第10話 攫われたふたり

 コロルは攫われていた。


 意図したわけではないだろうが、こぼれたコインが道に落ちており、

 それを辿っていくと、誰かの肩に担がれたコロルを見つけたのだ。


「コロル!」


 声をかけるが、反応はなかった。

 ぐったりと、頭を垂れていた。

 リュックを絶対に離さないのは、盗賊の意地なのか。


 コロルを背負う黒い影。

 闇に溶け込み、その姿ははっきりとしない。


 人ではなかった。

 しかし、魔獣という感じもしない。


 近いのは――、亜人か。

 二足歩行でS字の姿勢をした、

 尻尾を地面に引きずるそいつは、こっちを振り向き、ちらりと横目で見つめる。


 赤い瞳が、

 俺たちを射抜く。


 そしてすぐに興味を失ったのか、再び背を向け、俺たちから遠ざかっていく。


「待て!」

 と、ラドが背を追い、それを俺とレイトリーフが追う。

 あいつの姿を、単純な視力ではなく、見る事ができるのは、ラドだけなのだ。


「あいつ、上に登っていったぞ」


 上……? 壁を登っていったのか? 

 コロルを背負いながら、九十度に近いこの壁を……?


「天井の近くに穴がある……、あれは……隠し通路なのかもしれない」


 ラドはその身軽さで簡単にあいつを追えるが、俺とレイトリーフはきつい。

 一応、腰に巻いたロープを使えば、登る事はできるが……。


「大丈夫、クマッシュを置いて先にいったりしないから」

「そっか、それはありがたい」


 レイトリーフが俺の肩を叩く。……お前、この壁を登れるのかよ。

 俺の周りのメンバーは、強かなやつが多いな。



 単純に俺が頼りないだけなのかと気づいた後、腰に巻いたロープを使い、壁を登る。

 壁に引っ掻けた爪を回収し、レイトリーフと共に先に進んだ。


 穴の中は暗い。

 これまでの道とは違い、明かりがまったくないのだ。

 なので、手探りで前へと進んでいく。


「レイトリーフ、ちゃんとついてきてる?」

「いるよー」


 服をぐいっと引っ張られ、後ろに倒れそうになる。

 意外と近くにいた事に気づいた……、肩と肩が触れ合う。


「近いよ……」

「これくらい密着してないと危ないよ。はぐれたりしたら大変だもん」


 それは、確かにその通りだけど……、

 俺の腕をそこまで抱きしめなくてもいいと思う。

 ふんわりと良い匂いがするし、緊張感が段々と削がれていく。


 あ、これは柑橘系の匂い……。


「――おうあ!?」


 そんな余計な事を考えていたら、胃が浮く感覚と共に体が宙ぶらりんになる。

 足が地についていなかった。

 つま先を伸ばしてみても、地面に触れる事は叶わない。


 俺の腕を引っ張ってくれているのは、レイトリーフだ。

 一歩でも間違えれば、レイトリーフも一緒に落ちていたかもしれない。

 しかし、密着していたからこそ、

 こうしてギリギリのところで支える事ができたのだろう。


 レイトリーフの言う通りだった。

 密着していないと、これは危ない。


「……っ、もう、無理っ」


 俺は身構え、落ちる覚悟を決めていたが、

 まさかレイトリーフも一緒に落ちてくるとは思わなかった。


 まず俺が落下し、そのあとに、レイトリーフが俺の背中に着地した。

 まあ、レイトリーフが怪我をしなかったのだから、良しとするか。


「……僕の手を、離せば良かったのに――」

 そうすれば落ちるのは俺だけで済んだ。


 レイトリーフまで落ちることはなかったのに……、

 怪我はしないものの、やっぱり痛いのだから、わざわざ付き合わなくても――。


「見捨てられるわけないじゃん! 

