなかった。

 こうしてレイトリーフが殺されるまで。


 姿の見えないこいつは、おれたちを殺し、

 食糧にするためのチャンスを、さり気なく窺っていたのだ。


 チャンスはたくさんあった。

 なぜ、今のタイミングなのかは、分からない。

 やるならもっと早くやっていても良かったはずなのに……。


「自衛、か」


 もしかしたら、レイトリーフが気づいたのかもしれない。

 気づき、おれたちを守るために、魔獣を撃退しようとしたのかもしれない。


 食事時でもないのに包丁を出していたのも気になる。

 見つけた魔獣を撃退しようと取り出し、

 自衛のために、魔獣が彼女の武器を使って殺した……、そうなるのだろう。


「もしかしてお前は……、おれたちに危害を加える気はなかった……?」


 なにもされなければ、なにをするでもなかった――そうなのか?


 お前はずっと、レイトリーフの死体には興味を持たない。


 食糧として食べようともせず、ずっと、怒りを向けている。

 おれだけじゃなく、レイトリーフにも。


 しゅるん、と、音だけが聞こえ、おれの腕になにかが巻きついた。

 おれと魔獣を繋ぐ赤い糸……、その赤も、血という意味だが。

 そして、糸にしては水分を多く含んでいる……、これは……舌か。


 長い舌に引っ張っられたところで、おれも対抗する。

 足に力を込め、踏ん張り、距離を保つ。

 一瞬も気が抜けない、綱引きだ。


「おれも、殺すのか……」


 魔獣は答えない。

 怒りに任せて、攻撃してきているはずだ。


 いまは冷静じゃない。

 あいつは自分が殺されそうになったと思って、こうして攻撃してきている。

 やらなくてはやられると、本能で戦っている。


 力で返すのは逆効果だ。

 自分は敵なのだと、自己主張しているようなものだ――だから。


 そこを崩すには、やはり言葉しかない。

 じっくりと、話し合う必要がある。


 魔獣で、言葉は通じなくとも、感情は誰でも伝えられる。


 種族の壁はそう高くない。


「なにもしねえよ……」


 おれは力を抜く。

 途端に地面へ引っ張られ、叩きつけられるが、

 それでも両手を上げ、降参のポーズを取り続ける。


 胸の中心に、魔獣の前足が乗る。

 力は、強い。

 胸が圧迫され、言葉が出にくい。

 そして、足についていた血がべったりと――おれの服を濡らした。


「おれは、お前になにもしない。お前は、なにも悪くない」


 レイトリーフの胸に突き刺さっていた包丁が、魔獣の舌によって抜かれた。

 レイトリーフの死体が、乱暴に転がる。

 それについて、怒りはあった。

 死者に鞭を打つような事を……っ。

 だが、殺されかけた生者を、蔑ろにはできない。


 包丁は空中で踊りながら、切っ先をおれに向ける。

 落下してきた包丁は、おれの肩に勢い良く刺さる。


 肉を裂き、貫通し、地面に傷をつけた。


「あがッ!?」


 ッッ、痛てっ、えっ!?

 ――起き上がれない。

 どくどくと、血が溢れ出す。



 ……だから、なんだ。

 レイトリーフは、もっと痛かったはずだ。

 痛いなんてもんじゃない――、苦しかったはずだ。


 死にたくなかったはずなのだ。


 一緒にチームを組もうと約束したのだから。


 どちらが悪いってわけじゃない。

 ただ、おれは人間だ。

 だからレイトリーフを殺したお前のことは、殺したいほどに憎んでる。


 でも、互いに生きるためにやった事だ。

 おれがここで、お前を殺そうとすれば、それは私怨になってしまう。

 お前に向ける感情じゃないってのは、分かってる。


 殺されそうだから殺した――よりも、

 レイトリーフを殺されたから殺したという理由の方が、強くなってしまう。

 その動機は、相応しくないのだ。


「ああ、正直おれは真っ赤だろうぜ。怒りで頭がおかしくなりそうだ。

 だがよ、怒りに任せて殺しまくって、

 魔獣を殺害する事をゲームと思うような、快楽者じゃない。

 おれは、そんな魔獣ハンターなんかじゃないっ」


 あいつらとは違うんだ。

 おれは、魔獣を理解したい、魔獣ハンターだ。


 だから。


「許してくれ。頼む」


 ……おれの言葉は、通じただろうか。


 おれに乗せていた魔獣の足に、力が消えたのが分かった。

 そして、肩に刺さった包丁が、引き抜かれた。


 とんっ、と投げられた包丁は、壁に突き刺さる。


 赤色が消えた。

 しかし決して、良い感情でないのは分かる。

 おれたちを良く思っていないのが、伝わってきた。


 だけど、見逃してくれた。


 見えないおれたちでも分かりやすいように、窓を開けて、外に出ていく。


 気配が消えた。


 魔獣はいなく、なった……?


 おれの事を、許してくれたのか?


「……ありがとう」


 こんなのはおれらしくない。

 クマーシュと、もしも出会っていなければ。



 こんな勝負の終わらせ方なんて、絶対にできなかっただろうな――。

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