 そんなことばかり言って……、私だって、怒るんだからね!?」


 レイトリーフの表情がよく見えた。

 落下した事で、洞窟内に戻ったらしい。

 だから、微かな明かりがあるため、本気で怒っているのがよく見える。


 さっき、コロルに隠れていた分、

 俺への怒りを発散する場がなくて、それがいま、爆発したらしい。

 ……ようだけど、意外にも、レイトリーフはすぐに表情を戻した。


「でも、クマッシュはもう充分に分かってるだろうから、怒ったりしないよ。

 ……ほらっ、いこ」


 ぎゅっと手を握られた。

 きっと、俺もラドもコロルも、レイトリーフに敵わないな、と思った。



 先行しているラドを見つけた。

 音を立てないようにして合流する。


 曲がり角から顔を出し、先を覗くと、

 コロルを背負って先を進んでいく犯人の姿が目に入る。


 いつもよりも慎重なラドだった。

 勝手なイメージだが、見つけたらすぐにでも殴りかかりそうな感じがしていたのだが、

 ラドは尾行という行動に抑えていた。

 あくまでもイメージだが、間違ってはいない、と思っている。


 だからこそ、慎重さが少し気になった。


「殴りかかったら負ける――、

 それくらい、あいつは強いよ」


 四足歩行の巨大な獣にも、

 炎を吐く翼竜の子分と親玉にも挑み、

 それでも負けなかった自信の塊であるラドが、まさかそんな事を言うなんて……。


「なら、どうするつもりなの?」


「今は泳がせる。このままついていって、

 あいつの巣でも見つけたところで、奇襲を仕掛けるんだ」


 俺は構わない。

 どちらかと言えば、それは俺の分野だった。


 だからこそ、ラドのやり方にはいちばん合わない。

 やりたくない事なのではないかと思った。


「仕方ないんだよ……。勝てなかったら、意味がないだろ」


 その負けに意味があるかどうかで、また変わってくるとは思うが……、

 ともかく、あとを追えるのはラドだけだ。

 ラドが泳がせるというのならば、それに従うまでだった。


「……レイトリーフもそれでいいよね?」


 口を挟む間もなく進んでしまった事に驚いていそうなレイトリーフにも、

 一応、声をかけておく……行動を共にするのだ、予定は教えておかなければ。


 振り向くと、


 レイトリーフは口を塞がれ、両腕を後ろで組まされていた。


「……あ」


 一瞬の空白。

 見事に、俺は状況を把握できなかった。


 よくある話ではある。

 尾行しているつもりが、尾行されていた――なんて。


 俺とラドとレイトリーフが、一緒に行動しているように、

 コロルを攫った犯人の仲間だっているのだ。


 全身真っ黒、皮膚の光沢が不気味だ。

 赤い瞳を持つそいつはたぶん、蹴りを繰り出した。


 たぶん、なのだ……見えない。

 速過ぎて、見えない。


 吹き飛ばされた俺は、ラドと共に地面を転がる。

 右肩から激しい痛みが……ッ、――ついでに動かなかった。


「クマーシュ、下がれッ!」


 首根っこを掴まれ、後ろへ投げ飛ばされた俺は、

 ごろごろと後転を繰り返し、壁に激突する。


 衝撃で、いつの間にかはずれた肩がはまっており、痛みもやがて引いてくる。


 ラドと、立ち上がったトカゲのようなそいつは、

 徒手空拳で殴り合いを繰り返していた。

 互いの攻撃が当たってはいても、致命的なダメージにはなっていなかった。


 遠くから見たらなんとか分かるが、

 しかし、あそこまで接近しながら戦っていたら、相手の攻撃なんて見えないはずなのに。


 今更ながら、ラドのスペックの高さに助けられていると自覚する。


 だが、それでも劣勢なのはラドだった。

 敵は、レイトリーフを抱えながら戦っている――。

 なのに、だ。


 その時点で、力の差がはっきりとしていた。


「――レイトリーフを抱えた右側は防げないだろ!」


 取り出した棍棒で、相手の隙を突いたつもりだったが、

 敵は地面に垂れている尻尾で棍棒を防いだ。

 そして、ラドと一緒で、敵も自らの武器を隠していた。


 トカゲだが、能ある鷹は爪を隠す――、

 その通りに、隠した爪を使い、腕を振り下ろしてラドを斜めに引き裂いた。


 膨大な血が噴き出し、ラドが背中から倒れる。

 すごいスピードで血溜まりが広がっていく。

 その光景を見つめ、レイトリーフは言葉を失っていた。

 泣き叫ぶ事もできない、放心状態だった。


 口を塞がれている。

 だから、どうせレイトリーフの言葉は伝わらないが。


 言葉はなくとも、視線に込められた意思は伝わる。

 ラドを助けて欲しいと、レイトリーフは懇願している。

 ……分かっている、そんなことは、嫌ってほどに。


 俺だってすぐに駆けつけたかった。

 しかし、俺の目の前を横切るそいつのせいで、俺は身動きが取れなかった。


 相手は、嫌がらせのように、ゆっくりと、立ち去っていく。

 そして、敵が見えなくなってから、やっと俺は動き出す事ができた。


 不器用な手で、ラドを看病する。

 服で血を押さえたが、ほとんど意味などなかった。

 押さえても押さえても、赤い血が溢れ出てくる。


 これではらちが明かないため、ラドを背負い、焚火を探す。


 ……しばらくしてから、


「――見つけた」


 近くには薪もある。

 火を点け、薪の一つを取り、ラドの傷に押し当てた。


 壮絶な痛みがラドを襲うだろう――、だが、がまんしてほしい。

 今は、これで止血させる事しか、俺には分からない。


「……このまま、引き下がってたまるか……っ」


 痛みに悲鳴を上げながら、

 しかし、ラドの炎は消えていなかった。


 ラドの内なる炎に、まきは必要なかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る